第5話 イチャイチャ同棲タイム
5月の上旬とはいえ、日が沈めばまだ少し肌寒い。俺は自宅近くの公園で缶コーヒーを飲みながら、30分ほど前の出来事を脳内で振り返る。訪れるのは激しい後悔だけだった。
「好きな女の子を置いて逃げるってなんだよ……」
確かに8人の男を倒し、白鳥遥を守ったのは事実だ。しかしそんな彼女を、信頼できる親友が現場にいたとはいえ、そのまま置いて逃げてしまった。
あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい。俺はさっきからずっと肩を落としたままベンチに座って頭を抱えている。
……このまま考えていても仕方ないだろう。空になった缶コーヒーを公園入口近くのゴミ箱に捨てて、家路につくことにした。
歩くこと2分。2階建ての一軒家が目に入る。10年ほど前に父親が建てた城だ。と言ってもよくあるサイズの一軒家だが。この城に、ワケアリで今は俺と姉、そして母の3人で暮らしている。
ここから100mほど歩けば、カブの実家である歌舞ボクシングジムがある。親父も動物園からこんな近いところじゃなく、もっと離れたところに家を建ててほしかったよなぁ……。
「お帰り、俊。ご飯にする?お風呂にする?それとも、ア・タ・シ?」
リビングのドアを開けた瞬間、奥のソファに座っていた大男の、聞き慣れ過ぎてもう耳にしたくない声が俺の耳に入ってきた。本当にもっと遠くに家を建ててほしかった。
俺は静かに、ドアを閉める。すると再度ドアが内から開き、大男が出てきた。昼間散々見た顔だ。
「なんでお前が俺の家でくつろいでるんだよ」
「あら、同棲相手に邪険にするなんて反抗期かしら」
「同棲相手ってお前、近所の人が勘違いするようなことを口走るな。なんでここにいるんだよ。鍵はどうした」
「合鍵♡」
ポケットからハート型のキーホルダーがついた俺の家の鍵を取り出し、ふふん♡と言いながら俺に見せる腐れ縁。
コイツに自宅の鍵を渡した家族は一体何を考えているのだろう。荷物を置いてソファに座ったところで再度頭を抱えていた俺に、腐れ縁が声を掛ける。その声は少し怒りの感情を帯びていた。
「俊、アナタ、白鳥ちゃんを置いて逃げるのはさすがに失礼だったんじゃない?」
「……それに関してはごめんな。頭の中が真っ白になっちゃったんだよ」
「アタシに謝ることじゃないわ。置いていかれる白鳥ちゃんがかわいそうって話よ。まっ、良かったわね、好きな子にカッコイイところを見せられて。なかなかいいボディだったわよ」
「インターハイのチャンプに褒められるのは悪い気がしないね……」
そう言いながら俺は立ち上がって、冷蔵庫へ向かい麦茶を取り出す。カブの「あのボディを試合で見せてくれたら、アナタは全国でも勝てるのにね……」なんていうつぶやきは、距離が遠くて俺には聞こえなかった。
10分ほどカブと話していると、リビングの扉が勢いよく開いて、元気のいい声が響いた。
「はいただいまぁ!お姉ちゃんのお帰りですよー!ようカブ、来てたの」
小さい頃から歌舞ボクシングジムに通っていることもあって、カブとも幼馴染。170cmちょっとの俺より15cmほど小柄で、童顔。守ってあげたくなるかわいらしい見た目をしているが、それは見た目だけ。
中身は口より先に手が出るタイプの、すぐ右ストレートを放つ危険性の高いゴリラだ。好戦的過ぎて困る。
「あらミエちゃん、ご無沙汰」
「もー、先週会ったばかりでしょ!カブ、今日もいい眉毛してんなあ!」
「チャームポイントを褒めてくれてありがとう、ミエちゃんも相変わらずかわいいわね。見習いたいわ」
バカ2人の会話を横目で見ながら、俺は麦茶をすすりつつテレビ画面に目を移す。そんな俺に目もくれず、2人はキャッキャと言いながら盛り上がっていた。
「ミエちゃん、そういえば聞いてよ。今日、俊が女の子を助けたんだから」
「俊が!?女の子を!?あのあがり症ですぐにヒヨる情けないヘタレの俊が?」
実の姉とはいえ、なんて言いようだろう。ダメ男の数え役満じゃん。そんな姉に事件の経緯を話すカブの顔はどことなく誇らしげで、嬉しそうに見える。
「カッコ良かったわよ。8人の男を一瞬で倒しちゃったんだから。動画に撮って見せたかったわね、俊の雄姿」
「このヘタレがねえ……。かわいい女の子だったの?」
「かわいいなんてレベルじゃないわ。学校イチの美少女よ。しかも俊が大好きな女の子なんだから」
「フゥゥ~!やるじゃん色男~!」
バカ姉がニヤけながら指を指してくる。おいゴリラ、余計な情報を姉に流すなよな。
「でもねミエちゃん、この子ったら頭が真っ白になって、倒してすぐ逃げちゃってね。そのかわいい女の子を置いてきちゃったの。そこまでが俊らしいっちゃらしいんだけど。あーあ、白鳥ちゃん、悲しそうな顔してたわ……」
「え、女の子置いて逃げた?バッカじゃないの?我が弟ながら恥ずかしいわ」
「仕方ないだろ、好きな子に見つめられて頭が真っ白になっちゃったんだから」
夕方のワンシーンを思い出して俺はまた頭を抱えた。顔立ちも整っていて、雑誌で『美人過ぎる女子ボクサー』なんて取り上げられる姉は、そんな弟を溜め息交じりで見つめている。
「で、その女の子は他のクラスなん?」
「いいえ、同じクラスよ。1年生から一緒でね。俊が毎日のように目で追いかけてるわ」
「え、キモ」
姉が露骨に引いた顔をする。いやまあ、確かに目で追いかけてるだけなのは気持ち悪いんだけどさ。とりあえずゴリラ、お前もう帰れよ。
「俊、あなた明日白鳥ちゃんに謝りなさいよ。そして白鳥ちゃんが何かお願いしてきたら、お詫びに受けてやりなさいな」
「お礼にデートに行きましょう……だったりして?」
「んなわけあるかよバカ姉。相手は学校イチの美少女だぞ。俺は平均。釣り合わない」
「誰がバカだこのヘタレ。この全身平均以下が」
思わず言い返したところで、近寄ってきた姉から鉄拳制裁を食らう。めちゃくちゃ痛い。口より先に手が飛んでくるこの小さいゴリラに、俺はこの17年ずっと悩まされてきた。
すると、俺に鉄拳制裁を加えた女ゴリラは、ふと何かを考えるような表情を一瞬浮かべ、すぐに俺に微笑みかけてきた。
「まあ、いいわ、女の子を助けたのは事実だからね。少し見直したわよ、ヘタレ」
弟にそう声をかけ、シャワーを浴びるために脱衣所に向かう姉の背中を見送る。そういえば、姉から褒められたのは久々かもしれないな。
翌朝。朝練を終えて教室へ行き、教室の後ろのほうで腐れ縁たちとダベっているところに、一人の女の子が近づいてきた。
黒く長い髪を後ろで束ねポニーテールを揺らす美少女は、モジモジしながらこちらの様子を伺いつつ口を開く。
「薬師寺くん……昨日は、ありがと。ねえ、お礼に私とデート……しない?」
え、あの白鳥遥が……?俺に……デートのお誘い?驚きのあまり、俺は飲んでいたお茶をカブに向けて噴き出した。近くにいた男子生徒たちが口をあんぐり開けて固まっていた。
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