第9話 畑仕事

「暑い……」

 そして二日後。七日。

 炎天下の中、俺と文さんは、隣の家の片倉さんの畑の周りの草刈りをしていた。

「あとちょっとだから~頑張ろう~」

「はい……」

 二岬に来てから、昼間に行動することは少なかった。

 文さんが俺を連れ出すときは、昼間ではなくて、夕方が多かったので、一番熱い時間帯にしっかり動くのは初めてかもしれない。

 セミはうるさく鳴いている。

「ふう……たまには体を動かすのも悪くないにゃ」

 猫神様も、俺たちの近くで草刈りをしている。

 猫神様は暑さに強いようで、汗もかかず、息も切らさず、涼しい顔をして素手で草刈りをしていた。

「なんで猫神様、全然疲れてないの?」

 文さんは、首に汗を垂らしていた。そんな文さんは、猫神様がこの暑さに打ちひしがれていないことを疑問に思ったみたいだった。

「まあ、神だし? このくらい平気にゃ」

「そう言われると……どうしようもねえな……」

 俺は独り言をこぼす。確かに「神だから」なんて言われたら、納得するしかない。

 なるほど確かに、地元の神が、その土地の暑さにやられているなんて、バカみたいな話だ。

 でもまあ、せめて素手じゃなくて、俺や文さんみたいに鎌を使えばいいのに。

「なあ。鎌ぐらい使ったらどうだ? そっちのほうが効率良いぞ」

「いやにゃ! なんかわかんないけど、鎌見るとすごい嫌な気分になるにゃ!」

「あ、だから素手でやってるのね」

「そうにゃ。僕は素手でいいにゃ。だって神だし」

「神こそ、なんか武器持ってそうだけどな」

 俺と猫神様はそんな会話をしながら、手を動かし続けている。

 鎌か……でも鎌を持つ神なんて、死神くらいか。

「おお……いい風~」

 いい風が吹いた。文さんが、その風を浴びながら、髪を耳にかけた。

 頬がガラスのようにきれいだ。

 俺はそんな綺麗な文さんを少しの間見ていた。そして、そんな夏の心地のいい風を浴びた文さんが、また草刈りを始めるところを見て、俺も草刈りをまた再開した。


「お~い」

 それから一時間。休憩を挟みながら、草刈りをしていると、道のほうからおばあちゃんの声がした。片倉さんだ。

「今日はもう終わりでいいよ~。戻ってきな~。お風呂とアイスが待ってるよ~」

 白髪が多いにもかかわらず、片倉さんはパワフルな声量で俺たちに言った。

「だああああ! 終わったあああ!」

 久しぶりだ。この達成感。

 夏の暑い日にテニスの練習を終えたときを思い出す。

 汗でぐちゃぐちゃ、肌が熱い。でもやり切ったこの感覚。たまらない。

「よ~し……戻るぞ……」

 文さんは道具を持ってくるために使っていた大きな荷車に、鎌と草が入った袋をまとめて乗せた。

 俺も道具をしまうために、文さんがいる荷車の近くに向かった。

「ふう……いっぱい草とれたにゃ~」

 猫神様は、袋を荷車に乗せた。

 猫神様は、本当に汗一つかいていなかった。ちょっとうらやましいかもしれない。

「僕がこの荷車は引いてやるにゃ。人間は疲れてそうだしにゃ」

「わ~。ありがとう猫神様」

 文さんは猫神様の提案を聞いて、嬉しそうに言った。

「いい神だな」

「当たり前にゃ」

 俺が言うと、猫神様は胸を張った。そして猫神様は、ゆっくり荷車を引き始めた。

 俺と文さんは、その後に続いて畑と畑の間を歩き始めた。

「ううわ!」

 その瞬間、文さんは体制を崩した。文さんの体が畑に吸い込まれていく。

「っ……」

 俺は咄嗟に文さんの手を思いっきり引いた。

 文さんの体は俺の体に引き寄せられた。文さんの頭部が、俺の胸元に飛び込んでくる。出来る限り、衝撃がかからないように、文さんの手を引きながら、文さんの背中をもう片方の俺の手で押して、抱き寄せた。

