第131話 綺麗な百合に棘がある理由
「それじゃー、歌舞、優勝おめでとう、乾杯ー」
インターハイ後、ホテル近くの小料理屋の畳が敷いてある個室に、杉森先生の気だるげな声が響く。
乾杯の音頭を取った先生は、音頭を取る前にもう瓶ビールを開けて、3杯ほど口に入れていた。みんなに飲み物が行き渡る前に先に飲んでるんだもん。とんでもない教師だなと私は改めて思う。
インターハイは幕を閉じた。歌舞くんは結局圧勝続きでインターハイを連覇した。鬼神のような強さで一度も判定まで持ち込ませないその姿は、まさに力が違うという表現がぴったりだった。
俊くんは準々決勝で、隣県の高蔵寺学院の水谷明くんに判定負けを喫している。明くんはその後の準決勝、決勝と判定まで持ち込ませない圧勝劇で、結局明くんが戦った5戦中、判定まで持ち込まれたのは俊くんとの試合だけだった。
あ、そうそう、裕二くんは3回戦負けで、本人もしょげていた。「これじゃ楓さんに顔向けできない……」なんて言ってたけど、たぶん楓はソフトボールに夢中で、裕二くんの成績にはあまり興味がないかもしれないなぁ……。
「歌舞くん、優勝おめでとう」
「ありがと、白鳥ちゃん。インターハイの試合自体は大して疲れなかったけど、他のことに疲れた2日間だったわ……」
体力オバケの歌舞くんの疲れている姿は珍しい。彼に心労を掛けた1人として、なんだか申し訳なくなる。そんな私の姿を見て心情を察したのか、歌舞くんがお茶を飲み干し苦笑した。
「白鳥ちゃんのせいじゃないわよ?どこかのバカな親父が息子にプレッシャーかけたり、幼馴染がまぎらわしい逃亡劇を演じたり……。ああ、どこかの誰かさんが中学1年生の女の子に一目惚れしたっていう事件もあったわねぇ?」
そう言って裕二くんを睨む。睨まれた側の裕二くんはヒィィィと叫びながら、畳の上にうずくまっていた。これは裕二くんが悪い。自業自得よ。
俊くんは見た目こそ元気そうだったけれど、どこか悔しそうな表情も滲ませていた。「実際は大差負けみたいなものだから」と言って笑っていた俊くんだが、3-2が接戦なのはボクシングを知らない私にも分かる。
あと少しで勝てたんじゃないか、悔しいと私でも思うくらいで、本人はその何倍も、何十倍も悔しいであろうことは容易に想像できた。
実際、俊くんの箸を進めるペースは遅い。県大会の後の打ち上げで焼肉屋に行った時はもっと元気だったし、箸も進んでいた。歌舞くんは相変わらずノンストップで食べ進めていたけど。冷奴30人前って、それ大豆何個分?
宴もたけなわ、20時を前に私たちは小料理屋を後にしてホテルへ戻った。先生はベロンベロンに酔っぱらっていて、歌舞くんにおんぶされている。
もうそこらへんの公園に捨ててきていいんじゃない?と提案したんだけれど、歌舞くんが「公園でたくましく育っている草花に申し訳ない」という言葉に納得してしまった。肥料にもならないか。
「……そういえば、お風呂の前に、お百合が私たちに話したいことがあるそうよ。少し時間を頂戴ってさっき連絡があったわ。白鳥ちゃんだけじゃなく、アタシにも、俊にも聞いてほしいとのことよ」
「……そう、なんだ。うん、分かった。聞くだけ聞いてみようかな」
「まあ、お百合にも彼女なりの事情があるんでしょう。そもそもアタシが最初に電話を取った時にハッキリ言っていれば、こんな事態にもなってないからねぇ。アタシにも責任の一端があるわ。もし単純な嫉妬とか、何かくだらない理由だったらアタシがお説教するから任せて頂戴」
苦笑いしながら聞いていた私だったが、果たして本当にそんな理由なんだろうかと心の中で考える。
昨日、お風呂の中で仲良くなった時の彼女は裏表もない快活な笑顔を向けてくる女の子だったし、嫉妬だったらそれこそ中学時代の自慢とか、これまでの私の知らない俊くんとの思い出なんかを話してきたんじゃないかな。
確かに彼女は挑発的な態度を取ってきたけれど、個別の思い出などには触れなかった。単純に嫉妬しているだけというのは少々考え辛い。
私の後ろでは俊くんが裕二くんと楽し気に会話している。俊くんの声が、何か気を紛らわせるような感じの雰囲気なのも少しだけ気になった。
ホテルに着くと、歌舞くんが背中に背負った荷物を乱暴に下ろし、裕二くんに預ける。
「裕ちゃん、アナタ今日3回戦負けよね。罰としてこのダメ人間を部屋まで運びなさい」
裕二くんが泣きそうな顔をしていたが、反抗できるわけもなく、しぶしぶ命令に従う。1年生まれる年を間違ったね、裕二くん。私はなんだかかわいそうになってきた。
百合子さんとは1階のロビーの奥で落ち合うことになっている。幸い20時も過ぎればロビーに人はほとんどいなくて、柱の陰になっている奥まったスペースは話し合いに適していたことから、私たちは先に腰を下ろして彼女を待つ。
