第16話 微妙な台風一過 それと猫神様と花火。

 十六日。

 ふと目覚めると、布団の中で何かが動いているのに気が付いた。

「……ん?」

 俺は寝ぼけながら、布団の中を確認する。

「あ、おはよう」

 そこには、俺の足の近くでもぞもぞしている文さんがいた。

「……」

 俺は寝起きということもあり、その状況のいかがわしさに気が付くのが遅れた。

「な、なにしてるんですか?」

 俺はそんな布団の中でうごめいている文さんに、何をしているのかを尋ねた。

「……確認してる」

「な、なにを?」

 文さんは神妙な顔だった。

 この状況にしては、びっくりするくらい文さんは冷静だった。

「正樹くんの正樹くんを確認している」

「!」

 予想的中。

 案の定、文さんはいかがわしいことをしていた。

「バカ! バカ文さん! なにしてるんですか!」

 俺は布団から飛び起きて、文さんから距離を取るために壁際まで後ずさった。

「いや。本当に朝は元気になるのか確認を……」

「そ、そんなこと確認しなくていいです!」

 たま~に文さんはちょっとエッチなことをすると思ってはいたが、朝からこんなことをされると、さすがにびっくりする。

「えへへ。ごめんね。あまりにもぐっすり寝てるから、ちょっといじめたくなっちゃった」

 文さんは、ぺたんと布団の上に座りながら頭を掻きつつ笑った。

「まったくもう……」

 そんな文さんの素敵な笑顔に、俺は今日も負けた。

「ほら、お母さん帰ってきたら気まずいから、早く朝の支度しよ。ラジオ体操行くよ」

「はい」

 俺は慎重に立ち上がり、布団をたたみ始める。

 文さんは、俺が布団をたたむのを手伝ってくれた。

 そして俺と文さんは、一階に向かった。


 ラジオ体操へ向かう途中で、俺は外の様子を確認したが、細かい木の枝や葉っぱが道に散らかっていた。台風が過ぎた後だから、当然だろう。

 ただ、少し気になったのが天気があまり良くないことだ。普通台風が過ぎた後は、快晴になることが多く、天気予報も晴れの予想だったのにもかかわらず、少し曇っているような、霧が出ているようなそんな天気になっていた。セミの声も、台風の後だからだろうか、あまり聞こえないような気がした。

 まだ、台風が過ぎ切っていないのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ラジオ体操を終えて、家に戻った俺は、今日もしっかりと仏壇に挨拶をするのだった。


