第14話 美少女のトラウマ
「そういえばさ、なんで白鳥さんは月曜、あんな古い雑居ビルに入っていったの?」
私が生まれてから17年で最大の過ちを悔いながら、小さく開けた口にパンケーキを入れていると、俊くんが意を決したように話しかけてきた。
どうごまかそう……。まさか隣のビルのBL専門店と間違えたなんて言えない。でも俊くんは私のことを助けてくれたし……。私は口ごもり、白いワンピースからのぞく自分の足元を見つめる。
「あ、何か言えない事情があるのなら大丈夫だよっ!」
俊くんが焦ったような表情を浮かべて、おしぼりで自分の口元を押さえていた。何か地雷を踏んだと思ってしまったのかもしれない。優しいな、彼のこういうところ。
こんな俊くんに助けてもらったのに、私がごまかすのはなんだかフェアじゃない気がした。彼に申し訳ない気がした。彼に隠し事はしたくない、そんな気がした。私は彼に、自分をごまかすことをやめた。
「あ、あのね……。笑わないで聞いてほしいんだけど、本当に用事があったのは隣のビルだったんだ……」
これまで、お姉ちゃんにも言えなかった私の秘密。いや、言わなかっただけで、実は姉に気づかれているのかもしれないけど。月曜、助けてもらった直後に歌舞くんにバレた以外、まだ誰も知らないはずの私の秘密。
「隣のビル……?あ、もしかして、行きたかったのって『黒薔薇』?」
「うん……そうなの。私、BL系が好きなんだ。みんなには黙ってたんだけど」
「そうだったんだ……」
引かれると思い顔を上げると、意外なことに、目の前の彼は至って落ち着いていた。
「笑わないの……?引いたりしないの……?」
「引かないよ……だって俺、10年もカブと腐れ縁やってるんだよ?」
そう言って彼は苦笑した。引いている様子は一切ない。私の緊張が少しずつほぐれていく。
正直、絶対引かれると思っていた。引かれたらもう最後。彼とこうして二人で遊ぶことないと思っていたのに。
「だって、白鳥さんが好きなんでしょう?人の好きなものを笑ったり、バカにする権利は誰にもないよ」
「で、でもさ、その……。人によっては気持ち悪いって言うかも」
「もちろんそういう人間もいるかもしれないよ。でも、さっきも言ったように人の好きなものをバカにする権利はないんだ。価値観は人それぞれだし、なんらかの確固たる理由があって好きなんだと思う。逆にさ、自分の好きなことをバカにされた時に、あなたはどう思いますか?って俺は思うんだ」
私の心には以前からぶら下がった重りのようなものがあったんだけど、少しずつ、心が軽くなっていくような気がした。目の前の彼は私を否定しない。私の価値観を尊重してくれている。
「俺はカブを小学1年生から見てる。アイツ、今ではみんなに受け入れられているけど、小学校に入った頃は軽くいじめられてたんだよ。話し方が変だって。筆箱も花柄のピンクのかわいいやつでさ。子どもは分からないから、『男のくせに』ってバカにする。善悪の区別がついてない小学校の低学年ならいいけどさ、善悪の区別がある程度つく高校生にもなって、人の価値観を否定するのは違うと思うな」
俊くんはコーヒーを口に含むと、恥ずかしそうな表情を浮かべ、苦笑した。この人は私を受け入れてくれている……。そんな気がした。
「私さ……中学3年生の頃に一度だけ、クラスのみんなにBL小説を読んでるのがバレかけたことがあるんだ」
「え、教室で読んでたの?」
「ううん、ブックカバーを着けて、帰りの空いた時間に読んでたんだ。でも偶然カバンから落ちちゃってさ。その時にカバーも外れちゃって……」
あの時の背筋が凍る感覚は今でも覚えている。この趣味がバレたらもう冷たい視線で見られるんじゃないかって。一瞬自分の中学生活が終わりかけた気がしたあの当時を思い出して手が震え出す。
