第24話 猫神様の夏休みのおわり

 二十六日。

 猫神様が帰ってくると言った日になった。

 俺はいつものように仏壇に挨拶をする。ラジオ体操は、この異常気象のため中止になった。

 朝から昼過ぎまでずっと、猫神様が帰ってくるのとか、いろいろなことを考えているせいか、俺も文さんも美文さんも意味もなく部屋をうろうろしたり、とにかくそわそわしていた。

 外に出て気分転換をできる状態でもないし、この感情の行き場がないので、とにかく家の中でそわそわしながら過ごすしかないのだ。

 そんな思いで過ごしていると、時刻は午後三時になった。

 俺は畳の部屋でうろうろしていた。

 ふと、正門から足音が聞こえた。

 もしやと思って正門のほうへ目線をやり、目を細めて誰が来るのかをできるだけ早く確認したいという気持ちで見続けた。

 外は赤みがかった霧に包まれていて、もはや長袖で過ごすのがちょうどいいくらいの気温だ。足音は近いのに、姿が見えない。

 そんな俺の様子を見て、食卓のほうにいた文さんと美文さんも、俺のいる畳の部屋にやってきた。

 三人そろって正門のほうを見ている。

 徐々にその足跡の主の姿が、霧の中から浮かび上がってきた。

 その影は、徐々に姿を現しはじめた。

 最初はただの人の姿に見えた。

 しかし、迫ってくるほどに徐々に輪郭がはっきりとしてきて、その影の頭には、猫の耳のようなものが付いていた。

 そして、その影は完全に俺たちの前に姿を現した。

「……」

 間違いない。その猫耳の付いた、美少女にも美少年にも見える中学生くらいの幼い姿。

「ただいまにゃ」

 それは猫神様だった。

 猫神様はいつもとは違い、顔つきが大人びているような、落ち着いた表情をしていた。まるで、何か覚悟を決めたようなそんな顔をしている。

「猫神様!」

「猫神!」

 猫神様がただいまと言うと、文さんと美文さんはすぐさま猫神様に抱きついた。

「うにゃ! ちょっと! 二人同時は重いにゃ!」

 猫神様は、抱き着いてくる二人にもみくちゃにされながら、嬉しそうにしている。

「会いたかった~!」

「ケガとかしてないか?」

「してないにゃ!」

 二人はあらかた抱きしめ終えると、猫神様の状態を確認した。

「お帰り、猫神様」

 俺も、猫神様をしっかりと見て言った。

「うん。ただいま」

 猫神様はくしゃっと笑って、そう言ってくれた。

「それで……早速だけど……」

 猫神様は、俺たち三人の顔を、それぞれ確認するようにゆっくり見てから、言った。

「どうしても話しておかないといけないことがあるにゃ。僕のこと。そして、僕がこれからしないといけないことについて」

 猫神様は、今まで見たことがないくらいに真剣な顔で言った。


 俺たちは食卓に集まった。

 猫神様は、食卓に集まった俺たちをまたゆっくりと見回すと、口を開いた。

「まず……いろいろ話す前に……」

 猫神様は、そう言った後、すぐに机に飛び乗って、そのまま華麗に正座をして、頭を机に付けた。

「心配かけて! ほんとおおおおおに、すみませんでしたにゃ!」

 これはいわゆる土下座というものだろう。

 猫神様は、とてもきれいに土下座した。机の上で。

「ええええ! 別にいいよ!」

 と文さん。

「そうだぞ。手紙で帰ってくるって言ってたし」

 と俺も猫神様に言う。

「とにかく頭をあげてよ。無事に帰ってきてくれたんだし」

 美文さんも、優しく猫神様に言った。

「そうかにゃ……よかった……みんな怒ってなくて……みんな僕が逃げたとでも思ってたと思ってたにゃ」

 猫神様は、そう言いながらまた席に着いた。

「むしろ、謝らないといけないのは私」

 そう言うと、文さんは席を立ち、今度は床で正座をして、床に頭を付けた。

 いわゆる、これも土下座である。

「ごめん! 猫神様! 私が家を飛び出したあの時、あんなに強く八つ当たりしちゃって!」

