この青春には味がない(仮)
立談百景
【前編】
「いうちゃん、いた!」
「もー、内田先輩が探してたよ、いうちゃん。次の校内公演の脚本のことで相談したいんだって」
一つ年下の幼なじみの花奈は、小さい頃から私の後を「いうちゃん、いうちゃん」と言いながらついて回ってくる可愛いやつだったけど、中学生になると急ににょきにょきと背を伸ばして私の身長を容易く追い越し、私が小柄なこともあって、同じ女子校に進学してくる頃には頭一つ分以上も身長差がついていた。
「煙草の灰、襟のとこに付いてるよ」
花奈は屈んで、私のセーラー服の襟についた灰をぱたぱたと払ってくれる。私は煙が花奈に掛からないように、横を向いて息を吐いた。煙草の火は消さなかったが、これも花奈に掛からないように気持ち離して持って置く。
しかし花奈は「意味ないよそんなの」と私の行動をたしなめるように苦笑いした。
――私は自分の掛けている眼鏡の僅かな汚れが気になって、少しだけ花奈からピントを外す。
花奈は端整な顔立ちをしている。背も高いし、まあ、幼なじみの贔屓目を抜いても、美人で存在感があると思う。
そんなだから花奈が私の幼なじみだと知られるや否や演劇部の連中からスカウトされて、私たちはあれよあれよという間に同じ部活の先輩後輩に収まってしまった。私はあまり素行の良い部員ではなかったから、そのお目付役でもある。
「これ吸い終わったら行くよ。脚本のことなら別に急ぎじゃないだろうし。内田はせっかちだから。――花奈も、こんなとこで私といるのが見つかったら、怒られちゃうよ」
私は眼鏡のツルを指でなぞり、耳に髪をかけた。やんわり立ち去れと伝えたつもりだったが、しかし花奈は立ち去ることなく「……煙草って美味しい?」と無邪気に聞いてくる。私は「別に……」とそれに答えた。
「別に……美味しいとかじゃないよ。いや美味しいってことになるのかも知れないけど、美味しいから吸ってる訳じゃないというか」
「吸うと良いことがあるの?」
「一個もないよ。マジでない」
本当は一個ある。
こうやって隠れて煙草を吸っていると、愛しい幼なじみが探しに来てくれることだ。
長く持ちすぎた煙草の灰が地面に落ちて、指先が軽くなったのを反射に、思わず私は煙草を口まで運んだ。貧乏性だ。
「……花奈に、煙草のにおいをつけたくないな」
なんて、私は煙を吐きながら、あまりにも矛盾したことを口走っていた。
それをどう受け取ったのか、花奈はにっと微笑んだ。
そして私の持っていた煙草をぱっと奪い取るの――それを口に運んだのだ。
「馬鹿! 高校生が煙草吸っちゃダメだって!」
思い切り煙を吸い込んでしまったらしい花奈は、渋い顔をして大きく咳き込んだ。
「げー、おいしくない……」
花奈の大きく声通しのいい口の中から煙が吐き出されるのを、私は眼鏡の曇りの奥にしっかりと見た。よほど煙草が不味かったと見え、その艶やかな唇を舌で小さくねぶる。
私は花奈から煙草を取り上げる。そしてその煙が空に立ち上るのを見て最後の一口を吸うか僅かに逡巡したものの、結局そのまま持っていた携帯灰皿に押し込んだ。
花奈はまだ少し咳き込んでいる。
「あーあ、大丈夫? 花奈はそんな喉が強い方じゃないから、煙草はダメだよ。うちの看板役者なんだから、ちゃんと気をつけないと」
「うう……いうちゃんとおんなじが良いと思って……」
「こんなのは同じにしなくていいよ。……はい、これあげる」
咳の落ち着いた花奈に、私はミンティアのコールドスマッシュを渡す。
「それめっちゃ冷たいやつじゃん」
「煙草と一緒に口に入れると良くてね。花奈がヤニの臭いさせて戻るわけにはいけないでしょ」
「貰うけどさ」
と言ってミンティアを一粒口に放り込むと、花奈は今度は顰め面になった。
「からーい」
ころころと表情を変える花奈は、やはり私にとってはかわいい妹分だ。
――内田を待たせるのも悪いし、そろそろ立ち上がった方がいいだろう。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
私が立ち上がると、花奈も一緒に立ち上がった。頭一個半、私は花奈の顔を見上げる。
「眼鏡、ちょっとズレてる」
