第11話 猫神様の川遊び
十日。
土曜日なので、ラジオ体操はなかった。俺は毎朝のルーティン、文さんのお父さんとおばあちゃんに挨拶することを済ませた。
今日は文さんの提案で、二岬駅の近くの山にある川で、俺と文さんと猫神様でバーベキューをすることになった。
ついでに川遊びもするみたいで、俺は文さんに頼まれた肉や野菜が入ったクーラーボックスを持って、文さんが運転する車に乗り込んだ。
車で二十分ぐらい移動すると、川にたどり着いた。
俺たち以外に人は誰もいなかった。
川は浅そうで、安全面に関しても問題なさそうだった。
程よい暑さで、セミや鳥の鳴き声も聞こえた。草木が風で揺れる音も、耳になじんで心地いい。
「椅子三つと……バーベキューコンロも持って行って……」
俺はクーラーボックスに加えて、椅子三つとバーベキューコンロを車から降ろそうとした。
「ああ! そんな無理して持たなくていいから!」
文さんは、俺から椅子三つを取り上げた。
「別に、私に何かを持たせちゃいけないってわけじゃないんだよ」
「すみません。ありがとうございます」
「いいのいいの」
文さんは、椅子を持ちながら、ニコニコしながら言った。
正直、結構無理していたので、ありがたい。
「じゃあ僕も手伝ってやるにゃ。軽いほう寄越せにゃ」
猫神様も、どうやら手伝ってくれるみたいだ。両手を広げて、俺に向けている。
こう見ると、小さくてなんだかかわいらしい。
「じゃあ、はい」
俺は、猫神様にバーベキューコンロを渡した。
「おいしょ……よし行くにゃ!」
猫神様はそう言うと、バーベキューコンロを持って、我先に走っていった。
荷物を置いてから、俺たちは水着に着替えて、川に向かった。
着替えると言っても、服の下に着てきたので、服を脱ぐだけなんだけどね。
「猫神様は入らないの?」
俺は川に向かいながら、猫神様に尋ねた。
「僕はお昼寝にゃ。森の空気最高だにゃ……」
猫神様は眠たそうにしながら、リクライニングチェアに体を預けていた。
そもそも猫だし、水は嫌いなのかもしれない。
川は案の定浅かった。流れも穏やかだ。
「うひゃ~」
俺は川に足から浸かった。結構温度は冷たくて、鳥肌が立った。
俺は頑張って、腰ぐらいまでの深さのところまで歩いた。
「正樹くん待って~」
文さんも、そう言いながら川に入ってきた。
文さんは黒のフリルが付いた水着を着ている。
ほんのり胸元が出ていて、肌も白くてきれいだ。
露出は多くないが、綺麗な肌と足と、スタイルよさのせいで、思ったよりセクシーに見える。
「ほら、届きますか?」
「あ、ありがとう~」
俺は近寄ってくる文さんに、手を伸ばした。文さんはその手を片手で受け取ってくれた。
「気持ちいいね」
「そうですね」
文さんは、少し体を寄せてきた。
「水着いいですね。かわいいと思います」
「え! あ、そう? あ、ありがとう……」
俺がほめると、文さんは少し顔を赤くしながらそう言った。
「ふむ……やっぱりさ」
「はい?」
文さんは、俺の体を見ていた。
「結構筋肉あるよね」
「まあそうですね。中学の時の筋肉がまだ残ってるみたいです」
俺は中学の頃は、しっかり筋トレをしていた。今はもうしていないけど。
「触ってもいい?」
「え? どうぞ?」
「……」
文さんは、俺のお腹を触り始めた。
最初はなんとも思わなかった。
しかし、なんだか徐々にいけないことをしているような気がしてきて、俺は逃げ出したくなった。体があったまってくる。
文さんの柔らかい指が、俺のお腹を優しくなぞってくる。
「あ!」
「お、終わりです!」
「え~もうちょっと腹筋……」
俺は文さんから少し泳ぎながら離れて、川に体を沈め、頭から下を隠した。
「ダメです!」
「え~いいじゃん!」
文さんはそう言いながら、水の中で抱きついてきた。
「ちょっと!」
「えへへ」
文さんは、また水中にある俺の腹筋を触り始めた。
「ちょっと! 溺れたらどうするんですか!」
俺はそう言いながら、文さんの体を両手で押し上げた。
「あ」
「あ」
