Extra round⑦ Sister

世界タイトル獲得から1週間経っても、未だにネットには俺のプロポーズについて書かれた記事が載っている。


タイトル獲得直後のタイミングであったこと、遥がアイドル顔負けにかわいいことを考えたら、1週間経過しても狂騒曲が続くのも分かるのだが……。もう1週間経ったのだからそろそろいいだろう。


最初はジムだけでなく、住んでいるアパートにも取材陣がやってきたのには正直参った。1週間経過してようやくだいぶ落ち着いてきたか、今は家の前には取材陣はいなくなっていた。


「あーあ、ようやく俊くんのおうちに遊びに来れたー」


試合から1週間後の土曜日の夜。ソファーに座った唯ちゃんがオレンジジュースを飲みながら足をバタバタさせている。


白いブラウスに紺色のスカートと少し大人っぽい服装は、遥からのお下がりなのだという。見た目は大人っぽいが、足をバタつかせたりする姿は小学5年生らしい。


唯ちゃんがこのアパートに来るのは珍しい話ではない。むしろ取材陣がいなければたぶん毎日来ていたと思う。自宅から歩いて5分ちょっとの距離にあるこの家のことを、彼女は『秘密基地』と呼んで愛用していた。


月に3、4回は泊まっていくし、学校帰りにここに直行して、俺が帰ったら机に向かって宿題をしていることもある。


俺も遥もいないのにどうやって入ったのか尋ねると、「合鍵♡」なんていって笑顔で鍵をチラつかせるのだが、一体どこのゴリラに似たんだろう。


「もう秘密基地に来たくて仕方なかったよぅ。ここが唯の家なのに……」

「いや唯、ここはそもそもあなたの家じゃないでしょ……」

「違うもーん!唯、ここに引っ越すんだもーん」


引っ越すんだもーんって。口を尖らせてワガママを言っている白鳥家の末っ子は、歳を重ねてもワガママばかりだ。それがかわいいところでもあるんだけれど。


「引っ越すもーんって言ってるけどさ、俺たちたぶん引っ越すよ?」

「え……?ついにジムに引っ越すの……?カブと暮らすの……?」


どうしてそういう発想に至るのか分からない。あんなゴリラと暮らすなら、俺は動物園でライオンの檻の中で暮らすほうを選ぶ。


「……一応聞いておくけどさ、唯ちゃん、なんで俺がジムに引っ越すと思ったの?」

「んー、この前ジムで遊んでたらカブが、『俊くんとはるちゃんが結婚したら、ジムでアタシと暮らすのよ』って笑ってたから……」


あのゴリラ、唯ちゃんがまだ事情を知らないからってとんでもない誤報を流しやがって……。キッチンで夕ご飯を作っていた遥も溜め息をついていた。


唯ちゃんは学校帰りにジムで遊ぶことも多い。友達を連れてきてはジムで縄跳びをしたり、歌舞家の庭でバドミントンをしたりして、完全に歌舞家を遊び場にしているため、ゴリラと遊ぶ機会も多い。


