第132話 女同士の話をしよう
キープという言葉を百合子さんは否定しなかった。つまり歌舞くんの推測は当たっているのだろう。
「俺が、キープされていた……?」
「……うん。俊のことはもちろん嫌いじゃなかったし、明に振り向いてもらえなかった時に、その……保険で、付き合えるかなと思ってたんだ。でも俊は小学1年生からの付き合いだったし、正直それまでの付き合いが長すぎて、いざ恋人になった時を想像しても、全然想像できなかったの。でも俊には私の近くにいてほしかった。それで……ちょっと思わせぶりな態度をとって、俊の気持ちを私に向かせてたんだ」
百合子さんの声は相変わらず涙声だ。ところどころに嗚咽が混じっている。ずっと一人で抱えていたのだろう。たぶんこの話を誰かにするのも初めてなんだと思う。
「なるほどね。で、アナタは俊に対して申し訳ない気持ちがあったから、この前の電話の時に『俊は私が応援しないとダメ』なんて言ってたワケ。だからってアナタ、それは白鳥ちゃんに当たり散らす理由にはならないじゃない?」
「……ごめんね遥ちゃん。あなたが俊くんの恋人だって聞いて、私、勝手に逃げ道をふさがれた気分になっちゃったんだ。明には高校に入ってからもLIMEしたりしてたんだけど、いつも返信は短くて、心が籠ってなくて。あの時俊を選んでいれば、私には違った未来があったんじゃないかって思った日もあった。そしたら、私のことを好いていた俊に、恋人がいて……」
だいぶ勝手な話のような気もするけれど、私にはここまで付き合いが長い幼馴染もいないし、関係性が想像できない。たぶん私の中にはないような感情が、百合子さんの中にはあるのだろう。
「昨日の夜、お風呂上がりに俊の遥ちゃんを見ていた目は、本当に大切にしている目だった。それで私、つい逃げちゃったんだ。私のことを好きだった彼に、私より断然大切な人ができたんだっていう事実を受け入れられなくて。夜もずっとそのことばかり考えていたんだけど、結局モヤモヤしたまま会場に向かっちゃって……。最初は、逃げて不安にしたことを、遥ちゃんに謝るつもりだったんだ。でも実際目の前に座ったら……。嫉妬みたいな気持ちが強くなっちゃったの。私が付き合えているはずだったのにって……」
百合子さんの嗚咽は更にひどくなる一方だった。するとそこで歌舞くんがハンカチを差し出し、百合子さんの右手を握る。
「アナタの勝手な嫉妬で白鳥ちゃんを傷つけたことはまったく感心しないわ。もちろん、俊をキープしようなんていう考えにも、アタシは感心しない。ただ唯一感心するところがあるとすれば、今こうして、俊と白鳥ちゃんに正直に話したことね」
歌舞くんに諭されるような言葉を向けられて、百合子さんは顔を両手を覆う。
「本当にごめんね遥ちゃん、俊……。もう2人はお互いを大切にしているんだって、昨日の夜、十分分かってたの……。お風呂の中で遥ちゃんは本当に幸せそうだったし……。でもそれを妬んで、つい私のほうが付き合いが長いのにとか、今も私のほうを好きだったらどうするみたいなことを言っちゃって……。自分が本当に情けないし、私はこんな私が大嫌いなの……」
声を上げて泣く彼女を、ロビーの近くを通りがかった他の宿泊客の人も驚いて見ている。
「仕方ないわねぇ……お百合、アナタちょっ……」
「ねえ歌舞くん、ちょっと百合子さん借りていいかな?」
私は歌舞くんの意見を遮るようにして割って入った。歌舞くんも、俊くんも、なんなら百合子さんも驚いたような目で私を見る。
「白鳥ちゃん、殴り合いに持ち込むのはダメよ?アナタ、右のビンタをかました実績があるんだから」
「そ、そんなことはしないよ!前に尾仲くんにしちゃったけどさ……。とりあえず百合子さん、お風呂、まだでしょ。今から私と大浴場行こうよ。女同士の話、しようよ」
私の言葉を聞いて固まった男2人を置いて、百合子さんの手を引き、エレベーターへ向かった。
女性用大浴場は昨夜同様、私たち2人の貸し切りだった。時計の針はまだ21時を回ったところ。寝静まる時間でもない。
他の女性客は最上階の露天風呂しか使っていないのか、それともこのホテルに女性客は私と百合子さんしかいないのか分からないが、ゆっくり、女同士の話をするのにこれ以上ない環境だった。