俺の右手は、文さんの肩を捉えていた。しかし左手は、文さんの左の胸の下あたりを捉えていた。ぎりぎり胸を触っているのか、触っていないのかわからないぐらいの位置だ。
「す、すみません!」
俺は文さんに謝りながら、手を離した。
「……」
文さんは、俺の顔を少しの間見つめていた。
川の流れる音と、風が森を抜ける音が聞こえた。
その後、にやけたと思うと、文さんは俺の両手を引っ張った。
「うわ!」
俺は文さんに引き寄せられて、川に沈んだ。
水中で目を開けると、俺の右手を文さんが両手で引っ張っていた。
水中の文さんは、髪が流れて、水着が動いて、まるで人魚みたいだった。
そんな文さんは、またニヤッとしてから、俺の右手をもっと引っ張った。
すると俺の右手は、文さんに引っ張られ、そして文さんの左胸に触れた。
「……!」
柔らかで、温かな感触が伝わってくる。恐らく俺は、川が沸騰してしまうくらいに、体温が上昇しているだろう。そして多分、俺は今すごく間抜けな表情をしているだろう。
文さんの胸に触れている時間は、一瞬だった。
「ぷはあ!」
その後、俺と文さんは同時に水中から頭を出した。
「……」
俺は何を言えばいいかわからず、顔だけを水中から出して、文さんを見つめてしまっていた。
文さんは、ずっとニヤニヤしている。俺が困っているところを見て、本当に楽しんでいるのだろう。
文さんはその後、俺に綺麗な背中を向けて、川の浅瀬に向かいながら、後ろで手を組み、顔だけを俺に向けた。
「……腹筋触らせてくれたお礼だよ?」
文さんは、あざとくウインクをしながら言った。
俺は少しの間、体を冷やすために川の中にいた。
その間、文さんは浅瀬で座りながら、川の流れを感じているようだった。
「まったく……あんなことするなんて……」
「え~? 嬉しかったくせに」
俺は少ししてから、文さんの隣に座った。
「まあ、嬉しいですけど……」
ちょっと、刺激が強いと言いますか、なんと言えばいいのか。
「まあこっちも腹筋触らせてもらってたからさ」
「それでいいなら……いいですけど……」
まだ右手には、感触がほんのり残っている。
というか、胸と腹筋って等価交換……価値が同じなのか……?
女性にとって、腹筋ってそれほど価値のあるものなのだろうか。
「もう落ち着いたの?」
文さんは、俺の顔を覗きながら言ってきた。
「さすがに落ち着きましたよ」
「そうかい。ならよかったよ。ふふふ」
文さんはずっとニヤニヤしている。
なんだかやり返したくなってきた。
ずっとやられっぱなしなのも、なんだか負けた気分がするからだ。
「すー……すー……」
猫神様はずっと寝ている。猫神様の寝息が聞こえてくる。
「わ!」
俺は、バッと文さんのにやけている頬を、親指と人差し指で下からつまんだ。
そして、文さんに顔を近づける。
「ずっとにやけてますね。楽しそうだなあ」
「もう……そっちがいい反応するから」
「……ここも柔らかいですね」
「……!」
文さんはびっくりしたみたいで、目を丸くして顔が林檎みたいに真っ赤になった。
俺はつまむのをやめて、顔を離してから、すぐにこう言った。
「俺だって、やられっぱなしじゃないんですから」
俺がそう言うと、文さんはまたにやけた。ただ、今までとは違って、目頭が緩んでいた。
「……やるじゃん」
文さんがそう言うと、少し赤面した顔を寄せてきた。
俺と文さんは、見つめあっている。
「……ふにゃああああ! お腹空いたにゃ!」
文さんと見つめあっていると、猫神様が大きな声で言った。
後ろを見ると、猫神様が大きな伸びをしながら、目覚めていた。
「……」
「……」
文さんは、少し苦笑を浮かべていた。
恐らく、猫神様の自由さに笑ってしまったのだろう。
俺も、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「じゃあ、お肉焼くとしますかね!」
「お! やったにゃ! 早く焼いてくれにゃ!」
文さんがそう言うと、猫神様は椅子から飛び降りて、文さんに飛びついた。
俺も立ち上がって、二人の後を追った。
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