「……」

「……」

 俺は咄嗟のことで、少しの間文さんを抱き寄せたままでいた。

「危なかったにゃ! 大丈夫だったかにゃ?」

 猫神様は、荷車の前から俺たちに尋ねてきた。

 俺は、文さんを抱き寄せるのをやめた。文さんは、俺を少し嬉しそうに見つめてから、猫神様のほうを見た。

「大丈夫!」

「おお~よかったにゃあ! 正樹もナイスキャッチだにゃ!」

 猫神様は俺にグーサインを向けてくれた。

「どうも」

 俺も猫神様にグーサインを返した。

 猫神様はその後、また荷車を引き始めた。

「ねえ」

 文さんは俺に声をかけてきた。

 抱き寄せてから、距離が変わっていないので、まだ俺の体と文さんの体の距離は近かった。

 文さんは汗だくなのに、いいにおいがした。

「ありがと」

「いいえ。体が勝手に動いただけです」

「勝手に動いただけなのに、あんなにかっこよく助けれるんだ~。やるねえ」

「……照れるんで、やめてください」

「えへへ。かわい。照れすぎだね」

 俺はびっくりするくらい体温が上がっていた。もともと体温が上がっているのに、さらに体温が上がっているのがわかるので、多分相当俺は照れている。

「ほら、戻ろ?」

「あ、はい」

 俺は文さんとまた歩き始めた。猫神様の荷車は、もう遠くに見える。

「お風呂、一緒に入る?」

 文さんは、俺の少し前を歩きながら言った。

 後ろで手を組みながら、ニヤニヤしている。

「入りません! もう! 照れるのでやめてください!」

 俺はもう体がホカホカしていたので、否定するとき、ちょっと体に力が入ってしまった。

「そう? 私は一緒に入ってもいいけどな~」

「……俺の心臓が多分持ちません。大体そういうのは、もっと段階を踏んでからですね……」

「もう。見た目チャラいのに真面目だなあ……そ……」

 文さんそう言った後、前を向いて、俯きながら何かを小さい声で言っていた。ただ、よく聞き取れなかった。

「なにか言いました?」

「別に~」

「え~絶対なにか言ってます。教えてくださいよ」

「や~だね」

「おら! 何を言ったんですか? 教えてください!」

「ん~! やだよ~」

 俺は文さんの右頬を優しくつまんだ。

 文さんにからかわれてるんだ。これくらいはしてもいいだろう。

 俺に右頬をつままれた文さんは、まるで子供みたいに無邪気に、負けじと耳を引っ張ってきた。

「ああもう! 暑いのにこんな触りあってどうするんですか!」

「先に触ったのはそっちでしょ~……」

 そんなことを言いながら、俺たちは片倉さんの家に向かった。

 

 片倉さんの家で、お風呂を借りた後、アイスを貰った。

 片倉さんの家の縁側で、俺は貰ったアイスをかじっていた。

 風通しが良くて、風が気持ちよかった。早瀬家からは遠い、正面の山は片倉さんの家からは近くに見えた。近くに見えるから、山の木が揺れているのがよく見える。なんとなくその山の木の揺れを、目で追っている。

「やあ、少年」

「わ、なんですかもう」

 文さんは、縁側で胡坐をかいている俺の背中側から、寄りかかるようにして抱き着いてきた。俺の肩のあたりから、文さんは顔を出してきた。柔らかい感触が背中に伝わる。

 ……最近……どんどん距離が近くなってる気がする。

 仲良くなってきた証拠だろう。

 それに……不慮の事故で一回、文さんの裸……見ちゃってるしな……。

「一緒に食べよ」

「隣どうぞ」

 文さんは、隣に座った。

「……うま」

 文さんはアイスをかじってから、一言呟いた。

 少しの間、無言で遠くを見ながら、二人でアイスを食べていた。

 機械の音が全く聞こえない。ただただ、風の音と、風鈴の音と、視界の八割を支配する畑と山。そして視界の端に移る文さんの姿を意識しながら、火照った体を冷やすかのように、いつの間にかあと一口になったアイスを、口の中で溶かす。