体を洗って湯船に浸かり、1日の疲れを取る。百合子さんは体を洗う時から湯船に浸かっている今もずっと俯いたままだった。
さっき私が桶を取ろうと動いた瞬間にビクっと反応して怖がる素振りを見せたあたり、歌舞くんに「殴り合い」なんてワードを出されたことで、私のことを怖がっているのかもしれない。そんなにすぐ人のこと叩かないって。前科はあるけど……。
「……改めてごめんね、遥ちゃん。気を悪くした……よね?」
広い湯船の端っこで、アゴまでお湯に浸かりながら百合子さんが申し訳なさそうな顔をしている。昨夜お風呂場で同じように顔半分を湯船に沈めていたけれど、恥ずかしがっていただけの当時の表情とはまるで違う。
「……正直、いい気持ちはしなかったかな。確かに百合子さんと俊くんは昔からの仲だって頭の中では分かってるけれど、実際当時の状況を知らない私は、あんなことを言われちゃったら不安になっちゃうよ。しかも、大切な彼氏が昔のこととはいえ『キープされていた』なんて聞いたら、やっぱりいい気持ちはしないよね」
「私、ワガママだよね……。俊の優しさに付け入るようなことをしちゃってさ。今も明に振り向いてもらえなくて当然だと思う。最低だもん、私……」
両手で頬を押さえていた彼女の目尻からは今にも涙がこぼれそうだった。温泉から立ち上る湯気が百合子さんの顔を包む。
「私ね、昨日の夜びっくりしたんだ。百合子さんとは初対面だったのに、話まで弾んじゃってさ。同じ人を好きになったからかな?もしかすると波長が合うのかもしれないね。これほどいきなり仲良くなれたような気がした女の子って、正直初めてだったかもしれないの」
「……私、そんなことを思ってくれている遥ちゃんに……俊の今の彼女の遥ちゃんに……俊は私に気があるとか、そんなひどいことを言っちゃったんだよね……」
彼女の湯気で火照った頬に一筋の雫が伝わる。私は深呼吸し湯気を肺に入れると、タオルで胸を隠しながら百合子さんに近づいていった。そして彼女の目の前に立つと、両手を広げ……彼女の両頬に手を当て、同じ目線まで腰を下げる。
私が両手を広げたのを見てビンタされると思ったのか、彼女は一瞬目をつぶり、歯を食いしばる素振りを見せた。だからすぐにビンタなんかしないよ私……。
予想外に両頬に手を当てられたことで、百合子さんは何がなんだかよく分からないという表情をしていた。
「ねえ、百合子さん……。いや、百合子ちゃん。私たち、友達になろ?」
「はひ……?」
両頬を押さえられたことに加えて、私の言葉が予想外だったようで口から変な反応が漏れてきた。悪戯心が芽生えた私は、両手の力を一瞬強めて彼女の両頬を押す。
「い、いだぃよ遥ぢゃん……」
「フフフ……百合子ちゃん、変な顔……はい、これで罰は終わり!」
両手を離して微笑んだ私を見て、百合子ちゃんは戸惑っていた。
「罰は終わりって……?」
「もうこの話はおしまいってこと!私、これからの百合子ちゃんと仲良くなりたいんだ!」
「で、でも、私、俊に……前にひどいことを……」
「それは俊くんに謝ることでしょ?私は当時の百合子ちゃんも知らないし、当時の俊くんのことも知らないの。そんな2人の関係について、私が謝ってもらうことなんか、最初から何一つないんだ。だからもう謝らなくていいよ。私と、これから友達になろ?」
私が言い終わるかどうかのところで、彼女は両手で顔を押さえながら声を出して泣き出した。まるでこれまで我慢していたものを外に放出するように彼女は泣いていた。
「俊くんにちゃんと謝ろ……?」
「俊、私のこと、許してくれる……かな?」
少し落ち着いたかなと思ったところで私が提案すると、彼女は不安そうな視線を向けてくる。
「大丈夫だよ。俊くん、優しいんだから。そんな彼を、私たちは好きになったんじゃない?」
私の言葉に一瞬表情が固まった百合子ちゃんが、すぐに微笑んで「……そうだね!」とはにかむ。やっぱりね。百合子ちゃんには笑顔が似合う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます