第2話 夏休みの家
そんなことを思いながら、二岬駅に着いた。
無駄に重たい荷物を持って、古臭い電車を降りる。
そして、誰もいない改札を抜ける。
駅の外に着くと、目の前にはロータリーがあった。とても小さなロータリーだ。
ここでも、遠くには山が見えた。しかし、畑は見えなかった。
日差しは強く、乾燥していてとても暑い。しかし、じめっとした感じはない。
そして、ロータリーには一台の車と、それに寄りかかりスマホを見ているとても若い女性がいた。
その車は一目でわかるくらいの黒の高級車だった。田舎だと、こういう車はとても目立つと聞いたことがある。
その車に寄りかかっている女性と、俺は目が合った。
目が合ってしまうはずだ。だって、このロータリーの周りには、俺と彼女しかいない。
その女性は、俺の顔とスマホを何度か交互に見ると、俺に近寄ってきた。
近くで見ると、とても若いだけではなく、美人だということが分かった。
それに、メイクも少し派手だ。しかし、それでいて、なんだか自然な雰囲気だった。
髪の毛は肩くらいまで伸ばしており、綺麗な黒の色をしていた。
身長は俺より小さい。女性の平均的な身長をしていた。
「えっと、高橋正樹くんかな」
その女性は、俺の顔を覗き込むようにして言った。
「は、はい」
こんなにきれいな女性と話すのは久々だし、それにかなり大人な雰囲気だったので、声が少しだけ揺れた。
「よかった~。君のお母さんからもらったこの写真、君の子供のころの写真でさ~」
「え」
その女性は、俺にスマホの画面を見せてきた。そこには俺の幼いころの写真が映っていた。
「全然変わってないね~、結構かわいい」
「あのバカ親……」
うちの母親は、お茶目が行き過ぎることがある。
もしこれで、この女性が俺のことに気が付かなかったら、俺はこの駅で事切れて、この駅の亡霊になっていたかもしれない。
「でもいいじゃん。わかったんだし」
「なら最初から、俺の連絡先をお姉さんに教えておいたほうがよかったです」
「……確かに!」
お姉さんは、ハッとしたような顔で、俺の意見に同意してくれた。
なんだか、大人っぽい雰囲気なのに、子供みたいな快活さがある人だなと思う。
「あ、自己紹介……の前に、車乗っちゃって。暑いでしょ? ほら、荷物ここに置きな」
お姉さんは、そう言うと車のバックドアを開けてくれた。
ふと、バックドアに付いていた、初心者マークが気になった。
「ありがとうございます」
俺は狭い荷物置き場に荷物を置くと、そのままお姉さんが座る運転席の隣にある助手席に座った。
お姉さんは、ゆっくりと確認をしながら、車のエンジンをかけて、車を発進させた。
「それで、自己紹介だね」
お姉さんは、まっすぐ前を見ながら言った。
「早瀬文です。ひと月、よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
俺がそう言うと、文さんは微笑んだ。
「んでさ、歳はいくつなのさ。高校生だとは聞いてたけど」
「高一です」
「あ~そう。じゃあ私の二つ下だね」
「そうなんですね……ん?」
私の二つ下。そうなると……。
「って、高校三年生⁉」
俺は大きな声で文さんを見ながら言った。
「ああ、うん。そだよ」
「で、でも車運転してる……」
「ああ、ひと月前に免許取ったよ。車の後ろに初心者マーク付いてたでしょ?」
「た、確かに」
確かにそうだが、そこは問題じゃない。
こんな高級車に乗っているし、雰囲気も大人びているから、てっきりもう成人しているようなものだと思ってしまった。
「そっか。東京だと、高校生のうちに免許なんて取らないか」
「はい。まず、車が必要になったこともないので」
俺は呼吸を落ち着かせて、窓の外をチラチラ見ながら文さんと会話する。
外は左手に山、右手の手前には畑、奥には山があった。
「だよね~。田舎は車必須だよ~。ひと月苦労するかもだけど、行きたいところがあったら、先輩が連れて行ってあげよう」
