第19話 「地獄」迫る。

 二十一日も、変わらず天気は悪かった。

 曇っていて、霧が出ていて、涼しい。

 霧も日に日に濃くなっているようで、いつも縁側から見えていた山が、もう見えなくなっていた。

 俺や文さん、猫神様は何か手がかりがないか探しに行くために、無理のない範囲で各自別れて、運動がてら家の周囲を探しに行った。

 俺は片倉さんの家に行き、話を聞きに行った。片倉さん曰く、魚だけじゃなくて動物や虫すらも死んでいるところを見るようになったらしい。言われてみれば、ここ最近虫の鳴き声をめっきり聞かなくなった。それに、山の木々や草も枯れ始めているようだった。

 また、二岬の外に行けば行くほど、霧は晴れていき、いつも通りの八月の天気気温らしい。つまり、この二岬だけに起こっている異常気象ということだ。

 文さんや、猫神様も似たような話を聞いたり、状況を見たりしたらしく、二人ともかなり不安そうにしていた。特に猫神様は、動物が死んでいっているという話を聞いて、かなり不安そうにしていた。猫神様は猫だから、自分にも命の危険があると思っているのだろう。でも、神様だから大丈夫だとは思う。思いたい。

 俺は家に帰り、庭をよく確認してみたが、やっぱりところどころ芝生が枯れてきていた。

 それに、眠気も来ないし、食欲もない。おなかがほとんど空かない。しかも、トイレに行く回数も激減した。つまるところ、生理的現象がなくなってきていたのだ。

 これには、美文さんが特に気が付いていたみたいで、美文さんはそういうまるで体の時計が止まっているような現象はないかと聞いてきて、俺たちはそこで初めてそう言った現象があると、確信したのである。

