年上好き

連喜

第1話

 若い女性で中年のおじさんが好きという人は存在するのだろうか。俺はもう五十代のくせに、二十代の女性と付き合いたいのだが、女性を口説く勇気がない。小心だから気持ち悪いと思われたくない。学生時代のバイト先に、おっさんと付き合っていた若い子がいたけど、メンヘラ気味の子だった。もう、半世紀前の話になってしまう。

 もう一人、若い子でおじさんと結婚した人がいたがヤンキー風だった。たまには、おじさんと付き合う子がいるのかもしれないけど、元々年上好きと言うよりはたまたま上手く行ってしまったケースなのだと思う。


 男も同様で、若いイケメンでお母さんくらいの年上のおばさんが好きという人には会ったことがない。もともと友だちがいなさ過ぎてリサーチが足りないのかもしれないが。


 おじさんを好きなJKってのもいないと思っている。そんなの幻想だ。そう思って、普段は節度のある振る舞いをするようにしている。多分、俺くらいの年になると金を払わなかったら口もきいてもらえないのである。


 ***


 ある時、会社の部下から一緒に飲みに行きませんかと誘われた。俺は夜は都合が悪いからと断った。すると、ランチはどうかとしつこいので、断りづらいから行くことになった。二人で行くのかと思ったら、うちの部の女の子と別の部署の若い女の子が一緒だと言う。まるでランチコンのようだが、変なことを言うとセクハラ認定されてしまうから、俺は警戒していた。


「みんな同期だっけ?」

 誘ってきた男に言った。

「いや、違います」

「仲いいんだ」

「まあ」

 俺に払わせるつもりかと思ったけど、なぜそのメンバーなのかが理解できなかった。

「俺のせいで平均年齢あがっちゃうね」

「いえいえ…そんな。実は人事の子が部長のことが好きだって言ってて」

「はぁ?まさか」

「本当ですって…」

「でも、俺、既婚者だし」

「それでもいいって言ってるんです…」

「いいよ…」


 俺たちは四人で食事をして、プライベートなことなどもいろいろと話した。俺は結婚していると言うことをはっきりと伝えた。結婚が遅かったから、子どもがまだ小学生で奥さんは学校の先生だいう話をした。あまり話題がないから、学校の先生がどれほど忙しくて、自分も家事を手伝わされているということを大袈裟に言って笑いを取っていた。


「みんなでLine交換しませんか?」 

 そろそろオフィスに戻る時間になって、声を掛けて来た男が言い出した。

「ああ…」

 断れないから俺は承諾した。Line交換してもどうせ連絡なんか来ない。俺はそう思っていた。


 その夜。


 その日の夜、人事部の女の子からLineが来た。

『今日はありがとうございました。奢っていただいて申し訳ないです』

 ちょうど電車に乗っている時間だったから、俺はすぐに返事を出した。

『こちらこそ、若い人たちと食事出来て楽しかったよ』

 俺は敬語で返した。しばらく、ありきたりなやり取りが続いた。

『ちなみに今って一人ですか?』

『今、帰りの電車』

『あ、すみません。どちらから通ってるんですか?』

『二子玉』

『いいところに住んでるんですね。いいなぁ』

『君はどこ?』

『私は王子です』

『そっちの方が便利じゃない?二子玉は遠いよ。駅から歩くし。不便過ぎて今は後悔してる』

 気が付くと電車に乗っている間ずっとLineをしていた。内容のない話なのに、新鮮で楽しかった。妻と普段Lineすることなんてないし、女の子とやり取りするなんて思ってもみなかった。今、どこなんだろう。近いからもう最寄り駅かな。