車が止まり、文さんは俺を見ながら、楽しそうに話してくる。
「あ、原付でもいいかも。せっかくひと月いるんだし、免許取ってもいいかもね?」
「ちょ、ちょっと、来たばっかりなのに、いきなりいろいろ言われても……」
「あ~そうだよね~。なんだか弟が来たみたいで嬉しくてさ~。テンション上がっちゃった」
文さんは、少し頭を恥ずかしそうに搔きながら、そう言って、また車を発進させた。
会話が終わり、俺はまた窓の外を見た。周りはほとんど畑。道路沿いにはかなりの間隔を保って一軒家が建っている。
畑の中心に、何やら小さい小屋みたいなものがあった。
あれは……精米機か? 初めて見た。
今度は、畑の真ん中に古くて小さなバス停が見えた。
ベンチにしょぼい屋根が付いただけの、寂しいバス停だ。
畑には、所々にやたらクオリティの高いかかしが刺さっていた。
そんな景色をボーっと見ていると、田舎に来てしまったのだなと実感する。
ふと、文さんの顔を見た。
改めてみると、かなりの美人だった。肌が白く、綺麗な横顔だ。
目元をよく見ると、キラキラしていて、化粧をしていることが分かった。
俺はあんまり詳しくないけど、イメージとしては、少しギャルっぽい見た目をしていると言っていいだろう。
「ここでの生活、楽しみかい?」
俺がボーっと文さんの顔を見ていると、文さんが話しかけてきた。
「えっと……」
素直にあんまり楽しみじゃないと言うか、嘘をついて楽しみだと言うか悩んだ。
「いや、正直、暇そうでそんなに楽しみじゃないです」
俺は素直に自分の気持ちを言うことにした。
「あは~。正直だな君は。まあ、安心してくれたまえ。うちには最新のゲーム機は大体置いてあるし、パソコンもあるから」
「え、あるんですか?」
「うん。だって外行けない日とか暇だもん。一緒にやろうね。正樹くん」
「ああ、はい」
なんだか、イメージと違った。
田舎は本当に、外にしか娯楽がない想像をしていた。
なんかこう、「遊ぶって言っても、ショッピングモールしかないよね~」みたいな感じを想像していた。
「まあ、ゲームじゃなくて、毎日楽しいことをさせてあげるよ。先輩、頑張っちゃうからさ」
「……ありがとうございます」
文さんは、元気よく言ってくれた。
「ほら、これがお家だよ」
「おお……」
文さんはそう言いながら、車で家の正面の門から入っていく。
家の様子は、立派な一軒家という感じだ。
ただ、風通しの良い縁側が正面の門からも見えた。
本来、現代風の家では窓が付く部分に、襖が付いているところもあった。
立派ではあるが、古き良き、和風の雰囲気を感じる家だ。
子供の頃見たアニメ映画で、こういう家を見たことがある。
正面の門から入ると、右手には車が二台止まる場所があった。原付も二台ある。
文さんは、慣れた手つきで、その屋根の付いた家の駐車場に車を入れた。
改めて見回すと、家の裏には山が見えた。庭も小さくあった。
庭は駐車場と繋がっているため、軽くバーベキューなどはできそうな広さだった。
「すごい立派な家ですね」
「まあね。うちのお母さんとお父さんは凄いからね」
文さんは胸を張り、自信満々に言った。
確かにこの家なら、裕福な家庭だということがわかる。
「さ、荷物取って、縁側から入ろうか」
「あ、はい」
俺は車から降りると、バックドアから荷物を取り、駐車場と繋がっている縁側から、靴を脱ぎ食卓のあるリビングらしき場所に入った。
リビングらしき部屋の隣には、畳の部屋があった。リビングの奥の部屋には、台所がある。
やはり風通しは良く、家の中は涼しかった。
「ほら、二階に正樹くんの寝泊りする部屋あるから」
「はい」
俺は文さんの言われるがまま、台所の奥にある階段を上り、二階に向かった。
階段を上り、右側の部屋に俺は案内された。
「はい、ここだよ」
