第2話 宝石箱の隣のビルの悲劇

京和学園は1クラス40人の6クラス。高校の規模としてはそう大きくはない。ただそのかわいい制服から女子人気も高く、それなりに進学校ということもあって倍率は決して低くない。


俺の成績はクラスの中で上から数えて20番目。まさに真ん中。平均的な成績をキープしていた。ちなみにカブの成績はクラス1位。憎たらしいくらい何でもできる腐れ縁である。


勉強もできるゴリラとしてローカルニュースにとりあげられるのも時間の問題かもしれないな。ウチのゴリラは微分と積分ができるぞ。


ただ、残念ながら勉強ができても性格がね。「保健体育も完璧だわ……♡今度アナタに実技で教えてあげようかしら?」なんて甘ったるい声をかけてくるコイツの内申点が下がってほしいと、俺は心から願う。




「また白鳥ちゃんを目で追っちゃって♡」


朝練が終わって校舎2階の教室に入って数分、教室の窓際でおしゃべりしていた集団をボーっと見ていた俺の耳元で、カブが甘ったるい声を出した。それまで窓際でおしゃべりしていた女の子たちを横目で眺めていた俺の視線が泳ぐ。


白鳥ちゃんと呼ばれた女の子・白鳥遥しらとり はるかはこのクラスで成績2位、容姿端麗、スタイル抜群。才色兼備の優等生を絵に描いたようなその存在から、カブとは別の意味でこの学校トップクラスの有名人だった。


小さな顔に少し垂れ気味の目。いかにも男が守りたくなるような顔つき。ブレザー越しに分かる大きな双丘と、引き締まったウエスト。


そこに肩甲骨まで伸びる長い黒髪。漂う清楚な雰囲気。近くを通るだけでほのかに漂うオレンジの香り。可愛らしいと評判のウチの学校のブレザーを、これ以上可愛く着こなすのは芸能人でも難しいだろう。


当然これだけの美女が注目を集めないわけがなく、この学校どころか近隣の学校に通う数多くの男をトリコにしている。毎週のように告白し撃沈されていった男の屍で、そろそろ小高い山が作れそうだ。


でも、俺はそんな男たちの気持ちも分かるのだ。白鳥さんと1年時から同じクラスになる幸運を得た俺も、その美貌に最初から夢中だった。


初めて見た時からその美貌に惹かれたのだが、1年間同じクラスで白鳥さんを見ていると、彼女の魅力は整った美貌や、抜群のスタイルだけではないことに気づく。


誰にでも分け隔てなく接する人間性、真面目な性格。放課後、部活終わりに教室へ戻る途中、彼女が図書室に残り熱心に勉強している姿をよく見かける。授業中も寝ている生徒が多い中、彼女はいつも真剣な目で黒板を見ていた。


学園の人気者・白鳥遥は、彼女のたゆまぬ努力によってできあがっていることに気づいた俺は、彼女によりのめりこんでいった。


そんな白鳥さんに対してもう1年以上俺の一方的な片思いが続いていたのだが、男女問わず、誰にでも優しい彼女はいつも人に囲まれているため、あがり症でヘタレの俺がその人波をかき分けて話しかけるなんて無理に等しい。


「いい加減アプローチしなさいな。見てるだけで関係なんて進まないわよ?」


なかなか話しかけない俺に業を煮やしたのか、腐れ縁が溜め息をつきながら声をかけてくる。


「バカ、成績も運動も人並みの俺が声なんて掛けちゃいけない存在なんだよ、あの子は」

「いいえ、あなたはとっても魅力的よ、10年一緒に暮らしているアタシが保障するわ」

「勝手に脳内で同棲するなよ。お前と暮らした記憶なんてミリ単位もねーよ」

「あらヤダ、アタシとお風呂に入って、同じベッドで夜を過ごした日をなかったことにするの……?お互いの肌に触れながら迎えた朝をなかったことにするの……?」

「小学生のお泊りを大人のラブコメのように表現しないでくれ……」


すぐ気持ち悪い表現に持ち込む腐れ縁に呆れながら、俺は彼女から目を離す。容姿端麗、スタイル抜群、誰にでも分け隔てない人気者の彼女に、とても俺なんか釣り合う存在ではない。


そんなことが常に頭の片隅にある俺は、同じクラスとなって1年以上経った今でも自分から声をかけられずにいた。




その日の放課後。ボクシング場で汗を流し、俺はカブと共に帰り道を歩いていた。制服の入らない巨躯を揺らしながら歩くカブは校内でも有名人。当然俺たちに視線が集まるが、9割方カブへの視線だから、周囲の視線はそこまで気にならない。


新作ゲームのことを考えている俺に、腐れ縁が野太く妖しい声を掛けてくる。妙に甘ったるく声を出そうとしてくるから困るんだよなあ。


「俊、アタシ帰りに服見たいんだけど、デート付き合ってくれるわよね」

「なんで俺がお前の服を一緒に選ばないといけないんだよ」

「アタシの勝負服は一番に俊に見せるって決めてるの♡」


なんて自分勝手な話なんだろう。本来なら速攻でお断り申し上げたいところだが、相手はインターハイのヘビー級チャンプ。


とんでもない握力で俺は襟をつかまれると、そのまま引っ張られながら電車で4駅ほど先の街まで連行されてしまった。俺には拒否権がないらしい。


本人は自分のことを『京和学園の一輪の青いバラ』と称しているが、俺は腐れ縁が他校から『京和のゴリラ』と呼ばれていることを知っている。たぶん野生のゴリラと戦っても勝てる気がするな、この握力は。


