第20話 記憶の欠片

 二十三日。

 目が覚める。

 布団の中で、スマホを起動させて今の時間を確認する。

 今は朝の六時。最後に時計を見たのは朝の四時。

 二時間しか眠れていないが、すっきりとした目覚めだ。まったくおかしい話だ。

 俺は起き上がり、布団を畳んで部屋の端に置いた。

 ほこりが舞ったので、窓を開けようと思い、まずは窓を塞いでいるカーテンを俺はガーっと引いた。

 すると、カーテンの端からなにか石のようなものが、とすんと音を立てて落ちた。

 あの石は……たしか猫神様と出会った祠で、猫神様が掘り当てた紅葉みたいな模様の石だ。手がかりになりそうと思って持ち帰ってから、結局窓のふちに置いておいたままだった石だ。

 何回かこの石を眺めてはみたものの、結局何も手がかりになることはなかった。

 まあ、あとで拾えばいいかと思い、俺は窓を開けてから石を拾って、今度はテレビ台の上にその石を置いた。


「今日はもう寒いくらいだったね」

「そうですね。甲斐さんたちも長袖でしたね」

 俺と文さんは、ラジオ体操を終えて、家に帰ってきた。

 外に出る気力はないが、せめて運動はしないとということで、ラジオ体操には休まず出ている。近所の人たちと話ができるのも、気分転換にちょうどいい。

 外はもう寒いくらいで、長袖でちょうどいい気温だった。

 俺は靴を脱ぐと、いつものように仏壇に向かった。文さんの父とおばあちゃんに挨拶をするためだ。

 仏壇の前に立ち、おりんを鳴らし、目をつぶって手を合わせた。

 そして、目を開き、仏壇の写真に目をやった。こう見ると、二人とも文さんに少し似ている。当たり前だけど。

 そんな二人の写真を見つつ、体を引くと、仏壇全体が見えた。

 その時、仏壇の上の方の模様が視界に入った。

 俺はその時、体全体に鳥肌が立った。

 そして、俺はなぜ今まで気が付かなかったんだろうと、不思議に思った。

 気が付かなかったのはおそらく、毎日当たり前のように見ていた景色だからこそ、そんな仏壇だからこそ、注意深く見ることがなかったせいだろう。その光景に、気が付くべきことなんてないと、俺自身が思い込んでいたからだろう。