 文さんは、大きな声で猫神様に言った。

「別に何にも思ってないにゃ。むしろ、それがあったおかげで僕は準備を終えてここにいるにゃ」

「え、そうなの?」

「そうにゃ。だから気にしないでほしいにゃ。ほら、頭をあげて席に着くにゃ」

「あ、うん。ありがとう猫神様」

 文さんがそう言うと、そのまま立ち上がって席に戻った。

「えっと、私もしておくか。土下座」

 美文さんは突然そう言った。

「じゃあ俺も」

 俺もそう言ってみた。

「いやなんで!」

「めんどくさいしいいにゃ! そもそもなんでこんな短時間で四人も土下座するのを見ないといけないんだにゃ!」

 文さんと猫神様は、二人そろってとんでもなくめんどくさそうな顔をしながらそう言った。

「そうですか……」

「まあ、そう言うことなら」

 俺と美文さんは、床に座りかけた状態から、また立ち上がり席に戻った。

「正樹くんってノリいいのね。新発見」

 美文さんは座ってから言った。

「まあ……今のは結構男のノリというか……」

「ごほん!」

 俺と美文さんが話していると、文さんがわざとらしく咳ばらいをした。

 たぶん、くだらない話をしてないで猫神様の話を聞けということだろう。

「あ、猫神様。お話の続きを……」

「あはは。お前らは相変わらず賑やかだにゃ」

 俺が猫神様に言うと、猫神様は楽しそうに笑った。

「……じゃあ……思い出したことを話していこうかにゃ」

 猫神様は、穏やかな微笑みを浮かべながら、話し始めた。

「まず、僕は神じゃないにゃ」

「え? じゃあなんなの?」

 文さんが猫神様に尋ねた。

「僕は神なんかじゃなくて、偶然願いを叶える能力や姿を変える能力を手に入れた、ただの野良猫の亡霊にゃ」

 猫神様は淡々とそう言った。

「じゃあ、神って思い込んでたってことか?」

「そうなるにゃ」

 俺がそう言うと、猫神様は頷いてくれた。

「亡霊だった僕が目覚めたとき、目の前に祠があったのと、願いを叶える能力とか、姿を変えられる能力があったせいで、僕自身が神だと勘違いしてたにゃ」

 確かに、目が覚めて自分に不思議な能力があって、目の前に祠があって、そこにお祈りをしてる俺たちが居たら、自分が神だと勘違いしてもおかしくないかもしれない。

 それに今思うと、猫神様が初めて祠に現れたときに着てた白い着物……あれって死装束みたいなものだったんだろうな。

「じゃあなんで亡霊の猫神様は、私たちがあの祠に行ったら目覚めたの?」

「それは定かではないけど……僕と生前仲の良かった人間とお前たちが近い存在で、そんなお前たちが祠に祈りをささげてくれたからとか、そもそもお盆が近かったとか、そう言った理由だろうにゃ」

「なるほど……」

 理解できない話ではないけど、結構とんでもない話だ。

「じゃあさ、私がたまに会ってた野良猫でもあり、私のお母さんと仲の良かった野良猫が猫神で、その猫神が死んで亡霊になってあそこの祠で眠ってたってこと?」

「その通りにゃ。さすが美文殿」

 猫神様は美文さんの意見を聞いて、うんうんと頷いた。

 つまり、猫神様は亡霊で、この早瀬家によく来ていた野良猫だったってことだ。

 それで偶然能力を手に入れたと。

「じゃあさ、その願いを叶える能力とかって、具体的にはどうやって手に入れたんだ?」

「わからん」

 俺が尋ねると、猫神様は即答した。

「え! 思い出せないんじゃなくて?」

「うん。わからんってより、知らないってほうが正しいかにゃ」

 猫神様は首をひねりながら言った。

「僕も深くはわからないけど、僕よりもっともっと偉い神様みたいなのが、その力を僕にくれたんじゃないかって思ってるにゃ。実際、願いを叶える能力があったことで、僕は自分が思い描いていたことができるようになったしにゃ。僕が望んだから、きっと偉い神様がくれたんだにゃ」

