第4話 遠出する夏休み

「ねえ。今日暇?」

 午前中。

 今日は土曜日なので、ラジオ体操はなかった。

 俺は朝食を食べた後、縁側で本を読んでいると、文さんが声をかけてきた。

「あのですね、文さん」

「うん?」

「俺、こっちに友達とかいないので、忙しいわけないんですよ」

「あ」

 俺はこの二岬に友達なんていない。

 だから、毎日予定がない。

 文さんがどこかに連れて行ってくれることを期待するしかないんだ。

「だから、暇です。毎日。好きに俺を使ってくれていいんですよ」

「そっか。じゃあ、ちょっと遠出しても平気? ダックスっていうショッピングモールに行きたいんだけど」

「はい、大丈夫です」

「やった! じゃあ、一時間後出発ね」

「はい」

 俺が返事をすると、文さんは嬉しそうに洗面所に消えて行った。

 俺も、自分の部屋に戻り、外に出る準備を始めた。


 ダックスというショッピングモールまでは、家からいくつかの山を越えたその先にあった。大体一時間くらいは車に揺られただろうか。

「おお~結構立派ですね」

「でしょ? 二岬の人はみんなここに来るんだよ~」

 文さんは誇らしそうに胸を張った。

 都会のショッピングモールとそん色なく、日常品ならすべてここでそろってしまいそうなほど、多くの店が出店している。

 人の量も俺がよくいく地元のショッピングモールと変わらないように思えた。

「えっと、それで何しに来たんですか?」

「ああ~。言ってなかったね。ま、歩きながら話すよ」

 文さんはそう言うと、エスカレーターに向かって歩き出した。

 俺も文さんについて行き、一緒に縦に並んでエスカレーターに乗った。

 エスカレーターからも、多くの店が見える。

 どこも人が多くて、にぎやかだ。

「正樹くん、水着とかなかったでしょ。川遊びとかしたいって言ってたのに」

「ああ、確かに。それを買いに来たんですね」

「うん。ついでに正樹くんに私の服も見てもらいたいんだけど、いいかな?」

「え」

「え? ダメかい?」

「ダメではないけど、俺、別にセンスとかないですよ」

「え、でもおしゃれじゃん私服」

 確かにおしゃれなのかもしれないが、実のところ、俺が着ている服はすべて母親が選んだ服だ。

 俺自身はまったくおしゃれなんてわからない。

「大丈夫大丈夫! 都会生まれの感性が欲しいだけだからさ」

「まあ、そういうことなら」

 俺はエスカレーターに少し寄りかかりながら、ちょっとだけ自信なく答えた。


 水着はサクッと選び終えた。

 正直、ぴちっとした水着じゃなければ何でもよかったので、ダボっとした黒い水着と、文さんからのおすすめで水着用の薄いパーカーも買った。

 女の子は、結構水着とか気にするんだろうけど、男の水着選びなんてこんなもんだ。

 文さんは「そんな適当でいいの⁉」と言っていたけど、多分そこの感性の違いは、男女の差と言ったところだろう。

 似たところだと、下着に関しても男はあんまり気にしないような気もする。

 この意識の違いはなんだろうな。

 と、ショッピングモールの二階にある服屋の試着室の前で、文さんが着替えるのを待っている俺は、考えているわけだ。

 試着室のカーテンが開いた。

「どう?」

 試着室から出てきた文さんは、ベージュのオフショルダーの服に、白い少しゆるっとしたズボンを履いて出てきた。

「はい。似合っていると思います」

 俺は思っていることを素直にそのまま伝えた。

 というより、文さんはスタイルもいいし、綺麗な人なのでなんでも似合いような気もする。

 俺がなにも服のことわからないせいで、全部よく見えているだけかもしれないけど。

「……」

 文さんは俺を少し見つめた後、もう一度試着室へ戻っていった。

 結局その後も何度も服の試着を繰り返し、俺にそれを見せるたびに、俺の顔をよく見ていた。

 そして、結局文さんは、全体的に黒いおしゃれな服一式を買っていた。


「まさか、あそこまでファッションに疎いなんて、思わなかったよ」

「ほんと、すみません」

 文さんは帰りの車を運転しながら、苦笑いしつつ言った。

 そんな文さんに俺は謝った。

「絵とかも実は全然描けなくて、なんというか、色彩感覚というか、そういうの全然ないんです」

「そっか。でも、なんかそんな気はする。真面目で不器用な感じするもんね」

 美術は、テストでどんなにいい点を取っても「3」だったし、小学校の頃の授業で自画像や他の人を描くときは、本当に嫌な気分だったことを覚えている。いくら真面目に描いても、本当に下手なのだ。