『また、ランチ行きませんか?』

『いいよ』

『じゃあ、またお誘いしますね』

『うん。じゃあ、またね』


 家に帰りたくなくて駅前のドラッグストアやスーパーについつい寄ってしまう。家に帰るとすっぴんの妻が待っている。出産して十キロも太ってしまい、昔の面影はない。セックスレスになってもう十年以上経っている。子どもができて全く夫婦の営みがなくなってしまった。たまに風俗に行って発散しているけど、やっぱり素人女性の方に惹かれる。また、Line来ないかな…次の日には彼女からの連絡を待つようになっていた。すると、ちょうど電車に乗っていた時間に彼女から連絡が来た。何度連絡を取ったか忘れたけど、一緒にランチに行って十日くらい経ったころ。土曜日の午後だった。


『今、お時間ありますか?』 

『うん』

『電話していいですか?』

『いいよ』


「すみません。お休みの日に」

 声がかわいかった。 

「いいよ。ぜんぜん」

 最近は親族以外から電話がかかって来ることなんて滅多になかったから、素直に嬉しかった。それから、二人で少しだけ話した。彼女は一人暮らしらしい。俺はどきどきしていた。その日、妻は学校。子どもたちは習い事でいなかった。


「私、部長のことが好きなんです」

「まさか」

「本当です。前から素敵な方だと思っていて…」

「俺なんかでいいの?😛」

「はい」

「でも、俺、既婚者だよ」

「それでもいいんです」

「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」

「今日か明日、会えませんか」

「どこで?」


 そのまま彼女とやり取りして、オフィスがある最寄り駅から数駅離れた場所で会うことになった。お互い定期を持っているからだ。それから、客の少なそうな喫茶店でお茶を飲んだ後、電車で移動してラブホテルに行った。本当は子どもたちが家に帰った時、俺がいないと妻が怒るだろうけど、最近腰が痛いから整形外科に行くと嘘をついた。


 二十代の子とデート。こんなおいしい話があるかと疑心暗鬼だったが、彼女はベッドの中でもしおらしく俺のことを好きだと言ってくれた。俺は初めて不倫を経験したのだが、結婚して以来、一番その日が楽しかった。背徳感に苛まれつつ、刺激的でめくるめく快楽に俺は酔った。

「すぐ連絡するから」

 俺が言うと彼女は「うん」と頷いた。わざとらしいほど甘ったるい声だった。

 

 俺は帰りの電車で彼女にLineを送った。しかし、いつまで経っても既読にならなかった。もしかして嫌われたんだろうか。きっとそうだ…。俺の何がいけなかったんだろうか。


 その後、会社に行ったが、彼女が所属している人事部の前を通っても会えるわけもなく。連絡がないまま一週間が経った。俺は完全に振られたらしい。

 俺は彼女を諦められなくて、一緒にランチに行った部下二人に彼女がどうしているかと尋ねた。


「知らないです」その言い方は何だかよそよそしかった。二人ともそうだった。

 人事部に知り合いはいるけど、彼女のことを聞くわけにはいかない。何の接点もない女性社員のことを話題にしたら、ストーカーだと思われてしまう。


 結局、彼女とはそれっきりになってしまった。


***


 ある日、俺が仕事から家に帰ると、リビングで妻が暗い顔をして待っていた。いつもはテレビがついていて、ソファーに子どもたちが座っているのに、その日は妻しかいなかった。


「ねえ…。ちょっと座ってくれる?」

 俺は妻の横に座った。きっと何か悪い話に違いない。しばらく二人とも無言だった。妻は時々そんな風に俺を問い詰めて当たり散らすことがあった。俺は妻の神経を逆なでしないように穏やかに口を開いた。


