第17話 洞穴のお茶会

 音を立てないように、そーっとカップを皿に戻す。カップの持ち手は繊細で、折れてしまわないかと気が気でない。揺れる琥珀色の水面は、私の心情をよく表している。一口含んだ紅茶の味は忘れてしまった。


 王女様とのお茶会――といっても、ただ紅茶があるだけの簡単なもの――が開かれてからというもの、私の脳は作法に関するなけなしの知識を、必死に掘り起こしていた。


 思えば身体の水分を、真水と酒で補ってきた人生だった。"紅茶を楽しむ"という行為は、私に文化とそれに馴染まない人間がいることを教えてくれる。


「さ、遠慮せずに頂いてください。おかわりもありますので」

「ありがとうございます」


 柔和な笑顔に対して、顔を引きつらせて感謝を述べる。この場合、額面通りに受けるべきか、それとも裏を読んで遠慮すべきか……。


「もしかして、紅茶はお気に召しませんか?」

「えっ!?」


 不自然な仕草は遠慮というより、不満げに見えたのかもしれない。私は慌ててカップを取り上げて、味を忘れた舌の上に紅茶を流す。


「いえ、とても美味しい紅茶ですね。……はは」

「それはよかった」


 王女様の笑顔が戻ってくる。その表情も長続きはしなかった。彼女は真剣な様相で、私の方に向き直ると頭を下げた。


「ごめんなさい、ウィオラ。あなたに時間をあげられなくて」

「……明日の作戦のことですね」

「はい。ネストの活動に同意を得たとはいえ、今回はあなたの事情を無視してしまっている。ご家族の方と話す時間を作れなかったのは、私の不手際です」

「王女様が謝ることではありませんよ。敵は待ってくれないし、情報漏洩のリスクもある。准将の言うことは正論です」

「作戦に許可を出したのは私です。正論だとしても、あなたに謝罪する義務があります」


 義務にこだわるのは王家という立場からか、彼女の性格か。こちらの事情が蔑ろにされた訳では無いと分かったので、いくらか溜飲は下がった。


「わかりました。生きて帰れば済む話ですから、そんなに謝らないでください」

「……ありがとうございます、ウィオラ」


 ちょっとぎこちなく笑う彼女を見て、そちらの方が年相応でいいと思ったのは内緒だ。


 それはそうとして、准将にはいつか仕返しをしなければ思う。


 ・・・・・・・・・・・・


「ところで、ウィオラ。一つお尋ねしてもよいですか?」

「ええ、もちろんです」

「貴方はどうして王国軍に入隊なされたの?」


 それはよく聞かれることだ。ただ、相手は動機を知りたがっているというよりも、嫌がらせのために聞く。「女が兵士をやるなんて、どうかしてる」――ってね。


 いつもなら口で返事はしないが、王女様に底意地の悪さは感じない。腹の底が見えないお方ではあるけども。

 

「勉強ができなかったんです。フェアリエの孤児院で勉強を教わりましたが、机でじっとしているのが合わなくて。それなら、軍に入ってしまおうと思いました。国に恩を返せますし、一石二鳥です」

「孤児院。なるほど……"クローバー"という名はそこででしたか」


 孤児院に入ると、少女には花の名前が与えられる。もとは自分の名前すら分からない子たちのための制度だったらしい。


 私が孤児院に入ったとき似は、すでに"クローバー"という名の先輩がいた。その先輩に孤児院での暮らし方を教わり、今度は私が"クローバー"と名付けられた後輩に教わったことを教えた。


 同じ名前の孤児は助け合って生きるようにと、よく先生に言われた。頼れる親族がいないから、子供同士の紐帯ちゅうたいが大事になる。孤児院を出たあとも、同じ花の名前同士で助け合う習慣が続いている。


「難民として受け入れてくれたことに感謝しているんです。そうでなかったら、妹も行き倒れていましたから」

は慈愛と献身こそが人を人たらしめていると説きました。故郷を追われた方々に手を差し伸べるのは、当然のことです」


 ……エーテル教の教えだ。久しぶりに聞いた気がする。故郷にいた頃は、よく父に連れられて教会に通っていた。説教の途中で船を漕いで、よく怒られた。懐かしい。


「……いい頃合いかしらね」


 左腕に巻いた時計を見て、王女様が呟く。


「あなたのお話が聞けてよかったです。またお茶会をしましょう。今度は気兼ねしないで……こういう風に」


 そう言うと、彼女はカップを傾けて、勢いよく紅茶を飲み干した。後ろに控える侍従じじゅうが、それを見てギョッとする。


 ……作法を気にしていたのはバレバレだったか。またしても、気を遣わせてしまった。


 王女様にならって、紅茶をグイっと流し込む。控えめだが、芳しい香気が鼻腔を満たす。


「美味しい……」

「気に入ってくれてよかったわ。……それでは、行きましょうか」


 お茶会をお開きにして、私達は移動した。向かう先はが収められている区画だ。


 ・・・・・・・・・・・・


「お、きたきた」

 

 白衣を着た、銀髪の小柄な女性が待ちかねたとばかりに、こちらに手を振る。


「お待ちしておりましたよ、王女様」

「フェルト、準備はいかがですか?」

「バッチリです!」


 フェルト局長は、自信満々にサムズアップを突き出す。この人は誰にでも馴れ馴れしいようだ。


「ウィオラ、もう察しがついているかとは思いますが、貴方へのお話というのはのことです」


 王女様が指を差す。そこはフレームを剥き出しにしたマギア。私達が"妖精王の剣"と呼ぶモノがあった場所だ。だが今は、白銀の姿をした巨人が成り代わっている。


「あれは……"妖精王の剣"?」

「裸のままでは心許ないでしょうから」


 白銀の装甲とは、なんとも英雄じみている。まさに剣のような、凍てついた輝きを宿している。


 剣の威容に魅入っていると、王女様がこちらを振り返る。先程、闘う意思を問われた時のような緊張を、彼女から感じる。


 彼女の口が開くのを待つ。


「あなたに剣を、"オーベロン"を託します。……どうかその力でフェアリエをを救ってください」


 王女様の頭が垂れる。私は……言葉に詰まってしまった。誰かを救うなどということは、考えてもいなかった。


 「はい」とも言えず、ただ彼女の頭が上がって、あの穏やかな笑みが見えるのを、待っていた。


 白銀のマギアは再び目覚める時を静かに待っている。その時はすぐに訪れるだろう。

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