第13話 夏祭り

 十三日。

 俺たちは二岬南公園で行われる二岬祭りに行くことになった。

 文さんと猫神様は浴衣で行くみたいで、家でいろんな浴衣を引っ張り出していた。

 その様子を見ていた俺は、文さんと猫神様に見事つかまり、二人とそろって浴衣を着ることになってしまった。

「おお~。本当に思ったよりすごい規模ですね」

「でしょ? ここだけは自信あったんだ~」

 俺が祭りの規模の大きさに驚くと、文さんは胸を張った。

 その二岬祭りの装いというものは、よくある小さなさびれた地元の祭りとは違い、人も多く、屋台も多く、ステージもあって、今も誰かがステージで歌っている。

 俺たち以外の人たちから感じ取れる雰囲気というのも、幸せ一色。明るい色しか目には入らない。

「俺、テンション上がってきました」

「そう? よかった」

 俺が文さんにテンションが上がっていることを伝えると、にこやかに笑った。

「猫神様は祭りとか来たことあんの?」

 俺は小さな体に薄水色の浴衣を着て、背伸びをしながら、祭りの様子を見ている猫神様に尋ねた。

「そりゃあるにゃ。多分」

「あるんだ」

「そもそも、祭りって元々は神に感謝するために催されるものだにゃ。だから、祭りには僕、詳しいにゃ」

「へえ~そうなんだ!」

 猫神様の話を聞いて、文さんは感心した。

「そうだにゃ。だからたぶんこうやってお盆とか、霊的なものとか、神的なものとかが集まりやすい時期にこうやってやる文化ができた……と思うにゃ」

「やっぱ神だから、神のことにはしっかり詳しいんだな。たまにはやるじゃん」

「そりゃそうにゃ。神だもん」

 俺がほめると、猫神様は、かわいく背伸びをしながら誇らしげに胸を張った。

「というか早く案内しろ。おなかすいたにゃ」

「ああ。そうだね。いこっか、二人とも」

 猫神様はお腹がすいていたみたいで、文さんを急かした。

「はい」

 俺が文さんに返事をすると、俺たち三人は歩き出した。


「美味かったにゃ。なかなかやるにゃこいつら」

 あれから少しだけ歩くと、猫神様ははしまき屋を見つけたようで、そこに吸い込まれていった。

 そうして俺たち三人は、はしまきを片手に、祭りの中を歩いていた。

「ほら、ごみちょうだい。まとめてそこのごみ箱に捨てるから」

 文さんは、食べ終わったはしまきの入っていた容器と、はしまきを支えていた棒を俺と猫神様から回収し始めた。

「はい。お願いします」

「ほい」

 俺と猫神様が文さんにごみを渡すと、文さんは少しだけ離れたところにあるごみ箱にごみを捨てに行った。

「ありがとうございます」

「いいの。ほら、まだまだ屋台あるから、回ろう」

「はい」

 文さんが戻ってきてから、俺たちはまた歩き始めた。

 しかし、歩き始めるとすぐに猫神様が歩みを止めて、その後大きなプールのある屋台へ歩いて行った。

 あれは金魚すくいだ。

「……!」

 猫神様はとてもキラキラした目で、プールで泳いでいる金魚を追いかけた後、その目のまま俺と文さんの顔を振り返って見てきた。

「……」

 猫神様って猫だよな? 