数分後、連絡を受けた百合子さんがエレベーターを降りてこちらに向かってきた。昼間同様通っている女子校のブラウスを着ていることから、お風呂もまだ入っていないのだということが分かる。
たぶん、私たちが戻ってくるのを部屋でずっと待っていたのだろう。たった一人で、スマホを握りしめながら。目元が少し赤く腫れていた。時々涙を流していたのだろうと察する。
俊くんには百合子さんを待っている間、今日の出来事を説明しておいた。嫉妬めいたことを言われたこと、挑発めいたことを言われたこと……。
俊くんは困ったような表情を浮かべている。それはそうだよね。今更自分に気があるかのようなことを言っているわけだし。
奥まったスペースで、小さな机を囲んで私たち4人は向かい合う形で座る。百合子さんは両拳を膝の上で握りながら、俯いていた。
「さて、お百合、試合会場でわざわざ白鳥ちゃんを挑発するような真似をした理由、教えてもらえるかしら?もちろんアタシは、別にアナタのことを糾弾したいわけじゃないわよ?でもこのまま白鳥ちゃんが納得できると思う?」
やっぱり、歌舞くんは私のためにこの時間を設けてくれていたんだね。ううん、違う、歌舞くんの視線は私だけじゃなく、俊くんや百合子さんにも向いていた。みんな納得する形で終わらせようとしているんだ。そんな意図を、彼の視線から察する。
数秒の空白を置いて、百合子さんが口を開いた。すでに涙声になっている。
「ごめんなさい……遥ちゃんを動揺させたり、イジワルするつもりじゃなかったの……」
「ならアナタ、どうして白鳥ちゃんにあのタイミングで、俊にまだ気があるみたいなことを言ったの?俊と付き合えていればとか、うらやましいとか、それは今の彼女である白鳥ちゃんに言う言葉じゃないでしょう」
歌舞くんのもっともな言葉に私は頷いた。俊くんは無言で、百合子さんの反応を待っていた。
「あのね、私、遥ちゃんにも、俊にもひどいことしてるんだ……」
「……ひどいこと?」
昨日が初対面の私に対してはたぶん今日のやり取りのことなんだろうけど、俊くんにもひどいことをしたという意味がよく分からない。
「私、中学2年の時に、俊に思わせぶりな態度を取っちゃったんだよ。俊は覚えてるか分からないけど、私、当時俊が自分のことを好いてるんだなってことには気づいてたんだ。ことあるごとに私と一緒に帰ろうとしてたし、好きな人がいるの?って聞かれてたし……」
「……それで?お百合はなんて答えたワケ?」
「好きな人はいるよって、俊の目を見て答えたんだ。しかも『私の身近な人だ』って言って。俊の手まで握っちゃって」
そんなことまでしていたのかと、思わず私は嫉妬に近い感情が芽生えたが、3年近く前の話だし時効だと思うことにする。複雑だけど。
「……あったね、そんなこと。確かに当時俺は百合子のことが好きだったし、手まで握られて、これは相手は俺なんじゃないかって思っちゃった記憶は……ある」
俊くんが私のほうをチラチラ見る。大丈夫だよ、一瞬嫉妬しかけたけど、怒ってないよ。そこまで怒るほど私、器が小さくないと思う。たぶん。
「ということはアナタ、やっぱり俊のことが好きだったんじゃないの」
「……確かに、私は俊のことが好き……だったのかもしれない。でもね、それ以上に当時から私が好きだった人は……明だったんだ」
「「え?」」
百合子さん以外の3人の声がハモった。一瞬驚いた素振りを見せた百合子さんだが、再度言葉を紡いでいく。
「たぶん、中学に入る頃からだと思う。明のことがずっと好きだったの。正直、今もそう。でも明は当時も今もボクシングのことしか頭にないし、どう強くなるかばっかり考えていて、私のことなんか見てくれなかったの」
「……そうね、当時から明ちゃんはボクシングが恋人みたいな感じだったわ」
歌舞くんが当時のことを思い出すように顎に手をあてていた。百合子さんは顔を真っ赤にしている。自分の好きな人を暴露してしまったこともあるだろうし、当時の思い出を振り返るだけで恥ずかしいのだろう。
「明にアプローチしようと思ったんだけど、なかなか勇気が出なくて。そんな時に私に好意を持ってくれたのが俊だったんだ」
なんとなく話が見えてきた。俊くんはよく分かってないみたいだけれど、歌舞くんは「ああ、そういうこと……」と納得した表情を浮かべる。
俊くんが彼のその表情に気づいて、どういうことかと問いただした。うーん……、俊くん、あまり聞かないほうがいいことかもしれないよ……?
「簡単な話よ俊。お百合はアナタのことをキープしようとしたの」
俊くんが固まっていた。まあ、そうなるよね。
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