キラービーと妹
きつね月
第1話
梅雨時にしては珍しく、うららかな陽気の射す六月の昼のこと。
窓の外ではスズメがちゅんちゅん鳴いていて、窓から差す太陽の光はぽかぽかで、今日は土曜日だし、こうして午前中に起きられたし、この世界にはなんの憂いもないよね――と自室でのんびり寛いでいると、リビングの方から突然、
「わああっ――」
という妹の
「な、何事?」
「おねえちゃん……」
助けて――と鈴花はリビングに続く扉の前にへたり込んでいた。
揃えた前髪から覗く眉をハの字に曲げて、泣きそうで、まるで幼い子供みたいなその表情。
「何よ?」
「き、キラービーが……」
「あ?」
なんだって?
「きらーびー?」
「あっ、ドア、気をつけてね」
「……何よ?」
なんだこの妹、いったい何を言ってるんだろう――と思いながら木目調のドアをゆっくりと開ける。
その向こうに広がっているのは、なんの変哲もないリビングの景色だった。
いつもふたりで食事をしている長テーブルに、いつもふたりで眺めているテレビに、いつもふたりで寝転んでいるソファー。
うん、別になにもないじゃないか。なんだというのか。
「おねえちゃん、上、上」
「上?」
へたり込んだままの鈴花が圧し殺した声で注意をしてくるので、なんだよもう、と見上げてみる。
と、いつもふたりで見上げている白い壁の天井に、やたらと大きな黒い物体が張り付いているのが見えた。
ヴヴヴ、と不穏な羽音を立てているそれは、いわゆるスズメバチ、というやつだった。
……ああ、ビーってそういうこと。
「最初からハチって言えばいいのに」
「ね、ねえ早くなんとかして」
「……」
ベランダに続く窓ガラスのドアが開いている。
その手前には洗濯物が散らばっている。
なるほど、大方洗濯物を取り込んでいる途中に侵入されて、慌てて逃げてきたってところだろう。聞いた話で、干しておいた靴下の中にハチが潜んでいた、っていう事もあるぐらいだから、彼らの行動範囲というものを嘗めてはいけない。たとえ四階の部屋とはいえ、こういうことはあり得るのだ。
「……」
「お、おねえちゃん?」
鈴花が戸惑いの声をあげる。
しかし私は身動きがとれなかった。
スズメバチ、というものは遠目で見るとただの黒い物体に見える。
しかしこうして目を凝らしてよく見てみると、その膨らんだお腹がゆっくりと呼吸をしているのが見えて、大きな顎がきしきしと動いているのが見えて、感情を感じさせない大きな目がギョロりとこちらを睨んでいるのが見えて。
その様子はまるでこの世の生物とは思えぬ迫力を醸し出している。
なるほどこれは、「キラー」で「ビー」である。
私はそっとリビングの扉を閉めた。
「――逃げよう」
「え?」
「あれはダメだ。飯でも食いにいこう。窓も開いてるしさ、しばらく放っておいたらいなくなってるって」
「……ええー」
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