第14話 火蓋が切られた

 ――フェアリエ王国、演習場にて――


 時間切れまで、あと40秒。……39……38。頭の中でカチカチと秒針が鳴る。その1秒を刻むように、マギアの足で大地を蹴る。


 30……29……。直線の先に赤いフラッグがひるがえる。ゴール地点が見えた。つんのめらない程度に、”ノーム”が出せる最速までスパートをかける。景色の流れが徐々に早まっていく。帰ってくる振動も強く、早くなっていく。


 残り20秒を切った。ノームの速度が限界まで達する。時速にして、およそ60キロメートルは出ている。鋼の巨体が風を切り、黄土色のコースを駆け抜ける。この勢いで転んだら、ゴムボールのように跳ね回ることになるだろうな。


 小さく見えていた赤のフラッグが、ずっと近くなった。だが、あと10秒しかない。フットペダルは、すでにベタ踏みの状態。フラッグは目前にまで迫っている。それでも、わずかに遠いと、数秒前になってハッキリとわかる。


 今回はダメだ。なら、また明日、頑張ればいい。そんな考えがよぎる。

 

 ——本当に、明日なんてあるのだろうか?

 

 いつもと変わらない明日が来ると信じて、故郷と家族を失ったのが私たちだ。部隊の仲間がいなくなって、それを思い出した。日常は、ほんの瞬きのうちに崩れ去るんだ。私たちに、なんてない。生きている今が全てだ。


 フットペダルから両足を浮かせ、すぐに踏み直す。直後、全身を浮遊感が包んだ。宙に放り出された感覚に鳥肌が立つ。ノームが飛び上がったのだ。走り幅跳びの要領で、巨体が放物線を描く。少し、空が近くなった気がした。


 残り3秒……2……1……。 

 フラッグを越えた。


 ——ズザザザザ!!


 尻餅を着きながら、ノームの体を着地させる。何トンもある機体が時速60キロで飛び込むのだから、その勢いは簡単に収まらない。コースを滑り台のように滑りながら、速度を落としていく。ようやく止まった時には、目の前に土の山ができていた。


「クローバー! 生きているか!」


 教官の声が、コックピットに響く。


「はい、生きてます」

「無茶をしたな! 動けるなら降りてこい、結果を伝える!」

「了解」

 

 仰向けになった状態から、体を起こして、機体正面のハッチを押す。ゆっくりとハッチを押し上げると、空の青さが目に飛び込んだ。適当な突起に足をかけて、コックピットから出る。足の調子はもう、大丈夫そうだ。


 ノームの方を見ると、大きな瞳のカメラアイが、まっすぐに空を見上げている。マギア使いが荒くてごめんね。


「クローバー、こちらだ!」


 声の方を向くと、軍用車から教官がこちらを見ていた。その横には、見覚えのある赤髪の男もいる。カーマイン准将、かれこれ2週間ぶりの再会だ。突然現れて、今度は何をしにきたのやら。


 教官の下へ駆け足で近づく。

 

「ギリギリだが、貴官は時間内に全てのフラッグを通過した。不正もない。よって、試験は合格だ。マギア部隊への入隊を許可する」


 合格した。端的に告げられたので、喜ぶよりも、まずホッとした。これで闘う術を得るための第一歩を踏み出せた。さて、私をマギアに乗せた張本人はどんな顔をするだろうか?


 ——准将の方に視線をやる。赤髪の男は、不思議な表情をしていた。期待と困惑が入り混じったような、複雑な皺を刻んでいる。


「3日前、初めて貴官の試験官を務めた時には、合格するなど想像もしなかった。どんな魔法を使ったかは知らないが、よくやったな」


 教官に褒められたのは初めてかもしれない。このツルツル頭の教官は、顔面をこわばらせて怒鳴る生き物だと思っていただけに、ちょっと嬉しい。


「本音を言うと、今回も不合格になるようなら、後方勤務を勧めるつもりでいたのだ。軍人とはいえ女性なのだから、恥と責めるものはいない。……貴官はそう考えないようだがな」


 それは軍に入って、何度も耳にした言葉だ。男が戦い、女が支える。古来よりの慣習とも言える、あり方に文句をつけるのは変人くらいだった。イスマ隊長は、その変人の一人だった。女性部隊という異物は、男のプライドを逆撫でするのみならず、女の反発も買った。教官の考えは、常識に則った判断だと、誰もがいうだろう。


「なんと言われようと、私も戦場に出ます。女かどうかは関係ありません」

「よろしい。貴官の素質を、フェアリエのために活かせ。健闘を祈る」


 教官が敬礼する。それに合わせて、敬礼を交わした。闘う意思を否定されなかったのは、意外だった。ツルツル頭の“メンデル”教官、実はいい人なのかも。


 後部座席に乗り込み演習場の出口に向かう。メンデル教官が運転する間、准将は私の方に見向きもしない。時折、教官と世間話を交わして、また明後日の方をぼんやり眺めている。本当に、この男の考えることはわからない。


 やがて、演習場を離れて基地へ戻ると、教官は車を降りて、持ち場に戻っていった。私が後部座席に座ったままでいると、再び車が走り出した。


「久しぶりだな、ウィオラ」

「はい、お久しぶりですね」

「体調はどうだ? 不調はないか?」

「体調は良好です。足の方も、動くようになってきました」

「そうか。それならいい」


 何だろう、今日の准将は妙におとなしい。というよりも、余裕がないように見える。


「新聞は読んでいるか?」

「はい。……ファラクルのことでしょうか?」

「そうだ、ファラクルが敗れた。次はフェアリエだ」


 それは新聞の記事にも書いてあったし、そもそも敵側のトップ、”皇帝”がそう宣言しているという。国際世論はティタニアの覇権的な動きに対して、牽制か、傍観の立場をとるかで紛糾しているそうだ。


 どちらにせよ、外野がいくら騒いだところで、ティタニアの動きは変わらないだろう。私たちにとって問題なのは、侵攻が何時なのかということだ。


「奴らはいつに仕掛けてくるつもりなんでしょう?」

「すでに始まっている。連盟の前哨部隊が、ティタニアの進軍を確認した」

「本当……なんですか?」

「国境基地でも動きを観測している、確度は高い。とみていいだろう」


 もう始まった、いや、始まっていた。ティタニアはこうしている間にも、フェアリエへと向かっていたのか。——また明日、はない。早速、その通りになった。


「私にできることは?」

「まずは研究局へ向かう。そこで知りたがっていた事実を伝える」


 准将が1冊のノートを見せる。病院に置いてきた経過報告書だ。毎晩、小言を書き連ねた甲斐があったようだ。


「その後、我々のリーダーから直接、指示が下される。君にも同席してもらう」

「リーダー? あなたではないのですか?」

「……会えばわかる」


 言い終えると、彼はアクセルを踏む足を強めた。排気が私の後ろでもうもうと尾を伸ばしては、風にさらわれている。


 フェアリエにも夏が訪れた。過ぎ去る景色は青く、生命に溢れている。この夏は、今までになく苛烈になるだろう。平和は一旦、店仕舞いだ。

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