第7話 猫神様の最初の難関

 いろんな経緯がありながら、猫神様の記憶を取り戻すことに、俺と文さんは協力することになった。

 そして、猫神様はどうやら泊まるところがないらしく、神様のくせにお腹もしっかり空くらしい。神様のくせに生理現象はあるっぽい。

 確かに、神話とかだとやたら性欲の強い神とかいるわけで、だから生物として必要な欲求が、神様にもあるのは当たり前なのかもしれない。

 そのため、猫神様には寝泊りする場所が必要だ。本人曰く、寝るときは猫になって寝たほうがよく寝れるらしいので、広く場所は取らないみたいだ。

 つまるところ、俺と同じように早瀬家で寝泊りをさせてもらうのが最善手なのだ。

 そのためには、いくつか問題があるのだが、その一番の問題は、美文さんを説得することだった。美文さんに、猫神様の事情を説明して、この家においてもらう必要があるのだ。

「なるほどね……」

 外はもう暗くなっている。

 その家の家主である美文さんは、猫神様の願いを叶える能力や、猫になったり霊体化する能力を目の当たりして、食卓に座りながら、腕を組み悩んでいた。

「ね、本当に猫神様っぽいでしょ? で、この子の記憶を取り戻すための手助けをしてあげたいの」

 文さんは美文さんに近づいて、一生懸命説得していた。

「お願いしますにゃ! 美文殿! 寝るときは猫になるから、場所も取らないにゃ!」

 猫神様も、美文さんの判断が自分のこれから先の寝食にかかわると判断したのか、美文さんには腰が低めだ。

「……わかった」

 美文さんは、目を瞑って、低い声で言った。

「神様とか、猫になれるとか、透明になったりできるとか、願いを叶えることができるとか、まあ、うん。わかった」

「お母さん!」

 美文さんの発言を聞いて、文さんは嬉しそうに声を出した。

「それに、猫神様が記憶を取り戻すことも、それに二人が協力するのもわかった。でも、猫神。これだけは理解してほしいことがあるの」

「な、なんだにゃ? 美文殿……」

 美文さんの口調に、猫神様は少し押されているようだった。

「あなたを神様だとか、そんなのは関係なしに、ただの一般人として家に置きます。つまり、私はあなたを神様だと色眼鏡で見ないで、泊りに来てる正樹くんとかと、同じ存在として接する……私は神様とか、よくわからないから」

 美文さんは、真剣な顔をしている。

「それに、私には文だけじゃなくて、友達の子供の正樹くんを守る義務がある。だから、まったく身元もわからないあなたが、もし二人に危害を加えることがあったら、その瞬間に出て行ってもらう。これが条件」

「……」

 なんというか、こういう親の責任感の強さ……荘厳さを目の当たりにすると、俺は気軽に接していた親という存在に対して、敬意を払わないといけないと思い出す。

 美文さんは、しっかり親としての自覚があるみたいだ。

「もちろん。二人に危害は加えない。忘れていたことを思い出すために、二人には協力はしてもらうけど、二人に危険が少しでもあるなら、僕は二人に協力することはやめてもらう。約束だ」

