Extra round⑧ わたしのはるちゃんはあげません

たぶん俺は相当、世の中の同世代に比べて動きが早い。18歳の誕生日を迎えて数日後に彼女の両親に対して同棲許可の挨拶に伺い、22歳の今、今度は彼女の両親に対して結婚許可の挨拶に伺おうとしている。


俺の決断の早さは同級生の男からすると相当衝撃的らしく、挨拶に行った感想を問われることも多々ある。ただ緊張し過ぎていた俺は、『緊張した』以外の感想がなかったから、為になるようなことを何も言えなかった。


今年の春から卓と井上さんが教員になると同時に同棲を始めることになった。卓は井上さんのご両親相手に同棲許可を得る挨拶に行く際、4年前にすでに経験した俺に何度もアドバイスを求めてきた。


大したアドバイスはできなかったと思うが、それでも卓にとって実体験談は説得力が強かったらしく、熱心にメモを取り、大いに参考になったらしい。


何とか許可をもらったらしいが、挨拶から戻りジムに立ち寄った卓の顔はゲッソリしていて、「薬師寺氏はこんなことを高校生の際にやったのですね……。君は英雄です……」なんて言って褒められてしまった。


まあ、俺はそれ以前に、彼女の父である誠さんとそれなりにいい関係性を築けていたから、いきなり挨拶になった卓とは状況が違うんだけれど。


それこそもう4年も同棲して、何百回も彼女の家に行っているから、もう事実上のお父さんと言っても過言ではないのだが、それでもいざ結婚の挨拶となると緊張するものだ。


食後、俺はお皿を洗ってから、ソファでデザートのケーキを食べている唯ちゃんに向き合った。こんなおままごとみたいな結婚許可の挨拶に意味がないのは分かっているものの、やらないとこの小学5年生は拗ねてしまう。


「……誠さん、遥さんを僕にください」

「ダメです。わたしのはるちゃんはあげません」


あれ?秒で断られてしまった。え、ダメなの?この練習、意外と難易度高い系?


「ちなみに……なんでダメなんですか?」

「俊くん、それははるちゃんが私のはるちゃんだからです。俊くんにはあげられません」


ケーキを頬張りながら『当然です』と言わんばかりの表情を浮かべる唯ちゃんに対して、遥も思わず苦笑していた。


「唯、私はね、これから俊くんと一緒になるんだよ。唯だっていずれは白鳥さんじゃなくなる日が来るかもしれないんだから」

「……唯もいつか薬師寺さんになるの?」

「「なりません」」


俺と遥の声がハモってしまい、俺たちは顔を合わせて笑ってしまった。


「唯ちゃん、俺はね、この6年遥と一緒にいたんだ」

「唯だって11年、はるちゃんといたよ?」

「ま、まあそうなんだけどさ、俺はこれからも遥と一緒にいたいんだ。その許可を誠さんにもらいにいくんだよ」

「パパの許可がないとダメなの?許可がないと一緒にいれないの?」


なるほど、小学5年生の視点だとそうなるのか。好きな子と一緒にいるのにいちいち許可が必要な意味が分からないのも、彼女世代からすると当然の疑問なのかもしれない。


この『小さなお父さん』を説得するのは、誠さんに許しを得るより難易度が高いかもな。ある意味俺はいい予行演習をしている。


「許可かあ。許可はね、正直なくてもいいんだ」

「なくてもいいの?ならパパにお願いしなくてもいいじゃん」

「うん。そうなんだけど、唯ちゃんのパパとママはこれまで20年以上、遥のことを大切に育ててきたんだよ。遥がこんな優しくて綺麗な女性になったのは、唯ちゃんのパパとママのおかげでもあるんだ」

