第25話 生還者
暗い夜に胸騒ぎがしたのを憶えている。
俺はすぐに、その正体を知ることとなった。
簡素な病室のベッド上で、時間を持て余す。体を動かすことも、外出するにも許可がいる。借りてきた小説を眺めてはみても、文字の連なりは物語になり得なかった。このままだと暇に殺されそうだ。
不意に扉が叩かれる。返事をする間もなく、客人が姿を見せた。
「やあ、アンジー。調子はどうだい?」
銀髪の女性が、軽薄な調子で声をかけてくる。
「わざわざあなたが来るなんて、どういう風の吹き回しですか?」
「部下の様子を見に来るのも、上司の役目だよ。……ほら、お見舞いもあるぞ」
籠にリンゴが盛られている。赤く艶のある果実は、味気ない病院食にない甘味を想起させる。自然に涎が滲み出る。
「リンゴで良かったみたいだね」
そう言って、彼女はベッドの横に座ると、取り出したナイフでリンゴを剥き始める。
「そこまでして頂かなくとも……自分でやれますから」
「うん? 私にリンゴを剥いてもらえるなんて、一生ないかもしれんぞ?」
滑るように、赤い皮を削いでいく。刃物を扱う指は繊細だ。白の革手袋に包まれた細い指は、軍人のそれとは造形が違うように見える。しかし、その手が幾つもの命を屠ってきたことは、紛れもない事実だった。
彼女が……イリス大佐が見舞いというだけで訪ねてきたとは考えにくい。
「……大佐、俺はもうとっくに回復してます。原隊復帰させて下さい」
「そう話を焦るなよ。今日はそのことで話をしにきたんだ」
彼女は母親のように嗜める。階級に差はあれど、歳はそう変わらないはずだろうに。少将は剥き終えたリンゴを差し出した。手で取ろうとしたが、嗜められる。
「口を開けたまえ」
俺は口を開けて、リンゴが放り込まれるのを待った。餌を待つ幼鳥のようで、恥ずかしさが体温を上げる。一方で、彼女は満足げであった。
そのまま、大佐が話を続ける。
「これは極秘の話だが、昨夜、フェアリエへ向かう斥候部隊が壊滅したとの報告が入った」
フェアリエ王国。俺たちが特殊作戦で侵入した小国。そこでジャックは殉死し、俺はマギアを失った。
「それが奇妙な話でね。逃げ帰った兵士たちが口々に言ったそうなんだ。……『怪物が出た』って」
大佐は、なぜか耳元に顔を近づけて囁く。しかも嬉しそうに口を吊り上げて。人に聞かれたくない話だからだろうが、わざとらしい。俺は平静を保ちつつ、その声に耳を傾ける。
「錯乱した脱走兵の戯言と思っていたが、後続の部隊が現場に出向いてみれば、リュウツ街道の集積所には戦略物資の燃えカスとマギアの残骸が転がっていたらしい」
「敵は大部隊で攻めてきた——という、ありきたりな話ではなさそうですね」
「いい読みだ。私のことがよくわかってきたな」
そういうつもりはない。
「斥候部隊のマギアは全て撃破されていた。配備された全12機の半数は徹甲弾で撃ち抜かれるか、爆破に巻き込まれたものだった。残りの半数は、叩き潰されていた」
「叩き潰す?」
彼女が懐から何枚かの写真を取り出す。写し取られたものは、無惨に引き裂かれた、原形を失いスクラップと成り果てたマギアであった。それらはティタニア製の“ヨトゥン”で間違いない。
「これは現場で撮られた写真だ。何か棒状のものを、力任せに叩きつけたような壊され方だろう。丈夫が自慢の“ヨトゥン”が酷い有様だ。……不意打ちに1機、というなら納得できないでもない。だが、足跡から見るに、同一のマギアが正面からやってのけている」
「信じがたい話です」
「常識に照らせばな。そういう時は想像力を働かせるのさ。君ならどう考える?」
無茶振りだ。一応、部下として上司のかわいがりに応える
所属不明のマギア。正面から砲撃を浴びて、装甲の欠片すら残さない強靭さ。たった1機で複数のマギアを撃破する制圧力。いくら技術の進歩が目覚ましくとも、これほどの飛躍は考えにくい。怪物は……現在ではなく、過去からやってきた。
「……フェアリエで遭遇した正体不明のマギアなら可能です。アイツなら、やりかねない」
「つまり君の見たものは、エーテルが見せた幻覚ではなかったと?」
「あくまで想像の話です」
過去から這い出てきた怪物は、ジャックの自爆に巻き込まれた。それが記憶にある最後の光景だった。マギアごと吹き飛んだ俺もエーテルを大量に浴びて、幻覚の世界を渡り歩いた。ティタニアへどうやって帰還したのか、記憶が抜け落ちていてわからないでいる。……本当に、ツイているとしか言いようがない。
「報告書ではエーテルの爆発をくらったとあった。それでも、その怪物は健在だと思うか?」
「確証はありません。俺が生きてるなら、アイツも生きているかもしれないってだけです」
「なるほど」
大佐はリンゴを一口頬張ると、なにやら考え込む。彼女が次に沈黙を破るのを待つ。
「ジャック大尉は優秀な兵士だった。彼の殉死と、君の生還には代え難い価値がある。……私は君の想像に賭けてみようと思っている」
「怪物の正体が、フェアリエのマギアだと考えるのですね? ……自分で言うのもなんですが、自信はないですよ?」
「最初は直感でもいいのさ。君には不明マギアの正体を暴いてもらいたい。——と言うわけで、明日から原隊復帰だ。おめでとう」
……最初から、これが大佐の狙いであったように思う。実際に遭遇し、上官を失った帰還兵。存在が疑わしい化け物を追うには、もってこいの猟犬だろう。例え、彼女の手のひらの上であろうとも、ヤツに近づけるのなら犬だろうがかまわない。
「君に伝えたかったことは以上だ。私はそろそろ失礼するよ」
大佐がベッドから腰を上げて、俺を見下ろす。
「明日、いつもの場所で待っている。寝坊するなよ」
そう言って、彼女は病室を去った。最後まで子供扱いか……出来のいい姉がいると、色々と大変だ。
赤いリンゴを籠から1玉掴む。脂を塗ったような表面に、薄ら顔が浮かぶ。無気力な様相は去り、顔つきに生気が戻ってきている。その赤い表面を無造作に齧る。甘い。
キュクロプス隊のメンバーとして怪物を追う。今はその使命に縋って、自身の命を繋ごうと思う。
マギアオーダー ワビサビ/07 @name_take
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