花奈は私に顔を近づけて、ズレた眼鏡を直してくれる。
見慣れた顔なのに、少し心臓が跳ねた気がした。
私はこの優しい幼なじみに、いつまでも嫌われたくないな、なんてことを思った。
「花奈は、私が煙草吸ってんのは嫌じゃない?」
校舎へ戻りながら、私はそんなことを聞く。
「んー、なんかそんなに。うちはパパもお兄ちゃんも吸うし……それにいうちゃんの煙草は少し良い香りがするし。いうちゃんが煙草吸い始めてから、あ、これいうちゃんのにおいだなって思うようになったよ」
「そう……そっか。そういうこと、他の人には言わないようにね」
「ふうん、なんで?」
「そういうことを言う女は周囲を勘違いさせるから」
「えー、なにそれ。いうちゃんだけだよ」
「だったらいいよ」
「ふふ、大丈夫だよいうちゃん。私もちょっと大人っぽいこと分かるようになってきたし、こんなこというちゃんにしか言わないよ。だから妬かないで、ね?」
「はあ? 妬いてないし」
「私、いうちゃんが時々、露骨に私の幼なじみってアピールしてるの知ってるもん」
「…………してないし」
「大丈夫だよ。いうちゃんが特別だよ」
私のかわいい幼なじみは、臆面もなくそういうことを言う女なのだ。
結局私はいつまで経っても、花奈には敵わないのだろう。
大して気の利いた返しもできないまま、私たちは演劇部の部室に到着したのだった。
花奈には演技の素質があった。
本人は自覚していなかったが、演劇部に入ったことでそれは明らかになった。
「演技って楽しいね、いうちゃん」
うちの演劇部はそもそも実力派とかではないし、演劇の大会なんかにも積極的には参加していない。年に三回、校内行事向けに公演を行うのが主な活動だ。それ以外では小さめの劇を不定期に開催している。演劇好きが集まって、わいわい楽しくやるというのが部活のスタンスだ。
そんな弱小の部活に入った超新星は、演劇部のバブルだったろう。ほどほどの客足だった不定期公演は大盛況になり、黄色い声も上がるようになった。その多くは花奈を見に来た生徒だったが、他の部員にも脚光が当たり、それは私も例外ではなかった。「演劇部のおはなし、結構良いよね」と、少しばかり評価を得たのだった。
――私は、将来は文筆活動で飯を食っていきたいと思っている。中学の頃は文芸同好会で活動し、高校になってからは脚本に興味が出て演劇部に入った。私が入学する前年は脚本担当がおらず、既存の脚本をアレンジするばかりだったらしいので、すぐに脚本を書かせてもらえたのはありがたかった。……もちろん最初のうちは、目も当てられない仕上がりだったけども。
花奈が入学してからは、彼女のために当て書きをすることも増えた。
「いうちゃんの脚本で演劇するの、すっごく嬉しいんだ、私」
なんて、恥ずかしげもなく花奈はそう言うし、私もそれに悪い気はしなかった。
いつまでもこんな日々が続けば良いと思うのだが、そうはいかないのだ。
私は三年生になり、花奈は二年生になる。私たち三年生は進学や就職のために、夏休み前に部活を引退した。結局一年生にも二年生にも脚本を書く人材いなかったので、私は勉強の合間を縫って、脚本を書いている。花奈を最も輝かせる脚本が書けるのは自分なんだって、そんな自惚れもあった。
そして私は卒業までに、公演していないものも含めて、二十本近い脚本を書き上げたのだった。
私がいなくなった後も花奈が輝くように。
私の居ない演劇部で、花奈が寂しくないように。
――なんて、それこそ自惚れかも知れないけれど。
私は高校を卒業して一人暮らしをはじめて大学に入って文学を専攻しながら文芸サークルに入りWebメディアの運営にもバイトで入りそれなりに忙しない毎日を過ごしている。
花奈とは毎日連絡を取り合っているけど、それでも少し、距離を感じることも増えてきた。彼女の進路も、私とは全く違う。演劇の虜になった彼女は、役者になる道を模索しているらしかった。
――花奈なら、きっと素晴らしい役者になれるだろうな、なんてことを思う。そして花奈が演じるのは、もう私の脚本じゃないのだ。
私は脚本家になりたいわけじゃない。
結局、私が好きなのは物語をつくることなのだ。
