第13話 バナナが食べたい
拝啓、大阪のお母さん。
私は今、爆発したいです。もう今すぐ爆発して消えたい……。おやつのパンケーキを食べにカフェに向かう最中、私は顔を真っ赤にしながら俯いていた。
今日、何回発言でドジっただろう。無意識に言葉が出てくるのが私の悪いところだっていう自覚はある。
よくお姉ちゃんからも「口に出てるよ」って言われるもん。気を付けてはいるんだけど……。今日はあまりに恥ずかしいことばかり口から出てきて、穴があったら入りたい。
男の子と手を繋ぐという、普段やっていない、そもそもやったこともない行為が私の口を緩くしているのかもしれない。歌舞くんに「恋する乙女の目をしている」なんて言われて、俊くんを意識してしまっている影響もあるのだと思う。
今も左手から伝わってくる暖かい感触が私の心臓の鼓動を早くする。目の前にいた彼に旦那さんなんて言葉をつい口走ってしまった。
思い返せば、ソファを見ていた時に、気持ち良くてつい隣にいた彼にもたれかかってしまった。思い返せば、ベッドを見ていた時に、シングルベッドだと2人で一緒に寝ると逆に密着できるなんてことを、つい口にしてしまった。
顔から火が出るって言葉があるけど、まさに今この瞬間だ。この言葉、言い得て妙だなと私は思う。本当に火が出そう。俊くん、全部気にしないでくれるといいんだけどな……。
「そ、そういえば白鳥さんはよくパンケーキ食べに行くの?」
「ひ、ひゃぁい」
交差点を渡る時、急に声を掛けられたことで私の口からとんでもない単語が飛び出す。ひゃぁいって何よ。ひゃぁいって。
「い、いや、よく友達と食べに行くのかなって……」
「あ……うん、行くよ。麻友とかと。でもあの子部活があるから、最近あまり行けてないかな……。俊くんは?」
「俺、実はパンケーキ好きでさ。食べに行きたいんだけど、ボクシングは減量があるから、大会前とか試合前は行けないんだ。だから貴重な機会なんだよ」
「そうなんだ……食べたい時に食べられないって大変だよね……」
ボクシングの経験は私にはないけど、好きなものが食べたい時に食べられないという苦労は想像を絶する。彼の寂しそうな表情、口ぶりからも減量の苦労を察することができた。
「うん。でもたまに食べに行こうとしてもさ、邪魔なヤツが一人ついてくるから落ち着けないというか……」
「ああ、歌舞くん?」
「そうそう。あいつ、俺が一人でパンケーキ食べに行こうとして家を出ると、なぜか家の前にいるんだよね。言ってもないのに。『パンケーキは2人以上で食べに行くものよ。パンケーキ屋は1人での入場が禁止されていることを知らないの?』なんて言うんだよ」
「か、歌舞くんらしいね……」
俊くんがブラックコーヒーを飲んだように苦い表情をするのを見て、私は思わず笑ってしまった。俊くんは歌舞くんの話をする時大体口を尖らせているが、口調とは裏腹になんだかんだ仲がいいことは伝わってくる。
「男と2人でパンケーキ食べに行きたいなんて誰が思うかってね……しかもアイツ、甘いパンケーキ食べながら『甘い雰囲気で食べる甘いパンケーキ……乙女の私には刺激が強過ぎるわ……』なんて言ってくるんだよ。食欲なくすよね」
「本当に仲良しさんだよね、2人」
「いや、腐れ縁。単なる腐れ縁」
「ふふっ、俊くん、歌舞くんの話する時楽しそうだよ?」
「白鳥さん……」
俊くんが辛そうな表情を浮かべて俯いた。そんな表情をさせるつもりではなかった私は焦ってフォローに回る。
「ごめん!傷つけるようなつもりはなかったの……」
「ああ、大丈夫だよ……実際アイツは一番付き合いが長いからね」
「ごめんね……。でも歌舞くんのおかげで、私……」
「ん?カブが白鳥さんになんかしたの?」