 なんだか、文さんの期待に応えられなくて申し訳ない気分だ。

 車が数少ない赤信号で止まり、俺は黙り込んでいた。

「……」

 文さんも話していない。ふと、文さんから視線を感じた。

 俺は文さんからの視線を返す。

 文さんが俺の顔を見ると、ニヤリと笑った。

「よし! 寄り道しよう。私のお気に入りの場所を紹介してあげよう」

「え?」

「ふふふ……なんと私のクラスメイトも、何なら親も知らないお気に入りの場所だぜ? 特別だぞ? 感謝したまえ」

「はあ……」

 文さんはそう言うと、また車を軽快に走らせ始めた。


「ここは家からどれくらいの距離なんですか?」

 俺は車を降り、文さんに尋ねた。

「歩いて三十分ぐらい?」

「なら割と近いんですね」

 周りは畑。遠くには山。水田の真ん中にある道を、今から歩くようだ。

 土のにおいがする。周りに高い建物もなく、遠くまでよく見える。

 もう夕方である。虫の声が少し聞こえ始めた。

 つい、あたりをぐるっと眺めてしまっている。

 ここに来て、まだ三日ほどしか経っていないが、田舎に対しての嫌悪感などはかなり薄れていた。

 確かに退屈なような気はする。しかし、都会の騒がしさとか、なんというか整理されて効率化したような雰囲気から解放されている気分は心地いい。

 むしろ、この二岬に来るまでは、まったく都会がそういった忙しい効率化された雰囲気であることに気が付かなかった。理由は簡単だ。比較対象がなかったからだ。都会以外で寝泊りをする機会がなかったからだ。

「お~い。なにしてんの~」

 俺はボーっと景色を見ながら立ち止まっているのを見て、文さんは声をかけてくれた。

 文さんは、畑に囲まれた道の少し先にいた。

「今行きます!」

 俺は駆け足で文さんのところへ向かう。

「ほら、すぐそこだから」

 俺が文さんに追いつくと、文さんはまっすぐ先を指さした。

 文さんが指差す先には、人が数人は入れる程度の小さな小屋みたいなものがあった。

「小屋……? ですか?」

 俺は歩きながら文さんに尋ねた。

「半分くらい正解かな。一応、バス停。ほら、バスストップあるでしょ。もう使われてないけどね」

「あ、ほんとだ」

 よく見ると、小屋の横にはバスストップがあった。もう使われていないのだろうか、小屋の外装はとても古く、風が少しでも吹いたら飛んで行ってしまいそうだ。

 バス停にたどり着くと、文さんはバス停の小屋の中に入って、そこの中にあるベンチに座った。

 ベンチは古くはあるが、汚くはなかった。

「隣、どうぞ」

「どうも」

 俺は文さんの隣に座った。

 小屋の正面は開いているため、景色が良く見えた。

 手前には畑があり、その奥には山がある。

 あたりはびっくりするくらい静かで、車の通っている音すらも聞こえない。

 風の音と、鳥の声と、虫の声しか聞こえない。

「ここ、別に景色がめっちゃきれいだとか、そういうのじゃないんだけど」

 文さんはベンチに深く座り直した。

「人が滅多に来ないからさ。悩み事とか、落ち込んだときにここに来るんだ」

 文さんは話しながら、俺を見ることはなく、ずっとどこか遠くを見ていた。

「ここにいるとさ、世界に一人だけの気分になれて、心地いいんだよね」

「世界に一人だけ……」

 俺も遠くを見ながら、なんだか感傷に浸ってしまっている。

 俺もたまにある。ずっと一人で居たい気分になることが。

「ほら、あるでしょ? なんかこう、誰も来るわけないところでさ、これやったらどうなるんだろう……みたいな感覚」

「え? 例えば?」

「例えば……そうだね。別にここで服全部脱いで走り回っても、誰も見てないから迷惑かからないし、別にいいでしょ?」

「な!」

 文さんは急に、とんでもないことを言い始めた。

「へへ。顔真っ赤だぞ、正樹くん」

「う、うるさい! 赤くなってません!」

 急に服全部脱ぐとか言い始めたから、びっくりした。

「はあ……」

「へへへ」

 ため息をつく俺を見て、文さんは笑ってくれた。

「でも」

「うん」

 俺はそんな文さんの話を聞いていて、思ったことがあった。

「そんな誰も来ないであろう場所を、俺に教えてくれるってことは、俺のことを好意的に思ってくれてるってことですよね」

「え!」

 俺が言うと、文さんは急に声を高くして驚いた。

「……別に、何も驚くこと言ってませんけど」

「え? ああ、そうか。そうだね。そうか……」

 俺が落ち着いているのを見て、文さんは真っ赤にした顔に両手を当てて、自分の心を落ち着かせていた。

「まあ、そうだね。だって正樹くんにここを教えたせいで、ここで裸でソーラン節とか踊れなくなったわけだし。だって正樹くんがくるかもしれないからね」

「はは。そうですね」

「もしさ」

 文さんは遠くを見た。

「私がいなくなったら、多分ここにいるから。それで、それを知ってるのは正樹くんだけだから」

 文さんはそう言うと、静かになった。

「……なんですか突然」

「ん? なんでもないよ〜」

 俺は、なんだか心地よくなってきたせいか、いつの間にベンチに深く座っていた。

 その後、日が落ちる直前まで、そのバス停のベンチで二人で過ごした。

 なんだか、世界に二人だけしかいないようなそんな雰囲気は、気持ちがよかった。

 この場所は、絶対に忘れないだろう。だって、文さんが教えてくれたお気に入りの場所だから。


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