 じゃあその能力を与えてくれたのは、俺たちが知らないもっと上の存在の神ってことになるのか……。

 一体どんな期待を込めて、猫神様にそんな能力をあげたのだろう。

「それで……亡霊になるのには……この世に留まるための未練がいるにゃ」

 猫神様は、美文さんのほうを見て言った。

「その未練の話をしなきゃいけないにゃ。特に美文にはちゃんと話さないといけない」

「私に?」

 美文さんは自分を指さした。

「この未練は、僕が話せるようになったことにも関係しているにゃ。えっと、どうやって話そうかにゃ……」

 猫神様は顎に手を当てて、首を少し傾げた。

「お前らは、僕が願いを叶えるときに、必ず代償がいるってことを知っているにゃよね?」

「うん」

 俺たちは猫神様の話を聞いて頷いた。

 今でも、急にコップにオレンジジュースが現れ、俺の喉がからからになったことを覚えている。

 猫神様の願いを叶える能力を使うためには、それと同等か、それ以上の代償が必要なんだ。

「じゃあ、この願いを叶える能力を使って、あるものを代償に、僕が人の言葉を話せるようになったって言ったら……なにか思い当たったりしないかにゃ?」

 猫神様はひどく申し訳なさそうに、美文さんを特に見ながら言った。

 俺は思い当たるところがなかった。

 なんとなく、話をしたような気もするが、まったくと言っていいほど、心当たりがない。

「ある」

 美文さんは、机に肘をつき、顎に手を当てて言った。

「言ってみてほしいにゃ」

 猫神様は美文さんに話すように促した。

「私のお母さんの声が代償なんでしょ?」

 美文さんは、ちょっと微笑みながら言った。

「あ!」

「そういえば……」

 俺と文さんは、二人そろって声を出した。

「そういえば、文さんのおばあちゃん……突然話せなくなったって……」

「そうそう! それも原因不明! しかもおばあちゃんもすぐにそれを何でもないように受け入れてたって……」

 俺と文さんは、確認しあうように、文さんのおばあちゃんの声が突然でなくなったことを話した。

 そういえば、そんな話をサラッとしていた。

 あの時は、声が出なくなったのに、何もなかったように受け入れるし、原因不明なのも、なんだか不思議な話だなぐらいにしか思っていなかった。

「どうなの? 猫神」

 美文さんは、猫神に尋ねた。

 別に怒っている様子はなかった。

 むしろ、穏やかに少し微笑んでいたように見えた。

「正解にゃ。僕が話せるようになったのは、僕自身が人と話したいから、話せるようになりたいと願ったから。それで、その代償を文子が払ってくれたのにゃ」

 猫神様は申し訳なさそうに言った。

 まさか、文さんのおばあちゃんが、そんな形で猫神様と関わりがあったなんて、予想できなかった。

 確かに、猫神様自身はもとは猫なのに、なんで人と話せるんだと疑問に思っていたし、猫神様の願いを叶える能力には、代償が必要だということと、文さんのおばあちゃんが急に話せなくなったことを考えると、びっくりするくらい話が繋がる。

 文さんのおばあちゃんは、猫神様のために自分の声を代償に、猫神様に声を与えていたんだ。

「これこそ……土下座しないといけないことにゃ……」

「いやいいって。あの人、多分ちょっとだけ話してたからさ。そのこと」

「え? そうなのかにゃ?」

「うん」

 美文さんは、目を瞑った。

「声が出なくなった日にね、あの人、『今日、大切な子のためにいいことができたの。だから嬉しい』って言ってたの。筆談でね」

 美文さんは、ゆっくりと目を開いた。

「うん。覚えてるよ。だってお母さんの声が出なくなって、みんなあたふたしてるのに、当の本人はゆったりしてて、そんな中でそんなこと言い出したから、何言ってんだこの親! って思ってたから、印象に残ってる」

「そんなことが……」

「うん。だから気にしないで猫神。あの人はあなたにその代償を払えて、満足してたみたいだから」

 美文さんは、優しく猫神様に言った。

「よかったにゃ! ホントに……」

 猫神様は本当にうれしそうに言った。

 猫神様の目もとは、少しだけ赤くなっていた。

「それが僕の未練だったにゃ。その文子の声を代償にした……奪ってしまって……それを返すって約束が守れなかった……ってことが」

 猫神様は悲しそうに微笑んだ。

「それで僕は、人間の言葉が話せるようになりたいって思ってたにゃ。なんでかって言うと、僕は文子に恋してたからにゃ」

「ええ! そうなの⁉」

 美文さんは、驚いたようで、大きな声で言った。

「おいおい、人妻だぞ猫神。やるなお前」

「お母さん! 話がごちゃごちゃするでしょ! 茶化さないの!」

「はい……すみません……」

 美文さんは文さんに怒られていた。

 なんだか、普段は見られない二人が見れて面白い。

 意外と、こういう時は文さんのほうが真面目なんだな。

 というか……猫神様女の子だから……百合?