「よいしょ……」

 俺はお茶を飲み終わったコップに、アイスの棒を入れて、縁側に寝っ転がった。

「脇が甘い!」

「ちょ!」

 文さんは、俺の脇腹を突いてきた。

「寝っ転がってる正樹くんが悪いぞ」

「はいはい……」

 仲良くなったせいか、こうやってからかいあうことが増えた。

 俺としては、文さんと仲良くなれて嬉しい限りだ。

「ふふ……」

 俺にちょっかいをかけて満足した文さんは、縁側から足を投げ出して、両手を使って後ろ側にかけた力を支えた。

 気持ちよさそうにリラックスしている。

「猫神様、楽しそうだったよね」

 文さんは、空に視点を向けている。

「そうですね。暑さに負けず、楽しそうに草刈りしてましたね」

 猫神様は、神様にもかかわらず楽しそうに草刈りをしていた。神様が草刈りをしていた、と考えるとなんだかおもしろい。

「そういえば、あの紅葉模様の石のこと、なにかわかった?」

「いいえ、なにも」

「そっか」

 文さんは少しだけこっちに体を傾けて、祠の前で拾った紅葉模様の石のことを尋ねてきた。文さんの髪が、重力に引っ張られて、揺れる。

 あの模様に関しては、ずっと気になっている。頭の片隅で、どこかで見たことがあるような気がするのだ。でも、なんだか思い出せない。こういう状況、結構ストレスだ。

「文さんこそ、何か気が付いたこととかありますか? 模様のことだけじゃなくてもいいですけど……」

「あ、あるよ。一個だけ」

「なんですか?」

「猫神様と初めて会った時のこと、しっかり覚えてたりする?」

「えっと……」

 あの時は、願いを心の中で唱えたら急に寒くなって……そしたら白い着物を着た猫神様が現れた……。

「だいたいの流れは覚えてます」

「そっか。それで……あの時から、猫神様が家で泊まることになって浴衣を着たじゃん」

「そうですね」

 猫神様は、うちに泊まることになった後、お風呂に入り浴衣に着替えていた。よく似合っていたことを覚えている。

「それで、気が付いたんだけどさ、猫神様、浴衣着るまでは首輪みたいなのついてなかったっけ?」

「……首輪」

 思い出せ……確か……うん。

「ついてましたね」

「でしょ? だからさ、もしかすると、猫神様は誰かに飼われてたのかも……って思ってさ」

「なるほど……」

 確かに、首輪が付いているのなら誰か飼い主がいたと考えてもいいだろう。

「ただ、それが誰なのかは……わかりませんね。あの祠を昔管理していた人が飼っていたのかもしれませんし、それこそ猫神様より偉い神がいて、その神が猫神様を飼っていた可能性もあります」

「なるほどね、神の飼い猫だった可能性もあるわけだ」

「ただ、そもそも……猫神様がどんな神だったかっていう詳しい情報がないですから、予想のしようがないかもしれません」

「む~それもそうだ」

 俺たちは猫神様について、何も知らない。

 あの祠にいて、願いを叶える神。元々は、恐らく猫だった。ただその情報しかない。

 まずは、猫神様についての情報が必要だろう。そのためには、この土地に関する伝承などがわかる本などに目を通す必要があるだろう。

 あの祠と関係しているということは、恐らくここの土地の神だということは、確定しているはずだ。

「文さん」

「ん?」

 俺が声をかけると、文さんはうつぶせの状態から、顔を肘を立てて、両手で支えながらこっちを向いた。文さんはいつの間にか、寝っ転がっていたようで、俺のほうを綺麗な顔で見てくれている。

「猫神様のことを知りたいので、今度図書館とか役所とかに連れて行ってくれませんか? やっぱり、猫神様のことを何も知らないっていうのは、猫神様の手助けをするっていう点でも、良くないと思うんです」

「確かにね……よし。じゃあ明日は私が車で連れて行ってあげよう!」

「ありがとうございます」

 文さんは、笑顔で承諾してくれた。

 

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