第11章 そうだ、京都に行こう
第119話 密航
1週間後。曇天の空の元、俺はインターハイに出場するため京都へ行く日を迎えた。
朝、白いポロシャツにデニムというラフな姿でスポーツバッグを抱えた俺を、寝起きでパジャマ姿の姉・美栄が玄関先まで見送りに出てくる。
「どうよ、デキの悪い弟よ、調子は」
「まあまあ、かな」
「まあ、適当に頑張ってきなよ」
ざっくばらんなエールだが、長年の付き合いだからこそ、姉なりに応援していることは分かる。
「そういや遥ちゃんも来るんだって?いいねぇ、恋人の応援までついて。私なんかこの前のインカレ、家族の誰も応援に来なかったのに。彼女付きで負けたら恥ずかしいぞ俊」
「……それを言われると辛いところだな。まあ、実力を出し切れるよう頑張るよ」
「……そういや、明とはいつ当たるの?」
水谷明。父親が俺たち姉弟を捨てて選んだ男の名前を突然姉が出してきたことで、俺は思わず振り向いてしまった。
姉の表情に、どこか暗い影が差している。姉にこんな顔をさせる原因を作った父親を俺はやはり許せないようだ。
「明とは……お互い勝ち進めば準々決勝で当たる。トーナメント表は見た」
「……そう。まあ、悔いは残さないよう、頑張ってきな」
そう言うと、姉は右の拳を前に出した。意図するところを理解して、俺も右手の拳を突き出し、軽く拳が触れる。
「……努力を残してこい」
「分かった。やってくる」
最後は笑顔を浮かべた姉に見送られながら、俺は家を飛び出した。
母親はもう仕事に行ったらしい。車庫に車がなかった。スポーツドクターという仕事柄、母親はいつも忙しそうにしている。最後に俺の試合を観に来たのはいつだろう。少なくともこの2年近く観に来てもらった記憶はない。
俺だけでなく姉も最近試合を観にきてもらったことはないはずだ。仕方ないとあきらめているところがあるから、特に気にすることもない。
100m離れた白鳥邸に、我がボクシング部の女子マネージャーを迎えに行く。スマホで時間をチェックすると8時20分。待ち合わせは8時30分だから少し早い。
「おはようございまーす……」
「あら俊くん、早いわね、遥ー、俊くん迎えにきたわよー」
インターホンが鳴り来訪者に気づいた雪さんが玄関まで迎えてくれて、次女のいる2階に声を掛けた。
まだ準備中とのことで、俺はリビングで待たせてもらう。誠さんはもう仕事に出ていて不在だったが、幼稚園に向かう四女の唯ちゃんがテレビを見ながらごはんを食べていた。
「しゅんくんだぁ!どこかいくの?」
「うん、試合にね」
「しあい……?でーとのこと?」
唯ちゃんが不思議そうな表情を浮かべるのを見て、思わず笑ってしまった。遥そっくりの顔をした4歳児は、俺に関わるすべての外出をデートだと勘違いしているフシがある。
「唯、デートじゃないよ、お兄ちゃんは試合に行くの」
ダイニングから、食パンを片手に三女・楓ちゃんが出てきた。ジャージ姿から察するに、この後ソフトボール部の部活動があるのだろう。
「楓ちゃんも早いね。暑い中お疲れ様」
「まあね、でもお兄ちゃんのほうがお疲れさまだよ、この後全国大会でしょ?凄いよ」
「あはは……まあ、カブと違って事前の評価は低いから。どう、部活は慣れた?」
楓ちゃんは10日ほど前に引っ越してきたばかりで、地元の中学校のソフトボール部に入部したのもつい先週の話。まだ数回程度しか練習に参加していなかった。
「うーん、まあまあかな。でもチームのみんなも優しく迎えてくれたし、思ったよりうまくやれそう!」
そう言いながら笑う楓ちゃんに、俺は少し安心した。内心友達ができていなかったらどうしようと思っていたが、この分なら問題なくチームに溶け込めそうだ。
「しゅんくん、しあいいくなら、ゆいもいく」
コアラちゃんがいつの間にか足にしがみついている。
「唯ちゃんは幼稚園に行かないといけないでしょ?」
「ううん、ゆい、ようちえんいかなくていい。しゅんくんとはるちゃんについてく」
「今度一緒に遊ぶ約束したでしょ?その時まで我慢だよ?」
俺が何とか説得を試みるが、コアラちゃんは足から離れない。最後はキッチンから溜め息をつきながら雪さんが出てきて、強引に剥がし、コアラちゃんにお説教しながら朝ごはんを食べさせていた。