 猫神様は、語尾に「にゃ」をつけることなく、真面目に言った。

 ここに来て初めて猫神様が、しっかり真面目なところを見た気がする。

 見た目は若いけど、意外と中身は俺より年上かもしれない。

「ならよし……じゃあ、猫神は私の部屋で一緒に寝よう」

「え?」

「え?」

 俺と文さんは、美文さんの発言に驚いた。

 ついに目が大きくなり、美文さんを見てしまう。

「だって……とってもかわいいじゃない! 猫神!」

 そう言いながら、美文さんは嬉しそうに猫神様に飛びついた。

「な、なんにゃ?」

「ほ~れごろごろ~、お、ちょっとひんやりしてる」

「わわ!」 

 美文さんは猫神様の顎を撫でたり、耳を触ったりし始めた。

 まるで人型の猫神様を、猫のように扱い始めた。

「ね~猫神は男の子女の子どっち~?」

「僕? 一応メスだにゃ」

「女の子なんだ~かわい~じゃあ今日は一緒に寝ようね~」

「わかったにゃ~……あ~そこだにゃ……」

 美文さんと猫神様はイチャイチャし始めた。

 これじゃあ、一般人じゃなくて、ただの飼い猫じゃないか。

 あんなに美文さん、かっこいいこと言ってたのに……。

「……正樹くん」

「はい」

 文さんは、苦笑いしながら、俺に話しかけてきた。

「ごはんの準備、私するね」

「あ、じゃあ俺は風呂掃除を……」

「よろしく……」

 俺と文さんは、イチャイチャしている美文さんと猫神様をよそに、家事を始めた。

 というか……猫神様……女の子かよ。「僕」って言ってたし、てっきり男かと……いや、オスかと……。


 美文さんへの、猫神様を寝泊りさせるという説得には成功し、その後俺たちは食卓で四人でご飯を食べた。

 猫神様は、別に猫用のご飯はいらないらしい。普通に人間のご飯を食べていた。

 今日は冷やし中華だったのだが、猫神様は問題なく箸を使って食べていた。

 しかし、冷やし中華と一緒に出された味噌汁に関しては、そんなに熱々でもないのに、熱そうに食べていた。どうやら、猫っぽくしっかり猫舌ではあるみたいだ。

 ご飯を食べた後、猫神様は美文さんとお風呂に入ったようだった。

 風呂場から、やかましい、いやらしい? 声がいろいろ聞こえていた。

 猫神様は、風呂から出た後は、白い着物から浴衣に着替えていた。

 美文さん曰く、白い着物だと死装束みたいでいやだったから、美文さんの服から好きなのを着ていいと言ったら、猫神様は浴衣を選んだらしい。

「……猫神様、似合うね。浴衣」

 風呂から上がってから、食卓で牛乳を飲んでいた浴衣を着ていた猫神様を見て、俺は言った。

 中性的な綺麗な見た目をしている猫神様は、見事に紺色と白の柄が入っている浴衣を着こなしていた。

 少しサイズは大きいみたいだけど、十分に似合っている。

「ん? まあにゃ。こういうのが落ち着くにゃ。なんか懐かしくて」

「なるほど……?」

「そんなことより、正樹も風呂に入るにゃ。山で汗だくになってるはずだにゃ」

「あ、うん」

 俺は猫神様に言われたので、お風呂セットを持って風呂場に向かった。

 風呂場がある洗面台の扉を開けると、目の前にはタオルで体を拭いている途中の、裸の文さんがいた。扉を開けると、文さんはきょとんとしていた。

「あ」

「あ」

 俺は咄嗟に何が起きているのかを理解することができず、少し状況を把握するために、間を置いてから、

「すみません!」

 と言いながら扉を急いで閉めた。

 俺は顔に熱をため込みながら、リビングの部屋の隣にある畳の部屋で伸びている、猫神様に文句を言いに行った。

「おい! 猫神! 文さんが入ってるじゃねえか! 入ってるなら言えよ!」

「ん~?」

 猫神様は俺のほうを眠そうに振り向いた。

「別に一緒に入ればいいにゃ。あんだけ祠の前でイチャイチャしといて、今さら何をダサいことを言ってるのにゃ」

「祠の前でイチャイチャと混浴じゃレベルが違うだろうが!」

 祠の前でイチャイチャと、混浴じゃあレベルが違う! 混浴は裸なんだぞ! まだ出会って数日だぞ! 無理だ!