「うん、パパとママ、頑張った」


誠さんと雪さんの頑張りを、末っ子がウンウン頷きながら認めている姿が何とも面白い。遥は優しくて綺麗と言われたことが嬉しいのか、ニヤニヤしながら照れていた。


「そう、唯ちゃんのパパとママは頑張ったんだ。だからそんな2人が大切にしてきた娘さんと、これから一生一緒にいる許可を頂かないといけないんだよ」

「もちろん俊くんだけじゃないよ。私も俊くんのおうちに伺って、ご両親にちゃんと挨拶しないといけないんだ。結婚するってそういうことなんだと思う」

「ふーん……。いつか唯もするのかなあ?」

「もちろんその可能性はあると思うよ?唯ちゃんにとっていい人が現れるかもしれない。誠さんは寂しがると思うけど……」

「そうかぁ。唯もちゃんと挨拶する!つよしたんとカブに挨拶する!」


なんでその2人に挨拶しないといけないのかまるで分からなかったが、納得したような表情だからいいか。


あと10年、20年してこの子がカブに結婚の挨拶をしている姿を想像すると、ちょっと面白い。遥は複雑な表情を浮かべている。妹が会長に挨拶するのは嫌だよね。




時計の針が21時を回る前に、俺は唯ちゃんを実家まで送っていった。いつもなら遥と2人で送るが、仕事がまだ残っているらしく、今日は俺だけがついていく。


たまにこういう日があるのだが、お姉ちゃんがいないと末っ子のおねだりが激しくなるのがネックで、今日も帰り際、コンビニでおやつをねだられる。


さっきデザート食べてたじゃん……と思うが、俺はどうもこの子のおねだり攻撃には弱い。つい買い与えてしまい、お姉ちゃんやお母さんに対して何も言わないよう口止めした。


「……ねえ俊くん、はるちゃんのこと、やっぱりもっていっちゃうの……?」


隣を歩く小学5年生が急に立ち止まり、俺の右手を握りながらこちらに視線を向けてきたのは、コンビニを出て少し経った時のことだった。街灯に照らされた彼女の瞳が少し潤んでいるように見える。


「……そうだね。唯ちゃんのお姉ちゃんをもらうことになるね」

「……やっぱりダメ。はるちゃんは唯の、大切な……お姉ちゃんなの……!」


少女の手は震え、街灯ら照らされた瞳から雫が零れ落ちる。声も震え、そのトーンから本当に嫌であることが伝わってきた。先ほど家では一旦納得したものの、心の中では納得できないものがあったか。


俺は自分の姉が誰かと結婚する経験をしていないから気持ちを完全には分からなかったが、これまで仲良くしてきた大好きなお姉ちゃんを、知っている人とはいえ取られてしまうのではないかという危機感が強いのだろう。


「俊くんは……優しいし、大好きなの……!でもはるちゃんは唯の……大好きな優しいお姉ちゃんなの……!」


声をあげて泣き始めた少女を、俺は優しく抱きしめ、ゆっくり頭を撫でた。身長差がある影響で、俺の上着の裾を少女から溢れ出た雫が濡らす。


傍から見たらだいぶ怪しい光景かもしれない。夜の通りで小学生が大の男に泣きついているのだから、通報案件かもしれない。


「唯ちゃんは……俺が遥と結婚するのは嫌?」

「嫌じゃない……!はるちゃん本当に嬉しそうだし、俊くんとはるちゃんが一緒にいるのは嬉しい……!でもはるちゃんがいなくなるのは嫌……!」


少女の嗚咽を、近くの通りを走る車の音がかき消していく。泣き方までお姉ちゃん、つまり俺の大切な人と似ている気がした。顔は元々似ていたが、仕草や細かい表情は年々お姉ちゃんと似てきた気がするなあ。


「ねえ、唯ちゃん。俺はね、唯ちゃんからお姉ちゃんを取ったりはしないんだよ。唯ちゃんは俺にお姉ちゃんを取られるのが嫌なんでしょう?」

「……うん。嫌。唯からお姉ちゃんを取らないで……」

「そうだよね。お姉ちゃんは取らないよ。俺はをもらうんだ。唯ちゃんからお姉ちゃんは取らないよ」

「そうなの……?お姉ちゃんは連れていかないの?」

「そう。だから俺に、遥だけをください。お願いします」


俺は唯ちゃんに真意が伝わるよう、誠意と力を込めて声を届けた。俺の言葉に対して顔を上げ、こちらに視線を向けた少女は少しだけ笑った。


「……分かった。ならはるちゃんを貸してあげる……」

「フフ、ありがとう、唯ちゃん。これからも一緒に遥……お姉ちゃんを大切にしていこうね?」

「……うん!」


元気良く返事をしたその表情は、俺が高校生の時から好きな最愛の人に本当によく似ていた。

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