俺が案内された部屋は、机と本棚とテレビのみがある、素朴な部屋に通された。
俺は部屋の隅に持ってきた荷物を置く。
体が一気に軽くなった。
「えっと、ここって元々は誰かの部屋だったりしましたか?」
俺は、本棚にある本の種類を見て、文さんに質問をした。
本棚には、住宅関係の本が多く置いてあり、そのほかには一回り前に流行ったと思われる漫画が置いてあった。そのため、昔この部屋は、誰がが使っていたのではないかと思った。
「うん。お父さんの部屋だったんだ。お父さん、亡くなっててね」
「え……」
「ああ! 別に気にしないで。私がまだ子供のころに亡くなってるから、あんまり覚えてないし、そんなに深刻に受け止めないでよ」
「ああ……」
なんだかいけないことを聞いてしまったような気がしたが、文さんが気を使ってくれたみたいだ。
「一階にお父さんとおばあちゃんの仏壇もあるし、今は私とお母さんの二人暮らしだよ」
「そうなんですね」
「うん。だから人が増えてくれてうれしいよ。日中は私一人だし」
文さんは笑顔で話してくれる。
「というか、改めて顔を見たけどさ」
「はい」
文さんは、俺に顔を近づけてくる。
綺麗な顔が近づいてきて、少しドキドキする。
「結構イケメンだね」
「はあ……」
「もしかして、モテたりする?」
「いえ、全然。というか、中学は男子校だったので、女の人と話すことなんてほとんどなくて……」
「へえ……」
自然な流れで、文さんは部屋を出た。
俺もなんとなくついて行く。
「高校も男子校?」
「いいえ、共学です」
男子校に嫌気が差したわけではないが、女性との関わりもこれから必要になるだろうと思い、両親に無理を言って共学の高校の試験を受けた。そのため、俺は女性と話した経験がなかった。それも、高校生という同じ身分の、しかも先輩となんて、話したことなどないのだ。
文さんと話している時も、正直、心穏やかじゃない。
「そっか……友達とかいるの? いるでしょ」
「それが……男子校にいたせいか、ノリが合わなくて……」
「あらら、いないんだ」
男子校出身だからというわけでも、もしかするとないかもしれないが、俺は高校に馴染めていない。友達という友達もおらず、中学校の頃の友達と遊んでばかりいる。
「文さんは、友達たくさんいそうですね」
俺と文さんは、階段を下りながら話す。
木造なのか、階段は少しだけ木の軋む音がする。
なんだか、趣深いように感じた。
「まあ……そこそこいるかな? でもね~休日に学校の外で遊ぶ友達はいないかも」
「学校だけの付き合いってことですか?」
「うん。というか、私いろいろあって、ちょっとだけクラスから浮いてるからさ」
「なんで浮いているんですか」
俺と文さんは、リビングにたどり着いた。
「私、大学受験して都会に行くか、ここでお母さんと一緒に仕事するか悩んでてね。一応そこそこ勉強してるから、みんな気を使ってか、遊びに誘ってくれないの」
「ああ……なるほど」
文さんは高校三年生。確かに、受験生を遊びに誘うというのは、ちょっと気が引ける。
「周りに受験をする子なんて、数人しかいないし、大学行くとしても、地元の大学だし……まあ、ある程度仕方ないところはあるんだよね」
そこで文さんは少し歩みを止めた。
「それに私……いやなんでもないや」
文さんは何かを言いかけて、それを言うのをやめて、誤魔化すように少し笑った。
それから文さんはまた歩き出し、リビングから隣の畳の部屋に移動する。
「ほら、これ。お父さんとおばあちゃんの仏壇」
文さんは手で仏壇を示した。
仏壇には、文さんのお父さんの写真と、綺麗な顔をした女の人が写っていた。女の人の写真は、少しだけ古いものに見えた。恐らく、この人は文さんのおばあちゃんだろうけど、とても若く見えた。
「二人とも、文さんに似て綺麗な顔をしてますね」
「え! あ、そう⁉」
俺が言うと、文さんは少し照れたようで、顔の前で手をブンブン振って、驚いていた。
