第26話 成長。
三十日。
猫神様と別れてから、数日が経った。
二岬の様子は、もう元に戻っていた。
元気にセミは鳴いていて、川も綺麗にせせらいでいる。
草木も、嬉しくなってしまうくらいに緑。
近くの畑だけじゃなくて、遠くにある山もまた見えるようになった。
太陽はギラギラと俺たちを照り付けていて、吹く風がとても暑い。
「正樹くん明日で帰っちゃうのね~」
「悲しいねえ」
黒木さんと甲斐さんは、俺を見て悲しそうに言った。
今の時間は朝。いつものように仏壇に挨拶をしてから、ラジオ体操に俺と文さんは来ている。
今日でラジオ体操は最終日。
つまり黒木さんと甲斐さんと会うのも、今日で最後なわけだ。
「俺も少し悲しいです」
この二人のおばあさんと会話をすることが、いつの間にか楽しみになっていた。
本当にどうでもいいことしか話さないのだけど、普段あまりかかわることのない親族以外の大きく年齢の離れた人と話すということ自体が、なんだか新鮮で楽しかったのだ。
「あ、田中さんたち来たわ……じゃあね正樹くんお元気でね」
黒木さんは、どうやら友達が来たようで、俺にそう笑顔で言った。
「体には気を付けるんだよ」
甲斐さんも俺に笑顔で言った。
「はい。お二人ともお元気で」
「またね! 二人とも~」
俺と文さんは、そう言いながら友達のところに行く二人を見送った。
「今日でラジオ体操も最後か……」
「そうだね。私も、さすがに来年からは来ないかもしれないし最後かも」
文さんは軽く体を動かしながら、話している。
「来年はもう文さん、社会人か大学生ですもんね」
「そうなんだよな~……あ……」
「ど、どうしたんですか?」
文さんは、体を伸ばしたところで止まり、俺の顔を見た。
「正樹くんは高校生のままか」
「そうですよ。来年は高二になります」
「うわ~いいな~高校生~」
「そんなにいいですか?」
俺は高校生をうらやましがる文さんを疑問に思った。
俺は早く大人になって、文さんとかいろいろな人を支えられる立派な人に早くなりたいと思っている。早く大人になって、文さんにふさわしい男になりたい。
だから、高校生をうらやましがっている文さんが不思議に思えた。
「大人になりたくないよ~ならないといけないんだけどさ~ずっと高校生がいいよ~」
「そんなもんですか」
「正樹くんにはまだわからないか~」
文さんはニヤニヤしながら言った。
俺にはまだわからないけど、高校生やめたくないって思う時が、俺にもきっと来るんだろうな。
「あ、そっか高校生……」
「ん? まだなんかあります?」
文さんは、ちょっと苦笑いをしながら、ボソッと言った。
「私さ……半年経ったらさ……高校生と付き合ってる大学生の身分になるんだなって思ってさ」
「え? 何か問題でも?」
「いや……世間一般だと……高校生と付き合ってる大学生って……冷たい目で見られるなって思ってさ……」
「ああ……」
確かに、高校生と社会人とか大学生が付き合っていると聞くと、あんまりいい目では見られないだろう。
でも、しっかりお互いの親の許可とか、お互いの気持ちとかそういったことを証明すればきっと大丈夫なはずだ。
「俺がちゃんと言い返します。ちゃんと好きだからお付き合いしてますって」
「えへへ。そっか。嬉しいな~」
俺がそう言うと、文さんは喜びながら、俺の腕に抱きついてきた。
うん。こういうスキンシップには慣れてきた。
俺も文さんに触れられて嬉しいし、イチャイチャするカップルの気持ちが、今ならわかる気がする。
「みなさん、おはようございま~す!」
その時、聞きなれたラジオ体操のはじまりの音声が聞こえた。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
俺と文さんは、一緒にラジオ体操の音声の後に、大きな声で言った。
ラジオ体操が終わり、おいしい朝ご飯をたくさん食べた後、俺と文さんでダックスに向かった。
ここに来るのは、かなり久々だ。初めて来たときは、ここに俺の水着とかを買いにきた覚えがある。
なぜここに来たかというと、俺は両親へお土産を買わないといけないと思ったので、その旨を文さんに話したところ、デートついでにダックスに買いに行こうということになった。
俺は文さんとお土産を選び終わったあと、昼ご飯でも食べようという話になり、ダックス内にあるファミレスに入った。
「もしかして……二人きりで外食するの初めてかな?」
「あ、そうかもです」
確かに文さんとこうやって二人きりでちゃんと外食するのは、初めてかもしれない。
「なんだかデート感出てきましたね」
「えへへ。そうだね」
二人で注文を待ちながら、こうやって雑談をしていると、本当にデートしているんだなと実感できる。
「あ、そうそう……私さ……話しておかないといけないことがあってさ」
「ん? なんですか?」
文さんは、ニコニコしていた。
「私さ、悩んでたじゃん? 高校卒業した後のこと」
「そうですね。美文さんの手伝いをするか、それとも大学行くかって話ですよね」
文さんはずっと、高校卒業した後、どちらにするかを悩んでいると言っていた。
「そう。それでね私、大学に行くことにしたの。それも東京の大学」
「おお! いいじゃないですか」
しかも東京の大学なら、俺も会いに行ける! 文さんにいつでも会えるようになる! 嬉しい!