 俺は仏壇から離れた体を、仏壇に近づけていく。

 その、仏壇の上のほうにある模様を見つめながら。

 そして、目の前でその模様を確認する。

 俺は、その模様を改めて確認すると、自分が寝泊りしている部屋に走った。

 途中で、食卓にいる猫神様がいた。

 文さんが食事を作るのを待っているのだろう。

 突然家の中を走り始めた俺に、猫神様は視線を向けていたようで、猫神様からの視線を感じた。

 俺は部屋に戻り、テレビ台の上に置き直した石を手に取り、上ってきた階段を駆け下りた。

 そして、仏壇の前に戻った。

「正樹~? どうしたのにゃそんなに急いで」

 猫神様は不思議そうに、仏壇の前に立ち尽くす俺に声をかけてきた。

 俺はその声を無視して、自分の持っている模様が付いた石と、仏壇の上の模様を比べるために、石を仏壇の上のほうにある模様の前に持ってきた。

 そして、俺は気が付いた。


 この石の模様と、仏壇の上のほうにある模様が一致している。


「猫神様」

 俺は息を切らせながら、猫神様に話しかけた。

「なんだにゃ?」

「文さんを呼んできてくれ」

「ん? なんでにゃ?」

 俺は疑問を持っている猫神様に、堂々と言った。

「多分、猫神様が忘れてたことを思い出すための大ヒント、見つけたから」

「!」

 俺がそう言うと、猫神様は背筋を立てて、嬉しそうな表情を見せた。

「わかったにゃ! 呼んでくるにゃ!」

 猫神様は嬉しそうに二階に駆け上がっていき、文さんを大きな声で呼びに行った。


 その後、すぐに猫神様は文さんを連れてきて、仏壇の前に俺たち三人は集まった。

「正樹くん。なに? 何を見つけたの?」

 文さんは、首を傾げながら俺に尋ねてきた。

「これ、見てください。猫神様の祠の近くで拾った石です」

 俺は、文さんに石の模様が見えるように石を見せた。

「うん。そうだね。覚えてる」 

 文さんは頷いた。

「それで、ここの模様とこの石の模様見てみてください」

 俺は仏壇の模様を指さした。

 そして俺は、さっきと同じように、石と仏壇の模様を並べた。

「あ! 一緒!」

「ほんとだにゃ!」

 猫神様と文さんは、声をあげた。

 そうだ。この石の紅葉みたいな模様と、仏壇の模様は一緒なんだ。

「仏壇のこの模様、多分家紋ですよね」

 俺は文さんに尋ねた。

「多分そう。この上の中心にあるなら、そうだと思う!」

 文さんは必死に同意をしてくれた。

「つまりこれが猫神様の祠の近くに落ちてたってことは、やっぱり猫神様は早瀬家に関係のある神か、猫の可能性があるわけです」

「おお!」

「ついに来たにゃ! 大ヒント!」

 俺が自分の思いついた推理を言うと、文さんと猫神様は大いに盛り上がった。

「でも、一旦神は置いといてさ、うち猫とか飼ってたことないけど……」

 文さんは、腕を組んで考え始めた。

「それも美文さんに聞いてみればわかることじゃないですかね。もしかすると、昔猫を飼ってたことあるかもしれませんし」

「そうだけど……猫飼ってたら普通、少しは話してくれてないかな?」

「む、確かに……」

 確かに、飼い猫がいたなら思い出がたくさんあるはずだし、話していてもおかしくない。

「で、でもやっと繋がりそうなんです。聞くだけ聞いてみませんか!」

 俺は文さんの両肩を持ち、少し大きな声で言った。

 このチャンスを逃すわけにはいかない!

 この気持ちを文さんに伝えなければいけない。

「あ、うん。そうだね」

 文さんは少し顔を赤くして、目を背けた。

 俺はそこで、初めて文さんと顔がめちゃくちゃ近くなっているということに気が付いた。

「す、すみません! 俺、興奮しちゃって……」

「いやいや……顔良いなって思ってさ……」

「え!」

 俺は身を引いて、右腕で口元を隠した。

「な~にをイチャイチャしてるのにゃ。それも仏壇の前で。ほら、一旦ご飯にするにゃよ」

 猫神様は呆れたように肩をすくめながら、食卓に歩いて行った。

「あはは……」

「えへへ……」

 俺と文さんは笑いあった。


 俺たち三人は、昼からずっとそわそわしながら美文さんの帰りを待った。

 早く猫を飼ってたか、それともよく来ていた猫でもいたのか……とにかく猫のことを美文さんに尋ねたい!