 いや、心の中にしまっとこう。文さんに怒られる。

「あはは。まあとにかく好きだったんだにゃ。それで、ある時願いを叶える能力を手に入れた僕は、ついうっかり、代償も重いものになるってわかってたのに、人間の言葉が話したいっていう自分の願いを、文子の前で願ってしまったにゃ。そしたら……文子は代償で声が出せなくなって、僕はその代わりに話せるようになったにゃ」

 猫神様は、自分の喉を触りながら言った。

「それで、僕はとんでもないことをしたと思って、その場ですぐに僕の声を文子に返そうとしたにゃ。そしたら文子はこう筆談で言ったにゃ。『あなたがもう亡くなる前にでも、声を返してくれればいい。私もあなたと話せて嬉しいから』って」

「ふふ。あの人らしいなあ」

 美文さんは、頷きながら言った。

「へへ。それでにゃ。猫のほうが寿命も短いだろうし、僕が死ぬ前に返せれば、文子も歳的に大体三十年は話せるから、それでいいと思って、その通りにしたにゃ。そしたら……猫の僕より……文子は早く死んじゃったにゃ。そうだよにゃ? 美文」

「そうだねえ。今の私ぐらいの歳で、コロッとね」

 美文さんは頷いた。

「それで声を返しそびれて……それが未練になったんだね」

 文さんは、小さい声で猫神様に言った。

「そうにゃ。返すって約束してたのに、いつの間にか文子は死んでて……罪悪感がずっと心に残ってたにゃ。そうして、僕も文子が死んだすぐ後に、寿命を迎えたにゃ。それで未練が残った状態で死んだから……亡霊になって今、ここにいるにゃ」

 猫神様は胸に両手を当てて、かみしめるように言った。

「じゃあもう未練はなくなったのか?」

「そうだにゃ。声を返さなかったこと……約束を破ったこと。ずっと文子は怒ってたと思ってたにゃ。だけど文子の真意を聞いた今は、もう未練はないにゃ。やっと成仏できそうにゃ……」

 俺が尋ねると、猫神様は笑いながら言ってくれた。

「でも……まだ成仏できないにゃ。やるべきことがまだあるにゃ」

 猫神様は自分に言い聞かせるように、強く言った。

「えっと……質問があるんだけど……」

「言ってみるにゃ」

 文さんはどうやら、猫神様に質問があるらしい。

「記憶を失ったのってなんでなの? まだ説明してないよね?」

「ああ。別に話さなくてもいいことだけど……話しとこうかにゃ」

 猫神様は、少し椅子に座り直した。

「そもそも死んで成仏すると、生前の記憶はなくなるにゃ。なんでかというと、生まれ変わって輪廻するときに、前世の記憶ってのは不純物になりえるからにゃ。ほら、お前らだって前世の記憶なんて覚えてないはずにゃ」

「た、確かに……」

 俺は凄く納得してしまった。

 確かに前世の記憶なんて、基本的にはない。

 輪廻するときに、前世の記憶ってのは不純物になる……なるほどそういう考えは面白い。

 確かに、前世になにかめちゃくちゃ悪いことをしてて、それを覚えたまま生まれ変わったとしたら、すっごく複雑な気分だろう。

「なるほど……」

「面白い話だなあ……」

 文さんと美文さんも、なんだか猫神様の話に関心しているようだった。

「それでにゃ、ただ大きな未練がある場合は別で、大きすぎる未練……それと同等の記憶は消しきれないのにゃ。表面上は忘れてても、なにかその未練を思い出すトリガーみたいなものと遭遇したら、思い出してしまうからにゃ。だから生まれ変わってから、もしそのトリガーと遭遇したとしても、なにも思い出さないくらいには、その未練をなくさないと……きれいさっぱり忘れないといけないにゃ」

 猫神様はそこまで言うと、ちょっとお茶を飲んだ。

 そしてまた話し出した。

「で、その未練を消化しないといけないから、時たまこうやって亡霊が現世の人間と協力して、その未練をなくすための活動をするのにゃ。今みたいに、未練を何とか思い出して、未練をなくして……みたいなことをするのにゃ。そうして未練がなくなれば、改めて記憶を思い出さないように、ちゃんと記憶を全部消して、成仏出来て輪廻ができるってわけ、って地獄の偉い人が言ってたにゃ」