「どうしたんだよ…」

「裁判所から封筒が来てるんだけど…」

「え、裁判所!?」

 予想外の展開に俺は心臓が飛び出しそうなほど驚いた。俺はその封筒を手に取った。


『原告弁護士 井原正敏…原告 間山くるみ 平成三年十月三日生れ』


 くるみちゃん。あの子だ…。俺は脳天を金属で殴られたかのような衝撃を感じていた。浮気がばれるだけでなくて、訴えられるなんて…。


『被告 江田聡史 昭和四十七年四月七日生れ』

「浮気してたんだ…。あんた大した稼ぎもないくせに!」


『損害賠償請求事件 訴訟物の価格 一億円』


「一億!」

 俺は大声を上げてしまった。そんな金額払えるわけがない。


『被告は、原告に対し、金一億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え…。


 不法行為…被告は管理職の立場を利用して、強引に原告に交際を迫り、〇月〇日、鶯谷のホテル〇〇において性的関係を強要する…。


 原告はこのことがきっかけで、PTSD、うつ病、パニック発作を発症するに至り、就業困難になったため…


 慰謝料…原告が精神障害、就業不能の状態に陥ったのは、被告の不貞行為が原因である』


「これ、本当なの!?」

「いや…あっちから誘って来て」

「本当なんだ!」

 妻は叫んだ。泣きながら俺を殴り始めた。

「ごめん。つい、出来心で…」

「あんた、家のこともやらないで、いつも勝手なことばっかりして!病院行ってたって嘘だったんでしょ!殺してやる!」

「ごめん」

「一億なんて払えるわけないじゃない!どうすんのよ!」

「弁護士に相談するよ…明日、仕事休んで法テラスに相談に行くよ」


 俺は人生詰んだと思った。人事部の子だったから、この訴訟のことはきっと人事にも伝わっているだろう。刑事事件にならないだけましかもしれないが、そもそも合意だったと思うしラインのやり取りもある。俺は合意だったと堂々と証明できると高をくくっていた。


 しかし、後でラインを見てみると、彼女から最後に来たメッセージは『電話していいですか』というものだった。その後はどうなったか、Lineのやり取りを見ただけではわからない。彼女が暴行されましたと言えばそうなってしまうかもしれない。しかも、その時は避妊具を使わなかった。理由は彼女が外してしまったからだ。


「部長を直に感じたくて…」


 今思うと、そう言って甘えて来た彼女が怖い。

 あの時は目が笑っていなかった気がする。


***


「この、間山くるみって子…私の教え子なんだ」

「え?」

「私が担任の時にクラスでいじめに遭ったって言って学校に来なくなって、でも、ちょっと友達にからかわれただけなのに…ちっちゃいことを大袈裟に…すごく打たれ弱い子だったのよ。周りの子に聞いても普通に仲いいです、って言ってたのに」

 学校の先生なんてこんなもんだろうと俺は思った。妻は教え子に恨まれていたんだ。

「私に仕返しするためにやったのよ!あんた、こんなのに引っかかって!ほんとに馬鹿!」

 妻は声の限りに俺を怒鳴った。そして、襟元をつかんで揺さぶった。

「恨まれてたんだよ。君がいじめを解決できなかったからじゃないのか?この子に謝れば?」

「嫌よ!私は関係ないし!どうやって一億払えってのよ」

「払えるわけないだろ?それに、きっと減額されるよ…だって、休業補償って…まだそんなに経ってないし」

「離婚してやる!」

 妻は金木り声をあげた。

「あんな若い子が、あんたみたいなおじさんとやるわけないじゃない!きっと無理矢理だったんでしょ!」

 もし、一億払わなかったら彼女の機嫌を損ねてしまう。


 きっと、刑事事件になって、俺が強制性向で逮捕されたらニュースに取り上げられるだろう。


 〇〇商事グループに勤務する五十一歳の男が強制性交容疑で逮捕されました…。

 俺の子どもたちは犯罪者の子になってしまうのか。

 妻もそれに気が付いたようだった。


 俺はこの先のことを考えていた。会社はクビか左遷になってしまうだろう。慰謝料を払って全財産を失い、妻とは離婚して、その後は安い給料で働きながら慰謝料と養育費を支払わされる…。俺は奴隷状態で死ぬまで働き続けるしか道はない。もう、心から笑うことは一生ないだろう。


 違う…いいことが一つだけあるじゃないか


 …やっと妻と離婚できる


 やった

 

 俺は自由だ


 俺はようやく重い十字架を下すことができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

年上好き 連喜 @toushikibu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