第4話 ちょっとドジな白鳥さん
私、白鳥遥は自分で言うのもなんだけど、たまにドジを踏む。
間違って心の中で思っていることを、無意識にそのまま言ってしまったり、笑われるような行動をしてしまうことがある。
以前間違えてパジャマの上に制服を着て学校へ行くところだった。お母さんが直前で気づいて止めなかったらいい笑いものになっていただろう。
学校帰りに急いで買い物をしていたら、買ったものをレジに忘れてきて店員さんに追いかけられたことも何度かある。
気を付けているつもりでも、そんなちょっとしたドジを重ねてきた。変なことを口走って親友や姉に突っ込まれることもままある。
しかし今日のドジは、過去の私がやってきたドジが全部かわいく見えるくらい、私史上最も情けなくて、最も危ないドジだった。
私はBL小説が好き。親にも、友達にも言えないこの趣味。
中学時代に姉の持っていたマンガをこっそり見て以来、すっかり『その道』に足を踏み入れた私は、ネットで気になった本を注文してはむさぼるように読み倒し、読み終わればクローゼットの奥に隠す、そんなことを繰り返していた。
今年の春。隣の街に『黒薔薇』という名前の専門店ができたという話を耳にした。
胸が高鳴った。すぐに行きたい……。でも、1人で行くのが怖い。知っている人に見つかったらどうしよう。この趣味を人には話せない……。でも、行ってみたい……。
葛藤を抱えながら数週間。ゴールデンウィークが明けた日の学校帰り、勇気を出して、私は『専門店』に足を踏み入れることにした。
スマホの地図に目を落としながら街を歩き、外れにある雑居ビルが目に入る。ここの2階か。目の前にあったのは築年数が相当経った古いビルだ。少しでも強い地震が起きたら倒れてしまうんじゃないかと思うほど。
こんなところに専門店があるの?なんて思いながらも、この筋の専門店に足を踏み入れたことのない私には、常識も分からない。
なのでとりあえず2階に上がってみることにした。そう、隣のビルに目的のお店があることにも気づかずに……。私のちっぽけな勇気は、その姿を最悪の形に変えることになる。
開いていた扉から中をのぞくと、いかにもワルそうな男の人たちがタバコを吸いながらたむろしていた。そして中にいた男の人たち数人と運悪く目が合ってしまう。気づいた時にはもう遅かった。肩を掴まれ中に引き込まれる。
大きな声が出ない。あまりの恐怖に、声もまともに出せない。振り絞るように漏れたのは「やめてください……」という声。でもこんな古びたビルに他の人なんているわけもない。誰か助けにくるわけがない。恐怖で足も動かない。
終わった……。
その時、左手のほうから音がした。と思ったその刹那、左肩を掴んでいた男の人の体が、くの字になって床に沈む。私は理解が追い付かない。
すると目の前を影のようなものが通過して、シッという声が聞こえたかと思うと、右肩を掴んでいた男の人が、またくの字になって床に倒れこむ。
助かった……?そんな思いが頭に浮かんだ時には、部屋にいた大半の男の人たちが床に横たわっていた。そして、目の前には普段よく見ていた男の子がいた。
私より少し高いくらいの背。セットされていない無造作な髪形。特に染めるわけでもなく、どこにでもいそうな男子高校生。
私は彼のことを知っている。教室でたまに目が合う、彼。彼の優しそうな目とたまに視線が合っては、つい恥ずかしくなり、視線を外したりしていた。
「え、薬師寺くん……?」
緊張感に襲われ、苦しく、声が出なかった私の口から洩れたのはこの言葉だけ。ようやく、私のノドから消え入るように声が出た。
それに反応した彼がこちらを見る。冷たい表情。怒りに支配された様子。正直怖い。続けて掛ける声を失っていると、奥にいた小太りの男の人がポケットからナイフのようなものを取り出した。私は思わず口元を押さえる。
押さえた瞬間、これまたよく見る、知っている男の人が私たちの前に立ちふさがった。そして小太りの男の人に何やら甘ったるい声で話しかけた瞬間、小太りの男の人が倒れこんだ。
え、何が起きたの……?私の理解力は未だに追いつかない。ただ助かったことは分かる。ようやく声も出るようになったことで、私は目の前の男の子2人に声をかけた。
「あ、あの……歌舞くんに薬師寺くん……?」
私の目の前で8人の男の人を床に沈めた彼の動きが止まる。
「あ、あの……」
続けて声を掛けると、本題を告げる前に、目の前にいた細身の男の子はこちらと目を合わさず、「急にごめん!」と言って逃げるように立ち去ってしまった。
まだ今回の出来事に対して理解が追いつかない。時間が止まっているような感覚が私を襲う。
夢かもしれない。きっとそう。でも、私の目の前で10人弱の不良っぽい人たちが倒れているのは、現実の世界の出来事だった。
「白鳥ちゃん、大丈夫?」
歌舞くんにそう声をかけられてようやく冷静になる。大柄で見た目は怖いけど、不思議と安心感のある彼の声は、今のこの状況下でありがたい。私の心の重荷をおろしてくれるかのような声音。
「ここはアナタがいていいところじゃないわ。何をしに来たのか知らないけど、帰るわよ」
「は、はい……」
私が声を絞り出すと同時に、倒れていた金髪の男の人が苦しそうな声で呼び止める。
「こ、この野郎…」
「乙女に『野郎』なんて失礼しちゃうわ!」
歌舞くんが倒れながらもこちらを睨んでいた男の人にウインクする。男の人は気絶した。救急車、呼ばなくていいのかな……。
「危ないところだったわ。帰りましょ。……アナタたち、この子を今度見かけた時に何かしたら、後はどうなるか分かってるわよね?」
動かなくなった男の人たちの反応がない。ねえ、歌舞くん……。この人たち、本当に大丈夫?呼吸が止まったりしてないかな?
