夏空よりもまっすぐな
榊野岬
第1話
昼休みの教室は賑やかだ。高校に入学して二週間、当初はお互い手探りで行っていたコミュニケーションも、相手の人となりがなんとなくわかってくるとともに透明な膜を介するかのようなぎこちなさが取り払われ、以前からの友人のように気安く話すようになった。それに伴ってクラス内には早くも気の合う者どうしで構成されるグループが複数誕生し、教室のあちこちに固まって三々五々昼休みを過ごしている。話題は出身中学の紹介や流行のゲーム、面白い動画投稿者からゴールデンウイークに遊びに行く計画など様々だが、例外なく活気と高揚がその声色にはあふれていた。
俺はといえば入学直後の友人づくり、グループ形成の波に見事に乗り損ねた結果、中学生の頃と変わらない顔を前にして弁当を食べている。
「今日から仮入部期間だな」
「らしいな」
好物の生姜焼きを食べながら
「他人事だなあ。見学にも大して参加してないみたいだし、本当に部活に入る気はないのか?」
「今のところ、特にやりたいことはない」
俺の回答を予想していただろうに、戸倉は大げさに肩をすくめてみせる。
戸倉
最後に残しておいた玉子焼きへと伸ばしかけた俺の箸は、戸倉の声で遮られた。
「貴重な三年間を無駄に過ごすつもりか? あれだけ熱心だった野球を簡単に諦めて良かったのかよ」
「お前だってサッカーを辞めただろ」
「元々サッカーは中学までと決めてたし、他にやりたいことを見つけたからいいんだよ」
俺の反論を戸倉はあっさりとかわす。
「やりたいことってなんだよ」
「軽音楽部さ。俺は青春を音楽に生きる」
得意げにギターを弾く真似をする様子を見る俺の目は、無意識に冷ややかになっていたかもしれない。戸倉は真面目な顔になって、
「断っておくが、楽器を弾けるのがカッコいいだのモテたいだの、そんな安易な動機じゃないぜ。見学のときに聞いた部長の歌がすごかったんだよ。正直、高校の軽音部なんてカラオケの延長みたいなレベルだと侮ってたから、一発でノックアウトされちまった。聞けばその部長は本気でプロを目指してて、たまにライブハウスで歌ってるらしい。あんな風に歌えたらきっとすげえ楽しそうだなって思ったら、入部しないって選択肢はなかったな」
顔を近づけて熱弁する戸倉の口から今にも唾が飛んできそうだったので、急いで最後の玉子焼きを口に放り込む。これで安全は確保された。味わって咀嚼したのち飲み込んで、
「まあ、なんだ。夢中になれるものがあるのはいいことだ」
「だろ? だからタクミも野球をやらないなら、何か打ち込むものを見つけろよ。部活に入らなくても、趣味とか勉強とか恋愛とか、なんでもいいから。でなきゃ、一度きりの青春をむざむざ棒に振ることになるぞ」
確かに、今の俺にはこれといって心血を注ぐ対象がない。野球以外のスポーツには詳しくないし、特別な趣味も持たない。学業に専念しようにも描く進路は茫漠としており、恋愛に至っては未経験だ。放っておけば戸倉の言う通り、何にも夢中にならないまま卒業するのかもしれない。しかしそれを無為な青春だと一方的に決めつけるような物言いに、俺は少しばかりムッとする。
「別に、高校生活は何かに熱中しなければならないなんて規則はないだろう。部活に趣味に勉強に、あと恋愛か。そのどれにも本気を向けず過ごすやつなんて大勢いるだろうけど、そいつらだって自分なりに楽しくやっているかもしれない。目的がないからといって無意味だ不幸だと決めつけるのは偏見ってもんだ」
「もっともだな」
呆気なく頷く戸倉に拍子抜けしたが、続きがあった。
「だが世の中には目標や生きがいがなくても平気なやつとそうでないやつがいる。そしてオレの見立てでは、お前は後者だ」
言い終わると同時に、右手に持った箸を俺に突きつける。行儀が悪い。
俺は抗議した。
「何を根拠に」
「入学以来まったく楽しそうじゃないのはクラスでお前くらいだ」
わずかに言葉に詰まったのは、俺自身自覚がないわけではなかったからだろう。平静を装うように弁当箱を片付けながら、
「その理由は高校生活に目的がないからだ、と?」
「そうだ」
「残念だが見込み違いだな。俺は自由は好きだ」
戸倉は呆れたように首を振った。
「あのな、広大な砂漠に地図もコンパスもなしにぽつんと一人立っていたとして、何をしても咎められないし東西南北どこへでも行けるけど、自由とは言わないだろ。それは彷徨ってるって言うのさ。今のタクミがそれだよ」
俺は黙った。どこまでも口の減らないやつだ。知り合って以来戸倉とは幾度となくこうして意見を交わしたが、舌先でやりこめたことはほとんどない。
「お前に必要なのは目的地だ。行き先を決めて早く砂漠から脱出しろ」
「俺にどうしろと」
「簡単なことじゃねえか。野球をやればいいんだよ」
「んなこと言ったって、うちの学校に野球部はない」
俺が答えると、戸倉は驚いた表情になって、
「知らないのか? 実は──」
台詞はそこで途切れた。このクラスの成員でない女生徒が、教室の前側のドアを開けて入ってきたからだ。女生徒は教卓の前に立って室内を見回すと、自分に集まる視線に構うことなく一直線に俺たちの机へと歩いてきた。
女生徒の顔をひと目見た瞬間、俺は彼女が何者か分かった。記憶より髪は伸び、より大人びた顔立ちになっているが、その意志の強そうな瞳と引き結ばれた口元は昔となんら変わるところがなかった。
「
思わず女生徒の名前を口にした俺に、戸倉が「知り合いなのか」と問いたげな目を向ける。
「久しぶり、
女生徒──結羽も俺の名を呼んだ。表情と同じく冷静で硬質な声も記憶にある通りだったが、どこか微笑むような色が混じっているように感じられた。
「お前もこの学校に来てたのか」
思いもよらぬ旧友との再会に、驚きと懐かしさが押し寄せてくる。何せ顔を合わせるのは小学生以来だ。
「わたしも昨日知ったの。意外だった」
「何組だ?」
「一組」
俺の一年八組と結羽の一組はそれぞれ校舎四階の東端と西端に配置されている。合同授業の組み合わせもないから、今までお互いの存在を知らなかったのも無理はない。
ところで、なんのためにここまでやってきたのだろう。そう質問するより早く、結羽が口を開いた。
「一緒に来てくれる?」
言葉の上では問いかけだが、実際にはほとんど要求だった。言うが早いか、結羽は俺に立ち上がるよう促すと、いきなり手首をつかんで歩き出す。周囲の生徒が奇異の視線を向けるが結羽は意に介さず、半ば俺を引きずるようにして強引に教室から連れ出した。
呆気にとられたような顔で、戸倉が俺たちの背中を見送っていた。
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