大学に入って私は、隙間の時間を利用して小説を書いていた。基本的にはスマホで。いくつかの公募を目指して作品をしたためている。それ以外でも、完成したけど公募未満の小説はネットに公開もしている。カクヨムというKADOKAWAがやっている投稿サイトは、折に触れて既存作を公募に掛けられる仕組みもあるので、あわよくば……なんて考えもある。
大学生のうちにデビューできれば理想だな……なんて。そんなにうまくはいかないだろうから、私はWebメディアでライター見習いのバイトをしているのだ。
花奈は大学に通いながら、俳優の養成所に入ることにしたらしい。
彼女から、高校最後の公演、というYouTubeのリンクが送られてきた。引退していたのに、無理を言って文化祭の舞台で、主役ではない役をもらったらしい。
動画の中で、後輩たちの演技を見る。一年生だった子たちも、随分と上手くなったものだ。花奈の存在はかなり大きかったのだろう。
脚本は――私が書いたものだった。ごく普通の家族の中で母親だけが秘密を抱えている、小規模ミステリーだ。出番は多くないがキーパーソンである女性の役を、花奈がやっている。
……ひとりだけ、頭抜けて上手い。他の部員のレベルが低いのではなく、花奈が高すぎるのだ。
私はと言えば、脚本のあまりの稚拙さに変な汗をかいて眼鏡を曇らせてしまった。評判は良かったと聞いているが、まあ、作者から見たら粗がこれでもかと見えてしまうものだ。
画面の中で、花奈が言う。
「ああ私が煙になれたら、すぐにでもあの人の元へ向かうのに」
もう会えない人物への想いを吐露するセリフ。なんとなく、それは気に入っていた。花奈が私の煙草のにおいが分かると言っていたのを、思い出して書いたものだ。
私は大学に入ってからは電子タバコに変えてしまったので、もうあまり煙を纏う機会もない。私が煙草を吸っていても、それを諫めに来る幼なじみはここにはいない。
私たちは少しずつ、本当に少しずつ、そうとは意識しないまま、けれどやはり別々の人生を歩んでいる。だから少しずつ、本当に少しずつ、やはりそうとは意識しないまま、お互いを気に掛ける時間も減っていく。
私が大学三年生になる頃には、私たちはあまり連絡を取り合わなくなっていた。
公募に出している私の作品もせいぜい最終選考止まりで、いまいちパッとしない。バイトの方は順調で、入社を打診されている。多分、私はこのままこの会社に就職するだろう。
つつがなく、焦りと妥協を繰り返しながら人生は進んでいく。
花奈はどうしているだろう、なんて思った時には、もはや彼女に連絡をすること自体、少し躊躇うようになっていた。
――そしてあれから何年も、連絡を取っていない。
私は中堅のWebライターとして独立して、日々仕事に喘いでいる。小説では、変わらず芽が出ない。寝る間を惜しんで働いて、書いて、働いて、書いて。小さな部屋の小さな画面の前で私の人生が回ってゆく。
君と煙になってしまいたかった。
これは私小説のつもりで書きはじめたが書き終わらなかった。げんかいがきている。
カクヨムコンの私小説部門に出すつもりだったがここでおしまいである。
花奈が映画の主演を取ったと人づてに聞いたことでこれを書いています。
もう私はながいことキーボードを叩けそうにないです。
本当はこんなことをかくつもりはなかったが私はもう何日も前から意識がもうろうとしている。
病院のベッドの上でこのしたがきを急に思い出してiPhoneでこれをかいている。
これを見ている花奈へ。あるいは誰かへ。どうかお願いです。
もし私が死んだときこれをみかけましたら花奈のために書いたあの20冊の脚本を私の棺にいれてほしい。そして私と一緒に燃やしてくれ。そうしたら私は煙になってそれらと共に空へ行く。
私の煙草もいっしょにあれば花奈は気付いてくれるだろうか。私の中の愛しいかわいい花奈へ。本当にすまない。君の魂を少しもらっていく。ほんの僅かに脚本に眠るその僅かなぶんだけ。
ありがとうよんでくれて。
さようならありがとう。
くいはないです
この青春には味がない(仮) 立談百景 @Tachibanashi_100
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