「地獄の偉い人ね……」

 一体どんな人なんだろう……。

 死んだときのお楽しみなのか? いや、そもそも地獄にはいきたくないな。

「これが、僕が記憶を失ってた理由で、何か忘れていることを思い出さなきゃいけないって思ってた理由だにゃ」

「そっか……ありがとうね。猫神様」

「別にいいのにゃ。せっかくだしいろいろ聞いてほしいにゃよ……」

 猫神様は悲しそうに微笑んだ。

「それで……次はこの二岬の状況についてになるにゃ」

「ああ、そうだ! 猫神様が原因だって自分で言ってたけど……」

「そうだにゃ。まあ、これも地獄の偉い人から聞いた話になるにゃ」

 俺が言うと、猫神様は頷いた。そして話を続けた。

「僕みたいに、強力な能力を持った生き物が亡霊になって、現世に居続けると、現世に影響が出るにゃ」

「どんな影響? 今みたいに、霧が出て生き物がいっぱい死んで……みたいな?」

 文さんは猫神様に尋ねた。

「そうだにゃ……それで、正樹には思い出してもらいたいんだけど……この外の様子を見て、地獄みたいって言ってたの覚えてるかにゃ?」

「うん。覚えてる。そうしたら猫神様が、その外の状況は自分のせいっていうのを思い出した」

「うんうん。よく覚えてたにゃ。えらいにゃ」

 あの時の猫神様の追い詰められている様子は覚えている。

 そのせいで、俺も辛くなった。

「それで、僕みたいな強力な亡霊がいると、どんな影響が出るかっていうと、世界の認識が変わるにゃ」

「世界の認識? すげえこと言い始めたな」

「まあ、厳密には正しい言い方じゃないんだけど、一番近い言い方がそれになるにゃ」

 俺は世界の認識と言われて、猫神様に関心してしまっていた。

「で、どういう風に世界の認識が変わるのかというと、僕みたいな亡霊がいるから、世界が勘違いをして、現世を地獄だと認識し始めるのにゃ。つまり、僕がいるせいで、地獄が現世に引き寄せられてるってことだにゃ」

「えええええ!」

「えええええ!」

 俺と文さんは席を立って、一斉に声をあげた。

「じゃ、じゃあ今は二岬は地獄になりかけてるってこと?」

 俺は興奮したまま猫神様に尋ねた。

「そうなるにゃ」

「じゃあ、お腹が空かなかったり、眠くなかったり、生き物が死んだり、草木が枯れたりってのも……」

 文さんも猫神様に尋ねた。

「現世が地獄になりつつあるからにゃ。この赤い霧も、赤い川も、肌寒いのも、全部地獄になりつつある影響だにゃ。で、それの原因が、地獄を引き寄せる強い亡霊である僕がいるからってことにゃ」

「そんな……」

 文さんは力なく座った。

「じゃあ、地獄ってそういう欲求もなければ、寒くてこういう天気で生き物も生きれないってこと?」

 俺は座りながら猫神様に尋ねた。

「そうにゃ。というかそもそも、地獄って地獄だから、みんな死んでるにゃ。まあ、向こうだと死んでるやつが、こっちで言う生きてるやつみたいなもんだけどにゃ」

「そ、そりゃそうか……」

 そりゃ地獄は地獄だ。

 生きている生物なんていないだろう。

「とりあえず、今のこの異常な状態は、僕がいるせいで地獄が現世に引き寄せられているからってことにゃ……えっと……あと話すことは……」

 猫神様は、また何を話すか考え始めた。

「じゃあ提案ていうか、質問だ」

「お、いいにゃ正樹。言ってみるにゃ」

 俺が手をあげると、猫神様がそう言ってくれた。

「そもそも、忘れていたことを全部思い出したのってどうしてなんだ? さっきは未練を思い出してしまうトリガーとか言ってたけど……」

「ああ。なるほどにゃ」

 俺は猫神様が記憶を取り戻した理由を知りたかった。

 俺が地獄みたいと言ったときや、文子さんの名前を猫神様が聞いたときに記憶が一部蘇っていた。

 しかし、すべてを思い出したそのトリガーのようなものは、いったいどんなものだったのか、俺は知りたかったのだ。

 猫神様と俺が文さんを探しに行くために、家で別れてから俺たちは一度も会っていない。

 なぜ猫神様は、すべてを思い出したのか、俺は気になっていたのだ。

「これはにゃ。正樹、文。お前たちのおかげで思い出せたのにゃ」

 猫神様は、俺と文さんを見ながらそう言った。

「え?」

「俺たち?」

 俺と文さんは、お互いを見た。

「お前らがバスストップで二人でいるのを……実は僕見てたんだにゃ」

「え!」

「そうだったの?」

 俺と文さんがバスストップで、その……ハグしてたりキスしてたり……気持ちを伝えあってた状況を見てたってこと?