 もしかして……。

「おい猫神。お前もしかして家に持ち帰って食べるつもりじゃ……」

「ち、違うにゃ! ただの猫と一緒にするにゃ!」

 俺が猫神様に向ける視線は、おそらく冷ややかなものになっているだろう。

 猫神様は慌てて、両手を顔の目の前で振った。

「いや、今のは絶対たべたいにゃあ……って目をしてたね」

「してにゃい!」

 文さんも同じことを考えていたみたいだ。

 腕を組みながら、にやにやしている。

「水の中で動いてるものがいっぱいいたから、目で追いかけてただけにゃ!」

「で? 金魚すくいはしたいのかい? 猫神様?」

「……したいにゃ」

「もう。最初からそう言えばいいのに」

 文さんが、猫神様に金魚すくいがしたいか尋ねると、猫神様は肯定した。

「おじさん、百円。この子にやらせてあげてください」

「はいよ!」

 文さんは屋台のおじさんに百円を渡した。

「ほい坊ちゃん」

「ありがとにゃ」

 猫神様はおじさんから、ポイと紙皿を受け取った。

 というか坊ちゃんか……猫神様はやっぱり男の子にも女の子にも見えるらしい。

 俺からすると、見た目はどちらかというと、女の子よりではあると思うんだけど、やっぱりその溢れる好奇心と無邪気さのせいで、男の子にも見えるんだろうなと思う。

「……よし」

 猫神様は極めて真剣に金魚すくいに挑んだ。


「ずっと見てますね……」

「そうだね……」

 俺と文さんは、少し公園のベンチで休憩しながら、同じく休憩している猫神様の様子を見ていた。

 猫神様はというと、ずっと小さい透明の袋の中で動いている二匹の小さな金魚が動いている様子を眺めている。

「まあ、動いている動物を見てられる気分はわかりますけど」

「へへへ」

 俺が軽く伸びをしながら言うと、文さんは笑った。

「……」

 俺は祭りの様子を、改めて見た。

 人がとても多い。

 規模が大きい祭りだからなのか、子供の姿はあまりなく、大人の姿も多い。

 カップルももちろん多くて、手を繋ぎながら歩いている人たちも多い。

 いいなあ……俺もいつかはああやって、女の人をリードできるくらいの勇気を持ちたい。

 ふと隣を見ると、文さんが俺を見ていた。

「な、なんですか?」

「いや? 楽しそうにお祭り見てるな~って思ってさ」

「はあ、そうですか」

 文さんの口角は上がっていた。そんな文さんの顔は、祭りの光に当てられて、夕日のような色になっていた。

「よし、僕ちょっとあそこの真ん中で踊ってるやつらに混じってくるにゃ!」

「え?」

 猫神様は急に立ち上がり、そう言った。

「二人は好きに回っててくれにゃ! 帰るときにでも、迎えに来てくれにゃ!」

「あ、ああ、うん」

 文さんは、動揺しながら返事をした。

 猫神様は、とても素早く真ん中の盆踊りをしている集団のところに向かって行った。

 俺は文さんを見た。

 文さんも俺を見ていた。

 多分、猫神様の突然の行動に驚いていたのだろう。

 ちなみに俺も驚いている。

「ど、どうしよっか」

「どうしましょうか……」

 盆踊りの曲が耳に入る。鈴虫の鳴く声が聞こえた。程よい暑さが肌を撫でる。

 もしかして、猫神様……俺たちが二人きりになれるように気を使ってくれた? いやいや……そこまで空気読める人、じゃなかった、神じゃない気が……。

 と、ともかくだ。

 祭りで文さんと二人きりだ。

 チャンス……なのかもしれない。

「と、とりあえずまた回りますか?」

 俺は文さんに提案をした。

 ちょっと緊張する。

「……」

 文さんの瞳孔が少しだけ開いた。

「うん! 行こ!」

 その後、文さんはとてもうれしそうに立ち上がった。

 俺も後に続いて立ち上がり、文さんと一緒にまた歩き出した。


 俺は文さんと歩きながら、文さんの来ている浴衣を改めてみた。

 白を基調とした浴衣で、いくつかの部分に黄色い花の模様が付いている。なんだか夏っぽくていい。

「浴衣、似合ってますね」

「そう? 正樹くんも似合うね」

「ありがとうございます」

 俺がほめると、文さんも俺の浴衣を褒めてくれた。

 褒められるのも、そりゃそうだろう。

 だって二時間ぐらいかけて俺の浴衣を選んだのは、猫神様と文さんだからな。

 二人がそこまで時間をかけてくれたんだから、似合ってないわけがない。

「……あれ? 早瀬さん?」

 祭りの屋台がある通りを歩いていると、屋台の若い男の人が、文さんに声をかけた。

「……? えっと……」

 文さんは屋台の若い男を見て、首を傾げた。文さんはあんまり面識がないみたいだ。

「えっと、高一のときに同じクラスだった……島田だけど……」

 その島田と名乗る男は、自信なさそうな声で言った。

「ああ! いたいた島田くん」

「よかったあ。覚えててくれたんだ」

 文さんは島田を思い出したようで、島田がいる屋台に近寄って行った。俺も後を追う。

 島田という男は、あまり背が高くなくて、大人しそうな雰囲気だ。しかし、結構な美形で綺麗な顔をしている。

「なんで店番してるの?」

「親が消防団でさ、消防団とかはこういう祭りで出店の手伝いするから、僕も手伝ってるんだ」

「へえ~」

 ……文さんは楽しそうに話している。

 なんだか、俺以外のほぼ同年代の男の人と話している文さんを見るのは初めてだから、変な気持ちだ。

