第42話 あれから1カ月
公園を出た俺たちは、駅に繋がる道を手を繋いで歩いていた。太陽の姿はとうの前に遠くに見える山の稜線の奥に消えて、アスファルトの道路を街灯が照らす。右手で繋がる女の子が今日から自分の彼女だと思うと、何とも言えない幸福感に包まれた。
「ここで、ボウリングしたんだよね……」
ボウリング場の前に差し掛かるところで、遥さんが口を開く。俺たちの初デートの日、パンケーキを食べた後にやってきたのがここだった。
遥さんが横綱土俵入りのような体勢で、両手でフンッとボールを投げていた姿を思い出し、俺は思わず思い出し笑いをしてしまう。
「あ、俊くんがなんか思い出したー!」
遥さんは顔を膨らませて、頬をほんのり朱に染めた。
「い、いや、あの時の遥さん、かわいかったなあって……」
「え……?」
思っていなかった返事がやってきたのか、彼女はすぐに頬をしぼませ、赤い顔を俺とは逆の方向に少し俯かせる。表情がコロコロ変わるこの姿、めっちゃかわいいかよ。
かわいいと言われて恥ずかしかったのをごまかそうとしたのか、咄嗟に遥さんが話を振ってきた。
「あ、そ、そういえばさ、俊くんってボウリングそこまでやってなかったんだね?」
「それ、この前ボウリング場でも聞かれたけど、そうだよ、中学校以来だった。どうして?」
「あー……これ、歌舞くんとの秘密だったんだっけ」
彼女が目を泳がせながら、まずい話題を振ったと後悔した顔をしている。
「……彼氏としては詳しく聞きたいなあ!」
俺が自分で彼氏と言ってしまったことに対して恥ずかしくなって顔を熱くすると、遥さんの口からは小さな声が漏れた。
「あ……あのね、俊くんとデートでどこに行けばいいかって、事前に歌舞くんに聞いてたんだ。インテリアショップに行って、カフェでパンケーキを食べて、ボウリングに行くって、歌舞くんの案なの……」
「あのゴリラ……」
「お、怒らないであげて!歌舞くんは電話で私の相談に乗ってくれただけだから!」
彼女はあたふたしながら俺を抑えようとする。あのゴリラが裏で色々糸を引いていたことより、デート前に俺より先に遥さんと電話していたことになんだか腹が立ってきた。
しかし納得するところもある。いきなり俺が好きなインテリアショップに連れていかれて、次は俺が好きなパンケーキ。偶然にしてはちょっと出来過ぎだったし、これがあのゴリラの案なら納得だ。
しかしそうなるとボウリングが分からない。俺は別にそこまで好きでもないし、中学校以来だ。それは俺と腐れ縁のカブもよく知っているはずだった。
「ボウリングっていうのが分からないなあ。俺がそんなに行かないことも、アイツは知っているはずなんだけど」
「へ?そうなの……?私、歌舞くんから、俊くんは上手いから手取り足取り教えてもらえるって聞いたよ?近所で『ターキー俊』って呼ばれてるって」
「ごめん、もう一度。今なんて?」
「え、……『ターキー俊』?」
なんだその恥ずかしい通り名。聞いたこともないぞ……。俺は恥ずかしくなって、穴があったら入りたくなる。
「ごめん遥さん……俺もその通り名知らない」
「えええ?ならなんで歌舞くんはそんなウソを……?」
「うーん……。あ、そうか、だからボウリングか……」
俺はこの道を歩きながら、カブの狙いに気づいてしまった。あのゴリラ、余計な気を回しやがる……。
「アイツはわざとボウリングに行かせたんだよ。俺たちがデートで集合する時間もアイツが決めてた。時間的にボウリングが終わるのは夕方。ボウリング場を出て駅まで歩くと、絶対歌舞ジムの前を通る。夕方はアイツがジムの前の植物に水やりをすることになってるんだけど、あの日アイツはロードワークとか言って、ジムにいなかった……」
「わざとこの道を通らせて、ジムの前を歩くように仕向けたってこと?」
「そう。アイツがいなければ、ジムの前の植物の水やりは親父さん……会長がやる。俺たちと鉢合わせするっていう寸法だよ」
「なんでまたそんなことさせたんだろ?」
俺にはなんとなく分かる。あの日、ジムには平さんがいた。平さんのスパーリングパートナーであるカブがロードワークと称していなくなると、平さんは練習ができなくなる。