「あ、ううん!なんでも!」
不思議そうにこちらを見てくる俊くんから視線をそらし、ごまかす。そうだった、歌舞くんにデートのキッカケの件は内緒にしてって言われてるもんね……。そんなことをしゃべりながら手を繋いで歩いていると、いつの間にか目的地のカフェに到着した。
駅前商店街のちょうど真ん中にあるカフェは、落ち着いた内装で、いい木の匂いがした。静かに掛かっているクラシックが耳を優しく包む。
案内された一番奥のボックス席に向かい合って座った私と俊くんはメニューを開いて、パンケーキと飲み物を選ぶ。私が選んだのはシンプルなホイップバターにアイスカフェオレ。俊くんはチョコバナナにアイスコーヒーを注文した。
注文後、なんとなくメニューをめくっていくと、変わった名前のパンケーキが私の目に止まった。かわいらしいイチゴがトッピングされた写真の脇に書かれているメニューの名前は……。
『野イチゴと甘い吐息~恋する乙女の休日~』
「ねえ俊くん、かわいくて変な名前のクレープがあるよ」
「……ああ、それ、カブが名付け親」
「へ?」
私の口からアホっぽい声が漏れ出た。え、名付け親、歌舞くんなの?
「ここ、俺たちの家から近いから、たまに食べに来るんだ。前にカブと食べにきた時にカブがその野いちごパンケーキを頼んだんだよ。おいしかったらしくて、アイツ、一口食べたら溜め息つきながら、『これが甘い乙女の、甘い休日の過ごし方ね……』なんて言い始めてさ」
俊くんの顔は若干引きつっていた。分かるよ。私もパンケーキ食べてそんな感想生まれたことないもん。
「偶然、このお店のマスターがアイツの発言を聞いてたんだよ。何を思ったのかメニューの名前を変えちゃって、次に俺たちが店に来た時には、名前が野イチゴパンケーキから変わってた」
深く溜め息をつきながら苦笑する俊くん。表情に苦労の色がにじんでいる。たぶん普段から歌舞くんに振り回されているのだろう。
「た、大変だったね……」
「慣れたけどね。もう小学生からの付き合いだから」
そんなやり取りを交わしていると、女性店員さんが注文したパンケーキを持ってきた。鮮やかな焼き色、ほんのり漂うメイプルの香りが私の鼻をくすぐる。
匂いだけじゃない。力を入れなくてもストンと落ちるナイフ。食べずとも分かるフワフワな感触が私の食欲を誘った。
「ん、おいしい!」
「ここのパンケーキ、美味しいんだよね」
パンケーキを食べたいと誘ったところ、俊くんが自宅の近所でよく行くというこのお店を指定してきたんだけど、連れてきてもらって良かった。最高。大当たりだ。
自分のパンケーキを半分ほど食べたところで、ふと、私は俊くんが食べていたチョコバナナのパンケーキを見た。
見た目で分かるほどフワフワな生クリームに、深い茶色のチョコソース。迷ったんだよね、チョコバナナもいいなあって。チョコバナナも食べてみたいな……。迷いに迷った末、思い切って私は俊くんに声を掛ける。
「ね、ねえ……。私、俊くんのバナナが食べたいなあ……」
目の前の彼の手が止まった。左斜め前のカウンターに座っていたOL風のスーツを着た女の人が私のほうを驚いたような目で見る。
え、私……なんか言ったかな……。自分の発言をもう一度、ひとつずつ思い出していく。
「俊くんの……バナ……あっ」
耳まで熱くなったのが自分でも分かった。私は机に突っ伏して、十数秒前の自分の発言を心の底から悔やんだ。言葉足らずだったとはいえ、とんでもないことを口走ってしまった。
拝啓、大阪のお母さん。あなたの娘は今、人生17年間で最大の過ちを犯しました……。
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