 こう、体が勝手に動き出してしまいそうな、そんな感じがする。体がなぜか熱くなってきているのを感じる。

「りんご飴、買って行っていい?」

「うん。いいよ。二つかな?」

「うん。四百円ね。どうぞ」

「どうも。はい、りんご飴」

 文さんは、島田からりんご飴を受け取った。

 そのまま、文さんは俺にりんご飴を渡してくれた。

「ありがとうございます」

「いいえ。じゃあね、島田くん」

 文さんは俺にりんご飴を渡すと、島田に挨拶をした。

「うん。また学校で話す機会があれば、よろしくね」

「うん! よろしく~」

 文さんは、りんご飴を一口舐めてから歩き始めた。

 俺も文さんに合わせて歩く。

「……ごめんね。なんかこっちで勝手に話しちゃって」

「い、いえ……別に……」

「そのりんご飴で……機嫌直してくれると嬉しいかも……」

 文さんは、ちょっと苦笑いを含んだ微笑みを浮かべていた。

「べ、別に機嫌悪くなってないです」

 ……いや、嘘だ。機嫌悪くなっている。

 俺自身、びっくりしている。

 何に驚いているかというと、文さんがほかの同年代の男と話しているだけで、こんなにも苛立ちや、焦燥感があることに驚いていた。

 まさか、好きな女の人がほかの男と話しているだけで、こんなにも嫉妬するなんて思わなかった。

 これが恋……というものなのか……と自分でも思う。

 俺はむしゃくしゃしている気持ちを抑えるように、大胆にりんご飴にかぶりついた。

「うん! うまいです!」

 俺は口の中でりんご飴をガシガシやりながら言った。

「そっか。よかった」

 文さんは安心したようで、目を細めて口角をあげた。


 りんご飴を食べた後、文さんはトイレに行きたいと言い出した。

 俺はそんな文さんを、トイレの前にあるベンチで座って待っていた。

 もうすっかりあたりは暗くなっていて、鈴虫の鳴く声が聞こえる。

 そんな鈴虫の鳴く声を遮るように、盆踊りの曲が流れていて、人々の話す声も聞こえる。

 俺がそんな祭りの様子を見ていると、正面に二人の浴衣を着た女の人が現れた。

「ねえ君、暇? 今一人?」

 俺から見て右に立っている髪が長い女の人は、俺にそう声をかけてきた。

「いえ……一応今は、二人で回っているところで……」

「そっか、じゃあ今は待たされてるわけだ」

 俺から見て、左に立っている髪が明るい女の人は、俺を見ながらニヤニヤしている。

「ねえ、じゃあ私たちと回らない? そんな君を待たせる女置いといてさ」

「ね? いいでしょ?」

 二人の女はそう言いながら、俺が座っているベンチに、俺を挟むように座ってきた。

「ちょっと……」

 困った。

 これはいわゆる逆ナンという奴だろう。

 文さんとは、問題なく話せるようになってきてはいる。しかし、未だに俺は女の人と、どのように話せばいいのか、わからないことが多い。

 文さんは明るくて、気を使ってくれるから、とても話しやすいけど、こうやって強引に来る女の人を相手にすると、どうしたらいいかわからない。

「そ、その!」

 勇気を出せ俺!

「俺、その人が大事なんで……いくらでも待てるんで……二人とは回れません」

 俺は二人にできる限り真剣な顔をして言った。

「……」

 俺がそう言うと、女二人はお互いに目を合わせた。

 女二人が目を合わせてからすぐに、俯いていた俺は、誰かに手を強く引っ張られた。

「……文さん」

 俺の手を引いた文さんは、真顔だった。

 笑顔でもなくて、怒ってる顔でもなくて、哀しい顔でもなくて、嬉しそうな顔でもなかった。

「いくよ」

「はい」

 俺は文さんに言われると、そのまま文さんに引っ張られながら、公園の端のほうへ向かって行った。


「……」

 公園の端に着いた。

 文さんと俺の手は離れていた。

 静止した文さんは、俺を見ていた。

「もっと強く嫌って言いなよ」

 文さんは、いつもより冷たく言った。

 まるで赤の他人みたいに。

「……す、すみません……どうすればいいのか……わからなくて……」

 俺は怒られていると感じたので、懸命に言葉を探した。

 文さんの機嫌を損ねないように。

「……!」

 俺が文さんを見たり、目を背けたりを繰り返していると、文さんの俺を見る目が大きく開いた。

 文さんは、俺の両腕の二の腕あたりを両手で持った。

「ごめん」

 文さんは、母親のような優しい声で言った。

「正樹くん、高校一年生だったね。そりゃあんな派手目のお姉さんたちに突然ナンパされたら、どうしていいかわかんないか」

「……はい……正直どうすればいいかわからなかったです」

 文さんは俺を見つめている。

「そうだよね。私に対してはいろいろいい感じのことしてくれるから、てっきり女の子慣れしてると思ってたけど、そういえばそうじゃなかったこと思い出したよ」

「文さんにいろいろするのは……文さんを信用しているからです」

「えへへ、そっか。嬉しいな」

 母親や、気を許している相手とはうまく話せるのと同じように、俺は文さんを信用しているからこそ、好きだからこそ、思い切ったことをできる。

 でも、やっぱり初対面の女の人とどう話したらいいかなんて、まだわからない。

「私もごめん。正樹くんがナンパされてるところ見てさ、なんだかイライラしちゃってさ。私とお祭り回ってるのに、なんでもっと強く言い返さないんだって思っちゃってた。正樹くんの彼女でもないのにさ」