「別に悪いことをしているわけじゃないし、私だって自分の趣味は堂々とやりたいんだ。でも中学3年生の子たちには、その……BLはまだ『一般的』な世界観ではないじゃん?」
「まぁ……そうだね……」
目を見ながら、彼は私に話しかけ、そして私の話をちゃんと聞いてくれる。それが何よりも嬉しい。おかげで、彼には当時のことを包み隠さず言える気がした。
「カバーの外れた小説を拾った当時の同級生の女の子がさ、パラパラと中身を見た後に『キモ……』って言ったんだ。で、『これ遥の?』って聞いてきたの。私、その反応を見てとっさに、『ううん!』って否定しちゃったんだよね」
「……その小説は結局どうなったの?」
「そのままゴミ箱に捨てられちゃった……誰のものか分からないけど、気持ち悪いからって。私、それ以来絶対この趣味だけは人にバレないようにって思って生きてきたの。バレたら、私も捨てられるんじゃないかって……」
私の目に、自然と涙が溜まっていく。もう箱に入れてそのまま心の奥底に閉まったはずの思い出なのに。忘れたい思い出なのに。
「だからさ、黒薔薇が4月にできた後も行く勇気が持てなかったんだ。絶対楽しめる場所なのに、もしお店に入ったところを誰かに見られてバレでもしたら……」
「それって、自分の気持ちに嘘をつくことにならない?」
向かいに座る彼の言葉はその通りだ。その通りだよ。その通りなんだよ。でも、私の口からは肯定の言葉が出てこない。
「私は自分を演じているだけなんだよ。可愛いって言ってくれるのも嬉しいんだけどさ、みんなが求める私で居続けないといけないってどうしても思っちゃうんだ。だからみんなにウケる白鳥遥を作るの。趣味に使う時間を削って、勉強して、成績も落とさないようにして、美容やファッションも研究して……」
そんなことを言っているうちに私の目の端に溜まった涙が、頬に一筋の道を作る。
「あ、ごめん……!急に変なこと言っちゃって!困るよね急に、ごめ……」
慌ててごまかすように言い、目元を手で強引に拭おうとした時……。向かいに座っていた彼が、その行為を制すように手を伸ばしてきた。手には青いハンカチが握られていた。
「涙、拭いて……?」
その申し出に私は潤んだ目をパチパチさせながら彼を凝視すると、目の前の男の子は顔を赤くしながら顔を逸らしつつ、口を開く。
「さっきも言ったけどさ……。人の好きなものを笑ったり、バカにする権利は誰にもないんだよ。カブも小学校低学年の頃は一瞬いじめられてたんだけど、自分が好きなものに正直に生き続けて、今は堂々と暮らしてる。自分に正直に生きて幸せそうにしているヤツを、俺は知ってるんだ。白鳥さんも同じようにやれとは言わない。でも自分に嘘をつかないでほしい。自分に嘘をついて落ち込む白鳥さんを俺は見たくない」
再び意を決したように彼は私の目を見て、ゆっくりと、はっきりと、それでいて優しい声音で語り掛けてくる。その心地いい言葉の響きに、私は少しずつ顔を上げた。
「黒薔薇にだって、バレるのが怖くても勇気を出して行ったんでしょ?それくらい白鳥さんは自分の趣味を大切にしたいんだよ。もし見つかってバレるのが怖いんだったら、俺が一緒に行くから」
「え……?」
「一緒に行ってさ、そこで見つかったら、『俺が来たかったんだけど、1人で来るのが怖いから白鳥さんに付き添ってもらったんだ』って言えばバレなくない……?だから今度さ、一緒に行こうよ?」
苦笑しながら頭を掻く彼を見て、再び私の瞳の端のダムが決壊する。優しい彼の前で、涙が止まらない。
周りのお客さんが心配そうにこちらを見ているのが分かる。止めようにも、溢れ出る涙を制御できない私は、午後15時過ぎのカフェで浮いてしまうくらい泣いてしまった。
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