 昼頃。美文さんが帰ってきたようだ。車が家に入ってくる音が聞こえた。

「ただいま~」

 俺は二階で少し勉強をしていたので、美文さんの声だけが一階から聞こえた。

 俺は席を立ち、一階に向かう。

「お帰りにゃ~美文殿~!」

「わああ! 会いたかったぞ~猫神~!」

 俺が一階に向かう途中で、美文さんとの再会を喜ぶ猫神様の元気な声が聞こえた。

 猫神様と美文さんは、ほとんど毎日一緒に寝て、お風呂に入っているためとても仲が良くなっている。

 猫神様が美文さんになついている……と言っていいだろう。

「お帰りなさい。美文さん」

「お~よかった正樹くんも元気そうで」

 猫神様に抱きつかれている美文さんは、俺を見て嬉しそうな顔をしてくれた。

「お~帰ってきた。お帰りお母さん」

「お、良かった元気そうで。雷ひどかったから、しなしなになってると思ったけど」

「えへへ。猫神様と正樹くんいたから大丈夫だったよ」

 文さんは美文さんと話しながら、文さんは俺にウインクをしてくれた。

 俺も文さんに微笑み返した。

「いや~みんな元気そうでよかった……あ、そうそう。今日はちょっと庭でバーベキューしながら、これやろうかなって思ってさ。買ってきちゃったぜ」

 美文さんは、猫神様を降ろしてから、手に持っていた二つの袋のうち、一つの袋から、大きな花火の詰め合わせセットを取り出した。

「おおお! 花火だにゃ!」

 猫神様は、美文さんの持っている花火を受け取ると、高く掲げて興味深そうに見た。

「花火、やろうかなってさ」

「いいね~。台風もどっか行ったしちょうどいいね」

 文さんは、美文さんを見ながら頷いた。

「祝勝会みたいでいいですね」

「おお。確かにそれっぽいね」

 俺が言うと、美文さんは同意してくれた。

「よし、じゃあ夕方ぐらいからのんびり準備始めるから! それまでみんな待機だ!」

「「は~い!」」

 美文さんの号令に、俺たち三人は大きな声で返事をした。


「ふにゃ~……お腹いっぱいにゃ~」

 夜。虫の鳴き声はいつもより聞こえない。

 バーベキューもほとんど終わり、お肉も後残り一パックぐらいだ。

「そろそろ花火やるかあ」

 縁側に座っていた美文さんは立ち上がり、置いておいた花火をするために使うろうそくや水バケツを庭の真ん中あたりに置いた。

「やるにゃ~!」

 猫神様は、眠たそうにしていたのに急に飛び上がり、花火の詰め合わせが置いてあり庭の中央に向かった。

「俺たちも行きましょ」

「うん」

 縁側に同じく座っていた文さんと俺も、庭の真ん中に向かう。

 そして庭での小さな花火大会が始まった。

「やけどだけはすんなよ~」

「は~い」

「わかってるにゃ!」

 美文さんの忠告を聞きながら、俺たちは思い思いの花火を選び、ろうそくで値を付けていく。

「おお~久々ですけどいいですね!」

 この花火特有の火薬みたいなにおい。そしてシューっという音と、パチパチとした音。そしてまぶしいくらいに明るい花火の光。

 夏って感じがしてとてもいい。

「楽しいにゃ~!」

 猫神様はとても楽しそうに花火を持ちながら、みんなとは離れた位置で走り回っている。

「ほら文」

「ちょっと! お母さん揺らさないで!」

「えっへへ~」

 文さんは線香花火をしている。

 美文さんに肩を軽く突かれて、線香花火の火花が落ちそうになって、文さんは焦っている。

「正樹、火貰うにゃ」

「あ、うん」

 猫神様は次の花火を付けるために、俺が持っている花火の火に、花火を向けた。

「あ!」

「うお!」

 猫神様の持っている花火が噴射された。俺の方向に。

 俺は体をひねって後退し、間一髪で回避することができた。

「あぶねえ~」

「さすが元テニス部。やるじゃん」

 俺が何とか避けると、文さんは褒めてくれた。

「まるで猫みたいな身のこなしだったにゃ。けがはしてないかにゃ?」

「大丈夫大丈夫」

 猫神様は、そんなに心配してなさそうに言った。

 俺の様子を見ていたので、一応の確認だろう。

「肉もちょっとだけあるから、動いてお腹すいたら食べてもいいぞ~」

 美文さんはそう言いながら、線香花火を取り出して、ろうそくを使って火をつけた。


 その後、小さな花火大会が終わり、俺と文さんと猫神様は仲良く縁側で空を見ていた。美文さんは、何やら仕事があるらしく、自室に戻っていった。

 花火でみんなはしゃいでいたから、疲れていそうだ。

 空には、綺麗に星が見える。

 ちょっと霧か、雲が邪魔をすることもあるが、十分に綺麗だ。

 気温もなんだか、台風が来てから涼しくなったような気がする。

「なんだかにゃ~」

 猫神様は上半身を起こした。

「どしたの猫神様」

 そんな猫神様に文さんは声をかけた。

「いや……こうやって落ち着いて考え事ができるとき、毎回なんか考えちゃうのにゃ。本当に僕は何者なんだろうって」

 猫神様は、いつにもなく真面目な顔をして言った。

 こうやって真面目な顔をしている猫神様は、少しだけ凛々しく見える。

「もしかすると、僕はお前たちの敵みたいな存在で、本当はここに居ちゃいけないかもしれない……とかちょっと思っちゃうにゃ」

 猫神様は、弱弱しく俺と文さんを見て笑った。

 こうやって弱音を吐く猫神様を、俺は初めて見たかもしれない。

 いつもは無邪気で元気な猫神様だけど、こうやって弱いところもあるんだ。

「元気出せよ。その時のことは、その時考えればいいんだ」

 俺は起き上がり、猫神様に話しかけた。

 元気づけるつもりだったので、俺はあえてわざとらしく演技をしながら言った。

「そうだよ。猫神様の忘れてるもの、私たちで見つけるって言ったじゃん」

 文さんも空を見ながら、猫神様に語りかけている。

「うん。そうだなにゃ! ありがとうにゃ! 二人とも」

 猫神様はいつもの無邪気な笑顔に戻った。

 そして、また猫神様は仰向けに寝転がった。

 俺も仰向けになり、また黒い空を見る。

「猫神様はさ、学校とか行きたくないの?」

「学校かにゃ~」

 猫神様は少し考えているのか、間を置いた。

「別に行かなくてもいいかにゃ。だって僕、神様にゃ」

「そこは神っぽいのね……楽しそうだから行きたいにゃ! とでも言うかと思ったわ」

 俺は猫神様にそう言った。

 猫神様は好奇心が旺盛だ。本も好きなので、いろいろなことが学べる学校には、てっきり行きたがるものかと思ったけど、別にそうではないらしい。

「神っぽいというか、多分僕、猫だからそういう人っぽいことあんまりしたくないのかもしれないにゃ。おいしいもの食べて、好きな人とおしゃべりして、ダラダラゴロゴロできてたらいいにゃ」

