第25話 陽向との別れ。
俺たちは、ずいぶん泣いた後、お茶を飲んで落ち着いた。
そして、みんなが立ち上がっている中、美文さんが猫神様に尋ねた。
「もう、今日お別れするの?」
「うん。出来る限り早くしないと、もう僕の能力じゃどうしようもなくなる可能性もあるにゃ」
「そっか」
美文さんは、目を瞑って微笑んだ。
「じゃあ、飯だ! 飯でも食ってけ! あの連絡の通り、ご飯作っておいた! いっぱい!」
「おお!」
美文さんがそう言うと、猫神様は喜んだ。
「最後の晩餐だにゃ!」
「おっと、それ自分で言うんだ」
猫神様が自分で最後の晩餐とか言い出したので、俺は口を挟む。
「ほら、みんなで食べるにゃ。食欲ないかもだけど。僕のためにしてほしいにゃ!」
猫神様は、子供っぽく両手を大きく上げながら言った。
「よし! じゃあ私お皿出すね」
文さんはそんな猫神様を見ながら、笑顔で言った。
「俺も手伝います」
「じゃあ正樹くんは、冷蔵庫に入れておいた野菜炒めあっためておいて!」
「はい!」
俺は美文さんからの指示を貰い、台所に体を向けた。
「僕も手伝うにゃ!」
猫神様は元気よく言った。
そして、俺たちは猫神様を送り出す、最後の晩餐の準備を始めた。
最後の晩餐は、あまり量は食べられなかった。
地獄が引き寄せられているせいで、食欲がないからだ。
でも、味はとってもおいしくて、猫神様はおいしそうに食べていた。
そして食後。
猫神様は牛乳を飲みながら、食卓で満足そうな顔をしていた。
「さて……もう後悔はないかにゃ……」
猫神様は、牛乳を飲み干すと、小さな声で言った。
俺は、少し思ったことがあったので、猫神様に聞いてみることにした。
「猫神様さ」
「なんだにゃ?」
「何か願い事とかないの? 最後にさ」
「願い事かにゃ?」
「うん」
俺は猫神様に願い事がないかを尋ねた。
「俺たちでできることなら、してあげたいなって思ってさ」
「いいね~。私もしてあげたい!」
俺が言うと、文さんが賛同してくれた。
「そうだね。何かないのかい? 猫神」
美文さんは、猫神様に尋ね直した。
「そうだにゃ~」
猫神様は、楽しそうに目をつぶって考え始めた。
「あ、あるにゃ!」
猫神様は、笑顔で言った。
「教えてくれ」
俺が聞き返すと、猫神様はすぐに返事をしてくれた。
「名前! 名前が欲しいにゃ!」
「名前?」
確かに、猫神様には名前らしい名前はない。
完全に、吾輩は猫である状態ではある。
「確かに名前ないよね……猫神様って呼んではいるけど……」
文さんも猫神様に名前がないことを、独り言のように確認していた。
「うちのお母さんが名前つけてくれなかったの?」
美文さんは、猫神様に尋ねた。
確かに、猫神様が文子さんに恋してるくらいに仲が良かったら、名前くらい付けてそうだけど、どうなんだろう。
「それがにゃ。愛着湧いちゃいそうでって理由で、ずっと猫ちゃんって僕のことを呼んでたにゃ。だから、名前がないのにゃ」
「なるほどね……」
美文さんは、うんうんと頷いていた。
「じゃあ考えてみよっか!」
文さんは元気よく言った。
俺は文さんに頷くと、みんなで猫神様の名前を考え始めた。
「と言っても……名前ってむずいんだよな……」
美文さんはボソッと言った。
「そうだね……お母さんは私の名前とか付けたことあるから、経験あるだろうけど……」
「経験あるけどさ……むずいもんはむずいって」
二人が話している間、俺は今までの猫神様の今までの姿を思い浮かべていた。
最初はなんだこの自称神、なんて思ってた。
でも底抜けに明るくて、子供みたいに無邪気で、その明るさと無邪気さに、俺や文さんは救われてきた。
とにかく、猫神様といるとなんだかこんな霧に包まれたこの状況でも、太陽に照らされているみたいに暖かった。
「俺、いいですか?」
「お、言ってみるにゃ」
俺は、思いついた名前を言ってみることにした。
「ひなた。太陽の陽に、向かうって書いて陽向」
俺はゆっくりと間違いがないように言った。
