腐れ縁のオネエの策略でちょっとドジな美少女と付き合った話

土管

第1章 甘酸っぱい青春は突然やってくる

第1話 人生が変わった日

「おっはよん、俊♡」


青葉の季節。街路樹の緑が太陽の光を跳ね返す。駅へ向かう道は多くの通勤客、そして学生で賑わっていた。


ゴールデンウィーク明け初日。通りを歩く人々の足は少し重い気がする。かくいう俺もそんな一人だ。ただでさえ気持ちが滅入っている俺を、人混みの中でやけに響く、太く甘ったるい声が呼び止める。


連休明けの月曜日。4月に発売された新作ゲームを家に籠りながらやり続け、連休最終日も深夜遅くまでプレイし瞼をこする俺・薬師寺俊やくしじ しゅんの後ろから、野太くも甘ったるい声の持ち主である大柄な男が近づいてきた。


「ウフ。ゴールデンウィーク明け初日にいきなり会えるなんて、やっぱりこれって運命?♡」

「カブ、できれば5月いっぱいお前の顔を見たくなかったよ……」

「ゴールデンウィークがあなたと私の仲を引き裂けると思って?♡」


『カブ』と呼ばれた大柄な男が、大きく開けた胸元を露出しつつ、甘い声で俺に手を伸ばしてくる。大男は自然な感じで右手を伸ばし、俺と手を繋ごうとする。


これがスタイル抜群の美女ならともかく、190cm近い身長で、筋骨隆々、野太い眉毛の大男。手を繋ぐなんてまっぴらごめんだ。手を払い、つい深いため息をついてしまう。


どうせならマンガのような幼馴染が欲しかったんだよな。小さい頃からの幼馴染が甲子園を目指すマンガ、あるじゃん?それが、俺の隣を歩くのはある意味スタイルが抜けている幼馴染、いや腐れ縁だ。


腐れ縁のゴリラが着れるサイズの制服がないため、学ランはナシ。指定のシャツから大胸筋がのぞいている。女の子が胸元を開けていたらオっと思ってしまうものだが、残念ながらゴリラの胸元が開いていようがいまいが、俺は一切興味を持つことはない。


一度でいいから胸元の開いた美女と隣同士で通学したいもんだよなぁ……。俺の隣にいるのは残念ながら高校2年生の男。通行人の皆さんも思わずギョっとしている。


これで振り返りもしない人間は、昔からこの近辺に住んでいて、コイツの存在を認知している人たちだけだろう。


何が悲しくて、家から最寄り駅まで続くこの商店街を、男と手を繋いで登校しないといけないのだ。俺は再度強引に手を繋ごうとしてきたカブの手を払う。


「まあ。私との関係を清算するの!?私たち、体だけの関係だったの!?」

「朝から大きな声で近所の皆さんに勘違いされることを言うなバカ!」


ゴリラみたいな風貌の大男はニヤニヤしながら俺の反応を楽しんでいた。


歌舞武史かぶ たけし。我が高校のボクシング部部長にして、昨年のインターハイ・男子ヘビー級を初戦から決勝までワンサイドゲームで制した日本ボクシング界期待の星にして、オネエ。俺にとっては小学校1年生からの腐れ縁だ。


「もう♡朝から幼馴染に会えたんだからもっと喜んでヨ!」

「俺の幼馴染が美女だったらって思わなかった日はないよ……」

「あーら、恥ずかしがり屋さん♡こんな美女と手を繋いで登校する機会なんて、アナタには今後一切なくってよ」

「ああ……夢でもいいから、俺はこの道を一度美女と手を繋いで歩きたい……」

「もーお、俊ったら♡アタシという美女がい、る、で、し、ょ?♡」


自分を指さしながら顔を近づけてくる腐れ縁の顔を、俺は無言で押し戻し、毎朝のお約束のようになったやり取りを交わしつつ、2人で並んで駅へ向かう。


俺にとって、カブは10年来の付き合いになる。小学1年生の時、女の子のような口調をからかわれていたカブを助けて以来付き合いが始まった。


残念ながら家がご近所だったこと、実は両親揃ってそれ以前から知り合いだったこと、2度のクラス変えでも同じクラスだったこと、中学校でも3年間同じクラスだったことなどから、未だに腐れ縁が続いていた。


