第15話 「 」台風によってやってくる。
朝。
今日はラジオ体操は中止。
そのため、黒木さんと甲斐さんマダムペアとおしゃべりができない。
あの二人は、いっつもくだらないことばっかり言っている。しかし、その話を聞けないとなると、なんだか寂しいのだ。
仏壇に挨拶を忘れずにしてから、リビングでもう家を出そうな美文さんに俺は声をかけた。
「台風なのに行くんですか?」
「一旦ね。大丈夫。事務所の近くは洪水の心配もないし、最悪帰ってこれないけど、ここも安全なはずだから」
美文さんは、準備をする手を動かしながら話している。
「よし。じゃあ行ってくる! 文と猫神をよろしくね」
「はい。任せてください」
美文さんはそう言うと、車が止めてある方の縁側から靴を履き、車に乗り込んで出て行った。
「おはよにゃ~」
「お。おはよう猫神様」
ちょうど美文さんが出て行った後に、猫神様が起きてきてリビングまで来た。
「お茶……」
「ああ。出すから座ってなさい」
「にゃふ……」
猫神様の寝起きを俺は何度も見ているが、寝起きが良かったことは一度もない。
俺がお茶を汲んで、リビングの食卓に座った猫神様に出した。
まだ外の風は強くない。雨もまだ弱かった。
「台風、思ったよりゆっくりみたい。ほら」
「ほんとですね」
昼になり、俺と文さんと猫神様はリビングでアニメをのんびり見ている。
文さんはアニメを見ながら、雨雲レーダーをスマホで見せてくれた。
文さんとは、席が隣なので距離が近い。
猫神様は、猫の姿で食卓の上に座っている。
「あ、正樹くんまつ毛ついてる」
文さんはそう言いながら、俺の右目の下をちょこっとつまんだ。
「取れましたか?」
「うん」
「どうもです」
「いいえ」
俺のまつ毛を取ると、文さんはまたアニメが流れているテレビを見始めた。
台風がゆっくりだと……もしかすると美文さんは帰ってこれないかもしれない。
まあ、このまま消滅してくれたりするとありがたいんだけどなあ。
「あ、うん。わかった。じゃあ気を付けてねお母さん」
文さんは美文さんから電話がかかってきたみたいで、スマホを耳に当てている。
時間はもう夕方。そろそろ美文さんが帰ってくる時間帯だ。
文さんは電話を神妙な顔で切ると、文さんと同じく食卓に座る俺と猫神様を見た。
「お母さん、帰ってこれないって」
「そうか~。寂しいにゃ~。今日は一人で寝るのかにゃ」
猫神様は美文さんが帰ってこられないことを嘆いた。
外の様子はもう台風真っ盛り。一歩出たら吹き飛ばされてしまいそうな風と雨が、まるでテレビの砂嵐よろしく、凄まじい勢いで発生しており、視界もかなり悪い。
その時雷が鳴った。
「ひい!」
文さんは雷が鳴った音を聞いて、俺に抱きついてきた。
「大丈夫ですか?」
「うん……ありがと……」
俺は文さんの腕を抑えながら、できる限り優しく声をかけた。
「むう……僕の今の力じゃどうしようもないにゃ……」
猫神様は自分の手を見てから、外の様子を見た。
「もしさ、猫神様」
「なんにゃ正樹」
「猫神様がこの台風を吹き飛ばすとなると、その願いを叶える代償ってどれくらいのものになる?」
俺は少し興味があったので、そう猫神様に尋ねた。
猫神様には願いを叶える能力がある。しかし、それにはその願いと同等か、それ以上の代償が必要になる。
もしこんな天気を変えるという願いを叶えるとするなら、どれほどの代償が必要か、俺は興味があった。
「……命以上に決まってるにゃ」
猫神様は両方の手のひらを上に向けて、やれやれと言った感じだ。
「だ、だよな~」
「なんなら、死んだとしてサクッと死ねる感じでもないだろうにゃ。多分めっちゃ苦しんで死ぬくらいの代償が必要だにゃ」