おかげであの悪のゴリラが、唯ちゃんに冗談でデタラメを吹き込むのが俺たちの悩みでもある。


「たぶんだけど、俺たち、結婚と同時に家を買うことになると思う。もちろんこの近所だと思うけど……」

「唯の部屋はあるよね?」


普通に私の部屋もあるという前提で聞いてくる小学5年生に、俺も思わず苦笑してしまった。


「唯ね、このアパートに不満あったんだ。唯の部屋がないんだもん。おうちにも唯の部屋、ないし……」

「ないとか言いながら、私の部屋に色々私物持ち込んで自分の部屋みたいにしてるじゃん……」

「でもあのお部屋ははるちゃんのお部屋でしょ?かえちゃんは部屋に入れてくれないし、みーちゃんの部屋はなんか入ったら怒られそうだし……」


そう言って唯ちゃんはブーブー言っている。まあ、今度家を買えば、子どもが生まれるまで使わない部屋もあるだろう。その部屋を唯ちゃんに貸すのもありだ。


「……どういう家を買うかは分からないけれど、唯ちゃんにも部屋を作れるよう努力するよ」

「ホント!?やったあ!俊くん大好きぃー!」


小学5年生が満面の笑みで床に座る俺に飛び込んできた。こうやって急にジャンプして飛びかかってくるのは、この6年何も変わっていない。


ただ当時とは体の大きさが違うから、受け止めるだけでも一苦労だ。しかも幼稚園の時に比べて当然体型も女の子っぽくなりつつあるから、抱き着かれたりすると困る。


……何よりこうして抱き着かれると、あなたのお姉ちゃんが鬼のような形相でこっちを見てくるんですよ。


「唯!俊くんから離れなさい!」

「なんでー?俊くんはみんなの俊くんだよー?」

「違います!私の俊くんです!」

「違いますー!はるちゃんだけのものじゃないですー!べーだ!」


アカンべーをした唯ちゃんを見て、遥が噴火した。調理の手を止めるとキッチンから無言でこちらにやってきて、唯ちゃんをそのまま抱えて寝室へ向かった。


目も、顔も笑っていない。唯ちゃんも『やってしまった……』という顔を浮かべているが、もう遅い。俺のほうを見ないでくれ。もうこうなった遥は俺も止められない。


しばらくして、寝室から泣き声が聞こえてきた。相当絞られているらしい。こうやって唯ちゃんが遥をアオり最後に怒られるのは珍しい話ではないけれど、それでもこの家に毎日のように遊びに来るのだから、やっぱりお姉ちゃんが好きなんだよな。


こってり絞られて目の周りを真っ赤に腫らしていた唯ちゃんは、リビングに戻ってくると「ごめんなさい……」と反省の言葉を口にする。


俺は優しく唯ちゃんの頭をなでると、少女に笑顔が戻ってくる。その光景を見て遥が「もう、いつも唯に甘いんだからぁ……」なんて言っているが、その表情は笑っていた。こうしてまた部屋に暖かみが戻ってくる。


「俊くんとはるちゃんはいつ結婚するの?」


夕ご飯に遥の作ったハンバーグを食べながら、唯ちゃんは不思議そうな表情を浮かべていた。


「この前試合の後にはるちゃんにぷろぽーずをしたんでしょ?ならもういつでも結婚していいんじゃないの?」

「まあそうなんだけどね……。でもね唯ちゃん、結婚は俺たち2人が了承したからすぐできるわけでもないんだ。色々と紙を書かないといけないし、そもそもその紙には証人って呼ばれる人に名前を書いてもらわないといけない。やることが多いんだよ。それ以前に、まずは誠さんと雪さんに許可をもらわないと……」

「パパに許してもらわないといけないの?分かった。唯、今日おうちに帰ったらパパにお願いする」


そういうことじゃないんだけど、意気込む唯ちゃんがなんだか微笑ましい。小学5年生は結婚というワードは知っていても、その過程などまでは知らないから仕方ない。遥もクスクス笑っていた。


「結婚するとなると、色々変わってくるんだよ。おうちも変わるかもしれないし、そもそも遥の名字も変わる。薬師寺遥さんになるから、その準備もしないといけないんだ」

「はるちゃんが薬師寺さんになるの?ということは唯も薬師寺さんになるの?」


ならないねぇ。不思議そうにしている目の前の少女の疑問もまたかわいい。


「ううん、薬師寺さんになるのは私だけ。唯はこれからも白鳥唯のままだよ?」

「えー、唯も薬師寺さんになりたいー!」

「ダメ!薬師寺さんになるのは私だけ!」

「なんでー!唯にもちょうだいー!」


また姉妹ゲンカが始まった。大体この2人の姉妹ゲンカの原因はこんな感じだ。俺を奪い合わないでほしい。


「まあ、遥が薬師寺さんになるには、まず誠さんと雪さんに挨拶しないといけないからね。来週あたりにはやろうかなと思う」

「俊くん、パパにごあいさつするの?」

「そうだね。唯ちゃんのお父さんに、『遥さんを僕にください』って挨拶しないといけないんだ」

「ふーん……。なら俊くん、ごはん食べ終わったら唯がパパの役してあげるから練習しよ!」


え、俺高校2年生の文化祭以来6年ぶりに、誠さん以外に対してまた『遥さんをください』って言わないといけないの?

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