緋色のファムファタール

スギモトトオル

本文

ごうん、ごうん、ごうん――


 頭上を通る巨大な飛空邸の音で、目を覚ました。

 何度目の目覚めだろう。

 はじめての呼吸が草いきれの匂いを肺一杯に吸い込ませる。

 たったいま産まれたばかりだというのに、なぜ、何度目か、などという疑問が浮かんだのだろう。


ごうん、ごうん、ごうん――


 花園に寝そべったまま見上げる空は飛空邸の腹で隠されている。灰色の天蓋のように大きなその底面には、金に縁どられた盾形の紋章が刻まれている。

 怪物の唸り声のように響くのは、浮力制御機関を駆動するエンジンの音だ。その向こうには、白く煙った空が地平線との間に挟まれて細く見えるのみ。

 空は高級品だ。上流貴族になって、あの飛空邸のように上空に邸宅を構えるか、街で成り上がって下級貴族になって郊外に居を構えるかしないと、まともに空を仰ぐ権利を享受することは、この社会では難しい。

 がさ、がさ、と赤いダリアをかき分けて近づく音が聞こえる。視界に割り込むように、眼鏡をかけた若い男が顔を出した。

「やあ、目覚めたね。そろそろ完熟するころだと思っていたよ」

 金髪を後ろにくくり、白いシャツにループタイを掛けたその男が、花と花の間から手を差し伸べている。

「ほら、おいで。起き上がれるだろう?」

 男の手を握り、ゆっくりと体を起こす。ぷち、ぷち、と細い根が背中から離れる感触がする。そのたびに、”全体”としての私の意識が少しずつちぎれていくのを感じる。

「よっと。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」

 私の裸の体を抱くように、背中を支えながら男が手を伸ばして、緋色の髪を横によける。腰の上くらいで鋏が動かされた。

 ぶつっ、と電流が流れるような衝撃を伴って、私は”全体”から完全に切り離された。

 痛みは無く、広く拡散していた全身の感覚が収斂して意識の密度が急激に増していくような瞬間があった。私はもう一度目覚めたように、眼を瞬いた。

「ごめんね」

 私の体を抱いたまま、男は謝った。茎を鋏で切ったことに対する言葉かと思ったが、続く言葉は違う。

「これで、君はこの群体の花から切り離されて、個体としての生を獲得した。それは、君自身に生と死を押し付ける、僕の身勝手な行いだ。恨んでくれてかまわない」

「私は、生まれたのですね」

 私は、彼の肩をそっと抱き返した。シャツの下の華奢な体は小刻みに震えていた。優しい人。

「あなた個人の意志ではないはずです。この社会というシステムがあり、その流れに従っただけ。これまでだって、そうだったのでしょう?」

 私はすべてを知っている。この場で何度となく”私”が産み出されてきたことを。何度となく出会い、この腕に抱かれたことを。いまだって、つい先ほどまで”私”でもあった赤い花々は物言わずに周囲で風に揺れている。

