汚いアパート
俺は住宅街を歩く。
この住宅街のとあるアパートの一室に内海が住んでいた。
内海は母親と二人暮らしをしていた。
勝利者になってから一度も近づいた事がない。
内海から母親がどんな人か聞いていた。……優しくて正直で……騙されやすい人だ。
内海は腹を切り裂かれた。泣き叫ぶ俺は内海の死を見送る事ができなかった。なぜならゲームが続いていたからだ。
内海の死に目を見ていないが、俺は一片の希望も見出していなかった。
なぜなら内海の傷は致命傷であった。
何度も死んでいく仲間を見ていたら、俺は知らずのうちにその人が助かるかどうか分かるようになった。
内海の死の気配は濃厚だった。確実に死んでしまっただろう。だから、俺は絶対に希望を抱かない。
内海の住んでいたアパートはひどく寂れていた。
築何十年かわからない。まるで廃墟のようであった。
俺はノックをする。部屋の中からがさごそと
物音が聞こえてきた。扉の隙間からけばい女性が俺を覗き込んだ。
「……なによ、勧誘はお断りよ」
「失礼します」
内海の母親であろう女性を無視して俺は部屋の中へと進む。
「ちょっとあんた取り立てかい!? か、金ならもう無いわよ!!」
部屋は凄まじい臭気を放っていた。ゴミが散乱して足の踏み場もない。
貧乏と聞いていたがここまでとは思わなかった。
俺は靴を脱がずに部屋を突き進む。
部屋の中央にある丸いテーブル。その上に飾られている内海の写真……。
俺は内海の写真なんて持っていなかった。今まで接点もない。
内海は写真の中で存在していた。
胸の奥から急速に湧き上がる感情。だけど、今はそれをむりやりしまい込む。
俺はゴミを蹴飛ばしてテーブルの前に座った。
そして、内海が好きと言っていたコーラとグミを写真の前に置く。
「あ、あんた何よ!! け、警察呼ぶわよ!!」
ふと気が付きと写真立ての横には汚れたリボンが置いてあった。
リボンには黒いシミが付いていた。これは、あの島で内海がしていたリボンだ。
……情報は本当だったんだ。死んだプレイヤーは遺族へ遺品と金が送られてくる。
写真の中の内海は笑っていた。
隣にはキレイな女性が立っている。多分母親だろう。
今は見る影もない。
「なによ、あんた被害者の会の人間なの?」
「被害者の会? いや違う。ただの内海の友達だ。……内海に会いに来ただけだ」
俺がそう言うと母親は黙ってしまった。
諦めたような顔の母親がゴミの上に座り込む。
そう言えば匂いに慣れてきた。人が死んだ匂いのほうがもっときつい。
「触ってもいいか」
俺は一応断りを入れてリボンに触れる。母親が断っても触るつもりであった。
リボンはひどく汚れていてごわごわであった。
内海はデスゲームの中、俺に言っていた。
『――私ね、夢があるんだ。高校卒業して就職して素敵な人と出会って結婚して……、普通の暮らしをしてみたいんだ。あっ、私勉強全然して来なかったからちゃんと勉強したいな……』
内海の地頭は良かった。だが、家庭環境がそれを許さなかった。
母親には罪はない、ただの可哀想な人。内海はそう言っていた。
リボンを握ると内海がそこにいるように感じられる。
涙なんて枯れ果てた。俺に悲しむ権利なんてない。
「おい、なんでこんな生活を送っているんだ? お前は内海が死んだ金を受け取っただろ?」
母親は俺が喋ると身体をビクつかせる。……これは日常的に暴力を振るわれていた人間の反応だ。
「……別に怒ってるわけじゃない。俺は内海の友達だったんだ」
「お、お金は……、全部、なくなって……、ひ、被害者の会の人がお金を払ったら娘が帰ってくるって!! 本当は死んでないって!! もう少ししたら娘は帰ってくるのよ!!」
「内海は死んだ。俺をかばって死んだ。だから二度と戻って来ない」
「あ、あんた何言ってるのよ!? そ、そんな事――」
「騙されたって分かっているんだろう?」
内海の母親が唇を噛み締める――子供みたいな人だ……。
俺はそれ以上何も言わなかった。俺は立ち上がる。
すぐにでも立ち去りたかった。こんな内海の肉親を見たくなかった。
何故か足が動かなかった。俺は内海の母親を見つめる。
「――っ……、なあ、おばさん。本当に内海が帰ってくると思うか?」
おばさんが俺を睨みつけた。その眼差しは内海そっくりであった。当たり前だ、母親だからな。
「当たり前よ! あの子は誰がなんて言おうと私の娘だから! ……絶対帰ってくる」
「そうか、なら賭けしよう」
俺は自分の声が震えてないか心配だった。
なんでこんな事を言っているか理解できない。無駄な行動だ。
俺は自分の行動をごまかすように部屋のゴミを片付けながら喋る。
「俺は内海が帰って来ないに賭ける。お前は帰ってくるでいいんだな?」
「な、何言ってるのよ……、帰って来るわよ……」
「ただ、条件がある。お前は誰の手も借りずにただ内海が帰ってくるのを待つだけだ。被害者の会もゲームの運営も誰とも関わるな」
「…………あなた誰なの? なんでそんな事を言うの?」
「無駄な事を喋るな。期間はそうだな、一年間としようか。……まずは参加費をここに置いておく。……もしも内海が帰ってきたら今のお前の惨状を知ったらどう思う?」
俺はカバンに入れてあった金をゴミの上に置く。内海の写真の横にこんな金なんて置けない。
母親は何が起きたかわからないのか、ただ口を開けたまま俺を見つめていた。
「いいか、今すぐ借金を清算しろ、そして部屋を綺麗にしろ。普通の仕事をしろ、見つからないなら俺も探す。いいか、お前は内海が帰ってくる方に賭けたんだ」
「な、何を賭けるのよ……」
「内海が俺に言った最後の言葉を教えてやるよ。それでも内海が帰ってくるって賭けるのか」
死んでいる前提で話しているのに母親はためらいもなく頷く。その目にはさっきまでなかった光が感じられた。
内海の母親が俺の賭けを理解したのか、泣きながら俺ににじり寄ってきた。
風呂に入っていない垢だらけの身体から異臭が漂う。
フケだらけの髪は不衛生だ。
「うぅ、ぅぅ……うぅぅっ、うっぅぅ」
何か俺に喋ろうとしているが、涙で声になっていない。
それに俺に抱きついているから声がくぐもっている。
優しい言葉なんてかけられない。
ただ写真の中の内海が笑いかけているように見えた。
内海の言葉を思い出す――
『私が先に死んじゃったらママに会いに行ってね! 貧乏だけどママの事大好きだったよ、って!』
その言葉はまだ伝えられない。
ずっと伝えれない言葉だ。
……内海、帰って来ないと、お前の言葉が伝わらないぞ。
心に浮かんだ言葉をすぐに打ち消す。俺に情なんていらない。
俺は知らぬ間に内海の母親を抱きしめていた。
――内海が生きてるって希望を抱いている人を見守るくらいはいいだろ?
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