第120話 エアコンとの結婚式

「んで、このバカ野郎はジムの向かいの家の娘さんに一目惚れしたってわけか。どうしようもねえな、コイツは」

「パパ、もっと言ってやって頂戴。まさかインターハイ前日にこんなことになるとは思わなかったわ……」


ワゴン車の運転席と助手席で、歌舞親子が揃って溜め息をついていた。


『このバカ野郎』こと裕二は一番後ろの席で、荷物の間に挟まれてボケーっとしている。


「楓ちゃん……かわいかったなぁ……白鳥先輩……紹介してくれないかなぁ……」


自分の妹に対して一目惚れしてしまった裕二を見て、ワゴンの真ん中の列に俺と並んで座っていた遥が苦笑していた。


「裕二くん、楓は……まだ中学1年生だから、ちょっとそういうのは、早いかなあ?」

「お義姉さん……お願いします、俺が明日試合で勝ったら、楓ちゃんの連絡先、教えてください……」


上の空の裕二が車の天井を見ながらつぶやく。重症だなこれ。もう明日不戦敗になるんじゃない?


「おい裕二!てめぇ明日試合なんだからな!ふざけた試合したら歩いて帰ってこいよ、新幹線乗車禁止だからな!」


車内に会長の怒声が響いた。会長の怒声に窓が揺れる。普段からこんな声を出してよくこの車壊れないよなあ。装甲車を改造した車なんじゃないかと俺は思った。


「ったく、裕二はこの体たらくだ。あとで翔一がジムに来たら代わりにしごいてやる。とりあえず町内50周させたら縄跳びで縛ってやるからな」


裕二の兄の平翔一さんは、裕二がやらかす度に練習メニューを追加されていた。明らかにとばっちりを受けていて、なんだかかわいそうになる。


「か、会長は楓ちゃんを見たことがないから言えるんですよ!お姉さんの白鳥先輩とはまた違った、そう、井上先輩のようなクールな感じがたまんないんです……」

「ねえ遥、コイツ、今後ジムの中に軟禁しておいたほうがいいかもしれない。楓ちゃんに近づけさせてはいけない存在な気がする」

「あはは……そうかも……しれないねぇ……」

「呆れた。クールな感じがするなら誰でもいいのね裕ちゃんは。エアコンや扇風機とでも付き合ってなさいよ」


今日だけは同情するぞカブ。そうだ、来週にでも裕二とエアコンの結婚式を挙げさせて、楓ちゃんに手が出せないようにしよう。大会前にすでにダメになっている裕二を乗せたワゴンは、新幹線が止まる駅へ走り続けた。




駅で荷物と俺たち4人を下ろし、会長は車に乗って、ここまで来た道を戻る。俺たちの試合にはなるべく来てくれる人だが、直近に平さんの試合が控えていたこともあり今回は留守番だった。


代わりに俺たちの引率として、ダメ人間県代表の杉森先生が来るはずなのだが、待ち合わせの時間になっても杉森先生が来る様子はない。


「おスギ、遅いわねぇ。駅間違えちゃったかしら」

「いや、あの人のことだから集合時間を間違えたんじゃないか?」

「ありえるね俊くん。杉森先生だったら集合時間も集合場所も間違えてそう……」


そんな話をしている時、カブのスマホから着信音・津軽海峡夏景色が鳴った。


「あら、誰かしら……。林葉ちゃんだわ」


少し顔に戸惑いの色を浮かべたカブが、俺たちの学年の副主任であり、女子剣道部顧問、そして杉森先生の妻である林葉先生からの電話を取る。


「おはよう、林葉ちゃん。ちょうどいいタイミングよ。おスギはもう出発しているのかしら?……はぁ?」


その反応に驚いた俺たち3人が、一斉に声の主であるカブに視線を向ける。


「あ、そう。それは……林葉ちゃんも災難ね。同情するわ。ええ、先に京都に向かってるわ。よろしく伝えておいて頂戴」


そう言ってスマホをしまったカブは呆れた表情を浮かべていた。


「おい、杉森先生なんだって?集合時間間違えたのか?それとも場所間違えたのか?」

「それならまだ良かったかもしれないわ。おスギ、今日出発だって知らずについ10分前まで寝てたんですって」


そう言いながらカブは深く溜め息をついた。部員は朝から初対面の女の子に一目惚れして呆けているわ、顧問は今日出発だとも知らないわ、大変だね部長。珍しく同情するよ。



新幹線で移動とはいえ、京都まで実際は2駅、30分ほどで着いてしまうものだから、旅行感覚はまったくない。


俺たち4人はガラガラの自由席で席を向かい合わせ、手前に俺と遥、その向かいにカブと裕二が来るように座る。


「そういえば俊、アナタ、バンタム級のドロー表見たけど、順調なら準々決勝で明ちゃんと当たるわね。2度勝てばってところかしら」

「まあそう簡単にはいかないだろ、相手も全国の予選を勝ってきた選手だぞ?」

「まあ、アナタが上がらずに落ち着いて臨めれば、余程強い子でもいない限り2つは勝つわよ。問題はやっぱり明ちゃんねぇ……」


カブが窓の外のを見ながら溜め息をつく。


「歌舞くんがそんな表情を見せるってことは、やっぱりその、明くんって強いの?」

「強いすよ白鳥先輩。ちょっと尋常じゃないです」


俺たちの代わりに、向かいに座っていた裕二が答えた。裕二も昔からジムに通っているだけあって、明の強さをよく知っている1人である。


「俺たち歌舞ジムの若手で一番強かったのは武史さんなんです。で、2番目に強かったのが明さん。ウチの兄貴より強いですよ、あの人」

「え、だって平さんって日本ランク2位だってお姉ちゃん……いや、美栄さんが言ってたよ?」

「美栄さん、白鳥先輩に自分のことお義姉ちゃんって呼ばせてるんすね……。相変わらずヤバいなあの人……」


それは同意する。裕二、しかも初対面の時から自分のことをお義姉さんって呼ばせてたぞ、アイツ。


「……あまり旦那さんの前では言えないですけどね、実戦形式の練習とかで、俊さんは明さんにかなり分が悪かったで……いたっ!」


旦那さんと呼ばれたことで俺は思わず裕二の膝を小突いた。隣で遥が「だ、旦那さん……」と小声で呟き、頬を紅潮させながら俯いていた。


「……確かに、明ちゃんが俊をリードしていたのは間違いないわ。でもそれは1年ちょっと前までの話。あの時と俊が違うのも確かだから、決して分の悪い勝負ではないと思ってるわ。大丈夫よ、今なら白鳥ちゃんもいるんだから」


カブが相変わらず窓の外を見ながら、静かな口調で言葉を紡いだ。俺より強いと聞いて焦っていた遥を落ち着かせる目的もあったのだろう。実際いいタイミングで補足してくれたおかげで、彼女は少し落ち着いた様子を見せる。


「え、武史さんらしからぬ様子ですね?いつもだったらもっと騒いでるのに。緊張してるんすか?」

「はあ……違うわよ裕ちゃん。アナタをあさっての京都観光中、清水の舞台から投げ落とすか、鴨川に掛かる三条大橋から突き落とすか、どっちにするか迷ってるのよ……」

「ヒッ、ヒィィ!」


裕二が両手で頭を抱えた。お前は本当に自業自得が多いよね。


でも、確かに言われてみると、カブの様子はいつもと違ってやや心ここにあらずという感じもある。それは試合への緊張などではなく、また違うことについて悩んでいるようにも見えた。

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