第129話 不良娘は負けない
「……お前も来てたのか、美栄」
苦々しい表情を浮かべた父親が唸る。その表情からは、『絶対会いたくなかった』という雰囲気が読み取れた。
「久しぶりお父さん。元気にしてた?……なんて言いたいところだけれど、そんな世間話もしたい気分じゃないわ。最後のほうしか聞いてないけれど、『才能がない』?『賢くなれ』?自分の息子に何を言ってるか分かってる?ねえ、何様のつもりなの?」
姉がそう言いながら、1歩ずつ階段を下りてきた。言葉の随所に深い怒りが籠められているのが分かる。
「……美栄、お前もまだボクシングをやってるらしいな。お前にも言ったはずだ、『そのリーチでは未来がないからもうやめろ』と。未来がない競技をただやり続けることになんの意味がある?」
「お生憎さま。残念ながらお父さんの言いつけを守らない不良娘はまだボクシングを続けてますよ。なんでやり続けるかって?好きだからに決まってるじゃない。私はお父さんに教えてもらったボクシングが好きだからやってるの。じゃなかったら減量もある殴り合いなんて誰がやるかって話よ」
父親相手に一歩も引かない姉の目には、少し涙が浮かんでいるようにも見えた。
俺と同様父親にひどいことを言われ、部屋でひとり泣いていたように、絶対姉も心に傷を負っていたはずだった。
それでも父親に向かっていく姉の強さを、俺はその隣で肌で感じる。姉の後ろでは都さんも、怒りに満ち溢れた表情を浮かべていた。
「俊だってね、ボクシングを好きだからやってるのよ。お父さんが私たちに教えてくれたこの競技のおかげで、俊は大切な女の子を守ることができたんだよ。『才能がない』なんて冷たいことを言われながらもさ、俊は努力し続けて、ボクシングを続ける意味を自分で見つけたから今ここにいるの」
「それはお前たちの勘違……」
「違うわ。私たちの勘違いなんかじゃない」
姉は父親の言葉を遮り、怒りをむき出しにした口調で反論した。あまりの迫力に父親がおののく。
「私も最近、ようやくボクシングをやる意味を見つけられたような気がする。俊はもう一人で見つけられている。それって凄い才能だって私は思う。これ以上、いくら父親だからって私の弟をバカにしないで。才能ある私の弟を侮辱しないで」
怒りの形相で放たれる姉の強い言葉に、父親は言葉を失う。そして一瞬寂しそうな、悲しげな表情を浮かべると、無言で俺たちに背を向け歩き出した。
「健太さん、ちょっといいかしら?」
階段の上から、もう一人、野太い声が聞こえてきた。振り向かなくても分かる。10年も聞いているのだから誰の声かなんてすぐ分かる。
「さっきの試合の前に、ウチの学校の選手に何か言ったようね。2回戦で絶好調だったウチの選手が、続く準々決勝の第1ラウンドで、明らかに動きが重かった。アナタに話しかけられた後にウチの選手の様子がおかしくなったんだけれど、何かご存じなくて?」
「……武史、お前もよく分かっているだろうが、誰かに話しかけられたからって、それでリズムを崩すようなボクサーは二流だ。三流と言ってもいい……。しかも俺たちは曲がりなりにも親子だ。別に言葉を交わすのは勝手だろう?」
父親がこちらを振り返ろうともせずに言葉を絞り出していく。
「ええ、もちろんよ。十分承知しているわ。ただ今回のケースは、『相手選手が所属する学校のコーチが、ウチの選手に声を掛けたことで発生している』ことを理解されていて?その場合親子であろうが関係ないわ。アタシたちが連盟に訴えて調査が入れば、当然、あとは分かるわよね?賢い健太さんならよーく……」
「武史、お前……俺を脅す気か?」
「いーえ?アタシだって小さい頃から健太さんには父親同然に世話になってるから。そんな恩をアダで返すようなことはしないわ。ただこれだけは言わせてもらいますけど、これ以上俊に関わったら、アタシは連盟にでもなんでも言うわよ。遠慮なんて一切せずにね。覚えておいていただけるかしら?」
カブの言葉に父親は軽く舌打ちすると、そのまま無言で去っていった。その背中は俺たちが昔から知っているより小さく、寂しげに見えた。
「な、なんでお姉ちゃんたちが京都にいるの?そもそも……お姉ちゃんとお姉ちゃんが知り合い……?」
「白鳥ちゃん、それは結構紛らわしいわね。区別して頂戴」
「あ、ごめん……。お姉ちゃんと美栄お姉ちゃんでいい?」
「お義姉ちゃん……。何度聞いても本当にたまんねぇ……」
バカ姉が恍惚の表情を浮かべていた。とてもではないが先ほどまで父親に対して一歩も引かなかった女性とは思えない。早速通常営業に戻っている。
「それで、なんで姉貴と都さんが一緒なんだよ」
「ようベスト8、びっくりした?」
姉がドッキリ成功みたいな笑顔を浮かべてくる。とりあえず今、一番言われたくないことをアダ名にしないでもらえるかな?
「美栄ちゃん、俊くんが今一番気にしてそうなことをわざわざ言わなくても……」
「あはは、ごめんごめん、ちょっと励ましてやろうかと思ってさ」
親しげにしゃべる姉と都さんは、昨日今日の付き合いとは思えない。隣を見ると遥やカブも驚いた表情を浮かべていた。
「俊くん、驚いたでしょ。私、先月頭くらいかな?大学の同級生だった美栄ちゃんと偶然同じ講義を取った時に仲良くなってね。それ以来たまに遊んだり、一緒にご飯に行ったりしてたんだよ?」
聞けば、遥が引っ越した日も近所のカフェに姉とごはんを食べに行っていたのだという。近所のカフェ、ああ、野イチゴと甘い吐息のあそこね。
「今朝さ、私が大学で朝練した後に偶然都ちゃんに会ってね。これも偶然だし、弟の試合でも見に行ってやろうかって話になって、来ちゃった♡」
「来ちゃった、じゃないんだよ。相変わらず思い立ったらすぐ行動しやがって」
「おいおい、感謝しなさいよ。都ちゃんがレンタカーで高速ぶっ飛ばしてくれたんだよ?2時間で着いたんだから。いやぁ、都ちゃんは飛ばすなぁ」
遥とほぼ同じ顔でおとなしい雰囲気の都さんに、飛ばし屋のイメージはまったくない。本人は手で口を抑えてウフフと笑っていた。人は見かけによらないな。
「ということは美栄ちゃん、俊の準々決勝は見たってことね?」
「なんとか間に合ったって感じかな。カブの試合も見たかったんだけど、まあ、どうせあんたは勝ってるでしょ。あんたの決勝くらいは一応見ておこうかな」
「あら嬉しいわ。アタシ、緊張しちゃうぅ♡」
なんで京都まで来てお前らのやり取りを見ないといけないわけ?俺はすっかり明に敗けたことも忘れて苦笑していた。そんな俺の横顔を安堵の表情で見つめていた遥に気づかずに。
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