「えっと……ゴホン。さっきも言った通り、お父さんは私が物心つく前に亡くなってて、おばあちゃんは私が生まれる前には亡くなってるの。でも、この家を建てたのはこの二人なんだ」
「へえ」
「だから、一応正樹くんにも紹介したかったし、正樹くんにも挨拶してもらいたいんだ。私と一緒に」
「そういうことなら、喜んで」
俺は文さんに倣って、おりんを鳴らし、両手を合わせて心の中で「ひと月お世話になります」と言った。
「さて、お茶でも出すからリビングで座りたまえ。お話でもしようじゃないか」
「はい」
俺は文さんに言われた通り、リビングのテーブルの椅子に座る。
文さんがお茶を作ってくれている時間で、いろいろ考えていると、母が俺を、強引にここに送り込んだ理由がなんとなくわかった。
さっきも言った通り、俺は男子校出身だ。
女性との関わりが少なく、なんなら男子校のノリが残っているせいか、高校でも浮いている。
そして、この文さんの家では、お母さんと文さんの二人が暮らしている。
つまり、このひと月。八月の終わりまで俺は、この二人と一緒に暮らすわけだ。
女性二人の同じ家でひと月暮らす……母はおそらく、俺が女性との関わりを経験させるために、この家に送り込んだのだろう。
言われてみれば、高校に入学してから、パーマをかけろだの、髪のセットの仕方とか教えてきたり、やたらおしゃれな服を買ってきて、俺に着せたり、母はそういった「モテる」につながるようなことを押し付けてきていた。
別に悪い気はしなかったので、俺は受け入れていたけど、とにかく母は俺がどうにか女性に好かれるように、行動していたようだった。
まあいろいろ思考を巡らせたけど、母は俺に女性との関わりを経験させたいがために、俺をここに送ったのは間違いないだろう。
田舎なのは、正直気に入っていないし、未だに「嫌」と言う気持ちが強い。
暇そうだし、虫も苦手だし。
しかし、文さんは綺麗な人だし、優しい人だ。
あの人と話しているうちに、女の人と話すことに慣れるといいと思うし、この人とひと月同じ家で過ごせると考えると、悪い気はしない。
「はい、お茶どうぞ」
「どうも」
文さんは、氷が入った麦茶を持ってきてくれた。
「あ、せっかくだし、縁側で話そうか。麦茶でも飲みながら」
「あ、はい」
文さんと俺は、縁側に向かった。
正面の門のほうにある縁側だ。
遠くには山、近くには畑、空には積乱雲が浮かんでいる。
少し暑いが、吹く風は心地よく、冷たい麦茶のおかげで普段より涼しく感じる。
俺と文さんは縁側に座り、話を始めた。
「文さんは、この辺の高校なんですか?」
「うん。歩いて一時間くらい」
「え、それはこの辺じゃないですよ」
「あ、そうなの?」
「俺からしたら、遠すぎてちょっと嫌気が差しそうです」
「あはは、そっか。東京だとそんな遠い高校に行かないか」
「人によってはそれくらいかかりますけど、かかっても三十分ぐらいですね」
やっぱり田舎だと、高校が遠いというのは、良くあることらしい。
しかも、一時間で「この辺」と言っているあたり、距離の感覚が文さんと俺だと、全然違いそうだ。
「部活とか、何してたの?」
「中学はテニスしてました。高校は帰宅部ですけど」
「え~。テニスか~。チャラそう」
「いや、中学男子校だったので」
「あ、そうだったね。じゃあチャラくないか」
「文さんは何か部活してましたか?」
俺は文さんに尋ねた後、麦茶に手を付けた。
「な~んにもしてない。あんまり大人数だと嫌になっちゃうし、家の手伝いもしてたし」
「へえ。文さん結構明るい雰囲気なのに、大人数苦手なんですね」
「え~明るいかな」
「明るいです。今のところ、見た感じだと」
文さんは、かなり大きな声でハキハキ話している。
俺がこのトーンで話し続けたら、多分半日で喉が枯れる。
文さんは、少し俺から目線を外した。
その後、すぐに俺を見てまた笑った。
