先生


 俺と地味女が並んで歩く。誰かにナイフを向ける。そんな特殊な状況なのに俺の心は何も感じない。

 それにこの地味女はナイフを向けられても心を乱していない。そんなやつが正常な人間であるはずがない。


 頭の中で響いていた生徒会長の叫びはすでに無くなっていた。なんで俺はあんな事を言ったか自分でも理解できない。だが、人の本性をさらけ出すことによって何かの反応が起こりそうだと思ったんだ。


「……ねえ、逃げないからナイフどかして」

「保証がない。これが最善だ」

「あなたの身体能力なら私を殺すのにナイフなんていらない」

「……ナイフが一番手に馴染むんだ」

「そう……」


 俺たちの歩みがゆっくりと変化していく。

 緊張感は感じられない。まるで仲の良い友達同士が歩いているようであった。

 ふいに地味女は髪をかきあげて俺を見つめた。率直な感想としては非常に綺麗な瞳で透き通るような肌の白さであった。

 多分美少女と言っても差し支えないだろう。興味は全くわかない。


「小山内君は生き残った。私は関わりたくない。それじゃあ駄目?」

「ならなんで監視をしていたんだ。さっきの電車だけじゃない。お前は配信を見ている時もプレイヤーを観察しているような素振りを見せていた」


 配信の先から見えるクラスメイトは唯一の日常と繋ぐ糸であった。

 俺たちプレイヤーはそれを見て奮起したり、人の本性を見て嘆いたり――

 こいつは俺たちがゲームで苦しんでいる時も全く顔色を変えていなかった。

 頭の中で記憶がこびりついているんだ。忘れたくても忘れられない、まるで写真のように鮮明に思い出せる。


「……わたしは……ただの地味なクラスメイト」

「俺が相澤という幹部候補を殺した時に窓から見ていただろ。俺が去っていくのを確認したら現場へと移動した」

「なんでそれを――」


 大人が言っていたんだ。全体を俯瞰して見ろって。

 だから俺は全てを把握するように意識を働かせている。

 初めは言っている意味がわからなかった。だけど、あのゲームを通じて段々と俺は成長していった。……皮肉なものだ。あのクソッタレなゲームで自分が成長したなんて。


 地味女は小さくため息をはいた。


「……お前じゃない。わたしは九頭龍玲香くずりゅうれいか。……多分あなたは勘違いしている。私は運営じゃない。……私は……あのゲームの……生き残りよ」






 ***********





「この公式は――――ん、なんだかお前たち静かになったな! 先生は嬉しいぞ! このまま真面目に授業を受けて受験頑張ってくれ!」


 俺が提案したゲームがそろそろ終わりを迎えようとしている。

 生徒たちは俺と喋らなければいいだけなのに無駄に静かになってしまう。

 思えば過去の俺はクラスの中心にいた。

 常に誰かと話している思い出がある。


 俺は大学に行くつもりがない。元々貧困の家庭に生まれ育った俺はすぐに働くつもりであった。

 貧乏でも優しい家族の元で育った俺は幸せ……だった。

 そんな両親は今はいない。失踪という事になっているが……。


 ただ、あの最後のショッピングセンターで一緒にいたはずの両親はゲームに参加していなかった。いや、もしかしたら参加していたのか? 俺が知らない所で死んでしまったのか?


 俺はこの問題を後回しに考えていた。

 それよりも、今はあの地味女のことだ。


『私は前のゲームで死にかけたけど……、幹部救済措置によって助けられた存在。あなたみたいな勝利者とは違う』


 思えばゲームに負けてプレイヤーが目の前で殺される場合と、どこかへ連れ去って処分する場合があった。

 俺は幼馴染の最後を確認していない。確かに俺はナイフを胸に刺した。致命の一撃だと思った。……妙な感触がしたが、確実に死んだと思った。

 ……多分生きているんだろうな。幼馴染は天才的な知略でゲームの盤上を支配していた。

 段々と俺たちを見下すようになった時の目が忘れられない。そんな有能なプレイヤーを運営側にしない理由がない。


『私は次のゲームに参加してプレイヤーを先導する予定』


 九頭竜の綺麗な目は空虚であった。だが、瞳の奥で復讐の炎が燃えているようにも見える。


『わたしは……あいつらに復讐をしたくて……、私の大切なわんこを……』


 九頭龍が犬の名前を言った時、少しだけ感情というものが流れてきた。

 多分嘘ではないだろう。

 それっきり俺たちは無言のまま教室へと向かったんだ。

 生徒たちの奇異の目を受けながら。


 ほんの少しだけ同情できる部分もある。だが、言葉が全て正しいとは限らない。

 俺は放課後に話を聞く約束を取り付けて、朝の話は終わった。



「受験か〜、先生、懐かしいよ。ちゃんと勉強しないと大変な事になるからな〜。いいか、勉強して大学へ行って良い所に就職して――、じゃないとこうなるぞ」


 先生はおもむろに大きなタブレットを取り出した。

 暗い画面が明るくなって映像が流れる。生徒たちはいきなりのことで息を飲む

 嫌な空気感が流れる。

 先生は普段通りの笑顔だが……、目には狂気が浮かんでいた。


 画面に映し出されていたのは――


『――た、隆史? あ、あんた優勝しちゃったの!? な、なんで死ななかったのよ!?』

『くそっ! とんだクズ息子だ!! せっかくお前を売った金で豪遊していたのに――』


 廃工場で身体を縛られて拘束された両親であった。


『ね、ねえ、も、もう借金はないでしょ!? は、早く家に帰らせてよ!!』


 暗がりに誰かがいた。忘れられない制服姿……それは将校のものであった。


『あん? ゲームの結果だと? た、確かに隆史が死ななかったら罰ゲームがどうこう言ってたがそんなもん知らん!』

『絶対死ぬと思うでしょ!! あんなバカ息子は!』


 ただ事実だけを取り出す。

 両親は俺を運営に売った。そして金を得た。俺が生き残らない事を条件に……。

 そして俺が生き残った。


『隆史……、最後まで俺たちに迷惑かけやがって……』

『ね、ねえ、運営さん、わ、私たちもっと役立つから……、どうか――』


 思えば家には多大な借金があった。両親はギャンブル狂いであった。

 それでも、勝った日には俺に優しかった。

 しつけと称して殴られる事もあった。お給料が上がったといって俺にお小遣いをくれる時もあった。

 だから幸せだと思いこんでいた。


 たとえ両親の一部分しか見ていなかったとしても。


 先生がニヤニヤと俺を見ている。


「誰の親だか知らないが、受験に失敗するとこうなるから気をつけろよ!」


 俺は空虚な心で立ち上がった。


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