 まるで生き物が生きるべきではないと、訴えかけているようなこの現象は一体何なんだろうか。

 あったかくて、綺麗で素敵な二岬を返してほしい。

 俺は心の奥で、ふとそう思った。


 二十二日。

 俺はいつも通り、ラジオ体操に行ってから仏壇に挨拶をする。

 やっぱり、仏壇になにか用があるようなそんな気がしているが、まだ何も具体的にどんな用なのかは思い出せなかった。

 外の様子も不気味で、場所によっては死臭がしたり、そもそも気分も上がらないので、今日は美文さん以外は家にいる。

「ま~た霧が濃くなってるような……」

「もう手前の畑も見えなくなりそうですよね」

「ね~」

 俺と文さんは、縁側で外の様子を見ている。

 霧はさらに濃くなって、奥にある山だけではなく、手前の畑も見えなくなっている。

 こんな状況で車なんて走らせたら、事故に遭ってしまいそうなものだ。

「美文さんって、車で行ったんですか?」

「いや、歩き。さすがに車出せないよ」

「ああ、よかった」

 美文さんは、普段車で仕事に行っているようだったので、もしかしたらと心配したが、どうやら歩きで行っているみたいだった。

 こうやって外の霧の様子を見ると、朝だけじゃなくて昼夜問わず、ずっと霧が出ているというのは、さすがにおかしい。

 隣にいる文さんのように、俺の表情も恐らく元気がなくなっているだろう。

 ここ最近、明らかに俺たちのテンションも下がってきている。

 気温が急に下がってきているのも、テンションが下がってきている要因だろう。

「お~い! スイカ。切ってみたにゃ」

 そんなことを考えていると、猫神様の元気な声が家に響いた。

「お」

 俺は、切られたスイカが皿に乗っていて、それが食卓にあるを確認した。

「おお! やるじゃん猫神様」

 文さんは少し明るくそう言うと立ち上がり、猫神様のところへ歩き始めた。

 俺もついて行く。

「たまには僕もやるにゃよ」

 猫神様は胸を堂々と張った。

 猫神様は相変わらず元気だ。

 霊体化できなくなるということがあったのにもかかわらず、変わらず元気に過ごしている。こういう猫神様を見ると、ちょっと元気を貰える。

「ほら、食べようにゃ。気温はまあ……夏って感じじゃないけどにゃ」

 そう言いながら、猫神様はスイカを一切れ取った。

「そうなんだよな……もっと暑ければおいしいのに」

 俺はそう言いつつも、スイカを一切れ取る。

「ほんとなんなんだろうね~。この天気」

 文さんはスイカを取ってから、外の様子をまた少し確認した。

 俺が食卓に座ると、猫神様も食卓に座った。

 文さんはというと、また元のいた縁側に戻った。

「なんなんだろうにゃ。この外の様子は」

「なんなんだろうな。ほんと」

 俺は文さんの背中を見る。

「川で魚は死んでて、動物も虫も死に始めている。山の木々や草も枯れてきてて……気温も下がってきてる……」

 俺はそこまで言って、スイカをむしゃむしゃと一気に食べて、空皿においてからティッシュで口を拭いた。

「川も赤くなって……まるで地獄みたいだよな~猫神様~」

「確かににゃ~」

 俺は猫神様にちょっとわざとらしく言った。

 猫神様は、おいしそうにスイカを食べている。

 そんな無邪気に口の周りが汚れるのを気にせず、スイカを食べている猫神様はまるで子供みたいで、なんだかいいなって思える。

 赤い川というと、なんだか地獄を連想させる。そんな赤い色の温泉が地獄なんとかって言われていたのを、聞いたことがある気がする。

「……地獄……」

 猫神様は、スイカを食べるのを止めて、小さな声で呟いた。

 少し、空気が変わるのを感じた。

 空気が変わるのを感じ取ったのか、縁側にいた文さんが、食卓にいる俺と猫神様を見ていた。

「赤い川……地獄……死んでる生き物……」

 猫神様はずっと独り言を言っている。

「も、もしかして……」

 文さんは食べ切ったスイカを持って、こっちに駆け寄ってきた。

「猫神様、なにか思い出した?」

 文さんは、目を大きくして猫神様に尋ねた。

「……多分……思い出したにゃ」

 猫神様は、目を細くして、脳を回転させているようだ。

「……地獄みたいだって言われて、なんでかわからないけど、思い出したにゃ」

 猫神様は、スイカを空皿に置いた。

「何を思い出したか……俺たちに言える?」

「もちろん言えるにゃ。言わなきゃいけないにゃ」

「教えてくれ」

 俺は息を飲んだ。

 猫神様と出会って、約二週間。やっと手がかりが得られると思うと、少し緊張する。

「この天気……異常気象は多分……地獄みたいになってるのは多分……僕が原因だにゃ」

 猫神様は重々しくそう言った。

「ええ! そうなの⁉」

 文さんは、かなり驚いたようで、ここ数日で一番大きな声でそう言った。

「でも……どうすればこの天気が元に戻るかがわからないにゃ。思い出せないにゃ」

 猫神様は、机に両肘を付いて、頭を抱えた。

「僕が原因だって思い出したのに! 何すればいいかわからないにゃ! たくさん生き物が死んでて、川が赤くて、みんなの体の様子もおかしくなって、文も正樹も美文殿も、いろんな人も不安になってるのに! 何すればこの状況をなんとかできるのか、わからないにゃ!」

