第123話 Complicated
「裕ちゃんは中学生の女の子に一目惚れして、顧問は日付を勘違いして寝坊、俊は昔好きだった子に遭遇して、白鳥ちゃんはその子とお風呂場で仲良くなった、と……。アナタたち、今日はインターハイ前日よ。分かってる?」
歌舞くんが額に手をあてて唸った。
私たちはあれからすぐ男湯からあがってきた歌舞くんに、これまでの事情を説明した。話を聞いた彼は溜め息ばかりついている。
「そ、その……ごめんなさい……」
「白鳥ちゃんが謝ることじゃないわ。アタシが昔の名前の呼び方にして、名字を言ってなかったのも悪かったんだもの。ただタイミングが悪過ぎるわねぇ。地元ならまだしも、京都の旅館の大浴場で偶然仲良くなった女の子が彼氏の幼馴染なんて、そんなのマンガでもありえないわよ?」
私もこの偶然に驚いていた。なんだかウマが合うなぁと思っていたけれど、俊くんの幼馴染だったと聞けば、なんだか納得するところもあった。
「大体お百合もお百合よ。呼び止められたのに逃げるなんて誤解を招くに決まってるじゃない。本当に昔からしっかりしてるように見えてどこか抜けてるんだから……。アタシがいれば良かったんだけどねぇ。本当に間の悪い子だわ」
歌舞くんが溜め息をついていた隣で、俊くんも深い溜め息をついている。そりゃあそうだよね、大一番の前日に、幼馴染の、……昔好きだった女の子が現れるんだもん。
「今更百合子に特別な気持ちはないけどさ……複雑ではあるよな……」
私の恋人は頬をかきながら、水を飲みほした紙コップをいじっている。
「とりあえず、お百合のことは一旦忘れましょう。まずは明日の大会に専念すること。今はそっちが優先。分かったわね、俊、白鳥ちゃん」
歌舞くんの最もな意見に私たちは頷いた。するとそこで男湯の暖簾が上がり、風呂上がりの杉森先生が現れた。日付を勘違いして遅刻したことから今日一日、この人の姿を見ていなかった。いたんだ。
「どうしたぁお前ら、風呂上がりにのぼせて集会でもしてんのか?」
「本当に間が悪いわねおスギ。そんな空気に見えて?」
「……見えねえな。まさかお前ら、風呂上がりに集まって……酒でも飲んでるんじゃないだろうな?」
杉森先生が真面目な顔でとんでもないことを言い始めた。え、林葉先生、普段からこんな人を相手にしてるの?
しかも高校時代から付き合ってるとか、人の好みにとやかく言うつもりはないけど、この人と高校生の時から付き合っていたという林葉先生の思考が信じられない。
杉森先生は私たちの空気なんておかまいなしに、自販機でビールを買って、畳の上に座ってグビグビやり始める。
「幸せそうな顔しちゃって。こっちの気も知らないでいい気なものね」
「バカ野郎、歌舞、今日は茜のことを気にせず酒が飲み放題なんだぞ?最高だと思わないか?」
「おスギ、アナタ何しに京都に来たの?」
「何しにってお前、酒を飲みに来た以外の理由が何かあるのか、むしろ俺が聞きたい」
真顔で答えた先生を見て、私たちは3人揃って溜め息をついた。
「ねえ俊くん、大丈夫?」
エレベーターを上がって私たちが泊まる部屋の階層にたどり着いてからも、俊くんは何か物思いにふけるような顔をしていた。
「あ、うん、大丈夫だよ、今日もありがとうね、遥」と言ってはくれたけれど、どうも心ここにあらずみたいな雰囲気だった。
歌舞くんも心配そうに私たちを見ていたけれど、「これ以上カップルの邪魔をするのは野暮ってものね」と言いながら部屋に戻ってしまった。
廊下で2人きりというのもなんだか恥ずかしくて、私は自室の隣の部屋である俊くんの個室に入って、ベッドの上に座りながら会話を交わす。
「……まさか風呂から上がったら、彼女と幼馴染が仲良くなってるとは思わなかったなぁ」
俊くんが窓の外を見ながら苦笑する。窓の外には明日の会場である体育館の姿があった。
「……俊くんは、まだ百合子さんに気持ちがあるの?」
私は思わず、核心部分に触れることを聞いてしまう。そして聞いてから後悔してしまった。
私はどういう答えを期待しているんだろう。俊くんは優しいから、絶対「今は遥が一番だよ」って言ってくれるのは分かっている。もしかしたらこの複雑な女心を落ち着かせる、安心感のようなものが欲しかったのかもしれない。
「確かに、カブの言うように、百合子が好きだったことはあるよ」
予想外の答えが返ってきたことで、思わず私はびくっとしてしまった。そんな私の心情を察したのか、私の右手を握る彼の左手の力が少し強くなった。
「誤解させてごめん、言い方が悪かったね。大丈夫だよ、今は本当に遥しか考えられないんだ。ただなんで百合子が俺に何も言わずに逃げるように去っていったのかが、ちょっと引っかかってるんだよ」
相変わらず苦笑いを浮かべる彼の目は、なんだか少し寂しそうだった。この表情を見て、彼の今の感情が恋愛的なものではないことを私は察する。
俊くんと百合子さんは、歌舞くんと共に小学1年生からの幼馴染だと聞いている。私よりも圧倒的に付き合いの時間が長く、積み重ねた思い出もあるだろう。そんな女の子が、自分を避けるように逃げてしまったことに彼は戸惑っているように見えた。
同時に、さっきまであんなにウマが合って仲良くなった『気がした』百合子さんに、私の心の中に怒りにも似た気持ちが芽生えた。
少しでもいいから、明日からの大会に臨む幼馴染を励ましてあげてもいいじゃんね。確かに今は違う学校でなくとも、9年同じ学校で、しかも近所で育ってきた間柄なんだからさ。
確かに、いきなり会ったことで戸惑う気持ちもあったのだろう。同情する部分はあるけれど、何も言わずに逃げるように去るのはズルいんじゃないかな……。
「本当に、今は遥のことが大好きなんだ。俺が一番好きな女の子は白鳥遥だって、心の底から言えるから」
考え込んでいた私を見て、彼は安心させようとしてくれているのだろう。その気持ちが何より嬉しい。
部屋の中で彼と2人きり。誰も見ていないのをいいことに、彼を抱きしめたくなる。彼のぬくもりを感じて安心感を得たかった。
でもここで彼に抱き着いて、もしお互いがヒートアップしたら、2人とも興奮して眠れなくなるかもしれない。自重した私は会話をなんとかまとめ、朝早かったからもう寝ると伝え立ち上がる。
するとその時、なぜか隣に座っていた彼も立ち上がる。そして私の右の頬に、何か柔らかいものが当たった。
「いつもありがとう、遥。明日、頑張るから。おやすみ」
そう言いながら恥ずかしそうに微笑んだ彼に、私はなんとか抱き着くのを我慢して部屋を出て、逃げるように自分の部屋に入り、扉を閉めた瞬間、思わず座り込んでしまった。
「いきなりほっぺにチューはズルいよ……」
どうやら今日、私は簡単に眠れそうにない。
翌日。ホテルの近くにある会場に入り、試合開始を待っていた私の席の隣に、百合子さんが座ってきた。
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