「明るくて、無邪気で、まるで猫神様は太陽みたいだから……ですけど……どうでしょう?」
俺は、恐る恐るみんなの意見を聞いた。
「いいじゃん」
美文さんは、指パッチンをしながら言った。
「陽向……うん! ピッタリじゃない? 明るい猫神様に」
文さんも何度も頷いてくれた。
「うん……陽向……僕は陽向……いいにゃ! 気に入ったにゃ!」
陽向になった猫神様は、嬉しそうに言ってくれた。
よかった。気に入ってくれた。
俺も、ここまで喜んでくれると、なんだか照れるくらいに嬉しい。
「よし……」
陽向は、深呼吸をした。
「僕の願いも叶ったし、行こう。すべてを元に戻すために、あの祠に」
陽向は、噛みしめるように言った。
早瀬家の正門で、俺たちは集まった。
天気は相変わらずで、肌寒い。
しかし、心は温かかった。
「ほら、最後ぐらい明るくいくにゃ! もう十分みんな泣いたにゃ!」
陽向は、元気よくみんなを鼓舞している。
「そうだね。元気、出すぞ!」
文さんも、拳を小さく上げて、自分を鼓舞した。
「元気、出すぞ!」
俺も、文さんの前をして拳を上げた。
「……そっか……」
美文さんは、何かを考えているようで、正門に着いてからずっと腕を組んでいた。
「美文殿、どうかしたにゃ?」
陽向は、美文さんに尋ねた。
「いや、私はなんとなく、ここで陽向とお別れのほうがいいかなってさ」
「……ええ! なんでにゃ!」
陽向は美文さんに抱きついた。
「いやさ、祠で陽向と出会ったのは、文と正樹くんでしょ? 私が陽向に初めて出会ったのは、この家だしさ。なんとなく、ここでお別れがいいかなって」
「なるほどにゃ……」
美文さんの言っていることに、陽向は頷いていた。
あんまり理由はないんだろうけど、美文さんがそう思うなら、その方がいいだろう。
「じゃあ、美文殿とはここでお別れにゃ」
「だな」
美文さんと陽向は向き合った。
「じゃあにゃ。美文殿。お世話になりましたにゃ」
「いいえ。私も楽しかった。じゃあね。またどこかで」
二人はそう言った後、強く抱き合った。
美文に、若干抱っこされるみたいに抱きしめられている陽向は、子供みたいだった。
「よし……じゃあ、文、正樹。行こう」
「うん」
「出発!」
こうして、俺と文さんと陽向は、猫神様と出会った祠に向かった。
「懐かしいね。こう見ると」
「そうですね」
俺たちは霧の中、迷わないようにしっかりとまとまって祠の前にたどり着いた。
「ここで抱き合っている二人を見たときは、何事かと思ったにゃ」
陽向はため息をつきながら言った。
「えへへ」
「ははは。懐かしいですね」
そんなこともあったなあ。
あの時に比べて、女性に慣れたかはわからないけど、文さんとは確実に仲良くなった。
今ではお付き合いまでしてるんだ。びっくりするくらい仲良くなっているだろう。
もちろん陽向とも、ここで出会ってから、今ではすごく仲良くなっている。
別れを泣いて、惜しむくらいには。
陽向は、出会った頃と同じ服装に着替えていた。
白の着物と首輪をつけている。
「そういえば、首輪は付けてたんだね。野良猫だったのに」
俺は陽向に言った。
「僕が文子にお願いしたのにゃ。せめて首輪ぐらいは付けてほしいって。好きだったからにゃ。おねだりしてみたのにゃ」
「なるほどね」
素敵な理由だ。
好きな人に何かを貰うって、嬉しいからな。
「さて……二人とも、僕の後ろに並んで……そうだにゃ……手を二人で握っておいてほしいにゃ」
陽向はそう言った。
「えっと……」
文さんは少し戸惑いながら、俺をチラッと見た。
俺はそんな文さんを見ながら、手を繋いだ。
「はい。戸惑わない。もう付き合ってるんですから」
「えへへ。すみません」
俺が言うと、文さんは照れながら嬉しそうに謝った。
「よし! じゃあ僕の最期を見ててほしいにゃ!」
陽向は、元気に言った。
最期、と聞くと急にその時が来たんだと実感してしまった。
でも、もう泣くだけ泣いた。
明るくいこう。今は笑顔だ!
