第15話 拝啓、大阪のお母さん
目の前の女の子に、ここまで泣かれた記憶がない。
姉貴は基本的に涙を人に見せない。1年ちょっと前にだいぶ辛い出来事があったが、その時も姉貴は俺の前で泣かなかった。まあ、のちほど部屋で泣いている声は聞こえたのだが。
「アタシが昔、俊の前で泣いたでしょ」なんて、10年来の腐れ縁の声が頭の奥に響くが、あのゴリラを女の子にはカウントしていない。除外だ。
目の前で、好きな女の子が泣いている。こういう時スムーズにハンカチでも出せればいいんだけどなぁ……。残念ながら女の子とデートも初めて、女の子に慣れていない俺に、そんなスマートな行為はすぐに選択できない。
でもここでハンカチを出せなければ、あとから姉貴やカブにまた責められる気がした。何より彼女の頼れる人間が目の前の俺だけしかいないことを考えると、俺が動かないのは男としてどうなのかと思った。恐る恐る、震える手で自分のハンカチを手渡す。
受け取り目元をぬぐう姿を見てこちらがドキドキする。うわ……俺のハンカチを好きな子が使ってるよ……。非現実的な状況を見て、俺はある程度冷静さを取り戻した。
しかもハンカチを渡しながら、なんかすごく恥ずかしいことを口走った気がする。録音なんかされていたら死ねる。この場にカブがいなくて良かった。
白鳥さんが落ち着くのを待ちながら飲むコーヒーは、ガムシロップを入れたのに随分と苦い。鼻に入ってくるコーヒーの匂いも、いつもより苦みが増しているような気がしてならない。
ふと周りを見ると、周囲の視線がこちらに集まっていた。俺は自分があがり症であることは自覚しているが、目の前の圧倒的存在感の美少女に気を取られていたこともあって、周りの視線を集めていることに気づかなかった。
俺たちの話が聞こえない周りからすると、パンケーキを食べていた女の子がいきなり大号泣しているように見えるわけで……。中には状況的に俺が泣かせたように見えたのか、非難するような視線を俺に浴びせる者もいる。
いや、俺が泣かせたわけじゃ……うん?でも俺が泣かせたような気もするな……。思考を巡らせていると、少し落ち着いたのか、目元に涙の跡をつけた白鳥さんが俺に声を掛けてきた。
「あ、ごめんね俊くん……!うん、色々言えて少しスッキリした!そろそろいこっか!」
そう言いながら彼女は再度貸したハンカチで目元を拭うと、自分の右隣に置いた白い小さなバッグの中を漁る。漁りながら、先ほどまで泣いて赤くなっていた顔が、今度は青くなっていった。
「ん?なんかあった?」
「し、俊くん……。ごめんなさい、ワタシ、サイフ、イエ…」
最後は片言のような日本語を発すると、彼女は再び泣きだしそうな顔になる。
「……あ、大丈夫だよ!ここは俺が持つからさ!」
「え、でも誘ったのは私だし……」
「いいよ、デート代は男が払うもんだって姉貴に口を酸っぱく言われてきたから!」
なるべく自然な笑顔を浮かべて、彼女の罪悪感を少しでも取り除こうと努力する。少しでも彼女にとって、今日のデートがいい思い出のまま終わってほしかった。
「申し訳ないよ……」
「でもさ、払わないとお店出られないよ?……あ、ならさ、次回のデートの時に少し多めに出してもらう形にしな……」
思いついたような妥協案を口にした途中で気づいてしまった。俺はどさくさに紛れてなんで次のデートの約束しているんだろう。
「つ、次…?」
「い、嫌だったかな?」
「う、ううん!ま、また俊くんとデートしたいから!だ、大丈夫だよ!」
真っ赤な顔で頷きながら、絞り出すように声を発する彼女の顔を見て、俺の心臓の鼓動が更に早くなる。かわいいかよ……。
☆☆☆
拝啓、大阪にいるお母さん。
死にたいです。私からデートに誘ったのに、財布を家に忘れました。彼が全部払ってくれました。
財布も忘れたとは知らずに、調子に乗ってトッピングとして生クリームなんてつけちゃっていました。その分も彼は全部払ってくれました……。もう俊くんの顔をまともに見れない……穴があったらどこでもいいから入りたい……。
さっきまで大号泣していたものだから、周りのお客さんの好奇の視線もなんだか痛い。俯きながら、手で顔を隠すように、逃げるように私は店を出た。
「……色々あったけど、パンケーキは美味しかったよね」
再び私から手を握り、歩き出してから少し経って。恥ずかしそうにしていた彼が口を開く。
「う、うん!こんな美味しいパンケーキ、初めて食べたかも……」
実際おいしかったな。フワフワのパンケーキは甘く、それでいてしつこくない後味で、無限に食べられるような感覚を与えてくる。家の近所にこんなおいしいパンケーキが食べられるカフェがあるのがうらやましい。こういうカフェが近所にほしい。
「次回はあの野イチゴパンケーキが食べたいかな!」
「あー……『恋する乙女の休日』?」
「それ!やっぱり名前が気になって……」
「まあ……本物の乙女が休日に食べるならいいか」
彼は左手で首元を掻きながら苦笑していた。そんな姿が妙にかわいく見えてきた。
「で、白鳥さん、次はどこ行く?」
「あ!次はね、ボウリング!んっ…!」
ボウリングと言い終えると同時に気づいた。私、今財布持ってないんだった。情けない事実を思い出して背筋に冷たい感覚を覚える。
パンケーキ代もボウリング代も全部払わせようとしている最低な女だ私……。そんなふうにアタフタしたり落ち込んでいる私を見ながら、彼は少し困ったように笑っている。
「大丈夫だよ白鳥さん。ボウリング代も俺が出すからさ」
「ええ……全部出してもらって本当に悪いよ……」
「大丈夫だよ、この近くのボウリング場は確か安かったはずだし、全然俺が出せるよ」
「ふぇーん……。ほ、本当に次回のデートは私が出すから!」
握っていた左手に力を籠めると、彼の顔が赤くなった。
「そういえばさ、俊くんってボウリング上手いんでしょ?」
カフェから歩いて10分ほどでボウリング場に着く道中、彼に尋ねる。歌舞くんに事前に聞いた、「安い」ボウリング場だ。財布を家に忘れて全額出してもらう立場の私としては、少し罪悪感が薄まる。
「え?そんなことないよ?今日だって久々だから。中学校以来じゃないかな?」
「へ?そうなの……?上手いから手取り足取り教えてもらえるって、ターキーしゅ…あっ」
「ん?どうかした?」
最後のほうは小声だった分、俊くんには聞かれていないみたい。近所で『ターキー俊』って言われてるのは秘密って、歌舞くん言ってたもんね。
でもおかしいな、歌舞くんは、俊くんの趣味がボウリングだって言ってたのに。それなのに俊くんは中学生以来なのだという。さすがに趣味と言える感じでもない。
でも親友の歌舞くんが俊くんの趣味を間違えるはずもないしなあ……。頭の中で考えを巡らせているうちに、私たちはボウリング場に到着した。
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