 そう思っている俺たち三人は、家をうろうろしたり、畳をごろごろしたり、とにかく落ち着かなかった。

 まるで受験の合格発表の前日みたいだった。あの時の俺は、もう気が気でなかったことを覚えている。

 ただ、おなかは空かなかった。昼ご飯を食べることはなかった。

 そして夕方、正面の門から足音が聞こえた瞬間、一階にいる俺たち三人は、門に一番近い縁側に駆け寄った。そこには、美文さんの姿があった。

「お帰りにゃ! 美文殿!」

「お帰りお母さん!」

「おかえりなさい! 美文さん!」

 俺たち三人は、元気よく美文さんに挨拶をした。

「な、なに急に……誕生日? 私、十二月生まれ……」

 美文さんは、そんな突然盛大に、それも元気におかえりなさいという俺たち三人に、動揺していた。


 そしてその後、美文さんを食卓に話があると呼んだ。

 今は四人で食卓にいる。

「んで? 話ってなに?」

 美文さんは、そわそわしている三人を見回しながら言った。

「えっとね……」

 文さんは、美文さんに話を振った。

「昔さ、家で猫とか飼ってたりした?」

「え? いやいや、飼ってないよ」

 美文さんは首を振った。

「じゃ、じゃあ! 家によく来る猫とか……いませんでしたか?」

「家によく来る猫……」

 俺が尋ねると、美文さんは目を瞑った。

 頑張って思い出そうとしているんだろう。

「あ、いたわ」

「「「ど、どんな猫⁉」」」

 俺たち三人は興奮を隠せず、身を乗り出して美文さんに近づいた。

「あ~あ~どうどうどう……」

 美文さんは両手を開いて、俺たちを押し返した。

「野良猫だよ。私のお母さん……おばあちゃんとまるで恋人みたいに仲良かった野良猫がいた。覚えてるよ。今の今まで忘れてた」

 美文さんは懐かしむように天井を見ながら、ゆっくりと話している。

「懐かしいな~。別に野良猫なのに、なんでかわかんないけど首輪付いてたんだよね~」

 これは……来たんじゃないか?