連行された俺は、カブの目的地の最寄り駅から、人通りもまばらな商店街を3分ほど進む。そこには『シンデレラ』と書かれた紫色の看板が、妖しげな雰囲気を醸し出しながら置かれていた。軒先に立つ店の扉を、カブが勢いよく開けていく。


俺はこの店に来るのが初めてではない。過去に何度か強制的に連れてこられているのだが、何度来ても不気味な店だ。誰が着るのか分からない服ばかりがそこら中に並んでいる。


サイズがXXXLのメイド服が、店内の一番目立つところに飾られていた。あのメイド服を製作した業者はどんな気持ちで、何を目的にあのメイド服を作ったんだろう。


誰が着るのか分からない服を、カブは顎に手をあてながら、ウンウン迷いつつも次々と服を選び、試着を繰り返す。男の試着なんて誰が好き好んで見たいのだと思うが、断ろうにも強引に俺を試着室に連れていく腐れ縁の力には敵わない。


そうして試着室前で待たされ、いざカーテンが開いて出てきた腐れ縁は、チャイナドレス風の服を着てポーズを取っていた。丸太のように太い太ももが服から少しのぞいている。


太ももを見せるな、頼む。俺の食欲がなくなって今夜のメシが食べられなくなったら、間違いなくお前のせいだからな。


この地獄のような時間が1時間ほど続いた後、「また私を輝かせるアイテムに巡り合えたわ」と言いながら、腐れ縁は試着室を出た。


10着ほど試着して、最後はフリルのようなものがついたピンク色の上着を手に会計を済ませる大男に向けて、俺は再度深い溜め息をつきながら、窓の外の青い空に視線を移す。心なしか、青い空が紫色に染まっているような気がした。


『シンデレラ』を出て外界の空気を肺に入れていると、左隣にいたご機嫌な大男に再度襟を掴まれてしまう。


「もう一軒、寄っていくわよ」


ああ、もう一軒っすか。目的地はなんとなくわかっている。どうせ、最近カブがハマっている店だろう。


「またあの魔界か……」

「ノンノン、魔界じゃないわ、宝石箱と呼んで頂戴」


カブが宝石箱と呼んでいる店は、ブティックなどが並ぶ商店街の一番端のビルの2階に存在する本屋『黒薔薇』のこと。


ディープな趣味をお持ちの皆さんをターゲットにした店で、店内はBL一色。まだ開店して1カ月だが、その筋の猛者の皆さんで賑わう人気店になっていた。


その筋の話に疎い俺は帰りたくて仕方ないが、襟をつかんで引っ張ってくる腐れ縁のゴリラ並の握力には逆らえない。狩人に仕留められた獲物のごとく、俺は引きずられるように商店街を奥へ、奥へと進んだ。


古びた雑居ビルが立ち並ぶ商店街の一番端、シャッターの降りた店舗の2階に『黒薔薇』はある。その筋の猛者の皆さんが目を血走らせながらお目当ての商品を物色する光景に、俺は若干引きつつ、入口近くで腐れ縁が買い物を終えるのを待った。


人の趣味を否定することはないが、ここはいつ来てもが凄い。BLの世界に疎い俺は彼女たちが何に惹かれているのか分からないが、ここまで熱を帯びる姿を見ると、相当奥深い世界なのだろうとなんとなく察していた。


猛者たちに囲まれながら、同じように血走った目で店内を物色していたカブに待たされ30分。腐れ縁の大男はハントしたを鞄に大事そうにしまいながら、「いい出会いに恵まれたわ……」とブツブツつぶやいている。


「そりゃ良かったでございますね。なんの出会いもなかった俺はこの1時間半を無駄にした気分だよ」


俺があきれ顔でそう言うと、目の前の腐れ縁が溜め息をついてから、首を横に振る。


「このお店の魅力に気付かないアナタは人生17年の大半を無駄にしているわ……」

「俺の17年をここで否定しないでくれるか?」


おいゴリラ、そんな憐れむような目で俺を見るな。




気落ちしながら階段を下りた俺が、カブを伴い駅に戻ろうとした瞬間だった、俺がこの1年、何度も、何度も目で追いかけていた女の子が俺の視界の端を通過した。


今日、いや、毎日、何度も目で追っていた学校指定ブレザー姿の黒髪の少女が、スマホに目を落としながら、こちらに気づかずに『宝石箱』の入るビルの隣、古びた雑居ビルに姿を消していく。


「あら、白鳥ちゃんじゃないの。あのビルに何の用かしら」


またも白鳥さんを目で追っていた俺は、カブの声で現実に引き戻されてしまった。


「随分慌てて入っていったわね。ここがご実家なのかしら?」

「こんな人も住んでないような荒れ果てたビルが実家で、どうやってあんないい子が育つんだよ」

「分からないわよ?人は見た目によらないって言うわ。私みたいに」

「お前は見た目通りのゴリラだから安心しろ。でも変だな、こんなボロいビルに高校生の女の子が入る理由がない」

「俊、あとで覚えてなさいよ」


カブに睨まれたが、俺はその視線すら気づかないほど、白鳥さんの心配をしてしまう。不審な点しかない。俺たち2人は、自然と彼女の後をつけた。


古びた雑居ビルは壁が剥がれ、電灯も切れかけており、まるでホラー映画にも登場しそうな妖しげな空気を漂わせている。埃っぽい匂いのこんなビルに、とても女子高生が用事があるとは思えない。


倒れた消火器をまたぎながら階段を上ると、2階の開いている扉が目に入った。目に入った瞬間、その扉の奥から女の子の小さな悲鳴が聞こえてくる。


「や、やめてください…」


声が聞こえ終わる前に、俺の足は動いていた。

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