「ど、どこで見てたの?」

 文さんは、猫神様に顔を真っ赤にしながら尋ねた。

「そこの通りを偶然通ったら……二人がいるなって思って……でも……なんか二人からただならぬ気配を感じて……こっそり近づいて……バスストップの裏に回って……話聞いてたにゃ……」

「そ、そうだったんだ……」

 文さんはそう言いながら、俺をチラッと見てきて、俺と目が合った。

 多分、俺も文さんみたいに真っ赤な顔をしているだろう。

「……ただならぬ気配って……二人ともただ告白してただけじゃないの? もしかしていかがわしいことでもしてた?」

 美文さんはニヤニヤしながら、俺たちを見ながら言った。

「してないです!」

「してないしてない! 健全!」

 俺と文さんは必死に否定をする。

 キスとハグは……多分ぎりぎり健全だろう。

「あはは。まあ好きにしなよ。私はそういうのガンガンするべきだって思ってるから」

 美文さんは豪快に笑いながら言った。

「えっと……いいかにゃ?」

「あ、ごめん猫神」

「えへへ」

 猫神様は、美文さんに話を進める許可を得たみたいだ。

「それで、そんな二人が恋してるのを見て、僕も文子に恋してるのを思い出したのにゃ。そしたら、芋づる式に全部思い出したってことにゃ。つまり、二人が恋してたのがトリガーってことにゃ」

 猫神様は笑顔で言った。

「だから、正樹と文が恋してなかったら、僕だってずっと何も思い出せなかった可能性だってあるし、このまま何もできずに現世が地獄になってた可能性もあるにゃ。二人が恋しててよかったにゃ!」

「そ、そっか……」

「あれですね……怪我の功名……ちょっと違うか」

「ちょっと違うかもね……」

 俺と文さんは、猫神様の話を聞いてぼそぼそ言い合っていた。

 俺はというと、もう文さんの顔を見れなくなっていた。

 恥ずかしすぎて。

「つまるところ、二人がラブラブでよかったってことじゃん! そうだよね~猫神?」

「そうにゃ! 二人が一生イチャイチャしててくれて、良かったにゃ!」

 美文さんと猫神様は、楽しそうに俺たちのことを話し始めた。

「うわああああああ!」

「恥ずかしい恥ずかしい!」

 俺はもう顔を隠して、机に伏した。

 きっと文さんも同じことをしているだろう。悲鳴を上げている。

 あの時の俺の気障なセリフがフラッシュバックする。しなくていいのに!

 そうして俺たち二人は、話ができなくなるくらいに、悶絶し続けた。


「ほら二人とも一旦顔上げて。お茶でも飲んで落ち着くにゃ」

 少しの間、悶絶していると猫神様がそう言ってくれた。

「うん……」

「はあ……」

 俺と文さんはお茶を飲んで、深呼吸をした。

 ああ、恥ずかしかった。

 間違えて女性専用車両に乗ってしまった時ぐらい、恥ずかしかった。

「ほら、これから一番大切な話をするにゃ。地獄が迫ってるこの現世を、僕がどうやって元に戻すかの話にゃ」

「ああ、それは大事な話だ」

「そうだね」

 猫神様がそう言うと、俺たちは自分の気持ちを落ち着かせるためなのか、少し早口で返事をした。

「……」

 猫神様は、少し俯いた。

「どうやってこの現世を元に戻すか。それはにゃ……」

 猫神様は、少し間を置いて、口を少しパクパクさせてから言った。

「僕の全部の記憶を含めた、僕の全部を代償に、この現世を元に戻す。それしかないにゃ」

 一瞬、静かになった。

 おそらく、俺たちが猫神様が言っていることを理解するのに、時間がかかったからだろう。

「全部の記憶って……どういうこと?」

 美文さんが猫神様に尋ねた。

「僕が生きてた時のことも、亡霊になって三人と過ごした時のことも、全部代償にするってことにゃ。だから、僕が文子に恋してたことも、三人で花火とか、夏祭りとか、ご飯食べたりとか……そういったことも全部代償にするってことにゃ」