その後震える手を彼にとってもらい、私はなんとか歩き出したが、足も少し震えている。それでもなんとか階段を下り、少し落ち着きを取り戻していく。
「アナタ、なんの用でこんなビルに?」
「わ、私、本屋に行きたくて……」
「本屋?このビルにそんな高尚なお店はないわよ?……ああ、宝石箱のことかしら」
「ほ、宝石箱?」
「隣のビルよ。『黒薔薇』でしょう、アナタの目的地。気づかずにこっちに入ってきちゃったの?」
階段を下りて隣のビルを見た私は固まった。こんな、大きくお店の看板が掲げられてあるのに間違えるなんて……。
「歌舞くん!そして薬師寺くんも……本当にありがとう……!」
ようやく呼吸も落ち着いてきた私は、頭を下げて心から感謝の気持ちを伝える。
「お礼は俊に言って頂戴。アタシは何もしてないわ」
「で、でもその薬師寺くんが……いないんだけど……」
「何をしてるんだかね、あのコも。クラスメイトの女の子の前で暴れた現実を飲み込めずに逃げちゃったみたいね」
歌舞くんも困ったように肩をすくめていた。そんな彼が駅まで送ってくれるとのことで、私たちは歩きながら言葉を交わしていく。
「薬師寺くんがいなかったら私……どうなっていたか。彼があんなに強かったおかげで助かったよ。ボクシング部だって知ってたけど、あんなに強いんだね!」
「そうよ、俊は本当に強い。逸材って言ってもいいわ」
「歌舞くんが全日本チャンピオンになったのは知ってるけど、あれだけ強いってことは薬師寺くんも全国大会に出てるの?」
「俊が?ああ、全国なんて出てないわ。それどころか去年のインターハイなんて県大会二回戦負けよ」
「二回戦負け???」
おかしい。20秒で8人を倒した彼が県大会で二回戦負けなんて。さすがにボクシングをやったことも見たこともない私でも分かる。
よほどこの県のボクシングのレベルが高いのかな……。ううん、そんなことない。尋常じゃなく彼は速かったし、強かった。
「不思議そうな顔してるわね。まあ、無理もないわ。スパーリングでも私と五分に渡り合えるのは部内でも俊だけなのにねぇ」
「歌舞くんと互角??インターハイのチャンピオンと??」
「ええ、そうよ。階級だってアタシのほうが断然上なのにね。おかげで私もいい練習ができるわ」
「なのに……二回戦負け?」
「あがり症なのよ、あのコ。まあ、それ以外にも色々あったんだけど、去年のインターハイは本来の力の1ミリも出せずに、手数も出せず結局負けちゃったの。まともな精神状態で無観客ならインターハイの決勝も勝てると思うわ」
え、そんなに強いの?若干顔を引きつらせながら私が話を聞いていると、ふと、歌舞くんが不思議そうな顔をして呟いた。
「でもおかしいわ。さっき俊が8人を倒した時、面識のない金髪の子たちが俊のことを見ていたはずなんだけど……。ああ、怒りに身を任せて体が勝手に動いたってところかしら。いいボディだったわねぇ。あまり外で使うのは感心しないけど、今日だけはト・ク・ベ・ツってことにしてあげましょう」
ひとりで納得し、私のほうへ顔を向けてウインクする歌舞くんを見て、倒れこんだ不良の皆さんの気持ちがちょっと分かった気がした。
「じゃ、白鳥ちゃん、また明日学校で会いましょうね。俊の非礼は私が代わりに詫びるわ。あとでタップリ、お説教しておいてあげる」
「あ、ありがとう歌舞くん……。ねえ!お礼させてもらえないかな……?」
「お礼……?アタシは何もしてないわ。俊にやって頂戴」
「薬師寺……いや、俊くんに……私は何をすればいいと思う?」
「そんなの簡単よ。抱きしめてあげなさい、お礼だって言って」
だ、抱きしめる!?私の顔が一気に熱くなり、耳まで真っ赤になっていることを自覚する。
「そんなこと……できないよ……」
「消極的ねぇ。私だったらガッツリ抱きしめるわ。背骨が折れちゃうくらいね」
「歌舞くんが言うと、冗談に聞こえないよ……」
「2、3本で済ませるわ。うーん、そうねえ……」
歌舞くんがアゴに手をやって、考え込む。そして数秒後、彼はいいことを思いついたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「分かったわ。ならこうしましょう。白鳥ちゃん、アナタ、お礼代わりに俊をデートに誘いなさい。クラスのみんなの前で、はっきりとね」
「え…!?」
私は状況をうまく飲み込めず、固まるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます