4話目――どうやって持ち帰ったのか――

 全身に揺れと冷たさを感じて意識が浮上した。足がプラプラと揺れている。布団や床で寝るような、地に足が付いた感覚がなく心もとない。うっすらと目を明けると、硝子みたいに煌めく葉の群れがまず見えた。

「阿佐ヶ谷、気が付いたんだ」

 声のする方に顔を向けると、くすくすと控えめに笑う岡本の顔があった。それで、人魚になった岡本を見たときの記憶だと気付く。家で眠ったはずだから、これは夢だろう。

「驚き過ぎだよ。気絶されるとは思わなかった」

 どうやら、ずぶ濡れの岡本に抱えられているらしい。人魚になったはずの岡本にはちゃんと足が付いている。私たちは森にいるようだ。ここは人魚となった岡本を見付けた山だ。どうやら、岡本を見た後に気を失ってしまったらしい。

 しかしどうして、私が岡本を抱えているのではなく岡本が私を抱えているのだろうか。夢は記憶を整理するものだというが、なぜここだけ逆なのか。変なところだけ夢らしい。

「ねえ」

 こちらの思考を切るように岡本が切り出す。

「結ばれない人魚は、好きになった人を殺さないといけないんだってさ。泡にならないために」

 脅しかと聞けば、かもねとあっさり返ってきた。あまりにも軽い声色だったので、こちらまで大したことでないように錯覚してしまいそうだ。

「御伽噺と同じなんだ。妖怪寄りだと思ってた。不漁の兆しとか不死の薬とか」

「それも兼ねてるよ。何なら食べてみればいい」

 物は試しだと岡本は笑っているが、あまりにもリスキーなチャレンジである。

「嫌だよ。皆に先立たれるんでしょ。死ねないし」

 そんなのは寂しい。幸せな不老不死者なんてものがいるのだろうか。ひっそりと人を避けて生き続けているイメージしか沸かない。

「少しだけ齧ればいいんだ。大丈夫、俺も長生きだから、一緒ならきっと退屈しないさ」

そういう問題じゃない。引き攣る口元のせいで声が震える。

「安心してよ。人魚の声は人の気持ちを変えることができるから。きっと、楽しく暮らせる」

「岡本はずるいね。人魚姫は足の代わりに声を失ったのに」

「多分、違うものがなくなったんだ」

「パッと見じゃ分からないな」

 内臓だろうか。人魚の足と引き換えに腎臓一つとか。いや、腎臓の他にも要るだろうか。そう考えると人魚というものが妙に生々しくキナ臭く感じる。

「多分命だよ。俺さっき死んだから」

「なら何で動いてんの。死んでんのに」

 そう言いながらも、内心では岡本がずぶ濡れといえど死体のように冷たいこと、触れた胴体から鼓動が全く感じられないことが気になっていた。

「何でだろうね。俺も知らない。きっと、生かされているんだよ」

何に。とは聞いてはいけない雰囲気だった。

「でも、もう死んでるんだったら、私は殺されないんだね」

 言葉の綾ではあるが、ここで黙っているのも心許ないので、無理くり話を続ける。

「ううん。殺さないと泡になるんだ。自我を失って海の泡の一部になるなんて考えたら気持ち悪いよ」

「だったら、私の気持ち変えちゃえば」

 歌で。

 笑いながら言うと岡本は眉をハの字に歪めた。

「本気にしちゃうよ」

「すれば。だって、気持ち変わっちゃうんでしょ。違和感すらなく。それはもう嘘とかじゃないよ。例え岡本の言いなりになっても私が疑問を抱かない限り、私も岡本も幸せでしょ。少なくとも、私の立場での不満はないよ」

「嫌だ」

 岡本は頑なで、それに何だかいらついた。何ふり構わないのが好きってことじゃないの?

「何だ、乙女か純情か」

「そうやって、人のことからかって」

 咎めるように言われたって、からかってなんかいないんだから知らない。

「それが嫌なら、殺すしかないじゃん。泡になっちゃうんだから」

「それは絶対に嫌だ」

 そしたらどうしようもないじゃん。自分の気持ちなんて、どうにもできないのに。

「タイムリミットは?」

「ある。ギリギリまで頑張る」

 それがいつかは言わなかった。

「そっか」

「それまでに好きになって」

 とても真剣な顔付きと声に、何て言っていいか分からず押し黙った。岡本はしばらく返事を待っていてくれたけど、ひとつため息を吐いて、それから何か言った。

 そこで目が覚めてしまった。

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