第二章 正体不明

第6話

 絵札の庭―現世で死んだ者や親なしの小天使が住む孤児院のような施設。

 施設の三階一番奥の部屋、その部屋の中に備えられているベットの上で僕は寝っ転がっている。

 部屋の窓から差し込んでくる暖かな光を鬱陶しいと感じつつ、僕は片腕を被せる様にして目元を隠し、物思いにふけていた。


 「だから約束してくれ、アイツに会わないことを。あの白い花を諦めることを」


 昨日あの花屋でランチさんに言われたことが、繰り返し頭の中で再生される。彼女の言葉に「…わかった」と返事をする僕の姿が脳裏に浮かぶ。けど今朝になって思い返す。なんで僕は「わかった」なんて答えたんだろうって。

 ランチさんを安心させたかったから?あの場を最後にあの白い花を諦めためか?

 ランチさんの話を聞いて堕天使の危険性については分かっているつおりだが、それでもあの白い花を諦められないでいる自分が、また今日になって心の中に現れ始める。

 精神的な気分が重苦しくなっていく一方で、外から聞こえてくる施設の庭で遊ぶ子たちの楽し気な声に、それに対する理不尽な苛立ちを感じつつあった。

 朝食も口せず、目覚めてからずっと考えているせいか?その苛立ちが収まる気配は無かった。

 「…ごめん」

 目元に被せていた片腕を天井に伸ばす。

 「約束…、守れそうに無いやランチさん」

 伸ばした手。その手の甲に浮かび上がる模様を見つめつつ僕は、昨日交わしたランチさんとの約束を破ることに決めた。


 例の堕天使を探しに行くことに決めた僕は、すぐさま外出用の身支度を済ませ、一階にある監督室へと足を運んだ。

 扉を三回ノックした。叩いた音に中から「どうぞ」という反応が聞こえてきたことを確認し、ドアノブをゆっくりと回した。

 「失礼します。おはようございます、エースです。外出してきます」

 監督室へ足を踏み入れた僕は、部屋の奥で業務をしているのであろう男性に声をかける。

 監督席の革づくりの椅子に腰をかけている男性。彼がこの施設で先生と呼ばれる存在・大天使ガブリエル。

 僕の声に反応する先生。掛けている縁の無い眼鏡の位置を直しつつ先生のその目がレンズ越しに僕の姿を捉える。

 「…大丈夫ですか?」

 「何が…ですか」

 今日初めて顔を合わせる先生からの言葉が、何のことなのか?思い当たる節が無かった僕は考えだす。

 「ルユエルから聞いています。朝食を口にしていないとか。どこか悪いのですか?」

 ルユエル。この施設で働く天使さんの一人だ。僕が朝食の席に現れなかったから先生に報告したのか。後で謝っとかないとな。

 「いえ、特には」

 「そうですか。わかりました、では気を付けてくださいね。昨日は門限を過ぎていたのですから」

 「はい、気をつけます」

 体調が悪くないことを報告すると、痛い所を突きつつも僕を見る仕事顔の先生の表情が、一瞬にして柔らかくなる。

 「それじゃあ、行ってきます」

 「はい、いってらっしゃい」

 先生への挨拶を終え、監督室を後にする僕の手が扉のドアノブに掛かる。その時後ろで「あ、」という先生の声に反応し、僕は先生のほうへ振り向く。

 「もし門限が過ぎても暗くなる前には帰って来てください。みんなが心配しますので、もちろん私も」

 「っ、…わかりました。じゃ、行ってきます」

 そう言って、僕は監督室を後にした。


 監督室でのやり取りの後、僕は施設の玄関で靴を履き替え建物の外に出る。監督室からここまでルユエルさんに出くわすことは無かった。

 夕食の時に謝るか。そんなことを考えつつ庭の前を通った時、庭で遊んでいた数名が僕のほうに駆け寄って来た。

 「エース兄ちゃん、遊ぼうぜ!」

 「エース!」

 自分よりも小さい天使たちが僕のことを遊ぶに誘う。彼らの眼には、これからの起きるであろう楽しいことにワクワクするようなものだった。

 「ごめん、これから出かけるんだ」

 「え~!!」

 顔の前で”ごめん”っと手でジェスチャーする僕に、小天使たちが一斉にブーイングの声を上げる。

 「なんか用事か、エース」

 「うん、そんなところ」

 僕と同じくらいの背丈の天使・スペクエル(現世で例えると12歳くらいの人)が聞いてくる。

 足を踏み入れようとしている危険なことに関係を作らせないよう、僕は彼らに用事の内容をはぐらかす。

 「え~、遊ぼうよエース!」

 「そうだよ!」

 用事に行く僕をそれでも行かせないようにする小天使たちからのブーイングの嵐が舞う。

 「ごめん、帰ってきたら付き合うから」

 小天使たちの抵抗を穏便に済ませようと約束をつける。

 「…絶対だよ」

 「うん。約束する」

 頬を膨らませつつも僕からの約束を受け入れてくれる小天使たち。

 「それじゃあ、行ってくるね」

 「ああ、気をつけてな」

 僕とスぺクエルが言葉を返す。その返事を聞きつつ施設の門のほうへ足を進める。

 後ろから聞こえてくる小天使たちの声に手で返しつつ門を抜け、僕は施設を後にした。

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