「うわ……絶対やめとけよ」
「やるわけないにゃ。そもそも、今の僕じゃそこまでの能力はにゃい。叶えられる願いも小さければ、代償も小さいにゃ」
そこまで猫神様が言うと、今度は文さんが猫神様に話を振った。
「じゃあさ、猫神様は自分の願いを自分の能力で叶えたことはあるの?」
「……」
猫神様は文さんのほうを、素早く見た。
それはまるで、予想外のことを聞かれたようにも、逆に予想していたことを急に聞かれてびっくりしているようにも見えた。
「多分あるけど……なんだかそれを考えると……こう……嫌な思い出があるような……」
「ああ! ごめんね猫神様」
「別に平気にゃ。僕もなんで嫌な思い出があるのかを思い出せないだからにゃ」
猫神様はそう言うと、立ち上がった。
「文。料理はできるかにゃ?」
「あ、うんできるよ」
「雷……怖くないかにゃ?」
猫神様は、文さんにやさしく尋ねた。
こういう気を使う猫神様は、やっぱりなんだか威厳がある。
普段が子供っぽいから、よりそう見えるのかもしれないけど。
「二人がいれば大丈夫!」
文さんは、胸の前でガッツポーズを取った。
「よし、じゃあ三人で今日はご飯作りましょう」
「うん!」
「よし! じゃあみんなでやるにゃ!」
俺が言うと、二人も元気よく返事をしてくれた。
俺たち三人は仲良く台所へ向かった。
「まだまだ続きそ~」
俺は夕食を済ませて、その後身支度を済ませてから、自分が寝泊りしている部屋で、布団を敷いてその上で座って、スマホで台風の位置を確認していた。台風は本当にゆっくり進んでいるみたいで、まだまだこの強い雨風は続きそうだ。
「うわ。雷」
一瞬視界が光ったと思うと、雷の盛大なゴロゴロという音が鳴った。
その後、廊下から足音が聞こえると思うと、次の瞬間、俺の部屋の扉が開いた。
「ま、正樹くん……」
俺の部屋の前には、枕を持った涙目になった文さんがいた。
「……」
その顔には、明らかに「正樹くん、雷怖いから一緒に寝てほしい」と書いてある。
……一緒に寝ていいものか……。
美文さんがいないからと言って、文さんを布団に連れ込んで、怒られないだろうか……。
いや!
「とりあえず、隣どうぞ」
「あ、うん……ありがと……」
俺は押す!
文さんを安心させる目的もあるが、俺は押すぞ!
文さんは、俺の隣にちょこんと座った。
なんだか、いつもより小さく見える。
「……雷、怖いんですか」
「うん……」
文さんは、今にも泣きそうな目で俺を見てきている。
「……もしよければ……一緒に寝ますか?」
「うん……ありがと」
文さんは、弱弱しく微笑んだ。
でも、安心してくれたみたいだ。
「いえいえ……こちらこそ」
「こちらこそ?」
「あ」
いや! 間違えた!
これじゃあなんだか下心あるみたいじゃないか!
いや、下心あるけど! 別にその……淫らなことをするつもりはなくて、ちゃんと文さんと寝ようと思っている!
「いや! 違うんです!」
「あはは。なんか少し安心したかも」
「あはは……それならよかった」
俺が返事をすると、文さんは俺が敷いた布団に枕を置いて、体を布団に入れた。
「……別に、いいよ。手出しても」
「え!」
「……」
文さんは真剣な顔で言った。
外からは、雨と風の音が聞こえる。
そして微かに部屋のエアコンの音が聞こえる。
「……き……今日は出しません……」
「そっか。残念」
文さんはそう言うと、俺とは反対側を向いて、横になった。
ふと、閉まっていた扉が気になった。
扉というか、気になったのはその先にある廊下なのだが、俺はなんだか誰かがいたような気配を感じていた。
多分……猫神様? もしかして聞いてた?