 猫神様はかみしめるようにそう言った。

 確かに猫っぽい。

 実際、普通の猫とは会話できない。でも猫と話せるとして、もし猫神様以外の猫にも学校に行きたいかを尋ねても、大半の猫が猫神様と同じことを思っていそうだ。

 こういうところは、野性的って言うか、動物的なんだなあ。

「じゃあ猫神様、なにかほしいものとかないの?」

 文さんは、猫神様に尋ねた。

「俺も気になるなあ」

 俺も文さんに同調した。しかし、猫神様からの返事はなかった。

 おかしいと思い、俺は体を起こして猫神様の様子を見ると、どうやら力尽きて眠ってしまっているようだった。

 文さんも、その猫神様の様子を確認したようで、指で家の上の階をさした。

 多分、上の階に運んで布団で寝かしてあげようということだろう。

 俺は猫神様を起こさないように、静かに猫神様を抱きかかえた。

 猫神様はとても軽かった。

 猫神様を二階の美文さんの部屋に連れて行くと、美文さんも机で力尽きて眠っていた。

 さすがに美文さんを動かすわけにはいかないので、布団を敷いてから、猫神様をそこに寝かした。美文さんには、タオルケットを掛けておいた。

 そして、俺は一階に静かに戻り、縁側にいる文さんのところへ戻った。

「どう?」

「猫神様だけじゃなくて、美文さんも寝てました」

「あはは。二人とも疲れてるか。金曜だしね~」

 文さんは、軽く伸びをした。

「私もさ、ちょっと話してもいい?」

「はい。いいですよ」

 文さんがそう言ったので、俺は少し文さんに近寄った。

 俺と文さんは、縁側で二人並んで座っている。

「ちょっと話したことあるけど私さ、受験するかお母さんの仕事の手伝いを高校卒業してからすぐするか、悩んでるんだ」

「……言ってましたね」

 確か、文さんと出会った初日に、この話をしたような気がする。

「お母さん、一人で社員さんとかをまとめて仕事してるから、大変そうで早く手伝ってあげたいって気持ちもあるんだ。でもね、まだ私自身はそんな仕事がめっちゃできるくらい……大人っぽくないって思ってるから、一旦大学行っていろいろ見て回るってのもいいなって思ってるの。それに仕事できない私が会社に入っても、迷惑かもでしょ?」

「そうですね。最初は迷惑をかけてしまうかもですね」

「そうだよね~。どっちがいいかな? 高校卒業してすぐ働くか、大学行くか」

「う~ん」

 俺は思考を巡らせる。

 文さんはお母さんを手伝いたいと思っているが、会社にいきなり入って迷惑をかけるのが嫌だと思っている。だから、大学に行くという選択肢がある。

「難しいですね。もっとどっちかに決めきれるぐらいの理由があればいいんですけど、文さんの感じだとどっちでもいいような気がしちゃいますね。だから悩んでるんでしょうけど」

「そうだよね~」

 文さんはまた横になった。

 ボーっと空を、綺麗な目で見ている。

 涼しい風が吹いた。虫の声が、ほんのり聞こえる。

「もっとどっちかに決めきれる理由ね……」

 文さんは、独り言のように呟いた。

「正樹くんはさ、東京から来たんだよね」

「はい。そうです」

「高校出たら、大学行くの?」

「そうですね。就職する……ことは考えてないかもです」

 そもそも、中学が男子校だったのも、いい大学に行くために中学受験をしたからである。

 そのため、俺は大学に行くということしか考えていない。高校卒業して、就職するみたいなことは考えていない。

「東京の大学行くの?」

「そうですね。大学沢山ありますからね。東京には」

「ふ~ん……そっか」

 文さんはずっと空を見ている。

「な、なんですか?」

「え? いや、ちょっとね。なんでもないよ。ちょっと聞いてみただけ」

「そうですか」

 文さんのこの会話の意図は、わからなかった。

 俺も、必要以上に問い詰める気もない。

「さて……お風呂どうする? 先に入るかい?」

 文さんは俺に聞いてきた。

「どちらでも」

「なら一緒に入ろう」

「嫌です」

「え~ケチ~」

「どこがどうケチなんだ……」

 俺はちょっと頭を抱えた。

 一体、どこがどうケチなんだまったく。

「えへへ。じゃあ私が先入ってもいい?」

「どうぞ」

「やったありがとう。じゃあ、お風呂終わったら言うから」

「はい。ごゆっくり」

 俺がそう言うと、文さんは立ち上がり、お風呂に向かった。

 改めて縁側で空を見る。

 さっきより、霧が濃くなっているように見えるが……きっと気のせいだろう。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る