第3話
1番高い枝へは背中から落ちる。急所を守りながら、体を横転させることでできる限り衝撃をいなせた。
その下の枝へは前足を伸ばし、爪を引っ掛ければ一瞬だけ、逆さまにぶら下がれる。先程獲物がおれを回避した時は前回りだったけど、上手く爪が引っ掛かるようにおれは背中から。重力に任せてぐるりと回転すると、地上の様子が視界に入った。
地上の獲物はというと、結構な勢いで放ったにもかかわらず、着地してもそれほど大きな音は無く、どうやら翼で空気を掴んで勢いを殺したらしい。少なからずダメージはあるだろうけど、完全に動けなくするには至らなかったようだった。片翼でもこうして役立てることはできるんだな。
俺としては、そのまま頭か首をやってくれれば苦しまずに逝かせてあげられただけに、ちょっと残念だ。
獲物の状態を確認した後、ぶら下がった枝から爪が外れて再び落下。もう大分勢いは殺せているから、あとは下の枝を掴まえながら地面に落っこちている獲物の方へと降りていくだけだ。
ああ、ただいま地面。きみと穏やかに握手ができておれはうれしい。着枝の衝撃で腕がビリビリと痺れ、最初に打ち付けた背中もじんじんと痛いけれど。
獲物が翼を支えにして上体を起こしている。後肢はへたり込んだままだ。完全に体勢を整える前に正面から、今度こそ飛び付いて押し倒した。
生きている中で経験したどの狩りよりも高度な駆け引き。多分おれよりも賢い頭脳を持っている獲物。捕えられて、おれは本当に誇らしい。
お互い息も絶え絶えだ。喉笛に噛み付いて、終わらせよう。
そう思ったのに。獲物の姿をしっかり捉えた瞬間、まるで時が止まったような感覚に陥った。
角張った骨格や体付きから、立派な雄鳥だと分かる。灰褐色の大きな翼は、前足で押さえれば力無く地面に広がった。
おれを笑ったその口は、今は薄く開いて深く早い呼吸を繰り返す。そしてずっとその顔を隠していた頭部の羽は、捲れて表情を露わにしていた。
長い睫毛に縁取られた目を細め、宝石のような黄緑色の瞳をわずかに濡らした綺麗な顔は──まるで何かを成し得たかのような、満足気な色を浮かべていた。
たぶん、捕食者から逃げて、逃げて、全ての力を使い果たした末に捕まった被食者は、みんな同じだ。何かに全身全霊を捧げた後の充足感。たとえ自分の命が次の瞬間に終わるのだとしても、この恍惚には抗えない。
彼に敬意を示すなら、おれはきちんと終わらせるべきだったのに。そんな
おれの躊躇いを悟った雄鳥は、遠くに放っていた視線をおれに向けて、とても綺麗な笑みを浮かべた。細くてしなやかな腕がおれの首に回されるけれど、金縛りにあったみたいに体が動かない。
唯一、耳だけは音を捉えて前方に傾いているのを感じた。いつからか聞こえていた耳鳴りのようなその音は、近付いてきた雄鳥の口から発されていた。
高音を拾いやすいおれたちのような生き物の耳にはかなり負荷の掛かる音だ。それなのに、意に反したおれの耳はその音を積極的に拾おうとする。
ぐわん、ぐわんと視界が揺れる。
遠のく意識の向こうで、おれはある海に棲む怪鳥のことを思い出していた。
引き寄せられるような魅惑の歌声に、決して聴き入ってはいけない。いざなわれた先に待つのは、死。
『おいで、おいで』
おれは誘いに乗ってしまった。
全部彼の思惑通りだったに違いない。
どうして、忘れていた?
いや、どうして、こんな森に居る?
そもそも、姿形が文献と違う。
けれど間違いない。
彼は海の怪鳥、セイレーンだ。
「良い子に『おいで』ができたね。
賢くて、おばかな猫ちゃん」
その言葉に腹を立てる間もなく、おれは意識を完全に手放した。
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