第59話 自慢の教え子
準決勝の相手は西巻商業の脇本。オーソドックススタイルから強打が持ち味のインファイターだ。
中学生の時に一度だけ試合したことがある。その時の記憶を頭の片隅から引き出し、俺は試合開始後、一旦相手から距離を取る。お互いにリングを回るように動きながら、脇本の出方を見る。
こちらから攻めなければ向こうから距離を詰めてくる。狙うタイミングは脇本が距離を詰めてきたところ、俺のリーチに入ったところだ。
予想通り脇本は我慢できず懐に入り込もうとしてくる。俺はフットワークを使って半歩後方に下がると、右ストレートを打つ脇本の拳を左腕で止め、右の軽めのジャブを放つ。
予想通り相手が左腕でガードした瞬間、俺は体勢を入れ替えて、左フックを脇本のボディ側面に入れた。苦悶の表情を浮かべたところに再度左を入れるそぶりを見せる。脇本の意識が俺の左にいったところで、今度は右のフックを脇腹に入れていく。
今までは左オンリーの攻めになることがあったが、会長に右中心、オーソドックススタイルでやるよう命じられていたこともあって、だいぶバランスのいいコンビネーションが打てるようになった。
痛みで体勢を崩した脇本に更に追撃をかけたところで、レフリーが割って入る。レフリーストップコンテスト。圧倒的な内容で俺は決勝に駒を進めた。
リングから降りようとすると、リングサイドにいた遥が満面の笑みでサムズアップしてきた。右の拳を突き上げ答えると、なぜか遥の隣にいたカブがハートを射抜かれたようなそぶりを見せて、両手を胸前で交差させ、後ろにモタれかかる。
いや、俺はお前にやってないんだよ。
準々決勝から準決勝までの間隔はだいぶ開いたものの、準決勝が終われば決勝はすぐ。俺の1つ前、もう片方の準決勝を勝ったのは北部林業の牧田だった。昨年の県大会バンタム級の覇者で、コイツも中学生の時から他のジムに通っていた。
先に試合が終わった牧田のほうが体力的には有利な状況ではあるものの、脇本との試合を1Rで終わらせたことで、俺もだいぶ余裕がある。一息ついた俺は、試合まであと5分というところで、一応歌舞会長に挨拶へ向かった。
「会長、どうでしょうか、今日の俺の動き」
「……言いたいことはまだまだいっぱいある。動きだって改善点しかねえ。ただ、お前が去年の今頃の薬師寺俊とは別人だってことはよーく分かった。気合入れてけ、大丈夫だ、お前は俺の自慢の教え子だ」
会長はそう言うと、俺の背中をバン!と力強く叩いた。いや、ちょっと力が強過ぎますね。あとで絶対これ手形が背中に残るやつですよ?