「うるさいにゃ~。いい感じに横になりながら風にあたって気持ちよくなってたっていうのに……」

 猫神様は、また縁側の方向に顔を向けてしまった。

「まったく……」

 俺が腕を組んで猫神様をにらみつけていると、後ろから肩をつつかれた。

 振り向くと、俺の目線の下に上目遣いで、腕を後ろで組み、顔を赤くしながら、なんだか恥ずかしそうに見つめてくる文さんがいた。

「お、お風呂空いたよ」

「あ、はい……」

 まるで子供みたいに小さい声で話す文さんに、俺が返事をすると、文さんは走ってそのまま上の階の文さん自身の部屋に消えて行った。


 俺はその後風呂を済ませた。

 もう日付が変わる前の時間帯だ。外は暗く、虫の鳴く声が鼓膜を触る。家を抜ける風は心地いい。

 風呂後のお水を飲もうと、水が入ったコップを持ってリビングに向かうと、食卓で携帯を触っている文さんがいた。

 恥ずかしそうにしていたさっきの文さんとは違い、いつもの文さんに戻っていた。

 俺は先ほど、事故で文さんが体を拭いているところを見てしまったことを謝ろうと思い、文さんに話しかけた。

「あの、文さん」

「ん? なにかな?」

 文さんは、いつも通り軽く微笑んでいる。

「さっきはその……すみません」

「ああ! 別にいいよ!」

 文さんは少し慌てながら、両手を体の前でブンブン振った。

「いつもは男の子なんて家にいないからさ。鍵かけてなかったこっちも悪かったよ」

「いや……そうかもですけど、ちゃんと俺が確認しておけばよかったです。次からは気を付けます」

 確かに、いつもは家に女の人しかいないとなると、洗面所の扉の鍵をかけないという気持ちもわかる。でも、次はこういったことをしないように気を付けないといけない。

「……今度……」

 文さんは少し小さな声で何かを言いかけた。

「今度?」

「わ! な、何でもない! 忘れて!」

 文さんは大きな声で言った。

 文さんが今度……という言葉の後に、言いかけていた言葉の予想は、大体つく。

 まあ……恐らくだが……一緒に入ろうとかだろう。

「……」

 俺は不可抗力で顔が熱くなってきた。

 文さんも、俺と同じ状況なのか顔が赤くなっている。

 その時「ふーん」と言いながら、隣の畳の部屋から俺と文さんの様子を覗き込んでいる美文さんがいた。

「イチャイチャしてるね~」

「し、してないし!」

 美文さんが言うと、即座に文さんが反論した。

「……今日から、私耳栓付けて寝ようか? 気使わせないように」

「は……ま、まだそんな関係じゃないから!」

 美文さんは、なぜか耳栓をつけて寝ることを提案した。

 その提案を聞くと、文さんはもっと恥ずかしそうに顔を赤くして、さらに強く反論した。

「俺、いびきでもしてました?」

 俺は美文さんに尋ねた。

 耳栓つける、なんて言うから、てっきり俺がいつの間にか、いびきでもかくようになってしまったと思ったからだ。

「……」

 美文さんは、目を丸くして俺を見た。

 俺の目の前にいる文さんも、目を丸くして俺を見ていた。

 少ししてから、美文さんはニヤッと笑って、口を開いた。

「だってよ、文。手を出すなら、慎重にな~」

 美文さんはそう言うと、どこかへ行った。恐らく自室に行ったのだろう。

「……」

 俺は二人の会話の意味が分からず、文さんに尋ねることにした。

「……なんなんですか? 耳栓? 俺、うるさかったですか?」

「えっと……」

 座っている文さんは立ち上がり、俺の目の前に来た。そして、俺の肩を両手で持ってから、俺をしっかりと見て、それから文さんが尋ねてきた。

「本当に、私とお母さんが言ってること、一つもわかんなかった?」

 すごく心配しているような、期待しているような、そんな表情で文さんは俺に尋ねてきた。

「……は、はい」

 俺がそう返事をすると、文さんは上げかけた口角を、口をぎゅっとして口角を上がらないようにしたみたいに見えた。文さんの、表情は嬉しそうだったが、なぜか気持ち悪いように感じてしまうような要素も混じっていた。

 なんというか、それはまるで、可愛い赤子を抱きしめたいけど、その赤子は人の家の赤子だから、抱きしめられない……みたいな感じだ。

「正樹くん」

 少し間を置いてから、文さんは俺の肩を持ったまま、話しかけてきた。

「はい」

「まだ、わかんなくていいからね」

「は、はあ? そうですか」

「うん。それでよし」

 文さんはそう言うと、俺の肩から手を離した。

 そして深呼吸をしてから、文さんはいつも通り微笑んだ。

「そうそう、猫神様とね、これからどうやって猫神様の記憶を取り戻すかの話をしたんだけど……」

「はい。どういった方向性になりました?」

「とにかく動く、らしい。とりあえず、私が正樹くんを連れまわすのに、猫神様はついてくるらしいよ。この土地で動いてたら、なにか思い出すかもしれないから」

「なるほど」

 確かに猫神様は、この土地の神であることは明らかだ。

 なら、この土地でとにかく行動するということは、正しいかもしれない。

 むしろ、動かないよりはマシだから、消去法で動くしかないのかもしれないけど。

「わかりました。じゃあ、明日からは猫神様も一緒ですね」

「うん。そうだね」

 文さんは、綺麗に笑った。


 

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