 文さんも、さっき島田という男と話している文さんを見て、俺が嫉妬していたのと同じように、俺がナンパされているところを見て、嫉妬していたみたいだ。

「俺も、次からはもっと男らしく追い払えるように頑張ります」

 俺は文さんの目をしっかり見ながら言った。

「よし。えらいぞ!」

 文さんは、俺の頭を背伸びして撫でてくれた。

 なんだか、少し照れる。

 こう見ると、やっぱり俺より年上なんだなと思う。

「お詫びにさ……私がこの祭りで、毎年最後に打ちあがる花火が見られる、とっておきの場所に連れて行ってあげよう」

「本当ですか?」

「もちろんだとも」

「嬉しいです」

 俺が嬉しいと気持ちを伝えると、文さんはまた太陽のように明るく笑った。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 俺は先導してくれる文さんの少し後ろを歩いた。


「ってここって……」

 文さんと歩いて五分。

 歩いてきたこの場所に俺は見覚えがあった。

「そう、正樹くんには紹介したよね。私のお気に入りの場所」

 文さんとショッピングモールに行った帰りに、文さんが教えてくれたお気に入り場所。

 古びたバスストップ。

 あたりに明かりはない。虫の鳴き声と、遠くから祭りの音が聞こえる。

 文さんは、スマホのライトをつけた。ライトを頼りに俺たちは歩いた。

「ほら、座ろ?」

「はい」

 俺と文さんは、バスストップに着くと、そこのベンチに座った。

「多分、あっちで花火上がるから」

 文さんは、祭りをしていた公園ではない方向を指さした。

 少し左を向かなければいけないみたいだ。

「ここから見えるんですか?」

「例年通りなら、見られるよ」

 文さんがそう言った瞬間、大きなドンという音が聞こえ、その瞬間少し辺りが明るくなった。

「おお!」

 文さんの言う通りの方向に、大きな花火たちが上がり始めた。

「お、始まったね~」

 びっくりするくらいよく見える。

 ここは平地なはずなのに、空に綺麗に花火が咲いている様子を余さず見ることができる。

 しかし、俺はバスストップの左側にいるせいで、花火がバスストップの左側の壁で見えにくかった。

 そう思っていると、俺の右側に座っている文さんは、俺の右腕を両手でグイッと引っ張った。

「わ」

 文さんの柔らかい体の感触が伝わってきた。

 文さんは、ニコニコしながら俺に話しかけてくる。

「もっとこっちに来な? 見やすいよ」

「へへ。ありがとうございます」

 俺は文さんとぴったり体をくっつけて、花火を見始めた。

 どんどん、と音を立てながら、打ちあがる花火を見ていると、なんだか夏を感じる。

 都心でも花火を見ることができるが、田舎のこんな誰もいないところで花火を見るのは、なかなかないことだろう。

 音の大きさは、そこまで大きくない。発射位置はそんなに近くはないんだろう。

 花火に見とれていると、ふと文さんの様子が気になり、チラッと文さんの顔を見た。

 文さんも花火に見とれていた。しかし、俺が文さんを見ていると、それに気が付いた文さんは俺を見返してきた。

 文さんは、首を傾げた。

 おそらく、俺が見ているから、何か言いたいのかなとでも思ったのだろう。

「……」

 花火が打ちあがっているこの非現実的感覚や、文さんと二人きりという空間に俺はなんだか体が浮くような感覚を覚えていた。

「手でも繋ぎませんか」

 そのせいで、俺はこんなことを口走ってしまったのだ。

「え?」

 文さんは、案の定俺の発言に驚いたみたいで、また首を傾げていた。

「……わ、忘れてください……」

 俺は驚いた文さんを見て、冷静さを取り戻した。

 自分より冷静じゃない人を見ると、途端に自らを振り返って、冷静になるあれだ。

 俺は文さんから目を背けて、逃げるように花火を見た。

 その瞬間、俺が手のひらを上に向けて、軽く握っていた右手の指と指の間に、指が入ってきた。

 振り返ると、文さんの手が俺の右手を、指を絡ましてしっかりと握っていた。

「……!」

 この握り方は、いわゆる恋人つなぎというやつだ。

 心地いい圧迫感に、鼓動が早くなっていくのがわかる。

