第2話 月とムレツォ

 クノイの家に一泊することになった日の夜、俺は夜中急に目が覚めた。ふと窓の外を見てみると、お月様はまだ高い位置にある。眠れない俺は、現世のことを思い出す。



 「みんな…どうしてるかな。」



 そういえばあまり気にしたことはなかったが、俺は現世にあまりに多いものを残してきている。家族や会社の人たちもそうだが、何よりたいした別れの言葉も交わさずに別れた学校の友人が気がかりだ。元々友人という友人は少ないのだが、その少ない友人のことが今は一番気になる。 



 「外の風でも浴びるか。」



 そう思い俺は、部屋についていたベランダに出ることにした。しばらく夜風を浴びていたのだが、どうもずっと隣から物音がしている。気になって隣の部屋のテラスをのぞいてみると、そこには意外な人物がいた。



 「クノイ?」



 そこには、寝間着姿のクノイの姿があった。クノイはこちらの存在に気付くなり、やはり変わらぬテンションで話しかけてきた。



 「…眠れないのか?」 


 「ああ。目が覚めちゃったんだ。にしても、お前隣の部屋だったのか。」


 「まぁな。客人に何かあった時、すぐに対応できるようにだ。それはそうと、目が覚めたというのは、うちのベッドが堅かったからか?交換してやろうか。」

 

 「いやいや!違うから!むしろ柔らかいくらいだよ。」


 「そうか。ならよかった。」



 …クノイは意外と天然なのだろうか。その後しばらく無言の状態が続いたが、しばらくするとクノイは改まったように話し始めた。



 「なぁ。…月は好きか?俺は月が好きなんだ。月を見ていると、心が落ち着くんだ。」


 「…あまり考えたことはなかったな。でも、よく見てみると、月はいいものだな。今日の月は、満月ではないけども。」


 「それも逆にいいではないか。不完全で中途半端だからこその魅力もある。ほら、今日の月はムレツォに似ている。腹がすいてくるな。」



 …クノイは意外とロマンチストでもあるのだろうか。しかし月と…ムレツォ、料理だろうか…を重ねるとは。クノイは想像力も豊かなようだ。



 「てか、ムレツォって?」


 「なんだ知らないのか?肉や野菜など、様々な具材を鳥の卵でとじた家庭的な料理ではないか。」



 どうやらムレツォとは現世で言うところのオムレツのようなものらしい。そういえば現世では俺はよくオムレツを食べていた。お母さんの作ってくれたものももちろんおいしかったが、村はずれに一軒だけある小さな洋食店で食べたオムレツは実に絶品であった。材料は卵だけとシンプルながら、隣接する養鶏場からとれた新鮮な卵で作られたプレーンオムレツは、とても味わい深い。あれは何も包まずにいただくのが最適解といえよう。出来る事ならもう一度食べたかった。



 「なんだか食べたくなってきたよ。」


 「なら、明日の朝食は使用人に頼んでムレツォを手配してもらおう。お前は早く寝ろ。朝になったら食堂に来るといい。東側廊下の手前から二部屋目だ。」


 「うん。おやすみ。」


 「……」



 クノイは何も言わなかった。が、まぁいい。クノイと話してどことなく安心した俺は今とにかく眠い。再度床に入ってからは、朝までぐっすりと眠ることができた。


 朝になり、目が覚めると、部屋の外からいいにおいが漂ってきた。この匂いは正真正銘オムレツの匂いだ。 



 「クノイのやつ、ほんとにムレツォを準備したんだな。」 



 俺は腹が減っていたので、事前にクノイに場所を教わっていた食堂へと向かった。食堂につくと、そこには何人かの人がすでに集まっていた。いかにもな風貌をした男性、上品に着飾った女性、メイドと思われる三人の女性、目つきのすごいイケメン、…なんだ、クノイか。すると、その中のいかにもな風貌をした男性が急に立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。



 「…君が、ヤマト君かい?クノイが世話になったようだね。」



 とても太い声だ。どこかの田村なんかよりもずっと太い声だ。そして近くで見るとさらに迫力がある。おそらくはこの男がクノイの父でギルドマスターの者なのだろう。



 「世話になったのはこっちのほうです。宿がなく途方に暮れていたところをクノイさんに助けていただいたんです。」 


 「そうか。クノイも立派になったものだ。申し遅れた。俺はギルド『ナメーコ』のギルドマスターを務めている、ロイベルだ。よろしく頼むよ。」


 「こちらこそよろしくお願いします。」


 「今日は記念すべき日だ。特上の卵を使ったムレツォを用意した。存分に堪能するといい。」



 そうして俺は、クノイの家族と朝の食卓を囲むことになった。ムレツォを一口かじってみると、上品な卵の風味が口いっぱいに広がって、なかなかうまい。さらにこのムレツォは、俺の記憶の中にある洋食店のオムレツと同じく、何も入っていないプレーンムレツォだった。やはり本当にうまい素材を使った料理は素材そのもので勝負するという思考は、どの世界でも共通なのだろうか。良い素材を使ったものに、味を変えてしまうものを入れたりかけたりするのは邪道というものなのだ。そういえば、途中ロイベルさんからいかにも高そうな『スロクヮ』というワインのような飲み物を進められたが、未成年なので飲めないと伝えると、代わりにスロクヮと似たような色をしたジュースを持ってきてくれた。飲んでみるとぶどうジュースのような味がしたので聞いてみると、やはりスロクヮに使われている、グラップという木の実を使ったジュースのようだ。これもすごく濃厚で、とても上品な味がしてうまかった。こうして俺は、おそらく現世でも経験したことのないような贅沢で上品な朝を過ごしたのだった。食べているものは一般的な家庭料理のはずなのだが。 


 朝食を食べ終えると、ロイベルさんが再び話しかけてきた。



 「ヤマト君、今日はありがとう。とても楽しい朝食だった。」


 「いえ、こちらこそありがとうございました。こんなに良くしてもらって。」


 「…でだ。ヤマト君。提案なのだが、クノイから聞くに、君は家も、行く当てもないのだろう?」


 「まぁ…そうですね。はい。」


 「これからもうちで暮らす気はないか。もちろん、君が不利になるような待遇はしない。」


 「えっ…いいんですか!?」


 「ああ。これはすでに家族全員で話し合って決めたことだ。まぁ、クノイの必死の説得あってのものでもあるがな。」


 「やめろ父さん…!」



 いつもクールなクノイがどことなく恥ずかしそうにしている。なんとなくギャップ萌えを感じる気もする。



 「…今日こうして君と話して、クノイが言っていたことが分かった気がする。確かに、面白い青年だ。だが、我が家の家族になるなら条件がある。君には、うちのギルドの冒険者になってもらう。やはりそれなりの見返りは必要だからな。このくらいが妥当であろう。…さぁ、どうする青年。」



 ろくに行くところもなく、やることもないんだ。こんな提案、答えは一つだ。



 「…わかりました。では、よろしくお願いします。」


 「……交渉成立だな。」



 こうして俺はこの日から、とんでもなくイレギュラーな形でギルド『ナメーコ』のギルドメンバーとなったのだった。

 


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