 ホムンクルスは赤い花より生まれ出る。その群体の一部として育ち、切り離されることによって、個体として生を受ける。

 何度となく繰り返されてきた、出会いと別れ。その記憶と業に堪えられなくて、私の腕の中の人は震えているのだ。

 ホムンクルスの生産師。その生業で生きていくには、この人はいかにも優しすぎる。

「大丈夫。大丈夫ですから」

 そっと、流れるような金髪を撫でて、私はその人の頬を伝う涙に親愛の口づけをした。


****


「君をお求めなのは、ジーア伯領の当主アベル様だ」

 生産師クリオは、籐の椅子に座った私にそう告げた。彼は私の背後に回り、緋色の髪を丁寧にブラシで梳いてくれている。

「”花園”からも見ただろう、空を覆う飛空邸をさ。かの人はカシム皇子の戴冠式に出席するため、2週間ほどこの辺りに駐留される」

 ここは彼の屋敷の広い脱衣所。湯浴みで清めたばかりの私の肢体は、真新しいタオルで丁寧に拭き取られはしたが、まだ残った水分でしっとりとしている。

「その間に、君に必要な知識を仕込んで、伯へお渡しするわけさ」

 淡々とした調子ながらも、どこか楽しそうだ。先ほどはあれほど悲しげに泣いていたというのに。

「腰の傷痕も、大丈夫。三日か四日もすれば元通り、というか何もなかったように綺麗に消えてしまうよ」

 腰に手を回すと、クリオが鋏で切った残りのヘタが少し飛び出ている。これも、かさぶたのように取れるんだろうか。

 クリオの太い指が、むき出しの肩に触れた。

「君たちは、いや、君は、僕らとは違う存在だ。姿こそ人間によく似ているが、そういう風に造られているからに過ぎない」

 喋りながら正面に回り込んで、かがんで私と顔の高さを合わせる。緑色の瞳が私をのぞき込んだ。

「”花園”の君の産まれたベッドに繋がれた沢山のチューブを見たろ?ああやって、いろんな特殊な材料を遠くから運んでこなきゃ、造れないのさ」

 クリオは自嘲的な笑みを浮かべた。

「人間なんて、そんなものさ。神に近づくだなんて宣いながら、結局は自分達の都合で生み出した命を好き勝手に弄んでいる」

「だけど、あなたはまた私を造ったのですね」

 間近にあるその顔に手を伸ばし、そっと頬に触れた。緑の瞳が少し揺れるのを見た。

「金が欲しかったからさ。生きるためだ」

「だとしても、私に”私”を与えてくれたのは、あなただわ」

「よしてくれ」

 クリオの顔が歪む。指先を通して、筋肉のこわばりを感じた。

「やさしいひと。私のことを憐れんでいるのね」

「自己憐憫みたいなもんさ。自らの愚かしさを君たちに映して気持ちを整理しようとしている。卑怯なやつだよ」

「あなたは私を対等に扱ってくれる」

「分別がついていないだけだ。君たちに市民権が与えられないことも分かってるのに。ホムンクルスの扱い方も心得ていない生産師なんて、お笑い種にもならない」

「沢山の別れに疲れてしまったのね」

 とても優しくて、感じやすい人。

「やめてくれ」

 クリオはいよいよ顔をそむけると、苦しそうに呻いた。過去の私を思って歪むその表情は、苦くも甘くもあった。

「すまん、もう大丈夫。やめよう、こんな話は。そう、別の話をしよう」

 務めて声色を明るくしたクリオが、私の肩から手を離して、立ち上がる。

「君が貰われていく予定のジーア伯だけど、非常に紳士的なお方だ。ホムンクルスの扱いもよく心得ている。お抱えのウォーレン男爵という非常に高名な研究者の方がいてね。実質的にはその方のところへ行くことになる訳だけど、彼の研究所はすごいよ。僕も一度見たことがあるけれど、あんな設備は僕が逆立ちしたって、いや、国内のどんな研究者だって生涯に得ることは出来ないだろうさ」