「なにが決め手だったんですか?」
俺は平静を装って、文さんに尋ねた。
「いやさ、猫神様とか正樹くんとかと過ごしてさ、私ってまだまだ弱くて子供だなって思ってさ。だから二岬を出て、視野を広げてもっと強い大人になってから、自分の身の振り方を決めるのがいいかなって思ったの」
文さんは、机に置かれた水の入ったコップを見ながら話している。
「それだけじゃなくてね、猫神様とのことがあったでしょ? そのせいか、いろんな伝承とか伝説とかそういったものに興味が湧いたから、そういう勉強がしたいってものあるかな」
「民俗学的な?」
「うん。それに近いかな」
文さんはどうやら、猫神様との一件以降、どうやら伝承とか伝説みたいなことに興味が湧いたらしい。
確かに、今思い返すと、本当に不思議な出来事だった。だからそういったことに興味が湧くのも自然なことだ。
「ってのが理由で、私は東京の大学を目指して頑張ることにしたからさ」
文さんは笑顔で楽しそうにそう言った。
「ほんとに理由、それだけですか?」
「……」
俺は文さんを問い詰めることにした。
絶対にそれだけじゃない。
俺はわかってる。だって俺は文さんのことが好きだから。文さんだって俺のことが好きなはずだから、きっと同じことを考えてるはずなんだ。
「へへへ。それだけじゃないよ」
文さんは顔を赤くした。
「正樹くんといつでも会えるでしょ? もし一人暮らしすることになったら、いつでもうちにおいでね?」
「ふふ。楽しみにしてます」
そうだ。俺だって、もしこれからも文さんと毎日会えるって思うと、今から楽しみでたまらない。
おそらく、大体半年は離れ離れになってしまうけど、その後はきっと会い放題だ。
「あ、ごめん。お母さんからメッセージ来た」
「ああ、いいですよ」
文さんは、そう言いながらスマホを取り出した。
そして、スマホに書かれているメッセージに目を通していた。
そのメッセージに目を通していると、どんどん文さんの顔が赤くなっていった。
「ど、どうかしたの?」
俺は文さんに尋ねた。
「お母さん……今日帰ってこないって……」
「え? 仕事とかですか?」
「わかんない……」
文さんは、そう言いながらも顔は真っ赤だ。
「……なんでそんなに恥ずかしそうにしてるんですか?」
「え!」
俺が文さんにそう尋ねると、背筋を伸ばしながら、大きな声で言った。
「えっと……これは別に言わなくても……いや……でも……」
文さんは独り言のように呟いた。
「えっと……」
「ああわかった! 教える!」
「は、はあ……」
文さんは、顔を真っ赤にしながら、話を続けた。
「その……正樹くんが帰る前に……彼氏が帰る前に……やることやっとけって……」
「……」
やること?
……デートとか?
いや、でもそしたら美文さんが家を空ける理由がない。
だって、今デートしてるし。
「やることって、なんですか?」
「ああ! そうだよね! やっぱりわかんないか!」
俺が文さんに疑問を投げかけると、文さんはひどく焦りながらそう言った。
「……と、とりあえず夜までに心の準備しておいてね」
「はあ……わかりました……」
「うん。まだそういうことするかわかんないけどさ……」
とりあえず俺は、文さんの言う通り、心の準備をしておけばいいんだな?
まあ、落ち着いてればいいだろう。
いったい、どんなことをやるのだろう。
「あ」
俺は、一つやり残したことを思い出した。
「わあ! なに⁉ やっぱり何やるかわかっちゃった?」
「え? いいえ。何もわかりませんけど」
「ああ……よかった……ホントに……」
「?」
さっきからいったい文さんは、何に対してそんなに焦っているのだろう。
「で、なにかな?」
「えっと、帰りなんですけど、できたら香澄さんに挨拶をしてから行きたいなって」
「ああ、そっか。お世話になったもんね」
「はい」
俺は、お世話になった香澄さんに挨拶をしたかった。
行くたびによくしてくれて、文さんとのこともアドバイスをしてくれて、いろいろお世話になったので、きちんとお礼がしたいのだ。
「じゃあ、帰り香澄さんのところにいこっか」
「はい。お願いします」
俺が文さんに返事をすると、そこで注文したご飯が運ばれてきた。
そうして、俺たちは楽しく食事を楽しんでから、香澄さんのところに向かうことになった。
「よお。今日は二人なんだな」
香澄さんのいる八百屋に着くと、香澄さんはちょっと嬉しそうに俺と文さんを見て手を軽く上げてくれた。
「こんにちは! 香澄さん」
「おう。文とは、二日ぶりだな」
「そうですね」
香澄さんは文さんと楽しそうに会話をしている。
実は二十八日に、二人は一緒に出掛けているのだ。
「正樹は……まあ別れの挨拶ってとこか?」
「相変わらず、察しがいいですね」
香澄さんは、本当に察しがいい。
その察しの良さに、俺は助けられたんだけど。
「まあな。私、いい女だからな」
香澄さんは珍しく、腰に手を当てて、ちょっとだけ胸を張った。
「香澄さん、本当にお世話になりました」
「ああ、こちらこそ。イケメンが定期的に見られて、私も楽しかったよ」
「ふふ」
香澄さんは、悪そうに微笑みながらそう言ってくれた。
「……」
香澄さんは、俺と文さんを交互に見た。
「そういや、あの猫神様は?」
「あ」
「あ」
俺と文さんは、香澄さんに言われて目を合わせた。
そういえば、どう説明しよう。
陽向は実は亡霊で……なんて話しても……信じてもらえなさそう……。
いや、香澄さんなら全然信じそう……。
物分かりよさそうだし……。
「いや~その~」
文さんは、どういう言えばいいか困っているようだった。
確かにどう伝えればいいんだろう。
でも、香澄さんか……。
香澄さんなら、こう伝えればいいんじゃないか?
