第8話 脱がせて、いい?

「は?助けた美少女とデートに行く?少女漫画の話?」


テレビを見ていた姉・美栄が素っ頓狂な声を挙げる。


「ええ、そうよミエちゃん。アナタの大切な弟くんが、学校で一番の美少女とデートに行くわ」


リビング隣のスペースに置いてあるテーブルで、カブが夕食の焼き魚の骨を取りながら答えた。


放課後の部活動を終え、当たり前のように付いてくるカブと一緒に帰宅した俺は、頭を抱えながらこの会話を聞いている。驚きのあまり食事が進まない。てか、なんでカブ、お前はナチュラルにウチでメシを食ってるんだ。


「さすがね美保ママ。今日のお味噌汁の味付けも最高だわ」

「カブくんありがとうねえ。ウチのバカ息子は全然褒めてくれないのに。できた子だわ。ねぇ、ウチの息子にならない?」


美保ママと呼ばれた俺の母・薬師寺美保やくしじ みほが両頬に手を当てて喜びの声をあげる。姉貴に似てかわいらしい顔をした、とても40代半ばに見えない童顔の母は、笑顔で昨日、自分の息子が女の子を助けた話をカブから聞いていた。


「俊?今の話聞いた?最高の提案だわ。美保ママに同棲の許可どころか結婚のお許しまでいただいたわよ」

「全然いただいてねえよ……」


腐れ縁の言動に俺の溜め息は止まらない。小学校の低学年の頃から俺の家でメシを食ってきたカブは、今や家族の一員と言っても良かった。


専用の食器、専用のグラス、なんなら専用の歯ブラシまで置いてある。更に言えば、俺の部屋のクローゼットにはカブのフリルがついた私服まで入っている。


クローゼットを開けると否が応でも目に入ってくるため、そのたびに俺は頭を抱えている。「アナタだけなら使っていいわよ♡」なんて言ってくるが、全力でお断りしていた。




一方、姉のほうを見ると、こちらは不思議そうな表情を浮かべている。童顔にアメリカのマンガのキャラクターがプリントされたTシャツがよく似合う。


「でもさ、いくら助けられたからって、手まで握ってこんな平均的な男をデートに誘うかね?」

「弟に向けて平均的ってお前……」


姉の失礼な発言に少し怒りを感じながらも、自分でもそう思う。確かに俺は彼女を助けた。お礼にデートというのも、100歩譲ってまだ分かる。でもお誘いだけなら体育館の裏とか、人目の付かないところでやればいい。


あんなに顔を真っ赤にして、手を握りながら、クラスメイトたちの前で声を張って誘う必要性がないのだ。あがり症を自覚している俺は、まるで顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。


その場から逃げようと思ったが、好きな子から左手を握られたことで逃げられなかった。真面目な白鳥さんが自発的にそんな恥ずかしがるようなことをする理由が思いつかない。


「覚悟を決めた乙女はね、強いの」


隣で味噌汁を飲むカブがしみじみとした声で言う。おいゴリラ、少なくともお前は乙女ではないだろ。


「俊、あなた、そんな勇気を出してくれた子を悲しませちゃ駄目よー」


やり取りを聞いていた母親の声がキッチンから届く。悲しませちゃ駄目って、付き合ってもないのになあ……。


するとそこで母親の意見を耳にした腐れ縁が、急に真面目な顔をして俺を見据えた。


「俊、真面目な話、あれは恋する乙女の目よ」

「んなわけあるかよ、助けたからってそんなことで惚れるほど俺はイケメンでもスペックが高いわけでもないって」

「あら?アタシは俊の魅力を知り尽くして……」

「だからやめろ誤解を招く」


家族はもうこれが当たり前だと思っているから流しているが、もし公共の場でこんなことを言われたら、俺はもうこれから先、外を歩けない。俺のことを誰も知らない遠い町の高校に転校する。


「まあ、精いっぱいエスコートすることね。アナタ、多くの人たちが行きかう場所で白鳥ちゃんに話しかけることもできないでしょうけど。あがり症だから」

「それなんだよなあ……俺、彼女とまともに話せる自信がない。そもそもこれまで白鳥さんとは会話も3回くらいしかやり取りできてないし、その内2回は『おはよう』『また明日学校でね』だぞ……」


本当にこのくらいしかやり取りをしたことがない。改めて、彼女がわざわざみんなの前でデートに誘ってきた理由がよく分からなくなる。


「いい?俊、アナタに足りないのは自信。白鳥ちゃんを助けたのはアナタ。そのお礼も兼ねたデートよ。アナタが強引にセッティングした話じゃないわ。白鳥ちゃんは恩を返したいし、アナタとおしゃべりがしたい。それにすら応えられないなんて、そんな小さな男に育てた覚えはないわ」

「お前に育てられた覚えもないけどな……」

「いいから、堂々と行ってらっしゃい。白鳥ちゃんと一日デートなんてアナタ、何度も夢に見ていたでしょ。どうせ授業中もそんな妄想に勤しんでいるんでしょ」

「なんで人の妄想の内容まで知ってるんだよ……」


図星を突かれた俺は思わずビクっとしてカブを見た。


「思春期の男子なんてそんなものよ。この世代のオトコはみんな頭の中で品のないことを考えて、好きな子の服を頭の中で脱がせてるんだから」


腐れ縁の大男の言葉に、俺の顔が熱くなる。残念ながら否定しがたい。


「うっわ、変態。弟やめてほしい」

「姉貴よ、俺はまだ白鳥さんを頭の中で脱がせたりはしていない」

「まだ……ね。これは時間の問題だわ。俊、アナタ今夜、寝る前に頭の中で白鳥ちゃんの服を脱がせて、あんなことやこんなことを妄想する気ね」

「うっわ、変態。弟やめてほしい」

「だからストーリーを作るな」


姉から蔑むような目線を浴びつつ、俺も重たい手つきで箸を進めた。その後も生産性のない会話を続けた後、カブは「ごちそうさまでした。美保ママ、明日はビーフシチューがいいわ」と、翌日の夕食のリクエストまでして帰っていった。


コイツ、ウチを定食屋と勘違いしているな。




その日の夜。俺は白鳥さんの夢を見た。夢の中で俺は、白鳥さんと布団に隣同士で座っていた。そして俺は息をのみながら言う。


「脱がせて、いい?」

「うん、優しくお願い……」


頬を紅潮させ呟く彼女の、水色のブラジャーのホックを外したところで……目覚まし時計が鳴った。


俺は目をこすりながら、タイミング悪く鳴った目覚まし時計を恨めしい目で見るのだった。

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