 列伝の英雄でも語るようにその科学者を語るクリオの顔を、私は笑みを浮かべて見ていた。


****


暗い部屋。僅かなろうそくの灯りしかない。


あの日からもう、何日も見慣れた顔が、その赤い灯りの中に浮かんでいる。


身じろいだその汗ばんだ腕に、そっと触れた。


「初めて会った時、あなたは泣いていましたね」


「涙もろいんだ。特に君の、君たちの辿る道を思うと」


「これだけ多くの出会いを重ねても、ですか」


「出会えば出会うほど、別れれば別れるほどに悲しみは増えていく」


「悲しい人。優しい人。あなたの元で産み出されて良かった」


「笑うかい?軽蔑するかい?娘にも同然の君たちに、こうして触れずにいられない僕を」


「人間は愚かなものです。あなたもまた、人の子だというだけのこと」


「いつからだか、耐えられなくなったんだ。君たちを生み、育て、手放すだけの繰り返しに。耐えられなかったんだ。何かを刻み付けずにはいられなかった……」


「愛情とはそういうものです。そうと分かっていても、誰かを傷つけずにはいられない。あなたは自らを傷つけるのね。その傷だらけの心が、私には愛おしい」


「それだって、その体に混ぜた血のせいで感じる感情さ」


「愛情が血のせいだったとしても、触れられる相手を選ぶのは、女の意志です」


息をのむ音。


「違いますか?」


「君は…………」


****


ごうん、ごうん、ごうん――


 連絡艇から降り、ジーア伯の飛空邸の発着場に立った二人は、警備兵に迎えられた。

 緋髪のホムンクルスはジーア伯より贈られた衣装で、クリオの隣に静かに立っている。

 大きなケープのようなホムンクルスの礼装は、体の曲線を隠し、さらに頭に掛けた黒いヴェールで顔すらも隠している。

 それは、人間性を否定し、人と人造人間とを分け隔てるための印だ。この国でのホムンクルスの正式な扱い方でもある。

 ただ、その背中に流れる緋色の美しい髪だけが、隠しようのない、匂い立つような色香の輝きを放っていた。

「クリオ・ファンダニル上級研究員か」

 肩に憲章を飾った警備長が現れ、問うてくる。

「は、いかにも。ジーア伯アベル様のお呼び立てに応じ、ただいま参上しました」

 片腕を胸の高さで横にし、首を垂れるクリオ。

 警備長は頷いた。

「よし、通れ。奥の間で伯がお待ちだ」

「その必要はないよ。ここで結構だ」

 奥から、数人を引き連れて初老の男が歩いて現れた。ジーア伯だ。警備長は慌てて脇へ退く。

「やあ、クリオくん。久しぶりだね」

「はい。前回の納品以来になります」

「そうだな、あれからずいぶん経った。前回のホムンクルスも元気にしているよ。ラボに寄っていくかね」

「いえ、ありがたいお誘いですが、結構でございます」

 クリオが伏し目がちに答える。ジーア伯は小さく鼻を鳴らし、

「それで、それが今回の品物かな」

「はい。伯より賜りました召し物にて連れて参りました」

 ジーア伯は「うむ」と頷いて、ゆっくりとホムンクルスの前まで歩を進めた。

 無造作に顔のヴェールを捲り上げ、ホムンクルスの素顔と対面する。

 静かなざわめきが発着場を波打たせた。だがジーア伯は気にすることなく、目を眇めてその端正な少女の相貌を確認した。

「さすがの出来だな」

「は、恐れ入ります」

「君の造るホムンクルスは、何故だろうな、色が違う。この瞳に宿す”色”が」

 ジーア伯はホムンクルスの顎に指をあて、小さく持ち上げる。

「うん、いくつも見てきたが、この複雑さを湛えた眼を持つのは他に類を見ない」

 そこで言葉を切り、ホムンクルスからクリオに視線を移してうすら微笑む。

「いったい、どんな魔法を使っているのだろうね」

「……恐れながら、ホムンクルスの製法については、機密事項とさせていただきたく」

「ふふ、分かっているよ。無理に訊いたりはしないさ」

 ヴェールをもとに戻し、何ごともなかったかのように振り返って離れていった。

「ウォーレン、今回もいいのが来ているぞ。しっかり役立てろ」

「はっ」

 後ろに控えていたうちの一人が短く返事を返す。ジーア伯お抱えの研究者、ウォーレン男爵だ。クリオとはまるで格が違うレベルの研究者で、ジーア伯領は彼の研究成果でかなりの利益を上げている。

 緋髪のホムンクルスを見て、ウォーレン男爵がついて来るよう顎で示した。

「来い。ホムンクルスは私が貰い受ける」

「はい」

 ホムンクルスは返事をして三歩ほど踏み出し、そこでぴた、と止まってしまった。

「どうした。ウォーレン様へ付いていくんだ」

 クリオは怪訝な顔をしながら小声で催促したが、ホムンクルスはくるりとクリオの方を向いた。

 じっとクリオの顔を仰いだまま、無言のホムンクルス。

 その視線は、黒いヴェールに遮られて隠されている。

 ヴェールの下で、ホムンクルスの唇が動いた。

 その時、突風が吹き、クリオは思わず目を瞑り顔を覆った。再び目を開くと、ホムンクルスは既に歩き出していて、ウォーレン男爵の元へ迎えられるところだった。

「あ……」

 思わず手を伸ばそうとして、口を開いたが、そのまま言葉にならず、立ちすくむ。

 遠ざかっていく、風になびく緋色の髪。何度も見た光景だ。

「クリオ・ファンダニル上級研究員、もう帰って良い」

 警備兵にそう声をかけられ、やっと我に返った。連絡艇は既に客室の扉を開いて、クリオが乗り込むのを待っている。


****


 扉が閉じると、すぐに連絡艇は飛び上がった。離れていくジーア伯の飛空邸。小さくなっていく緋色の人影。

 何度も経験していることなのに。これからも続いていくことなのに。

 僕はその緋色から目を離すことが出来なかった。

 きっと、また繰り返すのだろう。何度も、何度でも。

 己の罪と業を分かっていながら、堕ちていくのを自覚しながら。

 赤く、美しい微睡みへと。


〈了〉

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