「……代償ってことは……忘れるってことか?」

 俺は猫神様に尋ねた。

 尋ねたくなかった。否定してほしい。そう思いながら。

「そうにゃ。全部忘れるにゃ」

 猫神様は俺の聞いたことを、肯定した。

「そんな……やっと全部思い出したのに、また全部忘れちゃうの?」

 文さんは、泣きそうになりながら猫神様に言った。

「うん」

 猫神様は、悲しそうに微笑んだ。

「そんなのひどいよ! そんなに代償が必要なの?」

「そうだにゃ。だって世界の認識を変えて、それに今まで地獄が引き寄せられてたせいで死んでしまった生き物も、枯れてしまった草木も、川の色も、この天気も、全部元に戻すのにゃ。正直、とんでもないことをしようとしているにゃ」

「……っ」

 文さんは、何かを言いかけて口を噤んだ。

 多分、そんなのいやだと言いかけたのだろう。

 俺もいやだ。だって、今までの思い出も全部猫神様が忘れてしまうってことだ。

 猫神様に忘れられたくない。覚えててほしい。

 また会ったときに、思い出話とかしたいよ。

 でも、猫神様は、きっと相当の覚悟を決めてこうやって話をしている。

 だって、猫神様は心の準備をするために、一日家を留守にした。

 多分、猫神様だって、一人で泣いたり、いやだって叫んだり、葛藤していたに決まってる。

 でも、猫神様はこうやってすべてを投げ出す覚悟を決めたんだ。

 そんな猫神様の覚悟を、「いやだ」なんて言って、揺らがしちゃいけない。

 そう言っちゃいけないって、文さんも気が付いたんだろう。

「本当にそれしかないんだね」

 美文さんは、真剣な顔で猫神様に尋ねた。

「悪いにゃ美文殿。これしかないにゃ」

「そっか。ならしょうがない」

 美文さんは、目を閉じた。

「というか!」

 猫神様は、明るく声をあげた。

「僕はそもそも、亡霊なんだにゃ。こっちの世界にこれ以上迷惑かけられないにゃ」

 自分の胸に手を当てながら、猫神様は堂々と話している。

「それに……ちょっと冷たい言い方になるけどにゃ。輪廻するときに、いやでも全部忘れるにゃ。だから、僕がやるべきなのにゃ……でも……でも……」

 猫神様は突然、鼻をすすり、声を震わせた。

「昨日覚悟を決めたはずなのに……本当は嫌にゃ……みんなとまだまだ思い出たくさん……作りたい……」

 猫神様は、ぼろぼろと頬に涙をたくさん垂らし始めた。

 帰ってきてから、猫神様は落ち着いていて、出会ったころとは違い大人っぽい雰囲気に変わっていた。

 しかし、猫神様はついに別れたくないという気持ちがあふれ出して、また子供のように泣き始めた。

 俺も、そんな猫神様を見て、情けないくらいに自分の頬に水滴が流れているのがわかった。

 隣にいる文さんも、止まらない涙を両手で受け止めている。

 美文さんも、ほんのり頬に涙を垂らしながら、頷いている。

 みんな、猫神様と別れたくないんだ。

 もっと一緒に居たいんだ。

 でも、この現世を元に戻すには、猫神様とお別れしないといけない。

 涙が涙を誘い、涙が止まらない。

 あんなに楽しく過ごしていたのに、もうそれもおしまいなんだ。

「うわあああああ! 正樹! 文! 美文殿!」

 猫神様は立ち上がり、大泣きしながら俺に抱きついてきた。

「猫神様!」

 俺は猫神様を強く抱きしめた。

 文さんを抱きしめるときとは違う。

 守りたいとか、そういうのじゃない。

 離れたくない。

「猫神様!」

 文さんも、猫神様を俺ごと強く抱きしめた。

「みんな!」

 美文さんも、俺たちを包むかのように、優しくみんなを抱きしめた。

「もっと! みんなと一緒に居たかったにゃ! もっとやりたいことあったにゃ!」

「俺も! もっと一緒に居たかったよ!」

「私も! ずっと一緒だと思ってた!」

「私もだよ。猫神。ちょっと……悲しいかな」

 暖かかった。

 まるで夏が戻ってきたかのように。

 みんなの気持ちは。

 そうして、俺たちは抱きしめあいながら、しばらくの間、お互いの気持ちを交換し合った。

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