「えへへ。ありがと。でも、大人数だと、どうしたらいいかわからなくなるから苦手かな」
「確かに、気持ちはわかります」
文さんは麦茶を少しだけ飲んだ。
それから、文さんはまた俺に話しかけてきた。
「何かさ、こっちにいる間にしたいこととかある?」
「したいこと……」
俺は考えを巡らせた。
まあ、あまり田舎で過ごすことを良いとは思っていないが、せっかくなら夏っぽいことをしたいような気もする。
だらだらするくらいなら、メリハリをつけて過ごしたほうがいいような気もするし。
「夏っぽいことですかね」
「お~。とにかく夏っぽいことだね。何があるかな」
「海……は立地的に無理そうですね」
「そうだね~。川とかは近くの山にあるし、そこにキャンプ場もあるから、そこで夏っぽいことできそうだね。それに、せっかく東京から田舎に来たんだから、田舎でしかできないことでもしたらどうかな」
「いいですね」
「私が思いつくところだと……バーベキュー、川遊び、スイカ割、流しそうめん……あ、お祭りとかもお盆の時期にあるよ」
「へえ……」
「む。今、田舎の祭りなんてどうせ小さなもんだろう、と思ったね」
「げ」
文さんが言う通りのことを、俺は思っていた。
なんでばれたんだろう。つまらなそうな顔でもしてたかな。
「甘いぜ正樹くん。祭りはここからちょっと車で行ったところの山の近くにある、公園と神社でやるんだぜ。その山の高台からは、打ち上げ花火が見えるんだよ」
「おお! 山の祭りですね。それは楽しみかもしれません」
「だろう? よかったよ、とりあえず楽しんでもらえそうなものがあってさ」
確かに、田舎ならではの祭りという感じがする。
これに関しては、結構楽しみだ。
「あとは……うん、やっぱり、小さいことでもいいので、夏っぽいことができたらいいなと思います。お手伝いとかもしたいですね。どうせ暇なので」
「おお! いいね。じゃあ買い物とか、私の散歩とかについてきてもらっちゃおうかな」
文さんは嬉しそうに言った。
なんだろう。こんな美人な女の人が、俺のために笑ってくれていると考えると、ちょっと嬉しいような、照れるような気がする。
そう思いながら、ボーっと笑う文さんの顔を見ていると、大きな音で曲が流れ始めた。
どうやらこれは、夕方の五時を告げる時報だろう。
「お……夕焼け小焼けということは……お母さんが帰ってくる頃だね……」
文さんがそう言うと、遠くから車の音が聞こえてきた。
そういえば、ここ数十分、車の一つも通る音が聞こえなかった。
少しすると、綺麗な軽自動車が家の駐車場に入ろうとしてきた。
軽自動車の窓は開いており、そこから文さんととても良く似た女の人がこっちに手を振ってきた。
「あれ、お母さん」
「え、若すぎじゃないですか?」
「あれでも四十……うん歳なんだよ」
「ええ……見た目若すぎ……二十代にしか見えませんよ……」
というより、母の友達だと考えると四十歳は超えていてもおかしくない……。
もし同級生だとすると……四十五歳ということになる。
「こんにちは! 二人とも縁側でおしゃべりかい?」
文さんのお母さんは、とても元気な声で話している。
「こんにちは。文さんのおかあさん」
俺は立ち上がり、文さんのお母さんに軽く頭を下げた。続けて名前を名乗った。
「高橋正樹です。ひと月お世話になります」
「あ~はい。早瀬美文です。こちらこそ遠くまで来てくれてありがとう。よろしくね」
美文さんは、文さんと似た笑顔で明るく答えた。
「さて、私はさっそくご飯を作るけど……うん。二人は仲良くお話しててどうぞ。今日来たばっかだし、話したい事たくさんあるでしょ? ご飯できるまで待っててよ」
美文さんは縁側から家の中に入りながら、俺と文さんに言った。
「はーい。待ってまーす」
文さんは返事をした。
美文さんは、そのまま畳の部屋を通り、リビングを通って台所へ向かった。
「お母さん。料理うまいんだよ。仕事もできて家事もできるなんて憎いね」