陽向は、祠の前で静かに正座をした。
そして、両手を握って祈るような体勢になると、陽向は大きな声で言った。
「この二岬を! 地獄が迫る前に! すべてを元に! 戻したい!」
陽向がそう言うと、突然暖かい風が吹いた。
陽向と出会ったときとは違う、優しくて暖かい向かい風だ。
まるで夏が、祠から俺たちの世界に戻ってくるかのように、その温かい風は吹いた。
俺も、心の中で、陽向と同じことを願った。
陽向の手助けにでもなればいいなと思ったからだ。
風が吹き始めると、陽向は浮き始めた。
その浮き始めた陽向を照らすように、太陽が顔を出した。
陽向はまるで光り輝いているように見えた。
「じゃあにゃ。二人とも」
陽向は、どんどん空に吸い込まれながら、光が差す方へ向かって行く。
「さよなら! 陽向!」
「元気でね!」
俺と文さんは、陽向に手を振る。
出来るだけ笑顔で。
「さよならにゃ!」
陽向はそう言った後、目をつぶった。
陽向はどんどん遠くなっていく。陽向は幸せそうに微笑んでいた。
俺はその様子を見ていると、泣かないと決めていたのに、一粒の雫が目からこぼれた。
祠からは、懐かしい夏の匂いがした。セミの声がした。虫の声がした。
どんどん、あたりが明るくなり、暖かくなり、そのたびに陽向は離れていく。
そして、突然とんでもなく強くて暖かい向かい風が吹いた。
「きゃ!」
「文さん」
文さんが姿勢を崩しそうになったので、俺は文さんを抱きしめて、支えた。
そして風が止み、風によって閉じていた目を開いた。
目を開くと、空に陽向はいなかった。
「あっつ!」
「うわ! あっつ!」
次の瞬間、俺と文さんはほとんど同時に叫んだ。
急に夏の気温になったのだ。
そりゃそうだ。
俺は服がなかったので半袖だが、それでも暑い。
文さんに限っては、異常気象の影響で寒かったので、長袖にカーディガンを着ている。そんなの暑いに決まってる。
セミの声も聞こえるし、山特有の昆虫くさい匂いがした。
霧も晴れてるし……すべて元通りと思っていいだろう。
「でも……暑いってことは……」
文さんは笑顔で俺を見た。
「陽向が……俺たちの願いを叶えてくれたってことですね」
「そうだね!」
俺と文さんは、そう言った後、祠の様子を見た。
祠は相変わらず、変わらない様子で俺たちの目の前にあった。
そういえば、この祠って誰が作ったのだろう……聞きそびれてしまった。
ま、いいか。
聞きそびれたことがあるくらいがちょうどいいかもしれない。
次会ったときに、話すことが増えるからな。
もし、また陽向に会ったときにでも、聞けばいいさ。
俺は祠の上に目をやった。
またいつか会えるよね。陽向。
願いを叶えてくれる、猫神様。
「もしかしたらさ」
「はい?」
帰り道、俺と手を繋いでいる文さんは、俺に話しかけてきた。
「正樹くんがこっちに来たのは、偶然じゃなくて必然だったのかもね」
文さんは、ニコニコしながら言った。
「なんでですか?」
「え~言わせるつもりなの? わかってるくせに」
まあ、わかってる。でも、かわいい文さんの口から直接聞きたいのだ。
「言ってくれないと、わかんないな」
「えへへ。じゃあしょうがないな~」
文さんは嬉しそうに言った。
「陽向の記憶を思い出させるために、正樹くんと私が恋をするために、正樹くんがこっちに来たのかもねってことだよ」
「ふふ。確かに、そうかもしれませんね~」
「うわ、やっぱり絶対わかってたじゃん。うざ~」
確かに、陽向は恋がトリガーとなってすべてを思い出した。だから、俺はもしかすると、文さんと恋をして、猫神様を助けるために、ここに引き寄せられたのかもしれない。
その真偽は……神の……いや。
猫神様のみぞ知るってやつかもな。
こうして、猫神様の夏休みが、終わった。
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