第24話 月の眠る夜に(3)
仲間のアリが敵の手に落ちた。どうして、という疑問がよぎる。それを考えることに意味はない。彼を救出するか、見捨てるか。私たちは選択を迫られている。
『今から5秒数える内に武装解除しろ。さもなければ、この男が死ぬ』
「5秒数えるまでに武装解除しろと言っています」
私はティタニアの言葉がわかるので、訳して部隊に伝える。決定権があるのは、軍曹だが彼は今、コックピットの中で気絶している。規定に則って、次点に階級の高いジーナ伍長に決断が委ねられる。
「……こちらの正体がバレることは、何としても避けないといけない。アリには悪いけれど……見捨てるわ」
「そんな……」
「しょうがねえ。助けに行ったら蜂の巣だ」
伍長とニック上等は犠牲を選んだ。私が戸惑っている間にも、すでにカウントが終わろうとしていた。
『3…2…1…。時間切れだ、恨むならお前の味方を恨めよ』
グシャ。
気味の悪い音がした。マギアに握られたアリの口から、血がゴポゴポと溢れている。なんの躊躇もなかった。敵は変わり果てた彼をゴミのように地面へ放った。彼はもう動かない。
私は横たわるアリだったモノから目が離せなくなった。ドクドクと心臓の音が、鼓膜を揺らし始める。
——ヴォン!!
何かが風を切る音がする。アリを握りつぶしたマギアを見ると、胴体から棒のようなモノが突き出ている。あんなものはさっきまでなかった。アレには見覚えがある。……オーベロンの剣だ。
今、私はアレを敵に投げたんだった。考えるよりも先に身体が動いていた。理性よりも先に
オーベロンが敵を目掛けて疾走する。
「クローバー、何をしているの!?」
「おい! 気でも触れたのか!?」
二人の声が意識から遠のいていく。燃え盛る集積所へと飛び込み、炎を押し退けて走り続ける。オーベロンの剣が刺さったマギアの両脇に2体のマギアがいる。敵の砲口がこちらを捉えた。……構うものか。
さらに速度を上げて接敵する。距離が近づくほど、当然に被弾率は上がる。
——ガァン!!
衝撃がコックピットに響き渡る。
〈胸部に被弾、損傷軽微〉
オーベロンは狂ったパイロットを軽蔑するかのように、無機質な声で告げる。
〈左腕被弾、頭部被弾……損傷軽微〉
ぬらりと血かオイルか定かではない液体が垂れる。……さっきまで砲口を向けていた敵は、
「潰れろ」
——ゴォン!!
振り上げた剣を力任せにマギアへと振り下ろした。刃のない剣は歪な音をたてて肩に食い込み、コックピットのあたりで止まった。
赤褐色の分厚い装甲がひしゃげて、コア部分が露出する。その下に座っているであろうパイロットは自分の鎧に押しつぶされただろうか。
動かなくなったマギアから剣を引き抜き、もう1体を視界に捉える。あの見開かれたカメラアイには恐怖の色が滲んでいるようだ。
〈胸部被弾、損傷軽微〉
剣の腹をかざして弾除けにする。狂乱した様子の敵は、やがて弾を打ち尽くした。再び敵の前に立ち、その腹へと剣を横薙ぎに振るう。
——バキィ!!
敵の胴体は左腕と共に、易々と二つに別れた。装甲の内側が礫となって辺りに飛び散る。残された足はその場に崩れ落ち、上半身が力無く転がる。
〈敵機の生体反応……反応なし〉
オーベロンは淡々と告げる。まだ何処かに敵がいるはずだ。
「クローバー、止まれ! 撤退しろ!」
伍長が無線越しに叫んでいる。だが、それをオーベロンの声がかき消す。
〈エーテル反応を検知。敵機と推測〉
敵。その言葉が条件反射のように、私を駆り立てる。モニターにはオーベロンが拾った情報が表示されている。エーテルの反応を表した点が、こちらから離れていく。
……まさか、逃げているのか?
「オーベロン。敵に追いつける?」
〈コア出力上昇後、20秒で追撃可能〉
「わかった、やって」
フットペダルを踏み込み、離れていく反応を追いかける。走る最中、頭上からエーテルコアの唸りが大きくなっていく。
〈コア出力上昇中。稼働率70%…71…〉
コアの唸りと共に、景色の流れが早まっていく。時速を表すメーターが上昇を続けている。120という数値を超えてなお、留まる様子がない。
敵の反応との距離が縮まる。あと少しで追いつける。……視界に何かがちらつき始めた。いや、視界というより頭の中? もう幻覚が見え始めているのか?
かまわずに走り続ける。もう敵の背中が見えている。――その時、またしても視界が白く染まった。これは幻覚じゃない。曳光弾の光だ。
――ガァン!!
突然、衝撃が走る。
〈胸部及び脚部に被弾。衝撃に備えよ〉
オーベロンの警告の直後、天地がひっくり返る。水流に飲まれたかのように上下感覚を失っていく。速度がゼロになると、胃の内容物が吐き出される。
〈コンディションチェック完了。戦闘継続に支障なし〉
早く立てと言わんばかりにオーベロンは促す。そこに、砲声と共に衝撃がなだれ込んでくる。見上げると、幾つもの火花が弾けては砲弾を吐き出している。
——これは待ち伏せだ。敵は逃げると見せかけて、私を誘い込んでいたのか。敵のマギアは逃げていた数よりも多くなっている。
「オーベロン、コアの出力を上げて!」
操縦桿を押し込み、立ちあがる。
〈了解。コア出力、再上昇開始〉
——ウォオオオオ……
コアの唸りがより甲高く、それは獣の叫びかのように鼓膜を揺らす。頭の中の幻覚が、その輪郭を確かなものにしようとしている。黒い円……のようなモノが現実の上に、薄らと重なっていく。
違う、これは円じゃない。空洞だ。大きな空洞が私を見ている。
空洞から何かが聞こえてくる。
——ティタニアを許さない。私たちを生き埋めにした奴らを許さない。裏切り者を許さない。お前を許さない……。
か細い声で唱えられた呪詛が、空洞の中から聞こえてくる。風が鳴くように。誰かがあの暗い底にいる。声の主は1人ではない。そこにいるのは……彼女たちなのか?
〈パイロット、エーテルへの干渉を開始。異能器官の覚醒を確認したため、第2シーケンスに移行する〉
呪詛と無機質な声が入り混じる。背中が……ひりつく。
私は呪詛の主が命じるままに、憎悪の矛先を視界に捉える。剣を握り、天に掲げる。それを敵が動かなくなるまで振り下ろせと、そう言っている。空洞は私がそうする瞬間を、待ち遠しそうに見ている。
それからは無我夢中に剣を叩きつけた。敵の形が分からなくなって、いなくなるまで。空洞は何も言わずに、怒りが実を結ぶ様をじっと見つめていた。
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