文さんはニコニコしながら言った。
「すごいですね。俺もできるようになるのかな」
「きっとなるよ。私も練習してるけど、ちょっとずつうまくなってるのわかるし」
俺は多少料理はできる。でも、適当な野菜を炒めて、適当なタレ作って混ぜて作る雑野菜炒めとかしか作れない。つまるところ、おいしいものをなんとなく入れているだけの料理だ。
「……」
俺は遠くを見た。夕焼け空が見えてきて、さっきまで青かった空がオレンジ色に染まっていく。
こういう空を見ると、なんとなく青とオレンジの空の境界線を探してしまう。
どこまでが昼で、どこからが夕方なのか、少し気になるのだ。
「あ、正樹くん。早起きは得意?」
「え。苦手です」
「ああそう。でも関係ないや。一緒に朝のラジオ体操行こうね」
「え」
「ほら夏っぽいことしたいって言ってたでしょ?」
「確かに言いましたけど……それは別にしなくても……」
「ダメ! 一人で行くの嫌だもん」
文さんは、俺に体を寄せてきて、まるでおねだりをするように言った。
……ふわっと、いいにおいがした。
「ああ、はい。わかりました……」
「やった~」
俺はそんな文さんの美貌と、押しに負けて、朝のラジオ体操に一緒に行くことになってしまった。
それから、美文さんのおいしい唐揚げを食べた後、文さんとリビングにある食卓でお茶を飲みながらテレビを見ていた。
文さんはテレビを見ていたが、気持ち半分で見ているようで、基本的にはスマホを見ているようだった。
俺はぼーっと、木でできた内装を眺めていた。
ふと、リビングの隣の部屋にある、畳の部屋の仏壇の文さんのおばあちゃんの遺影と目が合った。
「文さん」
「ん~。なんだい?」
「おばあちゃんってどんな人だったんですか?」
俺は文さんに尋ねた。理由はない等しい。強いて言うなら好奇心だ。
「私はぜんぜん覚えてないよ。だって私が生まれる前に亡くなってるもん」
「あ、そっか……」
「でも一応お母さんから聞いた話はできるよ。してあげようか?」
「お願いします」
俺がお願いすると、文さんは仏壇を見た。
「とっても優しくて、静かな人だったって」
「へえ……優しくて静か……」
「でもね。静かって言っても……なんだか不思議なことがあったらしくってね」
「不思議なこと?」
文さんは机に頬杖を突きながら、話を続けた。
「うん。なんか、突然話せなくなったらしいの。ある日、本当に突然」
「え? 急な病気とか?」
「えっと。どこも異常なくて、しかも本人も話せなくなったことをサラッと受け入れて、それからは筆談で話す人だったみたい」
……全く不思議な人だな。突然話せなくなって、しかもそれは原因がわからなくて、しかもしかも、本人はそれに動揺することもなく受け入れた……。
「だよね? お母さん」
文さんは、ちょうど梨が乗ったお皿を持って入ってきた美文さんに、話を振った。
「うん。筆談で話してたね。私が小学校に入学してすぐに、急に声が出なくなった、って書かれた紙を渡されてさ、それから筆談し始めたよ」
「は~。不思議なこともあるもんですね……」
なんだか、オカルトチックで信用できないが、田舎だからこういうこともあるのかもしれない。大体まだ十数年しか俺は生きていないんだ。この世にはまだまだ知らないことがたくさんあるだろう。
「だいたい、私の夫といい、うちの身内はバタバタ死んだり、体に異常が出たりしすぎなんだよ。何か、憑かれてるのかもしれない……なんてね」
美文さんはそう言いながら、梨が乗ったお皿を食卓において、席に着いた。
「わーい」
文さんは、梨を一つ手に取り口に運んだ。
「正樹くんもどうぞ」
「いただきます」
俺も美文さんに言われた後、梨を一つ取り口に運んだ。
甘くて、水分が多くて、おいしかった。
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