しかし長らくお世話になった会長に「自慢の教え子」と言われるのは嬉しい。遥をチラっと横目に見ると、満面の笑みで拳を握り、目の前に突き出してくれた。
左手を上げてその動きに応え、軽く拳を突き出して触れる。去年とは違う。支えを失った時の俺じゃない。俺は今、多くの人に支えられている。
リングに上がり、牧田と挨拶代わりに右拳を当て、試合が始まった。同じオーソドックススタイルとはいえ、さすがに脇本と比べて牧田は隙がない。
インファイターでもなく、身長もリーチも脇本より少し大きい。下手にこちらから突っ込むと思わぬパンチをもらってしまうだけに、距離を取りながら我慢の時間が続いた。
こちらから少し誘いのジャブを入れても、簡単に誘いには乗ってこない。お互い攻め手を欠きながら1ラウンド終了。いったんリングサイドに戻り、後輩の黒川が差し出した椅子に座る。
「へへ……今日、初めて薬師寺先輩に椅子いれました。先輩、ここまで全部1ラウンドで終わらせるんですもん。俺の仕事、今日はないのかと思いましたよ」
「……そうか、俺、今日2ラウンド目に入るの初めてか」
「薬師寺先輩が強いのは普段のスパーリングとか見ているから知ってましたけど、僕の想像以上です。ヤバいです。本当にヤバいです」
ヤバいしか言わないなコイツ。言語力に乏しさに苦笑していると、黒川は恥ずかしそうな表情で笑った。
「いいこと、俊。落ち着いて攻めれば楽に勝てる相手よ」
いつの間にかリングサイドにやってきたカブが俺に声を掛ける。
「簡単に言うけどよ、相手は去年の県チャンプだぞ?」
「大丈夫よ。彼が去年県チャンプになれたのは、薬師寺俊が出場していなかった影響だから♡」
おかしいなあ。去年、俺は出ていた記憶があるんだけどなあ。そんなことを思いつつ苦笑していると、カブが珍しく真剣な目で俺を見つめた。
「俊。勝ちなさい。一緒に行くわよ、京都」
「……京都ではお前とじゃなく、遥とデートするからな」
「あーら、3人で行く清水の舞台もなかなかいいんじゃなくて?♡」
俺が心身ともにまだ余裕があることを確認したのだろう。カブの表情にも笑みが戻り、リングサイドから離れ自席に戻った。
2ラウンド目が始まると、牧田が少し前に出てきているのに気づく。1ラウンド目でほとんど有効打を与えられなかったことから、少し距離を詰めてチャンスを作ろうとしているのだろう。
俺より若干リーチの長い牧田相手に、俺はいつでも上体を後ろに逸らせるような体勢を取りながら、体を少し両サイドに揺らしていく。
牧田はこちらとの距離をじっくり詰めることばかりに気を取られていて、自分が少しずつコーナーの方向に背を向けようとしているのに気づかない。牧田の背中とリングのコーナーが重なった瞬間、俺は胸前に持ってきていた両腕のガードを下げた。
そこで牧田が距離を詰めて左のジャブを放つ。なるほど、本線は逆、右のストレートか。すぐに察した俺は、更に体勢を低くしてガードの両腕を上げ、あえてもう少し引き付け、牧田が2発目の右ストレートが打ち終わった瞬間に前に踏み込む。
いきなり踏み込まれ狼狽した牧田の動きを左ボディで止めると、もう一度左のボディを狙いにいく。サウスポースタイルの俺の左を警戒していた牧田の頭には、準決勝で俺が撃ち込んだ左のイメージがしっかり残っているはずだ。
あえて左を何度も使ってガードを左に集中させることで、今度は空いた右にフックを入れやすくなる。予想通り牧田の右が空いた。フックを入れると牧田がよろける。見逃さなかった俺は左で更に押し込み、ジリジリとコーナーサイドへ追い込んだ。
コーナーを背負った牧田は左右に逃げようとするが、逃がさない。牧田に入れる一発一発に、俺はこの1年半の色々な思いを込めた。
父親に捨てられたあの日。ボクシングをやる意味が分からず負けた昨年のインターハイ県大会。安易な同情はせず、より厳しい練習を課した会長の愛。見捨てず同じ高校に通ってくれたカブ。そして、高校で出会った最愛の人。
次々に頭に思い浮かぶ、俺を支えてくれた人への思いを込めるように、右、左とコンビネーションを打ち込んでいく。
最後に思い浮かんだのは、俺を捨てた父親の顔だった。父親の面影を振り払うように、渾身の左ストレートを打ち込もうとしたところで、レフリーが俺と牧田の間に入る。
レフリーの手が交錯する。歓声が耳に入る中、俺はリングサイドの最愛の人の方向に体を向けた。彼女は喜びのあまり、隣にいたカブをバンバン叩きながら泣いていた。
牧田と互いの健闘を称え合った後、レフリーが俺の右手を上げる。拳を突き上げた俺は、県大会を優勝した。
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