高校でも1年時に同じクラス。2年生になった今年も同じクラス。もはや奇跡的な確率だ。起きたらこれが単なる悪夢であってほしい。


「いよいよゴールデンウィークが明けたわ……。この連休中にタップリ休んだ可愛い子猫ちゃんたちを、ムチで叩いてガンガンしごいちゃうんだから……」


電車内で腐れ縁が物騒なことを言い始める。おいゴリラ、近くにいたサラリーマンが驚いて振り向いちゃってるぞ。


俺もボクシング部の一員ではあるが、ゴールデンウィークは近所のジムに通う以外、ほとんど外に出ていない。当然、部活もない。


一般的な運動部にゴールデンウィークはないかもしれないが、我が部は別。歌舞部長の「貴重な高校生活の連休は、それぞれの輝かしい青春に使って頂戴♡」という指令により、1週間まるまる部活がなかった。


その圧倒的な存在感により我が校で最も有名なこの友人は、実家がボクシングジムということ、そしてその圧倒的な実績により、完全なる素人の顧問からも練習メニューを一任されている。


不敵な笑みを浮かべているカブを見ながら、俺はこの春入部した新入部員たちの幸運を祈りつつ、持ってきた参考書に目を通した。




自宅近くの駅から電車で15分。そこから歩いて15分。2人の通う私立・京和学園は住宅街の真ん中に存在する。


全校生徒500人弱。圏内でもそれなりに上位の進学校にして、部活動もそれなりに盛ん。各自部活の朝練があるため、朝の7時にはすでに多くの生徒が通学路を埋めていた。


校舎の端にあるボクシング場、カブ曰く『愛の巣』に到着すると、俺たちは早速着替えて校舎の周りをランニングし汗を流す。登校中の1年生たちがカブの走っている姿を見て驚いている。ああ、まだ入学して1か月、このゴリラを見慣れていないんだ。


ごめんね、動物園からゴリラが脱走したわけじゃないんだよ。ウチの学校に通っているなら早く慣れてね。


ウチのボクシング部員は3年生の先輩が1人に、1年生の後輩が4人の合計7人。元々は人気もない部活だったのだが、現部長がインターハイの覇者ということもあって、今年、新入部員が4人も入ってくれた。


中には1人経験者もいたとはいえ、このクセの強い部長を前に、1年生4人も、残っていた3年生1人も、よく1カ月経っても辞めなかったと思う。その唯一の3年生であるフライ級の徳山先輩が、俺たちがランニングから戻るとちょうど着替えていたところだった。


人格者で本来最年長であることから部長になるべき存在だったが、「僕は万年1回戦負けだから」と言って、カブに部長の座を譲った方だ。ヒョロっとした体型はとてもではないがボクシング部員とは思えない。


中学時代は帰宅部ながら、偶然テレビでボクシング中継を見たことで競技に憧れ、ボクシング部の門を叩いた変わり種である。


「ヤマさん、ゴールデンウィークは鮮やかな青春の1ページになって?」

「ああ、カブくんが練習をなくしてくれたおかげで家族と旅行に行けたよ、ありがとう。でも練習をサボりたくなくて、旅先の旅館でシャドーしてたら怒られちゃったよ……」

「あらヤダ、マジメ。アタシ、マジメなオトコは好きよ♡」

「おいカブ、先輩に気色悪い声出すなバカ」


後輩とこんな他愛ないやり取りができるのも、先輩の敵を作らない柔らかな雰囲気があってこそだろう。敵を作らない徳山先輩は友人も多く、成績優秀、先生たちの評価も高い。


「チワーッス」


そんなやり取りを交わしているうちに、扉が開いて次々に1年生たちがやってきた。さすがに1カ月経ってこの部活にも慣れてきたようで、以前ほどの緊張感は感じない。


ただ「子猫ちゃんたち!遅いわよ!」とカブがウインクしながら声をかけると、1年生たちは顔を引きつらせていた。本当に、よく4月の1カ月間、この男に耐えたものだ。俺は内心で1年生たちを褒める。


各自カブから与えられたメニューをこなし、いつものルーティンワークをこなす。

窓の外は雲一つない青空。なんてことのない日常。


しかしこの日を境に人生が大きく変わることを、俺はまるで気づいていなかった。

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