「猫神様は、いろいろ理由があって、遠くに行っちゃいました」
俺は香澄さんにそう言った。
「遠くにね……」
香澄さんは、腕を組んで何かを考え始めた。
しかし、香澄さんはすぐに腕を組むのをやめた。
「そっか。じゃあもし連絡でも取れるんだったら、元気でなって言っといてくれ」
そうだ。香澄さんならこの伝え方でいい。
この人は察しがいいんだ。
だから香澄さんが、陽向に不思議な感覚とかを持っていても、不思議じゃない。
そう思えるくらいには、香澄さんは察しがいいと俺は思っている。
「わかりました」
俺が香澄さんに返事をすると、香澄さんはグットサインを俺に向けてくれた。
「あ、そうだ……」
文さんがそう言うと、俺をチラッと見てから、文さんは香澄さんに視線を戻した。
「香澄さんにちょっと聞きたいことがあって……」
「おう」
文さんは、どうやら香澄さんに聞きたいことがあるらしい。
「できれば、店の中で話したいんですけど……」
「それは別にいいけどさ……正樹はどうすんだ?」
香澄さんは、俺の顔を見た。
その後、文さんも俺の顔を見た。
文さんの顔は、ほんのり赤くなっていた。
「悪いけど……正樹くんはちょっと待っててほしいの……ガールズトークするから……」
「ああ。そう言うことなら、俺はここで待ってます」
「あ、ありがと。正樹くん」
どうやら男子禁制のお話らしい。
俺は大人しく、店の外で待っていよう。
「じゃあ、香澄さん」
「おう」
そう言うと、二人は店の中に入って言った。
いったいどんな話をしているのだろう。
少しだけ気になるが、まあ首はツッコまないほうがいいはずだ。
俺はそのまま、二人が出てくるのを、のんびり商店街寂れていて、なんだか懐かしい雰囲気を眺めながら待った。
そして、夜になった。
家に帰り、夕食を食べた後、俺と文さんは縁側でお茶を飲みながら休憩をしていた。
「暑いとお茶がおいしいですね」
「そうだね」
俺は空をのんびりと眺めていた。
この綺麗な夜空も、霧が出ていたころは見えなかったものだ。
今はもう夜が明けるまでは、好きなだけ見ることができる。
でも、俺が明日帰ると、この夜空は見られなくなってしまうと考えると、寂しい思いでいっぱいだ。
「陽向……元気かな」
文さんは、夜空を見ながらそう言った。
「俺たちが元気なら、きっと元気ですよ」
「そうだといいなあ」
陽向がいないから、少し寂しい気持ちもある。
でも、たとえいないとしても、前を向いて頑張って生きていかないといけないんだ。
未練を残してしまわないように、後悔の無いように。
「文さん」
「ん? どうしたの……ん……」
俺は文さんに呼び掛けて、振り向かせて、軽くキスをした。
陽向は、俺たちが恋をしているのを見て、すべてを思い出した。
だから、俺は文さんを絶対好きでいる。
陽向も文さんも、悲しい思いをしないように。
このキスは、その証明のつもりだった。
「ん……もう……急じゃない?」
「俺は、急にこういうことします」
「えへへ。新発見だね」
文さんは俺を見つめながら、俺の手の上に手のひらを重ねてきた。
そして、俺の肩に寄りかかってきた。
「幸せだなあ……」
文さんは嚙みしめるに言った。
「そうですね」
この夏らしい気温と、夏らしい虫の声。
そして、綺麗な緑を映す元気な木々たち。
そして、隣に文さんがいること。
そして、猫神様が俺たちのことを空から見ていてくれているということ。
そう言ったことを考えていると、今が幸せだと心から感じる。
明日には帰ることになると思うと、本当に哀しいし、寂しい。
文さんとだけじゃなくて、陽向とも改めて別れることになると考えると、哀しさもひとしおだ。
だからこそ、今この時間を後悔の無いように、やり残したことの無いように過ごすんだ。
そうして、俺と文さんは、二人でお互いの暖かさを確かめるかのように、うんと近くで、寄り添い合いながら、夏休みの最終日の前日の夜を過ごした。
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