 猫神様はやっぱり、早瀬家によく来ていた野良猫って可能性が出てきた。

 そして、その猫が何らかの理由で神になって、祠で眠ってた……そんな予想まで立てられる。

「それで? なんでそれを聞いたのさ」

 美文さんは俺に尋ねてきた。

「えっと、この石を猫神様と出会った祠の近くで拾ったんですけど」

 俺はそう言いながら、石を模様が見えるように美文さんに渡した。

「これが仏壇にある家紋と同じなんです」

「おお、そうだね確かに」

 美文さんはその模様を見ながら、頷いた。

「なるほど、じゃあ猫神様はもしかすると、そのおばあちゃんと仲が良かった野良猫だったかもってところか」

 美文さんは頷きながらそう言った。物分かりがいい人だ。

「そうなりそうですけど……猫神様はどう思いますか? 思い当たる節はありますか?」

 俺は話の流れで、猫神様に話を振った。

 猫神様は何かを考えているようで、腕を組んでいた。

「……美文殿」

「なんだにゃ? 言ってみるにゃ」

 猫神様に呼ばれると、美文さんは猫神様の真似をしながら言った。

「そのおばあちゃんの名前は……なんて言うにゃ?」

 猫神様はそう尋ねた。 

 そういえば俺も、文さんのお父さんだけじゃなくて、おばあちゃんの名前を聞いたことはなかった。

「ふみこ。文子って名前」

 美文さんはそう猫神様に言った。

 猫神様は「ふみこ……ふみこ……」とぼそぼそ言いながら、目を瞑った。

 そして、静かになった食卓で、猫神様は口を開いた。

「思い出したにゃ。文子。うん。間違いないにゃ」

 猫神様は力強くうなずいた。

「え! じゃあ猫神様はほんとにうちによく来てた、おばあちゃんと仲の良かった野良猫だったってこと?」

 文さんは猫神様に尋ねた。

「そういうことになるにゃ」

「ええ! すごい!」

 文さんは拍手をして喜んだ。

 ただ、気がかりなことがある。

「猫神様」

「なんだにゃ……って多分考えていることは大体同じにゃ。ほら、言ってみるにゃ」

 猫神様は腕を組んで、俺のほうを見た。

「でも、思い出したのはそれだけで、この天気を、この異常気象をなんとかできる方法は……」

「……うん。思い出せないにゃ。それに僕が何で野良猫だったのに、急に神になったのかも思い出せないにゃ。思い出したのは、文子の名前だけにゃ」

 そうだ。

 結局、この状況を打開することはできていない。

 俺は芋づる式に、猫神様の記憶がすべて復元できると期待していたが、そんな甘い話はないらしい。

「そんな……」

 文さんは悲しそうにそう言った。

「猫神は、この天気になにか関係してんのか?」

 美文さんは猫神様に尋ねた。

「そうにゃ。多分、僕が原因なんだにゃ。この天気。美文殿には言ってなかったにゃ。ごめんにゃ」

「別にいいよ。その感じだと、望んでこの天気にしてるわけじゃなさそうだし、それに私は今までの猫神を見てるから。悪意がないと信じるよ」

「うう……美文殿……」

 猫神様は、美文さんの寛大な発言に泣きそうになっているのか、声を震わせていた。

「ああ。泣く泣くな。今はこの状況をなんとかできる方法を探してよ。うちら困ってんだ」

「うん。頑張るにゃ」

 美文さんが猫神様を慰めると、猫神様は握りこぶしを体の前で握った。

「ああそれと、早瀬家はやっぱり僕と親しい関係だから、祠に文と正樹が来た時に力が少し戻って、眠りから目覚めたって可能性がより濃厚になったにゃ」

「確かに……」

 確かに、今まではなんとなく俺や文さんは猫神様と縁があると考えていたが、この猫神様はもともと、文さんのおばあちゃんである文子さんと仲がいい野良猫だったということが分かったおかげで、猫神様と早瀬家は親しい関係だということが改めて分かった。

「って、なんで俺も関係してそうなんだ? 俺はもしかして関係ない? 俺って別に最近こっちに来た人だし、早瀬家とは関係ない人だけど……」

「ど、どうなんだろうね」

 文さんは俺の疑問に同調しながら、猫神様の方向を向いた。

「それは……多分……仏壇に毎日丁寧に挨拶をしてたから……早瀬家と近い関係になった……ってことじゃないかにゃ?」

「ああ!」

 確かに俺は、毎日仏壇に挨拶をしていた。

 それで早瀬家の人に挨拶をしているうちに、早瀬家と近い関係になった……と考えることもできる。

 やっぱり、仏壇とかに挨拶をするのは、そういう影響があるんだな……。

「だから正樹は、猫の姿の僕とも、人間の言葉で話ができたんじゃないかにゃ」

「なるほど……」

 急に物事が繋がってきた。

 しかし、この異常気象の根本的な解決には繋がっていない。

 一体どうすればいいのだろうか。

 もう手掛かりになりそうなことは……残っていないぞ……。

「あと……」

 猫神様は俯いた。

「なんだか、文子には悪いことをした覚えがあるにゃ……具体的にはわからないけど……」

 猫神様はそのまま話を続けた。

「それにこの状況をどうすればいいかも、なんで僕が神になったのかもやっぱりわからない。それにもともとは猫なのに、なんで話せるようになったのかもわからないにゃ。神になったから話せるようになったなら、それでいいのにゃけど……」

 猫神様はまた落ち込んでしまった。

 文さんも、なんだかずっと下を暗い顔をしながら見ている。

 そんな状況を見ていると、美文さんと目が合った。

 美文さんは、相変わらず明るい顔をしていた。

「よし! あんまりお腹も空かないけど、今日はハンバーグにしてやる! 元気出せみんな!」

 美文さんは元気よく、手を叩いてからそう言った。

 まるでみんなを鼓舞するように、美文さんは立ち上がった。

「ハンバーグ!」

 暗い顔をしていた猫神様は、急に元気よく飛び跳ねて、喜んだ。

「俺も手伝います」

 俺も立ち上がる。

 そして俺と猫神様と美文さんは、また家の中で活動を始めた。

 そうだ。

 早瀬家や俺が、猫神様が忘れていることや、この異常気象を解決する鍵になっている。それは猫神様と親しい関係にあるからだ。だから責任による重圧を感じてしまう。

 でも、それでも前を向かなきゃ始まらない! 

 この状況を、俺が何とかするんだ! 

 そう思いながら、食卓を通り、台所に向かおうする俺の視界の端に、未だに座り続けている文さんが見えた。

「ほ~ら。文も手伝って」

「あ、うん」

 美文さんに文さんは声をかけられて、立ち上がった。

 立ち上がった文さんは、それでもいつもの、俺をからかう時のような表情ではなく、暗い表情のままだった。

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