第125話 俊くんにしかないもの

初戦の内容に点数をつけるなら10点がいいところだろう。なんとか判定勝ちできたが、正直勝ちを拾ったような内容だった。


もちろん初めて対戦することになった北海道代表の選手は、拳を交えた限り、正直県大会の決勝で戦った牧田のほうが実力上位だった気がする。


しかし俺の動きが重く、硬かったこともあって最後まで詰めきれなかった。たぶん会長が見ていたらブチギレて拳骨を食らっていたと思う。間違いなく町内30周コースだった。


決して昨夜、目の前で百合子に逃げられたことが原因だったわけではない。逃げられたことは驚きはしたが、もう1年以上も会っておらず、彼女にも何らかの事情があるのだろう。


その後遥が慰めてくれようとしたのもありがたかったし、決して気持ちの面で引きずっているようなことはないはず、だった。


自分の中で一番敗因として感じてたのは、やはり観客の目だったと思う。さすがインターハイ。県大会の規模とは比較にならない。昔全日本ジュニアに出たことはあるが、高校は競技人口も違うし、観客の数も段違いだった。


遥と付き合うようになってだいぶ周りの視線にも慣れた気がしていたが、さすがにこのレベルは経験がない。


数試合置いて行われる2回戦に向けてどうしたものかと考えながら、荷物を置いた選手控えスペースに戻ると、左手から鋭い視線を感じた。2つ後の試合に備えていた水谷明がこちらに視線を送っていた。


「……久々だな、明」

「今の試合はなんだ。あれが俊、お前の1年半なのか?大方周りの目が気になったとかそのあたりなんだろうが、あんなしょっぱい試合で勝ち上がるつもりか?」


小学5年生からの付き合いだけに、主な要因まで完全に見透かされているようだ。相変わらず口調も厳しい。


ただ明は自分にも厳しい男で、普段からストイックにボクシングに臨んでいることも俺はよく知っている。だからこそ、厳しい口調にはそれなりの説得力があった。


「しょっぱい試合、見せて悪かったな」


俺が頭を下げると、明は俺のほうを見て、視線を外さない。そして一度深呼吸すると、俺から視線を外して、これから自分が上がるリングに目を向けた。


「……俊、俺はボクシングは心技体のスポーツだと思っている。どれか欠けたら負ける。だからこそ、心技体全てを100%に整えるのは、試合に臨む上で当然だと思う」


もっともな話だ。技術だけあっても体がついてこなかったら勝てないし、いくら体力があろうが、技術と精神力が追い付かなければなんの意味もない。


俺の初戦は明らかに『心』の部分が追い付いていなかった。とてもではないが、これでは昨年の王者である明に挑む以前の問題だ。


「次の次、俺の試合だ。俺が中学を卒業して……高校でも健太さんに指導を受けるようになってから、どこが変わったか、見せてやる」


そう言うと、明は俺に背を向け、試合に向けて集中力を高め始めた。




「お疲れ様、俊くん!」


先に確保しておいたうちの高校のスペースに戻ると、遥がタオルとドリンクを差し出してくれた。もちろん初戦突破を心から喜んでくれているのは伝わってきたが、遥の目からは何か少し、覚悟のようなものを感じる。


「……全然、満足してないって顔ね」


遥の隣の席を譲ってくれたカブがつぶやいた。


「ああ……全然ダメだ。このままじゃとてもじゃないけど明相手に勝負にならない」

「よく分かってるじゃない。足は動いてない、手も動いていない、ビデオに撮ってなくて良かったわね。あんな試合パパに見せたら拳骨3発じゃきかないわよ?」


横目でチラリと俺を見る腐れ縁の言葉には、なんの反論の余地もなかった。


しばらくして、目の前で明の初戦が始まる。昨年のインターハイ、国体を優勝しただけあって、カメラや記者の数も俺の初戦とは段違いだった。


もし仮に、2回戦を勝って準々決勝で明と当たれば、これらのカメラのレンズや記者の目線とも戦っていかないといけないのだ。


自信満々に「どこが変わったか見せてやる」と言うだけあって、明のボクシングは中学時代から全体的に進化していた。


「凄いね、明くん……さっきから相手のパンチがほとんど当たってない……」


隣で遥が感嘆の声を上げる。俺と付き合うまでボクシングの観戦経験は練習試合の1試合という彼女でも分かるくらい、明の技術は飛びぬけていた。


相手と距離を取るアウトボクサーだが、間合いの取り方が絶妙に上手い。相手のストレートを丁寧に避けたり、腕で受けると、タイミングを合わせて踏み込んで有効打を次々に入れていく。


明は別に、何か奇をてらったようなことはしていない。全部アウトボクサーの基本的な動きなのだが、明はその基本的な動きを、コーチの俺の父親と徹底的に高めてきていた。


あまりに差があり過ぎるため、1ラウンドでRSC、レフェリーストップコンテストが宣告され、試合は明の圧勝に終わる。顔色一つ変えずにリングを降りた明の背中を目で追う。どうやってこの男に勝てるのか、ちょっと想像できない。


「さすがに強いわね、明ちゃん……」


カブも自分の想像していた以上だったのか、感嘆の声をあげていた。


「中学時代より間違いなく強いな……。正直、穴がなくなった印象だよ……」

「フフ……穴のないボクサーなんてこの世にいやしないわ。完璧というモノがないから、人は強さを追い求めるのよ」


たまーにいいこと言うんだよね、このゴリラは。確かにそうだと俺は心の中で納得する。


「ねえ、俊くん」


俺がそのまま頭の中で2回戦について考えていると、右隣に座った遥が俺の右手を握ってきた。そして遥の左手に力が籠る。


「初めて、俊くんが助けてくれた時のこと、覚えてる?」


いきなり、彼女の口から意外な言葉が出てきた。あまり思い出したくない記憶だろうに、それでもわざわざ話題にしてきた意図を思わず考えてしまう。


「フフフ、俊くん、大丈夫だよ、そんな難しく考えなくて。あの時さ、私を助けてくれた時の俊くん、本当にかっこ良かったんだ。もちろん今の俊くんもかっこいいよ?」


少し顔を赤らめながら微笑む遥の言葉に、言われた俺も恥ずかしくなって心音が高鳴る。


「……私ね、あの時の俊くんの動き、今でも覚えてるの。鋭くて、流れるようなあの動き。この人より強い人って、この世にいるのかなぁって思うくらい、綺麗で強かった。今の明くんの動きも凄かったけれど、私はあの時の薬師寺俊のほうが凄いって、今でも思うんだ」


そう言うと、彼女は俺の正面を向いて、両手を握り、力強い視線を俺に向ける。


「……ねえ、明くんになくて、俊くんにあるものってなんだか分かる?」

「なんだろうな……。うーん……才能じゃないし……」

「えへへ……答えはね、私だよ」


そう言った瞬間、一気に彼女の顔が赤くなった。俯いてしまって、その表情が見えない。相当恥ずかしいことを言った自覚があるのだろう。言われた側の俺も心臓が口から飛び出るかと思った。


「……周りの人たちがみんな明くんや、相手の選手を見ていてもさ、私はずっと俊くんから目を離さないし、私は心の底から俊くんを応援してる。心の底から、応援してる」


心から何か、スっと重いものが取れた気がした。『ずっと目を離さない』と言いながら俯いているのはご愛嬌だろう。


彼女の気持ちは両手を通して十分伝わってきた。この気持ちを無駄にしないようにしようと、俺は心の中で決めた。


「さすが白鳥マネージャー。いい仕事するわね……」


左隣で腐れ縁のゴリラが優しく微笑んでいた。

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