唯ちゃんは暴れていたが、雪さんが俺に見えないよう怖い顔をしたのか、ヒッ!とおびえた声を出し、しぶしぶ残りのごはんを食べていた。
あれだけ駄々をこねていた唯ちゃんをすぐに黙らせるのだからよほど怖い顔をされたのだろう。俺も雪さんだけは怒らせないようにしないと、心の中で誓った。
「ごめん俊くん、遅くなっちゃった!」
キャリーケースを持った恋人が2階から降りてくる。黒のシャツにクリーム色のハイウエストのワイドパンツ。艶やかな髪を下ろして、黒いリボンがついた麦わら帽子をふわっと被っていた。
「荷物、多いね……」
「2泊3日だしね、このくらいはあるよねぇ」
彼女が苦笑していると、唯ちゃんが近づいてきて、おもむろにキャリーケースを開けようとしていた。
「あ、ダメだよ唯!……まさか、この中に入ろうとしてる?」
俺の目の前で、4歳児がキャリーケースに入って、密航しようとしていた。
「……ゆいがこのなかにはいったって、ままにはないしょだからね」
唯ちゃんは人差し指を唇に当ててシーっと言いながら、キャリーケースのチャックに手を掛けた。その時……。
「へぇ……、唯ちゃん、誰に内緒にするの?」
後ろから雪さんに声を掛けられた唯ちゃんが、恐る恐る後ろを見る。そのまま再度捕獲された唯ちゃんは半ば強制的にごはんを食べさせられていた。以前都さんや遥が唯ちゃんのことを天使と称していたが、行動がいちいちかわいい。
「それじゃ、俊くん、頑張ってね」
雪さんと、1階に降りてきた都さんに励まされる。
「お兄ちゃん、応援してるよ」
「しゅんくん、でーとがんばってね!」
一人まだデートだと勘違いしているようだったが、白鳥家総出で応援されて、俺も気分が良くなった。
「いい報告ができるよう頑張ります」
そう言って俺と遥は白鳥邸を出て、向かいの歌舞ボクシングジムへ向かった。ここから会長の運転する車で新幹線が止まる駅まで送ってもらい、京都に向かう予定になっている。すでにカブも裕二も準備を整え、ジムの前でおしゃべりしていた。
「あら、新婚さん、いらっしゃい」
「まだ結婚してねぇよ」
「同じ家から家族に見送られて、もう家族になったようにものじゃないの……」
カブが溜め息をついていた。隣にいた裕二がうらやましそうな顔を浮かべて俺と遥を交互に見やる。
「俺も……インターハイでかわいい女の人に応援されたいですよ俊さん……」
「あら裕ちゃんにはアタシがいるじゃないの?」
「武史さん……俺、人って言ったんです……あっ、やば」
「フフフ、裕ちゃん、今夜は忘れられない夜にしてあげるわ?♡」
カブに睨まれた裕二が、俺にすがるように、半泣きみたいな表情を浮かべている。まあ、今のは自業自得だろう。するとそこに、白鳥邸から楓ちゃんが飛び出してきた。
「はるちゃん、忘れ物だよ、ほらお財布」
「いけない、私またお財布家に忘れるところだった……また俊くんに全部出してもらうところだったよ……ありがと、楓……」
遥には初デートの時に財布を忘れるという前科がある。さすが楓ちゃん、お姉ちゃんのこういうちょっとドジな一面を理解しているのだろう。姉が家を出た後に念のため、姉の部屋を見に行ったのかもしれないな。
「あら、おはよう楓ちゃん」
「あ、歌舞さん、おはようございます。明日は頑張ってください!」
「ええ、サクっと終わらせて裕ちゃんを清水の舞台から突き落としてくるわ」
腐れ縁のゴリラがなんだか物騒なことを言いだした。予告された側の裕二は青ざめた顔をしている。分かるよ、このゴリラは本当にやりかねないもんね。
「裕ちゃん……?」
楓ちゃんは初めて聞く名前に、不思議そうな表情を浮かべていた。
「ええ、裕ちゃん。ああ、楓ちゃんは初対面だったわね。この子猫ちゃんが裕ちゃんよ」
「あ、は、初めまして、平裕二です、高校1年生です、好きな食べ物はカレーと……」
「おい裕二、自己紹介でいきなり好きな食べ物言いだすヤツはいないだろ……」
どうやら裕二はいきなり目の前に現れた美少女を前に緊張して声を発せなくなっているらしい。すると楓ちゃんが優しく微笑んで、裕二の手を握った。
「インターハイ、出られるんですよね?頑張ってくださいね!」
「は、はひ!」
裕二の声が完全に裏返っていた。おい裕二、この子は狙っちゃダメだからな?
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