 猫神様は、頭を抱えたまま、自分を責め立てるように強く言った。

「僕だって、好きで原因になった覚えなんてないのに! 綺麗な二岬が好きなのに! なんで自分が原因だってことだけ思い出さなきゃいけないのにゃ!」

 こんな追い詰められている猫神様は、初めて見たかもしれない。

 普段、無邪気で明るい猫神様がこう追い詰められているところを見るのは辛い。

 それにすごい共感してしまう。

 自分が罪を犯したということは覚えているのに、なぜその罪を犯したのかを覚えていないし、自分が望んでその罪を犯した意識もない。

 ただ、罪だけを犯したという意識。それを何とかしないといけない、償わないといけない状況。そんなの辛すぎるだろう。

「落ち着いて、猫神様」

 文さんが、猫神様の肩を抱いて、優しくそう言った。

「文ぁ……」

「急に自分が原因だって思い出したんでしょ? 確かに辛いけど、一歩前進だよ? ここからなんとかすればいいんじゃん」

 文さんは子供を慰める母親のように、猫神様を励ましている。

「そうだぞ。猫神様。俺たちが付いてる。みんなで何とかしよう」

「正樹……」

 俺も、猫神様に元気になってもらいたいから、こうやって言葉をかける。

「うん……ありがとにゃ二人とも」

 猫神様は、頭を抱えるのをやめて、泣きそうな笑顔で言った。


「それで……何をすればいいかなんだけど……なにか案はあるかい? 二人とも」

 それから猫神様と俺たちは、軽く食卓でお茶を飲んで、何でもないテレビを少し見てから、話を始めた。文さんは、俺たちに話を振った。

「案かにゃ……」

 猫神様は、腕を組んで考え始めた。

「どっかに叩いたら、思い出したりしないかにゃ?」

「そんなテレビじゃあるまいし……」

 猫神様の提案を俺は却下した。

「だよにゃ~」

 猫神様は少ししょんぼりした。でも暗くなっている感じはなくて、いい意味で気楽に考えているみたいだ。

「なあ猫神様」

「なんだにゃ」

 俺は猫神様に話しかけた。

 というのも、確認したいことがあったからだ。

「猫神様はそもそも、俺と文さんが祠に行っててから、力が湧いてきて元気になったんだろ?」

「うん」

 猫神様は、強く頷いた。

「じゃあ、やっぱり最初に猫神様が言ってたけど、猫神様の忘れてることには、俺や文さんが関係している可能性があるってことでいいんだよな?」

「……多分そうにゃ」

 猫神様は自信なそうにしている。

「そうでも思わないと、きっかけがなさすぎるにゃ。それにお前らと会ってから力が湧いてきたから、完全に無関係なはずないにゃ」

「なるほど」

 猫神様と初めて出会った日に言っていたが、俺と文さんが祠に行ってから、猫神様は完全ではないものの、力を取り戻し、実体化できるようになった。

 そのため、俺や文さんと猫神様は縁みたいなものがあって、その縁は猫神様の忘れていることを思い出すきっかけになる……と猫神様は言っていた。

 だからやっぱり、俺と文さんが猫神様の忘れていることに関連している……と考えることができるだろう。

「文さん、やっぱり俺たちが猫神様の記憶に関係してるって考えるしかなさそうです」

「え……まあ……そうか……そうだよね……」

 俺が文さんにそう言うと、文さんは俯いて小さい声で言った。

「文さん。些細なことでいいので、なにか思い当たる節はありませんか?」

「えっと……」

 文さんは少し戸惑いながら、考え始めた。

 ちょっと……急に話を進めようとしすぎたかもしれない……。

 文さんが困ってしまっている。

「ああ、すみません! 急にいろいろ言ってしまって」

「ああ、ううん。気にしないで!」

 俺が謝ると、文さんも顔の前で両手を振って謝った。

 ちょっと議論を急ぎすぎた……よくないよくない。

「と、というか、ほんとに私たちが関係あるの?」

 文さんは自分の耳を触りつつ、早口で猫神様に尋ねた。

「そう考えるしかないにゃ。お前らが僕の祠を訪れて、それで僕の力がちょっと戻ったんだし、そこに縁があって、なにか関係があるって前提がないと、下手したら全部振り出しに戻っちゃうにゃ。申し訳ないけど、今一番僕やこの天気をなんとかできそうなのは、文と正樹なのにゃ」

 猫神様は、申し訳なさそうに、眉を八の字にして言った。

「そ、そうだよね……」

 文さんは小さい声で言った。

「猫神様はさ、全盛期の頃の願いを叶える力の記憶はあるの? どれくらいのことができたのか……とかの記憶」

「まあ、なんとなくならにゃ。代償気にしないでやるなら……まあ天気ぐらいなら変えられるにゃ」

「おお……すげえな」

「多分、僕が力を取り戻せば、この地獄みたいな状況も何とかできるにゃ……だから力が戻ればいいんだけどにゃ……今はコップ半分のジュースぐらいしか出せないにゃ……とほほ」

 猫神様は、そう言いながら肩をすくめた。

「まあ……一旦また休憩しよ? お菓子でも持ってくるね」

 文さんはそう言いながら立ち上がった。

 食欲もなくなってきているので、食事もお菓子や果物を少し食べておしまい……みたいな感じになってきている。

 それもこれも、この天気のせい。霧のせい。生き物が死んでいく、この地獄みたいな状況のせいだ。

 猫神様は自分が原因だと言っているけど、好きで自分が原因になってるわけじゃないと言っている。

 もし、猫神様が悪い神様で、そのことを忘れているなら、その時はその時だ。

 でも、こんなに明るい、まるで太陽みたいな猫神様が、悪い存在なわけがないと、俺は信じている。

 それに、その状況の原因が猫神様にあるなら、俺や文さんがどうにかできるなにかを持っている可能性がある。

「はあ……」

 俺は息を吐きながら、外を見た。

 食卓から外を見ようとすると、外と食卓の間にある畳の部屋の仏壇が目に入った。

 そうだ……俺もなにか仏壇に違和感があるんだ。まるで、なにか致命的な何かを見落としているような……そんな感じだ。

「ん?」

 俺はそんなことを考えていると、美文さんがなにか、なんか印象に残ることを言っていたような、そんな記憶がうっすらと浮上してきた。

 その記憶はまるで、消しゴムで消した後の文字くらいうっすらとしていた。

 あれだ……確か俺がこっちに来てからすぐ……美文さんが話していたような……。

「あ、文さん」

「ん? どしたの? 真剣な顔して」

 煎餅を持ってきた文さんは、煎餅を食卓に置きながら俺を見た。

「俺がこっちに来てからすぐの頃、美文さんが印象に残ることを言っていたような気がするんですけど……覚えてたりしませんか?」

「え~? なにそれ……」

 文さんはちょっと身を引いた。

 猫神様はというと「煎餅にゃ~」と煎餅をさっと二、三枚取って、おいしそうに食べ始めた。

「ん~。覚えてないよ~そんな二週間ぐらい前の話……」

「で、ですよね……」

 俺は頭を掻いた。確かになんか言ってた気がするんだけどなあ……気のせいか?

「というか、印象に残ることを忘れてる時点で、別に重要なことでもないんじゃない?」

「た、確かに……」

 ごもっともです……。印象に残ることって言ってるのに、忘れてるなんておかしな話だ。

 結局、それを思い出すことは、その場ではできなかった。

 

 しかし、彼の考えているそれや、彼が仏壇に感じている違和感は、この世界を照らすきっかけになることに、彼が気が付くのはもう少し先のことでした。

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