……それで入ってこないってことは、もしかして気を使ってくれたのかもしれない。
真相は猫神のみぞ知る……。
「ほら、おいで」
文さんは、俺が布団に入らないことに耐えかねて、俺を布団に招き入れてくれた。
「はい、失礼します」
「ふふ」
俺は、電気を素早く消した後、微笑んだ顔でこっちを見る文さんに見られながら、布団に入った。
布団に入ると、どうしても文さんの体が当たる。
それに、布団から文さんの甘い、いいにおいがする。
そのにおいを吸い込むだけで、本当にドキドキする。
「せっかくだし、ちょっと話そうよ。修学旅行みたいに」
俺の顔と文さんの顔の距離は、大体顔一個分だ。
「はい。いいですよ」
それでも、俺はできるだけ平然を装う。
暗いから顔はあんまり見えない。
「中学の修学旅行はさ、どこ行ったの?」
「沖縄です」
「沖縄かあ。どうだった?」
体をじっとさせることができない。
どうしても、足や手がドキドキして動いてしまう。
「実は沖縄のなんかすごい大学との交流? みたいなので、あんまり海とか見られてなくて」
「ああそうなの? そっか。男子校だったもんね。多分私立だし、頭もいいか」
「まあ、それなりには……でも楽しかったですよ」
「そっかあ」
文さんは仰向けになった。
俺も仰向けになるか悩んだ。
だけど、今は文さんの顔を見ていたい。
「文さんはどこ行きました。修学旅行」
「中学は長野のスキー場。高校は京都」
「京都! いいですね。いろいろいい建物とか見れましたか?」
「うん。まあ、良さとか凄さとかあんまりわかんないけど」
文さんは、首だけ少しこっちに向けて、話している。
「……」
俺は少し気になったことがあった。
でも、これを聞くとなんだかめんどくさい男だって思われそうだ。
しかし、聞きたいという欲求が抑えられない。
「……そこで恋愛沙汰とか……何かありましたか」
「え? 恋愛沙汰って?」
「その……誰かに告白されたとか……」
「……」
文さんは驚いたようで、少し体を起こして俺を見つめた。
その後、文さんはまた横になろうとした。
しかし、次の瞬間、俺の胸元に文さんは飛び込んできた。
「な!」
抱き着いているわけではないが、距離が近い。
文さんの顔が、目の前にある。
「……されたよ。告白」
「……」
俺の胸元で、文さんはニヤニヤしながら言った。
やっぱりされるんだ。告白。
そりゃそうだ。こんなに美人で明るい人だから、告白されないわけがない。
「嫉妬した?」
「……ちょっとだけ」
「ふふ。よかった嫉妬してくれてさ」
俺は悔しさとは違う、なんというんだろうか、もし文さんと同じ高校だったらとか、そういったことばかりを考えてしまい、自分の運命に落胆をしてしまうような、そういった気持ちになっている。
その時、部屋が光った。
そして、少ししてから雷が盛大にゴロゴロと音を立てた。
「……!」
文さんは体を震えさせていた。
雷はおそらくどこかに落ちただろう。
もう、我慢できない。
「文さん」
「わ!」
俺は、文さんを抱き寄せた。
「たまには、男らしくことさせてください。年下だからって、遠慮しないで頼ってくださいよ」
そうだ。たまには頼ってほしい。
年下だから、まだまだ女性経験がないから、頼りないところもあるかもしれない。子供っぽいかもしれない。
でも、文さんからは男として見られたいんだ。
「ありがと」
文さんは、俺を受け入れてくれたようで、全く抵抗する様子はなく、俺に体重をかけてきてくれた。体の柔らかな感覚が伝わってくる。
今日ばっかりは、俺のリードで、俺の勝利で終わった! と思い気を抜いた時。
「服でも脱ごうか?」
「え!」
文さんからとんでもない発言が飛び出した。
「お返し。体で」
文さんは、ゆっくりとまるで本当に誘ってきているかのように言った。
「いやいや! ダメダメです!」
さすがにここで……あれを捨てるわけにはいかないような……いや押すべきなのか?
俺は思考を巡らせる。文さんに見つめられながら。
カーテンで塞がれている外を少しだけ見た。雨が降っており、風も強く、雷がいつ落ちても不思議じゃなさそうだった。
そして出した結論は、こうだった。
「……もし服脱いだら、雷様におへそ取られちゃいますよ」
「……ほお……」
これはうまいこと文さんを躱せただろう。
「それに……」
俺は、いつか……もし文さんとそういう関係になった時のために、一言付け加えた。
「そ、そういう男らしさはまだ勉強中なので……」
「……ふふ」
文さんは、俺の腕の中で体を揺らして笑った。
「かわいい」
文さんは俺の胸元を突いた。
その時、俺は本当にこの人を好きになりすぎてしまったと思った。
もうどうしようもなく好きだ。
ただ……告白するにはなんとなく、まだ早いような気がした。
虫の知らせというやつだ。今はまだ、なにか悪いことが起きそうな気がしたのだ。
「ほら、寝ますよ」
「うん。じゃあおやすみ」
「おやすみ。文さん」
俺はそう言うと、文さんを少し見てから目を閉じた。
俺の腕の中にいる文さんは、じっとしていて、寝息をすーすー立てながら眠っていた。
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