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一台の車、見た目はごく一般的な自家用車だが一つおかしな点があった。
速過ぎる。
法定速度が実際の所何kmなのかは知らないが、それでも明らかにおかしいスピードだ。
まるで爆速疾走女の命を狙っているかのようだ。
そう、車の進む先には横断歩道がありその上を少し疲れたのかさっきと比べてゆっくりと走る爆速疾走女がいる。
シャトルラン82回目くらいのペースで走っている俺ならわりと余裕で抜かせる速さまでスピードを落としている彼女がいる。
疲れで周りが見えていないのだろうか。
信号の前で止まる気などないことなど誰が見ても分かる程のスピードで突撃してくる車に気づいていない。
柳家の人間にしては視野が狭過ぎる。
なんて思っている場合ではなかった。
このままでは目の前で爆速疾走女が轢かれてしまう。
朝からグロい光景を見るのはごめんだ。
目を逸らし他の道を行くor助けるという二つの選択肢が浮かんだが、遅刻せずに学校に行くには今の道を通るしかない+ごく普通の人間的な道徳心から生まれた薄っぺらい正義感により助けるという選択肢だけになった。
今思えば目の前で事故があったからという理由なら遅刻も許してもらえるのではとも思うが、あの状況でそんなクズい考えが浮かび、そしてそれを実行出来るような奴はそもそも遅刻を恐れたりはしないし爆速疾走女に抜かされた時点でブチギレて暴れ回っていただろう知らんけど。
そんな考えはいらない、とにかく助けないと。
しかし助けるといってもどうするんだ。
普通に走っても間に合う訳がない。
なにせ相手は法を無視して走る車だ。
助けられなかった時のために言い訳を考えていると何かが背中を押した。
いやつまずいただけなのだが、それでもぐずぐずして心の奥に引きこもっていた正義感に蛍火よりも種火よりも小さな火がついた。
両親の死が呼び起こした数多の負の感情達に正の感情達は一網打尽にされたと思っていたが心の奥底にひっそりといたのだ。
爆速疾走女が死ねば、多分それを悲しむ人がいて、苦しむ人がいる。
残される側の気持ちを俺は二年前から知っている。
そんなわけで爆速疾走女を助ける為にこれまで温存していた体力を総動員して爆速疾走男になったわけだが、気持ちだけでは車より速く走れない、なんてことは頭では分かっている。
体と心はそれでも走り続ける。
それにしても重いからと鞄を落とす腕といい、無駄に走り続ける脚といい、俺の体は脳の言うことを聞かな過ぎだろ。
全力疾走で爆速疾走女まで約10mという所まで近づくことができたがもう限界だ。
クソ、爆速疾走女の足がもう少し遅ければ、もっと後の事を考えるやつであったならば(怒り)。
いやいや流石に違うだろ。
俺の足がもっと速ければァ...(悔しがり)だろ。
後の事を考えないといけないのは俺だろ。
全くもう、すぐ人のせいにしやがって。
そんなんだから腕も脚も言う事聞かねえんだよ。
バカ、もっと速く走りやがれ。
火事場の馬鹿力ってやつをさっさと使いやがれ。
どうせ自分の為には使わないんだから。
迎え風から酸素を吸収し段々と大きくなる正義感という炎を抱えて爆速疾走自責男として決死のダッシュをキメていたらドゥンという低い音と共に突然体が前方向に勝手に跳んだ。
多分この一翔びで5mは進んだ。
そういえば少し前から足を地面に付ける度に足へと来ていた衝撃がない。
鞄を支えていた腕も先頃から前後に振っていたが、鞄がほぼ揺れていない。
なるほど、これが火事場の馬鹿力というやつか。
この速さならギリギリではあるが爆速疾走女を助けられるかもしれない。
そう思い、走る勢いのまま全力で前に跳んだ。大きく右手を爆速疾走女の背中目掛けて突き出しながら跳んだ。
流石に車の運転手も自分が人殺しになりかけている事に気づいたようでとんでもないブレーキ音が通りに響いている。
爆速疾走女もようやく車に気づいたようで車の方を見ながら驚いた顔をしている。
驚いた顔と丁寧な表現をしているが実際はかなり間抜けな顔をしている。
同時にこの切羽詰まった状況に癒しをくれる顔でもある。
少なくとも死が間近に迫った人間の顔ではない。
跳ぶと同時に、
「おい!!」
と全力の大声で話しかけていたのだが全く気づかれていない。
そしてどうして話しかけたのかすらもよく分からないが、こんな切羽詰まった状況で冷静な判断をして最適な言動を行える奴は遅刻なんてしないだろう。
今からお前を助けるという意思表示的なものだったのだろう。
すぐ横まで車が来ている中、先程は俺の言うことを聞かずに鞄を落とした俺の手は忠実に爆速疾走女の背中に触れてくれた。
思えば同年代の女子に触ったのは久しぶりだったが、あの状況でそんな邪な考えが浮かぶ奴なら抜かされた時点で下心ブースターで一気に加速し、爆速疾走女との差を縮めて楽しくお喋りしながら登校し、二人一緒に轢かれていただろう。
さぁ後は爆速疾走女の体幹がバケモノでない限り押し飛ばして救出成功となる。
はずなのだが、爆速疾走女が動かない。
こいつめ、爆速疾走体幹化物女であったか。
いや、問題はそこじゃない。
いや普通に考えれば問題はそこであるのだが、一瞬目の前で起きている命が終わるか否かというとんでもない状況を忘れてしまうくらいとんでもない事が起きていた。
爆速疾走体幹化物女の背中に触れていた右手におかしな模様が浮かび上がっている。
文字だけを見るなら波紋という言葉がピッタリだがそれにしては規則性が無さすぎる。
水の中に絵の具の染みた筆を入れた時のよう な、お風呂に入浴剤を入れた時のような、煙の様ではあるがそんな単純な色をしていない。
ほんのり光る赤と黒。
その二つの色が決して混ざって一つの色になるなんてことはなく別々に、だが明らかに一つの模様としてある。
そしてソレは明らかに、ゆっくりとではあるが動いている。衣服で見えないが全身こうなっているのだろうか。原因は爆速疾走体幹化物女なのだろうか。などなど数多の疑問が湧いた。
しかしここで本来の問題を思い出す。
ヤバい、死ぬ。
このような状況になった原因は他人の命を救うためであったはずだが、結局は自分の心配をしていた。
最近の車の高性能なエアバックとやらが助けてくれるだろうか。
このスピードの鉄の塊の突撃をクッションごときが相殺できるのだろうか。
車に関して一切知識のない俺から出た結論は
無理。
死んだ。
すまんな爆速疾走体幹化物女。
ドン
先ほど足元から鳴った音よりもっと物理的で、生々しくて、鈍い音が鳴った。
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