「……繋ぎたかったんでしょ? 繋いであげるよ」

 文さんは、俺を見て言った。

 文さんの目はトロンとした目をしていた。

「……ありがとうございます」

「いいえ」

 その会話の後、また俺と文さんは誰もいないバスストップのベンチで、自分たちしかいないのにもかかわらず、ベンチの半分だけを使って、二人で繋がったまま、花火を見続けた。

 花火は、綺麗に打ちあがっていく。

 よく晴れている真っ黒の夜空に、次々に煌めいていく。

 消えて行く花火の落ちていく火花を見ていると、その角度がなんだか、人が笑う時の細くなる目のように見えた。

 そして、ひと際大きな花火が長い口笛のような音とともに、夜空に咲いた。

 その花火の最後の一粒の火の粉が消えると、徐々に花火の音で遮られていた虫たちの鳴き声が聞こえてきた。

「終わりですかね」

 俺は文さんを見ないで、花火が打ちあがっていたほうを見ながら言った。

「多分ね」

 俺はまだ、花火が打ちあがってくれるのではないか、と期待しているのか、花火が打ちあがっている方角を見てしまう。

 いや、期待しているというよりは、名残惜しいと言ったほうがいいのかもしれない。

「えっと……猫神様……迎えに行かないとですかね」

 俺はゆっくりと文さんを顔を見ながら言った。

「そうだね。時間もいい感じだし」

 そう言いながら、文さんは立ち上がろうとした。

 すると、繋いでいる手が解かれてしまった。

「……」

 ……今はちょっと名残惜しい。でも、いつかもっとちゃんと握れる日が来てくれるはずだ。

 いや、俺が握れる日をつかみ取って見せる。

「行きましょうか」

「うん。行こう!」

 今度は俺がスマホのライトを起動して、祭りをしていた公園までの道を照らす。

 俺と文さんは、そのままゆったりとした足取りで公園へ戻った。

 

「いやあ……楽しかったにゃ~」

 帰り道。

 夜道をスマホのライトで照らしながら歩いている俺と、文さんと合流した猫神様は、満足げな表情を浮かべていた。

「よかった。猫神様も楽しんでいるみたいで」

「楽しかったにゃ! この土地の子供と一緒に盆踊りを踊ったにゃ!」

「おお……いいね!」

 猫神様はどうやら、子供たちに混ざって盆踊りを踊っていたらしい。

 多分……猫神様も同い年ぐらいだと思われてただろうけど……それは言わないでおこう。

「花火も綺麗だったにゃ~。起きてから、忘れたくないぐらいにいい思い出がいっぱいできてるにゃ」

「忘れたくないくらい、いい思い出ね。いいこと言うじゃんか猫神様」

 俺は猫神様の表現の仕方に少し感動したので、猫神様を褒めた。

「ふん……本当にそう心から思うから、そう言えるのにゃ」

 忘れたくないくらい、いい思い出。

 思い出はもしかすると、忘れてしまうかもしれない。

 だからこそ、忘れたくないと強く思えるくらいの思い出というのは、本当にいい思い出ということだろう。

「お~遠くにうちの明かりが見えるにゃ」

「帰ってきたな~」

 猫神様が言うと、遠くに早瀬家の温かな光が見えた。

「お風呂! 一番! いただくにゃ!」

「お、じゃあ私と一緒に入る? 猫神様」

 猫神様がお風呂を一番最初に入る宣言をすると、文さんが一緒に入ろうと猫神様に提案した。

「おお、じゃあ一緒に入るにゃ」

「やった~」

 文さんは軽く両手でガッツポーズした。

「正樹は一緒に入るかにゃ?」

「入るわけないだろ!」

 猫神様は淡々と俺に聞いてきた。

 この態度を見るに、猫神様はあんまり異性と風呂に入るということに抵抗がないのだろう。

「え~入らないの?」

 文さんは、いつもの俺をからかうような時の声で言った。

「狭いし! 絶対に平常心で居られないので! 嫌です!」

 俺は眉間にしわが寄っていた。しかし、体温は上がっている。

「ふふ。じゃあ二人で入ろうね」

「うん!」

 猫神様はそう返事をしながら、文さんに抱き着いた。

 風が少し強いような気がする。涼しい風が浴衣の腕を抜けた。

 しかし、その涼しい風にはどこか不快感があった。


 

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