そこに俺が歩いてきたら、半ば強制的に練習に付き合わされるかもしれない。そうやって俺がボクシングをやっている姿を、遥さんに見せられる可能性がある。たぶんカブの狙いはこんなところだろう。あの野郎、まどろっこしいことしやがって……。
「まあさ、詳しいことは私には分からないけど、歌舞くんには感謝しないといけないなあ」
「カブに感謝?あのゴリラに感謝なんてすることある?」
「あるよお。だって歌舞くんが裏で色々考えてくれたことで、私は今、大好きなか……彼氏と手を握って歩けてるんだもん……」
顔を真っ赤にしてこちらを上目遣いで見る遥さんに、俺はクラクラしそうになり、そのまま道端に倒れるかと思った。おいおい、めっちゃかわいいかよ……。
「そ、そうだよな……。俺、初めてカブと友達で良かったと思ったかも」
「えー?10年も一緒にいて?」
「そう、初めて。俺はアイツに感謝したのこれが初めてだ」
「……いい、お友達を持ったよね、俊くんは」
普段なら秒で否定するところだが、この時ばかりは俺は何も口にせず、無言で頷いた。あのゴリラが最初に動かなかったら、たぶん俺から動いていなかったし、彼女とこうして結ばれることはなかっただろう。
今度大会が終わったら、アイツにパンケーキでもおごってやるかと、心の中で思った。
しばらく道を歩いていると、再び遥さんが口を開いた。
「そういえばさ、俊くんは私のこと、前から気になってたって言ってたけど、いつから好きだったの?」
恋人はこちらを見ながら優しく微笑んでいた。俺はこの笑顔が高校1年生で同じクラスになった時から大好きだった。
「……1年ちょっと前、1年生で同じクラスになった時からずっと好きだった……かな?」
「そんな前から!?ならもっと早く言ってよ!」
「俺があがり症のヘタレだって知ってるでしょ……」
「ううん、俊くんはヘタレじゃないよ……」
そう言うと、右手にいた彼女が急に立ち止まり、つま先だけで立って、俺の右耳の近くに唇を寄せる。
「何度も、私は俊くんに助けられているんだから」
耳元で囁くように言うと、遥さんはそのまま唇を下に降ろし、頬にキスしてきた。驚いた俺が彼女のほうを見ると、顔を耳まで真っ赤にして目線を斜め下に下ろしていた。めっちゃかわいいかよ……。
そのままお互い恥ずかしがりつつも、2人で仲良く手を繋ぎながら、引き続き初デートで通った道をたどるように最寄り駅へ歩いていく。そうこうしているうちに、左手に『歌舞ボクシングジム』の看板が見えてきた。
「私も歌舞くんのジムに通おうかな?俊くんや美栄さん……あ、お姉ちゃんにボクシング教わりたいな!」
「うーん、ジムに入るともれなくあのハゲ……じゃないや会長と、カブがついてくるよ……?」
「それは……ちょっと困るなぁ……」
苦笑する彼女を見て、俺も自然と笑みがこぼれる。笑い合いながら俺たちは、ジムの向かい、2階建ての青い屋根の家の前に掲げられた『改修中』の看板の前を通り過ぎた。
「ねえ……そういえばさ、さっき私を助けてくれた時、『遥』って、呼んでくれたよね……?」
商店街のカフェの前を過ぎたあたりで、彼女がボソっと、小さな声で囁いた。俺は記憶をたどる。無意識のうちに、さんも付けず、彼女を呼び捨てにしてしまっていた。
「あ、あの、咄嗟のことで……」
「……ううん、嬉しかったんだ。好きな人から名前を呼び捨てされるのって、なんかいいね」
こちらを少し向いて、顔を赤らめながらはにかむ彼女の笑顔がまぶしい。
「これからはさ、『遥』って呼んでくれないかな?付き合ってるんだからさ?」
「え……。う、うん、付き合ってるしね……。なら、遥?」
「……ん、なあに?」
かわいらしく首をかしげながら答える姿を見て、俺は今にも彼女を抱きしめたくなる。俺の欲望、理性を抑える脳内のストッパーが完全に外れそうになっていた。この先俺のストッパーがどこまで耐えられるのか、不安でしかたない。
「ねえ、俊くん……」
「ん?どうしたの、……遥?」
「……フフ、なんでもなーい!呼んだだけ!」
イタズラっぽく笑った彼女の横顔を見て、俺はこの子を一生大切にしようと心に決めた。
1カ月前、ゴールデンウィーク明け初日の朝、腐れ縁のオネエに危うく手を繋がれそうになったこの道を、その1カ月後、俺は心の底から好きな恋人と手を繋ぎ歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます