第17話 引き金の重さ

 ミレイナが暴れている裏で、ヘリクは密かに行動を開始していた。

 彼は敵がトラックの扉の前にいないことを確認すると、ここぞと言わんばかりに車内から飛び出した。

 銃声が鳴り響いている。ミレイナの戦闘によるものだろう。喉から搾り出される歩兵の断末魔がヘリクの精神を毒のように蝕む。

 彼は戦闘が行われている場所を大きく回るように避けながら走り、その奥で密集している人々の元まで辿り着く。周囲に敵の影はない。ミレイナ達の銃の射程的に、村の人々をここに留まらせておくのは危険だ。

 ヘリクは彼らに対して叫ぶ。


「ここは危険だ! みんな遮蔽物の影に隠れて! 速く!」


 村の人々に迅速な行動を促す。彼らはヘリクの声を聞くとすぐに立ち上がり、各々すぐ側にある建物の裏へと動き出す。

 そんな彼らを流れ弾から守るために自身を盾にしながら避難経路を手で誘導するヘリク。背後では未だに銃撃戦が続いている。その最中、背後から飛んできた流れ弾が彼の頬を掠った。


「イッ!」


 頬を抑える。血が浮き出しているのが分かる。

 熱い。

 痛い。

 怖い。

 でも、


「こんなもので……!」


 怯んでたまるものか。人を救う為に選んだ道だ。なんともないさ。

 恐怖と痛みを必死に噛み殺し、何事もなかったかのように誘導を続ける。

 しかしそんな中、微かだが背後で声が聞こえた。


「ダメだ、あの女止まらない……化け物だ!」


「村の奴を人質にしろ! あいつら多分アスオスだ! 村人の為なら命惜しまない奴らだ、それでどうにかなるかもしれない!」


 ほんの少しの会話。しかし対してヘリクは明らかな動揺を見せた。


「人質……だって?」


 ヘリクは急いで背後を振り返った。そこには奥にいるミレイナに対して銃撃を行う歩兵がいた。必死に雄叫びを上げながら彼女を仕留めようと引き金を引いている。


 ————だが、そこには1人しかいなかった。


 まさかと思い、ヘリクは辺りを見回した。瞼を全力で開き、歩兵の姿を探す。どこに……一体どこに⁈

 瞳を動かし急いで捜索すると、視界の端に2つの人影が映った。

 建物のない開けた場所。そこでは1人の少年が泣きながらしゃがんでいた。みんな慌てて逃げ出したので付いて行くのが遅れたのだろうか。

 そんな少年に近づく銃器を武装する男。間違いない、先程背後にいた歩兵だ。


「マズい!」


 このままではあの少年が人質になってしまう。そうなってしまえば少年の命も、ミレイナの命も危険になる。

 そう思ったヘリクは走り出す。しかし瞬時にこの距離ではもう間に合わないと確信する。たとえ辿り着けたとしても、彼の持つ銃に撃ち殺されて終わりだ。


 ならどうする? 今自分には何ができる? この距離から、少年を救う手立てはないのか? 

 コンマ秒の世界でヘリクは考える。考えて考えて考えて、手段の欠片を探す。

 —————そして、見つける。いや、その方法から目を背けていたという表現の方が正確だ。

 一つだけ。最低で最悪で、されど最も確実で、ヘリク自身が最も避けていた唯一の解決策がある。


 自然と、ヘリクの手が腰にあるを握った。猛暑の中だというのに、その表面は冷んやりと冷たい。

 そして、握られた銃は非力な腕によってホルスターから引き抜かれ、その銃口を正面へ。対象は—————前方の歩兵であった。


 “これしかない”

 そう頭が体に言っている。だがその動作は非常に鈍い。

 頭では理解していた。これが最善策だ、最も少年を救う可能性が高いのだ、と。


「—————」


 引き金に触れる人差し指に力が入る。セーフティーは既に解除済みだ。照準はヘリクが思っていた以上に定めやすかった。


 いける。


 確信する。これで少年は救えると。この指の動作1つで、人の命1つを救えると。なんて効率的で合理的で、単純なんだ……


 —————けれど心と体が許さなかった。その行いを。人殺しという名の行為そのものを。


「ダメだ」


 ここでヘリクは考えてしまった。

 もし、自分がこの引き金を引いたら、その後はどうなるのか?


 僕はどうなる? 人殺しのレッテルを貼られ、人でなしと化す。

 少年はどうなる? 目の前で血が弾ける光景を目撃し、精神に傷を負う。

 そして、あの歩兵はどうなる? 死ぬ。確実に死ぬ。生命活動が止まり、彼の時間は無に帰す。

 それだけじゃない。その家族は? 友人は? 恋人は? どんなことになる?


「ダメだ」


 考えれば考える程、その引き金は重くなる。この重さは命の重さであり、罪の重さでもある。

 何が効率で合理で単純だ? 考え直してみろ。それだけで、たったそれだけで命を1つ殺せる。その人の人生を終わらせるってことだぞ。そんなこと————僕に、できるわけが……


 しかしヘリクが迷っていても時間は止まらない。容赦なくどんどんと進んでいく。


 —————でも撃たなきゃ。撃たなきゃあの子だって危険だ。それはミレイナの危険にも繋がるんだ!


 覚悟を無理矢理振り切って、引き金に力を掛ける。

 けれど重かった。まるで銃身と引き金が一体化してるみたいに、ピクリともしない。


 —————なんで! この状況でも、なんで僕は迷ってるんだよ!


 心の中で叫んでも叫んでも引き金は動かない。これしかないことを分かってはいるのに、理念や尊厳が邪魔をしてくる。分かってるのに—————分かってるのに!


 “いや、お前はお前の戦いをすればいい。もはや強要はしない。だが、もしその引き金で罪のない人が1人でも助かるなら、覚悟を決めろ“


 ユウの言葉がヘリクの中で再生される。


 —————分かってんだよ……分かってんだよ……分かってんだよ! だから、だから……!


 引き金に本当の力がこもる。そして—————


「—————僕に、撃たせないでくれぇ!!!」


 引き金が、引かれる—————









 —————その瞬間。歩兵が少年に到達し、ヘリクが引き金を引くその刹那、歩兵の頭上から、巨大な刃先が雷のように落ちてきた。

 刃は歩兵の体を的確に捕らえると、その刀身で突き刺すよう押し潰し、死体を地面の中に押し入れた。噴き出る血液。その血が放心状態の少年の頬に飛び散り、刀身をも赤く染める。


 その光景を見たヘリクは、力の抜けた腕をダラリと下ろし、銃を地面に落とす。そして、視線を埋まった死体の上へと上げる。

 そこには、太刀を地面に向けて突き刺す無名の姿があった。


「あ————」


 腑抜けた声がヘリクから漏れた。


 銃声が止む。どうやらミレイナの戦闘も終わったらしい。

 訪れる静寂。勝利を喜ぶこともなく、ただただ静かになった。

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