第124話 綺麗な百合には棘がある
会場が大歓声に包まれる。目の前のリングで行われた男子ヘビー級で、シード選手だった優勝候補の歌舞くんが1ラウンド圧勝を果たし、集まった観衆から歓声と拍手が巻き起こった。
私はまともに歌舞くんの試合を観るのが練習試合、本番通して初めてだったんだけれど、びっくりするくらい強かった。全国大会という舞台で緊張するであろう初戦なのに、歌舞くんは相手に何もさせずに2発ほどのパンチで勝負を決めてしまって、私は驚愕する。
右隣では杉森先生が歌舞くんの試合前から居眠りしていた。本当に何しにきたんだろうこの人。そしてなぜか左隣には、昨日お風呂場で仲良くなった『はずの』中道百合子さんが座っていた。
通っている女子校の夏服がかわいらしい。百合子さんの通っているお嬢様学校の制服、かわいくて好きだったんだよなぁ。白いブラウスに真っ赤なリボンが、彼女の美貌をより映えさせるはずなのだが、どうも表情は暗い。
「……遥ちゃん、昨日は逃げるようにいなくなってごめんね?まさか、遥ちゃんが俊の恋人だったとは思わなくて、私びっくりしちゃってさ……」
昨日は快活に笑っていた百合子さんが苦笑する。その顔は歌舞くんがよく言う恋する乙女の顔ではなく、どちらかというと昨夜、俊くんが私に見せていた寂しげな表情に似ていた。
「……私、遥ちゃんを不安な気持ちにさせちゃったよね」
「そんなことは……あるかもしれない」
「ごめんね。でも私、正直心の中では遥ちゃんを不安に思わせたいっていう気持ちがあったから、あの場から逃げちゃったのかもしれないんだ」
苦笑いしていた彼女が、一瞬こちらに恨めし気な視線を向けた気がした。
「え、どういうこと……?」
「私さ、お風呂場で遥ちゃんに言ったじゃん、『アプローチは前にもしたんだけど、付き合えなくて……』って。私、実は中学時代に俊と結構いい感じの仲になったんだよ。なんか上手いこといかなかったんだけどね。……でもあなたたちを見ていたら、中学の時に俊と付き合っていれば、今、遥ちゃんのポジションにいるのは私だったんじゃないかって、正直そう思っちゃった」
「それって……なんで私にそんなこと言うの……?今俊くんと付き合っている私に言う必要なくない?」
私の問いに対して、百合子さんは寂しげな表情のまま少しだけ笑った。
「……昨日さ、お風呂で『遥ちゃんがうらやましい』って言ったの、覚えてる?遥ちゃんはこの会場でさ、自分の彼氏がボクシングをやってる姿とか、かっこいいところを観れるわけ。私は彼氏でもない人を応援する立場。私のほうがみんなとの付き合いが長いし、みんなのこと、色々知ってるのにさ……」
「つまり、俊くんと付き合ってる私に対して嫉妬してるの……?俊くんのこと、まだ好きなの?」
「好きって言ったら、どうする?俊が、今も私のほうが好きだって言ったら、どうする?」
最後のほうで彼女は、挑発するような口調でそう言い放った。『今の彼女』の前で平然とこんなことを言い放てる彼女に無性に腹が立ってくる。
「……どうして私をそんなアオるような……」
「はいはいそこまで。ここは喫茶店の片隅じゃないわ。男たちが汗を流してタイトルを掴みにきている場所よ。ケンカはあとで駅の近くの喫茶店でやって頂戴」
いつの間にか目の前に立っていた歌舞くんが仲裁に入ってきた。言葉のトーン、雰囲気から怒っているのが伝わってくる。歌舞くんからその気配を感じたのか、「……ごめんね」と私に言い残し、百合子さんは立ち上がって会場の外に行ってしまった。
その後ろ姿を追いかけようともせず見送った私は、目の前でまだ怒った雰囲気を醸し出していた歌舞くんに頭を下げる。
「ごめん、みんなの大事な日に、私、熱くなっちゃって……」
「……最後のほうしか話は聞いてないけど、俊のことでお百合にアオられたってところかしら。まったく、あの子はいつまで経っても子どもなんだから。あとね、あんな子どもみたいな挑発的な言動に乗る白鳥ちゃんも、もう少し冷静に対応なさい」
「ごめんね……。『私のほうが付き合いが長い』とか、『私は彼氏でもない人を応援しないといけない』みたいなことを言われて、ちょっと頭に来ちゃったんだ。確かに、私はまだ付き合いだして1カ月だけどさ……」
「困った子たちねぇ……。前にも言ったけど、俊は今、白鳥ちゃんしか見えてないんだから。お百合になびくようなことはないわ。アタシ、自信持ちなさいって言ったわよね?」
歌舞くんが私の目を見ながら、はっきりと、励ますように語り掛ける。
「気持ちは分かるわ。お百合は客観的に見てかわいい。そして何より、アナタより10年も前から俊を知っている。そして一時期、俊の気持ちは間違いなくお百合に向いてた。1カ月のあなたがどうしても自信が持てないのは分かる」
まるで私の心の中を読んでいるようだった。歌舞くんには前に自信を持てと言われたけれど、百合子さんにアオられて簡単に怒ってしまうのは、つまり自分自身に自信がない裏返しでもあった。
「思い出は重要よ。こればかりは最近交際しだした白鳥ちゃんがお金を出しても無理。10年前の俊との思い出は買えないわ。でもね、大事なのは今なのよ。今、俊が一番大切にしているのはアナタ。そしてこの先も白鳥遥を大事にしようとしている。アナタが信じるべきは俊なんじゃない?」
「うん……本当にそう思う……」
「まったく……涙声になっちゃって。まずは自分に自信を持つこと。俊を信じること。そして今から始まる俊を心の底から応援すること。アナタがやるべきことはこの3つ。ほら、涙拭きなさいな」
そう言いながら歌舞くんがいつぞやの桃色のハンカチを手渡してきた。涙を拭いた私は、なんとか気持ちを立て直し前を向く。大好きな彼の大事な日に、私は何をやっていたんだろう。彼が前に好きだった人にアオられて、熱くなって。自分が恥ずかしい。
「あまり動きが良くないわねぇ」
俊くんの初戦の相手は北海道代表の3年生だった。先ほど百合子さんが座っていた場所に代わりに座った歌舞くんが、俊くんの動きを見て渋い顔をしていた。右隣を見ると、杉森先生がまだ寝ている。ホント、この人いなくても良くない?
「私にはよく分からないんだけど……。調子が悪い、ってこと?」
「調子が悪いというより、俊の悪いところが出てるわ」
「あ、あがり症のところ……?」
歌舞くんが頷く。そう言われて彼の動きをよく見ると、確かに練習試合や県大会のような軽快さがないような気がした。どことなく動きも硬い気がする。
「足が使えてないの。攻めも単調になってるし、まったく、何やってるんだか。大方これだけの人に囲まれてしっかり動けていないんでしょうね」
「……もしかして、昨日の百合子さんとのやり取りが原因だったりしない?」
「否定はしないわ。もしかしたら俊の心の中に引っかかっているのかもしれないわ。でもね、その程度の理由で負けるっていうことは、つまりその程度なのよ。アタシは薬師寺俊がその程度の選手だなんて思ってない。相手の子には悪いけれど、ここは通過点であってほしいのよ」
そう言いながらリングを見据える歌舞くんの目には、なんだか力が宿っていた。俊くんのことを信頼しているからこそ出てくる言動だろう。
それと同時に、暗に私に向けて、「アナタも俊のことを信じなさい」と言ってきているような気がした。
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